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 時は、薫たちが目を覚ます数時間前にまで遡る。

琴乃宮赤音(静海中学校三年三組女子5番)にとって、今日はなかなか忙しい一日だった。

朝起きたらいつもの起床時間より大幅に時間が経っていて、どう考えても登校時間に間に合

わない時間だった。何で目覚まし時計が鳴らないんだよと思いつつ手に取ってみると、なぜか

スイッチは押された状態になっていた。どうやら自分が押して止めたらしいが、そんな覚えは

まったくなかった。やり場のない怒りを抑えきれず扉に向って目覚ましを叩きつけようと振り

かぶった瞬間、なかなか起きてこないので心配になって様子を見にきたらしい、大学生であ

る兄の澄人(すみと)がタイミング悪く部屋に入ってきた。案の定目覚まし時計は兄に直撃し、

それでブチ切れた兄にブレーンバスターをくらった。普段は温厚なくせにキレると手がつけら

れなくなる兄の厄介さを改めて痛感した。

 

 目覚まし時計と兄への悪態を付きながらリビングに行くと、顔は笑っているけど目は笑って

いない母親の翠(みどり)におたまで殴られた。学費払ってんだからちゃんと学校に行け、と

十分間も説教をされた。どうやら学校をサボるつもりだと思われていたらしい。そこでついに

堪忍袋の尾が切れ、母との無制限一本勝負が始まった。自分のハイキックがカウンターで

ヒットしようとしたところで騒ぎを聞きつけた兄の澄人がやってきて、一応その場の収拾はつ

いた。その直後に薫が迎えに来て、まだ身支度ができていないから先に行って欲しいという

こと、それと妹の涼音がどうやら具合が悪いようだから、彼女も遅刻するということを伝えて

おいた。

 

 だけどこの出来事が原因で学校に行く気が失せたので、私服に着替え直し行きつけのゲ

ーセンに直行した。ようやく一段落出来たのは、起きてから二時間も経ってからだった。

「あー、腹減った……」

 ゲーセンからの帰り道、商店街にあるラーメン屋や焼き鳥を売って歩いているワゴン車か

ら運ばれてくる匂いが赤音の空腹感を刺激する。気晴らしに煙草を吸っているが、煙草では

いくら吸っても腹は膨れない。

 

 赤音は今日、学校に行くことなくずっと遊び歩いていた。昼過ぎまでゲーセンにいて、それ

から街に出てぶらぶらしているところを顔見知りの連中と偶然出会い、つい十分ほど前まで

カラオケで大騒ぎしていた。

 

 学校をサボったり、休日に街で豪遊するのは赤音にとって珍しいことではないが、今日の

赤音は上手く言い表せない物足りなさを感じていた。

 いつもなら、自分の隣に薫か涼音がいる。なのに今日は、そのどちらもいなかった。彼女

らだけではなく、道流や雅弘、恭子に真理などの、遊ぶときはいつも一緒に行動しているメン

バーが今日は一人もいない。

 

 みんながいない。それだけなのに、赤音は言いようの無い孤独感を感じてしまう。

 一人でいるのが怖いとか寂しいとか、そういったわけではない。ただ――あって当たり前の

ものがないという、奇妙な喪失感というか、違和感のようなものがあった。

 

 結構前のことになるが、赤音と涼音には親しい友人と呼べる存在がいなかった。髪の色だ

けでもかなり目立っているのに、それぞれの個性が強すぎたため、赤音たちに深く関わろう

とするものは誰一人としていなかった。

 だが小学校三年生のとき――クラス替えが行われ、村崎薫という人物と出会ってから二人

を取り巻く世界に変化が訪れた。

 彼女は馬鹿がつくくらい元気が良くて、それでいてお人好しで、よく喋って――自分たちの

ことを避けようという素振りを全く見せない不思議な少女だった。

 

 最初は村崎薫という人物に戸惑いを覚えていた二人であったが、彼女と接していくうちに、

次第に彼女が持つ魅力に惹かれていった。自然と人を惹き付けるオーラ、つまりカリスマの

ようなものを彼女は持っていたのだ。

 

 薫と付き合いだしてから、徐々に友人が増えていった。向こうから近付いてくる人物も増え、

赤音たちは一人ではなくなった。涼音と違い勉強が苦手で、学校をサボりがちだった赤音が

頻繁に通うようになったのもその頃からだった。

 

 ――やっぱ、薫がいねーとつまんねーな。

 

 空から降り注ぐオレンジ色の光を浴びて、赤音の髪はより一層鮮やかに、そして美しく輝い

ていた。そういえば以前、雅弘から「知ってるか? 女には太陽が似合う女と、月が似合う女

がいるんだってさ」という話を聞かされたことがある。

 

 とすれば、自分は太陽で涼音が月ということになるだろう。薫は――どう考えても太陽だな。

あいつが夜と月によって魅力が引き立つような女に見えるわけが無い。

 月が見える空の下でセクシーなポーズを取っている薫を想像し、笑いを堪えきれなくなった

赤音は小さな笑い声を漏らした。想像とはいえ、今の画は久々のヒットだった。

 

