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 日は沈み、窓から差し込むものは太陽の光ではなく、夜が創り出す暗闇と電灯の光だけに

なった。夜というのは不思議なもので、辺りが暗くなっただけだというのに自分の知っている

場所が全く別の場所になったかのような錯覚に捉われる。見慣れた街並みでも夜にそこを

歩くとまるで別の街にいるみたいで、気が付いたら道を間違えていた、なんていうことも少な

くない。

 

 昼間と夜間のギャップが大きく現れるケースの代表的なものに、賑わいの差――つまり、

そこにいる人間の数というものがある。昼間は人が多いのに暗くなっていくにつれ人が減って

いき、何だか別の場所にいるように思えてしまう、というものだ。

 学校は昼間の夜間のギャップが明確に表れる代表的な場所だろう。日中は大勢の生徒た

ちで凄まじい賑わいを見せているが、ほとんどの生徒が帰宅した午後七時にもなると不気味

な静けさが校内を包み込んでいた。

 

 高峰誠治(三年一組担任)は手に持っていたシャープペンを置き、深い溜息をついた。机の

上にはいくつかの書類が並んでいるが、そのほとんどが最初から印刷されている字が並ん

でいるだけで、誠治が書いたと思しき字はほんの数行しかない。ほとんど白紙に近い状態

だった。

 早めに書かなければいけないということは分かっているのだが、まるで手が付かなかった。

頭の中は別のことでいっぱいで、他のことを考えられない状態だった。

 

 何でこんなことになった。

 どうして俺のクラスなんだ。

 何で。どうして――。

 

 頭の中に同じような疑問が浮かんでは消え、浮かんでは消えている。

 何でか、だって? もうずっと前から決まっていることじゃないか、この国では。それなのに

『何で』なんて、考えるだけ無駄なことだ。

 

 どうして、だって? そんなの、政府の連中が勝手に自分のクラスを選んだからだ。厳選な

抽選の末に、とかいうご大層な理由をつけて。はっきり言えよ、適当に選びましたって。お前

らはプログラムに参加させられる奴らの――その周りにいる人間のことなんて糞ほども考え

ちゃいないんだろ。だけどこっちとしちゃ大問題なんだよ、馬鹿野郎。

 

 答えの返ってこない問いかけは、やがて政府に対する呪詛の声へと変わっていった。

 担当教官である三千院零司という男が学校を訪れた後も、睡眠薬入りの給食を食べて眠

らされ、まるで物のようにトラックの荷台に入れられて拉致されていく生徒たちの姿を見た時

も、誠治は自分のクラスがプログラムに選ばれたんだということを事実として受け入れること

ができなかった。教師になって早々、自分の受け持ったクラスがプログラム対象クラスに選

ばれてしまうなんてこと、当初は到底信じれるようなものではなかった。

 

 だが現に、生徒たちはプログラムに参加させられている。

 受け入れるしかなかった。この嘘のような現実を。

 それと同時に、誠治は教師として――そして一人の人間として大きな無力感、罪悪感を感

じていた。

 

 この国が、そしてプログラムがどのようなものなのか誠治はよく理解している。自分の力で

はどうすることもできない強大な敵。権力という力を持っている政府の人間に対して反抗した

ところでどうにかなるわけではない。それも誠治はよく知っていたし、知っていたから自分は、

あの時にプログラム参加の了承をしてしまったのだ。

 

 こうする他になかったと分かっていても、誠治の心に募る罪悪感は相当なものだった。生徒

たちにしてみれば、自分は命惜しさに生徒たちのことを見捨てた薄情者。そう思われていて

も仕方が無い。反論が出来ない。いくら言い訳を重ねたところで、それは事実に変わりない

のだから。

 

 

 

「みんな、すまん……俺を許してくれ……」

 頭を抱えてそう呟いたところで、職員室の扉が開く音が聞こえてきた。誰か他の教師が入

ってきたのだろうと思い目を向けた誠治の視界に映ったものは、真っ赤なミディアムヘアの

少女だった。髪もそうだが、最も印象深かったのはその表情だ。相手を射殺すような勢いで

睨みつけてくる、険しい瞳。刃にも似た雰囲気を持ち、視線が合った誠治は思わず背筋が

逆立ってしまった。

 

「君は――」

 三年一組に在籍する琴乃宮涼音の双子の姉であり、同じく一組の生徒である村崎薫の友

人、琴乃宮赤音が、そこに存在していた。

「こんばんは、高峰センセイ」

 誠治は心臓の鼓動が撥ねるのを自覚した。赤音の放つ攻撃的な雰囲気に身体が反応し

てしまったのだ。

 

 赤音は無言で誠治のもとに近付いて行く。一方の誠治も何も言わず、緊張を隠しながら赤

音の顔を見据えていた。

 誠治の眼前で立ち止まった赤音はすっと腕を伸ばし、白い指を誠治の眉間に突きつけた。

指は眉間に触れる直前のところで止まり、それで誠治の心臓の鼓動は一層早いものとなっ

た。そういえば数日前、三千院とかいう男にこうして銃を突きつけられたなと、思い出したく

ない記憶が脳裏をよぎった。

 

「正直に答えてほしいんだけど、涼音たちがプログラムに選ばれたって本当なの?」

 それを聞いた誠治は怪訝に思った。一組の生徒がプログラムに選ばれたことは、今日の

放課後に行われた臨時の集会で全校に伝えられたはずだ。それに付け加え彼女は涼音らと

同じ三年生である。今の今までプログラムに選ばれたのを知らなかった、というのはないはず

だが――。

 

