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 最後から数えて二番目の出発者である春日井洸(男子4番)が体育館を出て行ったことに

より、スタート地点に残る静海中学校三年一組の生徒は琴乃宮涼音(女子4番)ただ一人と

なった。一時間ほど前は生徒と政府の人間合わせて四十人以上がいた体育館も、今は涼

音を除けば零司と数人の兵士たちしか残っていない。

 

 凄い美人というわけではないが、異性の目を惹きつける魅力を持った端整な顔立ちにスレ

ンダーな体型。クラスの中でも一、二を争うであろうルックスを持つ美少女の顔には不安や

恐怖と言った感情は浮かんでいなかった。先程出発した洸も落ち着いた佇まいを見せてい

たが、涼音のそれは関心というよりも違和感を与えるようなものだった。津波がやってくる

直前の海のような――嵐の前の静けさ、とでも言うのだろうか。ともかく、そういった表現が

ぴったりと当てはまるような印象だった。

 

「これで最後だな。――女子4番、琴乃宮涼音」

 名前を呼ばれ、涼音は淀みのない動作で零司に近付いて行く。静海中学校指定の上履き

が体育館の床に擦れた際に生じる『キュッ』、という音が、閑散とした空間の中に響き渡り深

く染み込んでいった。

 零司の眼前で立ち止まって、自分の前に出発していったクラスメイトがそうしてきたように

プログラムへの『宣誓』を口にする。

 

「僕たちは殺し合いをする」

 涼音と零司の間で交錯する視線。何の躊躇いもなく宣誓を口にした彼女を見て零司はどう

思っているのだろうか。サングラスで隠された瞳にはどんな思いが映し出されているのか。

「貴様たちを見ていて思ったが――このクラスの連中は落ち着いている奴が多いな。貴様と

言い、その前に出発した春日井という奴もそうだ。真神野、渡良瀬、萩原、夕村……どいつ

もこいつもただの中学生にしては”良く出来ている”。ここで死なせるには惜しい逸材だ」

 自分を迎えに来たときと同じように、零司の顔にはあのニヤニヤとした笑みが浮かんでい

る。

 

 死なせるには惜しい逸材――ただの嫌味にしか聞こえなかった。本当にそう思っているの

なら今すぐ自分たちを解放してくれればいいのに。いちいち他人の癇を逆撫でする零司の

言動が嫌で嫌でしょうがなかった。そうやって怒りに震える相手の様子を見て楽しむのが零

司の狙いだとは分かっているのだが、ここまで露骨に挑発をされては平常心でいられるわ

けがない。

 

「……もう行ってもいいですか?」

 涼音はそのお返しとばかりに、零司の言葉を聞いていなかったような反応を見せた。自分

の感情を抑えるのに長けている涼音だからこそできる芸当だ。これが道流や鏑木大悟(男

子5番)だったらこうはいかなかっただろう。あの二人に感情の抑制を求めるだけ無駄とい

うものである。

 

「クックック……面白いな。いや、やはり面白い逸材だよ。貴様と言い、渡良瀬に真神野と

いい、興味の惹かれる奴ばかりだな、ここは」

 零司は愉快そうだった。何が愉快なのか涼音には理解できないが、とにかく見ていてそう

思った。

「俺は貴様に注目している。簡単に死んでくれるなよ、琴乃宮涼音」

 零司がすっと左手を上げる。横に立っていた兵士がそれに気づき、デイパックを涼音に差

し出した。

 

「さあ、胸を張って行って来い。せいぜい俺を楽しませてくれ」

 その声はもう聞こえちゃいなかった。涼音はひっくるようにデイパックを奪い取ると、後ろを

振り返ることなく零司のもとを離れて行く。それは滅多に怒ることのない涼音にしては珍しい、

感情を表に出しての行動だった。

 

 ――俺を楽しませてくれだって? ふざけるな。僕はお前のためなんかに戦うんじゃない。

僕は自分自身のために戦うんだ。

 

 美しい青髪を揺らしながら、体育館を出た涼音は薄暗い廊下を一気に駆け抜けて行った。

 この時既に、涼音の内心に芽生えた破壊の衝動は彼女の身体を侵食していたが、それが

解き放たれるのはもう少しだけ後のことである。

 

