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 頭上が開けている路上ならばともかく、プログラム会場の約半分の面積を誇る森林地帯

では月の光が遮られ、五メートル先の様子も正確に掴めない状況だった。懐中電灯を使え

ば事態は解決するのだが、暗闇に走る一筋の光がどれほどの影響力を持っているのか、

それを知らないほど彼女たちは愚かではない。

 

 誰かと遭遇することを恐れる彼女たちは、前に進むことも後ろに退くこともできず、とりあ

えずどこか建物の中に隠れようと考え、E−05エリアにあるボート乗り場まで足を運んだ。

ボートに乗る場所があるのなら、それを管理している人が使っている小屋みたいなものが

あるはずである。そう考えたからだ。

 

 結果として、橘千鶴(女子8番)の考えは見事に的中していた。月光を映す暗い湖面が

前方に広がる湖にはボートに乗る際に使用される桟橋が設けられており、ドラマなどで

カップルがよく乗っているような手漕ぎのボートが数台、ロープで岸に括りつけられていた。

そしてそのすぐ向かいには、廃屋か物置にしか見えない木製の小屋がどんよりと佇んで

いる。

 

 千鶴は二箇所しかついていない窓から中の様子を窺ってみた。その小屋は十畳ほどの

広さで、中にはスチール製の机、折りたたみ可能な小さな椅子、その他には電話や鉛筆

などといった事務用品しか見当たらなかった。人が隠れていられるスペースも無いだろう

と判断した千鶴は、出発直後から同行していた他の二名に、ひとまずここを休憩場所にし

ようという話を持ちかけた。

 

「えー、本当にここにするの? 何か汚くて嫌ー」

 鍵のかかっていなかった扉(無用心なことだ)を開け、ぐるっと内装を見回した小林良枝

(女子5番)は開口一番に不満気な声を漏らす。

「贅沢言ってんじゃないわよ良枝。こうして隠れられる場所があるだけでもマシじゃない」

 そんな良枝の態度を見かねたのか、さっぱりとしたショートボブの髪形の少女、遠野美穂

(女子9番)が腰に手を当て、少し偉そうな感じで非難する。

 

「えー、でもさあ」

「だったらあんた一人だけ森の中にいれば?」

「ハイハイ、分かったわよ。……何もそこまで言わなくていいじゃん」

 消え入るような声で呟かれた良枝の台詞、その後半部分は美穂には聞こえていないよう

だった。

 

 

 

 三人はそういった経緯でこの小屋を隠れ場所に選び、とりあえず夜が明けるまでここを

動かないことにした。夜という時間帯は相手側から見つかりにくいが、自分たちも近付いて

くる敵の存在に気付きにくい、というデメリットがある。人間が持つ器官の中で、状況を認

識するために一番重要な部分は目、つまり視覚だ。他の生徒との遭遇を恐れた三人は、

視覚状況に悪い夜間は下手に動かないようにしたのだ。

 

 三人は普段から一緒に行動している、いわゆる仲良しグループだった。良枝と美穂が

陸上部、千鶴がバスケ部に所属しており、女子の中での運動部グループということになる。

 千鶴と美穂は出席番号が続いていたため、間にいる高槻彰吾(男子9番)をやり過ごす

だけで合流することができた。良枝は二人よりも前に出発していたが、どうやら進んでいた

方向が同じだったらしく、湖に向う途中で偶然出会い、合流することになった。

 

 デイパックに入っていた武器は良枝が石鹸5個セット、千鶴がロープ、美穂がコルト キン

グコブラというリボルバー拳銃だった。

 美穂が銃を持っているので、もしやる気になっている誰かが襲ってきても追い返すことは

できる。そういう意味もあって、銃が自分たちの手にあるということは三人にわずかな安心

感を与えていた。しかしそれでも、彼女たちの身を包む不安は完全に和らいだわけでは

ない。一人しか生き残れないという現実が無くなったわけではないのだから。

 

 

 

 千鶴は壁に背を預けながら、他の二人の様子を見る。

 良枝はデイパックを枕にして横になっており、美穂は小さな折りたたみ式の椅子に座って

鏡を見つめていた。

 