 ――よし、明日になったら、みっちゃんや真理に言ってやろう。

 明日になって学校に行ったら、みんなを集めて今思いついたことを詳しく話してみる。そし

たらみんながどんな反応を取るのか、赤音にはなんとなく想像が付いた。

 

 大口を開けて大爆笑する道流。腹を抱えて目に涙を浮かべながら笑いを堪えている真理。

そんな二人を見て子供のような反応で怒る薫。そんな光景を一歩離れたところからじっと見

ている涼音。

 

 自分がいる場所はいつもと変わらなくて、いつもと変わらない毎日があって、いつもと変わ

らない連中と、いつものようにくだらない話に花を咲かせているんだろう。

 できることなら、それがこの先もずっと続いてくれたらいいのに。

 

 

 

 

 

「たっだいまー」

 実家に足を踏み入れたとき、赤音は何か嫌な空気を肌で感じ取った。重く、どんよりと淀ん

だ空気。まさか七月だというのに窓を閉め切ってストーブを焚いていたわけでもないだろう。

 その原因が自分の家族にあるのだということを、赤音はリビングにいる家族を見た瞬間に

察知した。

 

 兄の澄人は自分の椅子に座ってコーヒーを飲んでおり、母親の翠は呆然とした面持ちで

椅子に座っていた。そしてこれが一番不思議だったのだが、まだ仕事中であるはずの父親、

橙也(とうや)も他の二人と同じようにリビングの椅子に座っていた。

 父がこの時間帯に帰っているということを除けば、別に珍しくもなんともない。ただ、何かが

いつもとは違う気がした。

 

「んー? おいおい、なんかみんな暗くねーか?」

「電気は付いてるけど」

「そういった意味で言ったんじゃねーよ馬鹿兄貴。なんか雰囲気が暗いってこと。つーか涼音

がいねーじゃん。あいつ結局学校行ったの?」

 その瞬間、家族全員の顔がぴくっ、と強張った。

 

「赤音……あんた何も聞いてないの?」

「聞いていないって……なんのことだよ」

 母が何を言っているのか、皆目見当も付かなかった。母は「そう」とだけ言い、それきり喋ろ

うとはしなかった。

 

 分からない。みんな、何でこんなに暗いんだ?

 聞いていないって……いったい何のことなんだ?

 

「赤音」

「何だよ親父」

「涼音な、もう戻ってこないかもしれない」

「は?」

「プログラムに選ばれたんだ。――涼音のクラスが」

 

 

 

 ――何だよ、それ。

 

 

 

 それが父の言葉を聞いたときに赤音が思った、正直な感想だった。それ以外に思いようが

なかった。

 涼音がプログラム? え、何で? どういうことだよ、それ。涼音のクラスってことは、薫や

みっちゃんも? え、ちょっ……マジで?

 

「昼過ぎに、母さんのところに政府の人間がやって来てそう言ったそうだ。俺はすぐに連絡を

受けて家に帰ってきて、大学に連絡をして澄人を呼び戻した。お前がどこにいるかだけは分

からなかったから、こうして帰ってくるのを待っていたんだ」

「おいおい、冗談にしちゃあタチが悪いぜ。しまいにゃ怒るぞ、あたしも」

 言っても、何も反応は返ってこなかった。

 沈痛な空気。淀んだ空気。生気の無い、家族の顔。父の言ったことが本当なのか、それと

も嘘なのか。

 赤音のいる空間全体が、その答えを暗に示し出していた。

 

「冗談なんかじゃねえよ」

「兄貴……」

「静海中に弟がいる友達に連絡を取って聞いてみた。そいつの話だと、五限が終わった直後

に緊急の全校集会があったらしい。中には軍の車がその辺を走っているのを見たって奴も

いる。だからこれは」

「うるせえ!」

 唐突に発せられた赤音の叫び声が、澄人の話を途中で打ち消した。

 

 何でそんなことをしたのか分からなかった。何で涼音や薫がプログラムに選ばれたのか分

からなかった。――本当は分かっているけど、認めたくなかった。自分の妹や友人がお互い

に殺し合わされているなんて、そんなことを認められるわけがない。

 親父も母さんも兄貴も、何も分かっていない。薫のことを、道流のことを、一組にいるみん

なのことを。あのクラスにいる連中がどんな奴らで、自分が彼らとどんな日々を過ごしてきた

のか。

 

 みんな、何も分かっちゃいない。だからそんなに平気な態度でいられるんだ。

 気づいたときには赤音は家を飛び出し、そのままの勢いで走り出していた。家族の声など

耳に届かない。ほとんど何も考えていなく、体が勝手に動いたという感じだった。

 

 信じたくなかった。これは何かの冗談なんだと思いたかった。

 その可能性が一%でもあるのなら、それにすがり付きたかった。

 だから、赤音は走っていた。

 一%の可能性を信じ、この出来事の真相を知るために。

 薫たちの担任である高峰誠治に会うために、静海中学校へと向っていた。

 

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