「あたしは今日学校をサボったから、何があったのか知らないんだ」

 誠治の疑問を読み取ったかのようなタイミングで発せられる言葉。それを聞き、誠治は赤音

がこんな時間に学校を訪問してきた理由を知った。

 

 何も知らない彼女に真実を伝えるかどうか悩んだが、結局自分の口から言うことにした。

ここで自分が言わなくても、いつかは知ってしまうことだ。ならこの場で、薫たちの担任である

自分の口から赤音に伝えた方が良い。

 それが一組の担任である自分ができる、数少ない事だったから。

 

「本当だ。今日の昼に政府の奴らが来て、睡眠薬で眠らせた生徒を拉致していった」

「……あんたはそれを止めなかったのかよ」

「仕方がないだろう。俺一人がそうしたって何になるっていうんだ。相手は政府だぞ? 歯向

かったりしたら処刑されることは目に見えて――」

「ふざけんなっ!!」

 

 怒声を上げ、誠治の襟元を両手で思いっきり掴み上げる。彼にこんなことをしても何にも

ならないと分かっていたが、こうせずにはいられなかった。

 涼音たちはこうしている間にも理不尽な殺し合いをさせられているのに、それを『仕方ない』

の一言で済ませてしまう誠治に激しく苛立ち、怒りを覚え、彼を思いっきり殴りたい衝動に駆

られる。

 

「あんたはみんなの担任だろ。心配じゃねえのかよ、みんなのことが! 何で仕方ないって

だけで済まそうとするんだよ! 自分のクラスの生徒が殺し合いに参加させられるって言わ

れて、あんたは何も思わなかったのか!? 本当に納得してんのかよ!」

 手を離して誠治を突き飛ばし、拳を握り締めて肩を震わせながら、赤音は誠治を見据えた。

 

 誠治は軽く咳払いをし、乱れた襟元を直しながらゆっくりと立ち上がる。

「納得しているわけ、ないだろう」

 誠治は気づいていなかったが、このときの彼の声は震えていた。赤音もそれに気づいてい

たが追求するつもりはないらしく、それについては何も言わなかった。

 

 

 

「琴乃宮、俺はさ、高校生のときから教師になるのが夢だったんだよ。そのときのことを思い

出すと今でも笑えてくるんだ。漫画に出てくるような熱血教師や青春ってのに憧れていて、何

も知らないくせに夢ばっか追っかけていてさ」

 突然自分のことを喋り始めた誠治。赤音は「何言ってんだよ」と言いかけ、言うのをやめた。

 目の前にいる男が今にも泣き出しそうな顔で、自分より大きな身体を持っているはずなのに

恐ろしく小さく見えたから。

 まるで、部屋の隅でいじけている子供みたいだった。

 

「今年になってようやく自分の夢が叶って、俺めちゃくちゃ喜んだよ。すげえはしゃぎながら実

家の親に電話したし、いよいよ自分のクラスが持てるんだって思って、期待したり心配したり

してたんだ。ここから俺の未来を作っていくんだってカッコつけて思ったりしてさ、何かを失う

怖さなんてろくに考えてもいなかった。何かあっても、死に物狂いでやればどうにかなるだろ

うって思ってたんだ」

「…………」

 

「でもさ、こんなことになるなんて思ってなかったよ、本当に。お前の言うとおり、俺もプログラ

ム参加に反対もしたさ。でもどうしようもなかったんだよ、どうにかならなかったんだ。くそっ、

何でこんなことになっちまうんだろうな。……なあ、琴乃宮。お前はどう思う?」

「……何が」

「何でこんなことになっちまったんだ? 何でよりによって俺なんだよ。何で俺のクラスがプロ

グラムなんかに選ばれなきゃなんないんだよ」

「……そんなん、あたしだって教えてもらいたいよ」

 

 赤音の胸の内で揺らめいていた怒りの炎は、いつの間にか完全に消えてなくなっていた。

もう殴ろうとする気も起きない。今の誠治を殴っても、その後にはただ馬鹿馬鹿しさが残るだ

けだろう。

 

「用はそれだけか?」

「ああ……まあ、聞きたいことも聞けたし、あたしはこれ以上用はないけど……」

「じゃあ、出て行ってくれ」

「は?」

「こっから出て行ってくれ。一人になりたいんだ、頼む」

 先程までの弱々しい態度が一変し、今度は高圧的な態度に変わった。どう考えても理不尽

で、いつもの赤音ならもう一度怒鳴り散らしていることだろう。

 

 けれど赤音は言われた通り、踵を返して職員室から出て行くことにした。何だか、これ以上

この場所にいたくなかった。

「琴乃宮」

 扉に手をかけようとした直前、誠治から声をかけられた。赤音は振り向こうとしたが、その

まま身体の向きを変えることなく対応する。

 

「何だよ」

「俺のクラスの誰かが優勝して帰ってきたら、俺はそいつに会う資格があると思うか?」

「資格だの何だの馬鹿らしいこと口にしてんじゃねえよ。会いたかったら会えば良いし、会いた

くないんなら会わなきゃいいだろ」

「……それを決めるのが難しいんだが」

「そんなこと、あたしにだって分かってるっての。そういう大切なことは、あんたが自身が考え

て決めることじゃないのか?」

 言葉は返ってこなかった。反論する術がないのか、納得したのか。どちらにしろ赤音に誠治

の心中を知る術はない。考えるだけ無駄なことだと割り切り、赤音は夜の職員室を後にした。

 

 後ろ手に扉を閉めた直後、木製の扉の向こうから呻き声のような音が聞こえてきた。

 赤音は扉を開けることなく、静かにその場を後にした。

 大人が泣いている姿を見ようとは思わなかったし、自分が彼に掛けてやれる言葉なんて

何一つないのだから。

 

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