 ――こんな状況だっていうのに、何でそんなに呑気でいられるんだろう。

 千鶴は良枝と美穂の振る舞いに苛立ちを覚えていた。ここで一夜を過ごすと決めた時、

てっきり今後の動向を話し合ってから休憩するものだと思っていたが、この二人はそんな

事お構いなしといった様子だった。

 

「ねえ美穂、これからのこととか話し合っておいたほうがいいと思うんだけど」

「んー……別にまだいいんじゃないの? それより今疲れてるからさー、ゆっくり休ませて

ほしいんだけど」

 千鶴はわずかに顔をしかめ、「……そう」とだけ言い、それ以上何も言わなかった。その

時の彼女の顔には、はっきりとした嫌悪の念が浮かび上がっていた。

 

 千鶴たち三人は学校生活の中でもよく一緒に行動している友人同士だが、その関係は

村崎薫(女子15番)琴乃宮涼音(女子4番)がいる主流派グループのものとは違う、深

いところまで根が張っていない、とても表面的な交友関係だった。

 

 

 

 ただ気が合うから。同じ部活に入っているから。たまたま席が隣同士になったから。お互

いを知り合い、交友関係へと発展させるきっかけはいくらでも存在する。それをより深い

ものにするか、浅いところで終わらせるかは人それぞれだが――とにかく、千鶴たちの付

き合いはとてもあさっさりとしている。学校に来て、いつも通り挨拶をして、勉強のこととか

新しくできたお菓子屋のこととか、部活の試合のこととか、とりとめもない話をして何となく

笑い合って、学校が終わったらそれで終わり。それだけの仲だ。薫たちのようにお互いを

信頼し合っているわけではなく、学校で一人でいるのが嫌だから何となく一緒にいる程度

の友人。まあ、これを友人と呼ぶかどうかは人それぞれだろうけど。

 

 良枝と美穂がどう思っているかは知らないが、少なくとも千鶴は二人のことを信用しては

いなかった。

 言葉を選ぶ、ということを知らない感情直接表現型の良枝。ちょっと才能があるというだ

けで驕った態度で人に接し、人一倍プライドが高く自分の非を認めようとしない美穂。

 二人と行動するようになってから一年が経過したが、今まで何回二人の振る舞いに苛立

たせられたのか分からない。性格には合う合うから仕方がない、と割り切ることもできたの

でそれほど深刻にならなくても良かったのだが、千鶴が一番気に入らなかったのは部活を

サボりがちな彼女らが、毎日遅くまで練習している自分よりも良い結果を出しているという

ことだ。

 

 こればかりはどう考えても納得できなかった。いや、納得しろという方が無理な話だ。私

はあんなに辛い思いをしているのに、何で二人の方が上なの? 何で? 今まで幾度と

なくそう考え、沈みがちになる思いを払拭するため練習に取り組んできたが――それでも

試合などで好成績を残しているのは、良枝と美穂のほうだった。

 

 千鶴はいまいち自信が持てず、練習を積み重ねその成果を本番で出すことにより結果

を残し、徐々に自信を付けてきた。そんな千鶴だからこそ、自分よりも努力をしていない

二人が好成績を残していることに我慢できなかった。

 

 自分の感情がドス黒い嫉妬だということは千鶴にも分かっている。いつか二人を見返せ

るようにすればいい。そう思っていても、再び失われつつある千鶴の自信はなかなか回復

せず、逆に二人への不満、嫉妬心は日に日にその濃さを増していった。

 

 

 

「みんな、今頃なにしてるんだろう」

 ほとんど無意識のうちに、千鶴がそう呟いていた。

「わっかんない。でも薫ちゃんとか真理は集まっていそうだよね。あの子たち仲良いし」

「うん。黛さんとか、頼りになりそうだし」

 

 同じ運動部仲間ということで、千鶴は何度か真理と話をしたことがある。元気が良くて、

よく喋る人で、何か問題が起きたらすぐに駆けつけて解決しようとする、行動力のあるとて

も素敵な人だ。剣道部の練習をしているところを見学させてもらったことがあるが、その時

は同姓ながら真理に魅力を感じていた。

 

 ――黛さんって、女子校だったら後輩からモテそうな人だもんね。

 その光景が容易に想像できてしまい、何だか笑いがこぼれてくる。彼女がここにいたら、

どれだけ頼りになることだろう。彼女のみならず、主流派のメンバーはみんな良い人ばかり

だった。主流派のメンバー以外なら、テニス部副部長の逆瀬川明菜(女子7番)とも何気

に気が合う。明菜もいろいろと苦労しているようで、二人になると自然と愚痴をこぼしがち

になっていた。

 

「真神野とかは、きっとやる気になっているわよね」

「……うん」

 美穂の言葉で、千鶴の不安が一気に増大した。確かにこのクラスには頼りになる人物が

多い。しかしそれと同じくらい、信用できない危険な人物が多いことも事実だ。

 

 先程の放送以降まだ銃声は鳴っていないが、やる気になっている人物は確かに存在す

る。今はこうして穏やかにしていられるが、いつそれが崩れるかも分からない。

 そう、いつかは殺し合わなければいけないのだ。優勝者が一人という以上、戦わなけれ

ばいけない時というのは必ずやってくる。その時は良枝か美穂かもしれないし、もしかした

ら真理か明菜かもしれない。

 

 千鶴は一度身震いをし、美穂が握っているコルト キングコブラに目を移した。

 あれがあれば、自分でも戦うことができる。優勝できる可能性が生まれる。あれさえ、あ

れさえあれば――。

 

 

 

 ガタン。

 

 

 

「――――!!」

 小屋の扉から聞こえてきた音に、千鶴は心臓が口から飛び出すかと思った。驚いたのは

美穂も同じだったらしく、身を揺らせて扉の方へと向き直る。

 ただ、その行動がまずかった。直接床に座っている千鶴、眠っている良枝と違い、美穂

は椅子に座っている。反射的な動きとはいえ身を動かしてしまったことにより、椅子が床に

擦れて『ガタッ』という音がした。その音は静まりかえっている小屋の中で、不自然なほど

大きく響いた。

 

 鍵がかかっているドアノブはがちゃがちゃと回るだけで、開かれることはなかった。最初

は風の音かもしれないと千鶴は思ったが、これを見て「外に誰かいる」と確信を持った。

「……ねえ、誰かいんの? 中に誰かいんの?」

 扉の向こうから聞こえた声に、中にいる二人(正確には三人だが)の心拍数が跳ね上が

った。

 

「み、美穂、どうしよう……!?」

「馬鹿、びびってんじゃないわよ。こっちには銃があるんだから、脅して追い返してやれば

いいでしょ」

 小屋の中に誰かが入るということは向こうも気付いているから、だったら隠れることなん

てせずに追い返してやればいい。それが美穂の考えなのだろう。確かにそれは居留守を

使うより効率が良いが、果たしてそう上手くいくだろうか? 不安はあったが反対するわけ

にもいかず、千鶴は美穂にこの場を任せることにする。

 

「遠野よ。遠野美穂。そっちこそ誰なの?」

「……弓削。弓削進」

 弓削進(男子17番)――いつも眠たそうな目で音楽を聴いている、面倒くさがりで暗い

印象を受ける男子生徒だ。二階堂平哉(男子12番)と話をしているところは何度か見か

けたことはあるが、誰と親しいとか、誰が嫌いだとかは耳にしたことがない、正直言って

よく分からない人物である。

 

「……なあ、中に入れてよ。俺休みたいんだけどさ。中に入れてよ」

 千鶴も美穂も進と直接話をしたことは皆無に等しいが、この特徴的な言い回しは確かに

進のものだった。

「駄目。悪いけど扉を開けることはできないわ」

「……何で?」

「あんたのことが信用できないから」

 美穂は自分の感情を包み隠すことなく素直に言った。その様子を見ていた千鶴は緊張

で気が気ではなかったが、美穂はそんなことお構いなしといった風に、千鶴に相談をする

こともなく話を進めていく。

 

「……ストレートに言うね、きみ。めちゃくちゃストレートに言うね」

「あんたには悪いけど、こっちにも事情があるのよ。それに私は銃を持っている。撃たれた

くなかったらさっさとどこかへ行って」

「……しょうがねぇなあ。もう本当メンドくさい。でもしょうがねぇよなぁ」

 ブツブツと呟く不満の後に、遠ざかって行く足音が美穂と千鶴の耳に届いた。

 

 

 

 足音が完全に聞こえなくなったのを確認すると、二人は深く安堵の溜息をつく。

「弓削くん、もう行ったみたい」

「――ハァ、まったく、何でいきなりここに来るのよ、あいつは。ビビって死ぬかと思ったし」

 ここに身を潜めておよそ一時間といったところだが、まさかこんなに早く他の生徒がやっ

てくるとは思っていなかった。

「ねえ美穂、やっぱりここから出た方がよくない?」

「何言ってんのよ。そもそもここに来ようって言ったのはあんたじゃない」

「そうだけど……もしここに隠れていて誰かに襲われたら、逃げる場所がなくて危ないかな

って思ったから」

 ここに来る前、千鶴は隠れることができる”建造物”のある場所ならば比較的安全に過ご

すことができると思っていた。それは間違いではなかったのだが、問題はその建物の構造

にあった。

 

 今千鶴たちが隠れているこの小屋のように、一部屋から形成されている倉庫のような建

物は逃げるルートが限られてしまい、万が一そこを押さえられたら逃げることができずに

正面からの戦闘を余儀なくされる可能性があった。こちらには銃があるのでそう簡単に

負けることは無いと思うが、できるのなら戦わずに済んでほしい、というのが千鶴の願いで

ある。

 

 しかし美穂はその提案に不服なようで、苛立ちを口の端に乗せた。

「何よそれ。今さらそんなこと言わないでよね」

 彼女の言い分ももっともである。この場所を隠れ家にしよう、と言い出したのは千鶴なの

だから、今さらこんなことを言われたら美穂でなくても快くは思わないだろう。

 

 美穂を説得する自信がないので、千鶴は仕方なく自分が引き下がることを選択した。と

にかく今は夜が開けるのを待って、それからまたどうするか話し合おう。美穂が賛成して

くれるかどうか分からないけど、ここはちゃんと計画を立てておかなければ。

 そう思い何気なく視線を動かしたら、先程まで眠っていた良枝が目を開けて身体を起こ

している姿が視界に映った。

 

「良枝、起きてたんだ」

「うん……今起きたとこ」

 まだ寝ぼけているのか、良枝の目はぽけーっと宙を見つめている。

「ねえ千鶴……私の見間違いかもしれないんだけどさ、今その窓の外に、誰かがいたよう

な気がしたんだけど」

 

「え?」

 千鶴の全身を嫌な予感が駆け抜ける。まさか――いや、彼がいなくなったというのは足

音から判断しただけで、実際にいなくなるのをこの目で見たわけではない。

 

 この小屋の窓にはカーテンもブラインドもかかっていないので、中から外の様子を見よう

とすればいつでも見ることができる。床から窓までの高さはおよそ一メートルなので、座っ

ていても外の様子はだいたい見ることができた。

 言われて千鶴は窓に目を向けてみたが、黒一色の景色が見えるだけで特に変わったも

のは見つからなかった。

 

 何もないけど、と言おうとして視線を良枝の方に向けた千鶴は、パララララ、という軽快な

破裂音を聞いた。同時に耳に入ってきたガラスの割れる音、美穂と良枝の悲鳴、血飛沫を

上げながらくるくると回り、崩れ落ちていく良枝を見ても、千鶴はまだ何起きたのか理解す

ることができなかった。

 

「……ああ、メンドいな。本当メンドいな、これ」

 ガラスの割れた窓の向こう――暗闇の中に佇む、イングラムM11を手にした弓削進を

見るまでは。

 

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