 

 

 

 

 髪をなびかせ、涼音はホテルの廊下を走っていた。

 本当ならば注意深く辺りを確認しながら進みたいところだが、零司の説明に出てきた禁止

エリアの事があるのでそうも言っていられなかった。

 指定された時刻を過ぎてもそこに留まっていると首輪が爆発してしまう禁止エリア。最初に

指定されたエリアはプログラム本部となっているホテルがある場所、D−06だ。零司は全員

が出発してから二十分後にここが禁止エリアになると言っていた。つまり二十分の間で別の

エリアに移動しなければいけないということになる。

 

 一つのエリアがどれくらいの距離なのか分からないが、いくらなんでも二十分で離脱できな

いほど広くはないだろう。十分もあれば離れることができると思うが、何が起きるのか分から

ないので行動は迅速に行った方がいい。もちろん、周囲への警戒も忘れないようにしなけれ

ばならなかった。

 

 この時涼音はまだ気づいていなかったが、当面の問題は禁止エリアではなく、もっと身近

な部分にあった。

 そのことに涼音が気づいたのはホテルの玄関を出てすぐ、小さな階段を下りたときのこと

だった。

 

 涼音は肩から提げていたデイパックを一旦地面に下ろし、提げていた方の肩を軽く叩いた

り揉み解したりしていた。

 そう、その問題とはデイパックの重さのことだった。プログラムは広い会場の中をその時の

目的、状況に応じて移動していかなければならない。そうなると自分が手にしている荷物の

重さも軽視できない要素になってくる。自分以外の全てが敵となっているプログラムで疲労が

大きな問題となってくることを、涼音は早い段階で理解していた。

 

 疲れが溜まってくれば認知する速さや動きが遅くなってくるし、蓄積された疲労が眠気を招

いてくることもある。そうなってしまったら、普段の状態よりも敵に襲われたときの対処が難し

くなってくる。迂闊に眠ってしまうと何も出来ずに殺されてしまうこともあるのだ。そういった面

から考えても、プログラムではなるべく疲れを身体に残さないように行動するのがベストなの

だ。

 

 それなのに、涼音が受け取ったデイパックはかなりの重量があった。持てない、走れない、

というわけではないが、これを担いで長時間行動していると尋常でない負荷が身体にかかる

ことが予測される。男子生徒ならこのくらいへっちゃらかもしれないが、特筆すべき運動能力

や腕力を備えているわけでもない涼音にとっては大きな問題だ。

 あるいは双子の姉である赤音ならば、このくらいの重さの物でも平然としていられるのだろ

うが、今ここにいないもののことを考えていてもしょうがない。重いからといってこの場に捨て

ていくわけにもいかないし、諦めて持って行くしかなかった。

 

 ――もしかして、支給武器が重いものなのかな。

 涼音はデイパックを受け取ってからまだ一度も中身を確認していない。既に銃声もしている

のだから、自分の身を守るための武器を確認しておいた方がいいだろう。

 そう思い、ジッパーに手をかけようとした瞬間。

 

 

 

「涼音!」

 彼女の背を、喜びと強い意志に弾む声が叩いた。

「――潤くん?」

 涼音が視線を移した先、やや左斜め前の方向にある林の中から小柄な男子生徒が姿を

現した。

 下は黒い学生服で、上は白いワイシャツ。第一ボタンは開けられており、襟元から中に着

ている青いTシャツが顔を覗かせていた。たまに女の子に見間違えられることもある中性的

な顔は、涼音がよく知っている桐島潤(男子6番)のものだった。

 

「どうして潤くんがここにいるの?」

 三番目の出発者である潤が体育館を出たのは一時間以上も前のことになる。その潤が

当たり前のように涼音を待っていた事実を前にして、涼音は驚きを隠せなかった。

「どうしてって、そんなの決まってるじゃないか。涼音を待っていたんだよ」

「僕が出てくるまでずっと隠れていたってこと?」

「ずっとってわけじゃないけど……まあ、そんなとこかな」

 にわかには信じ難い内容を、潤はさらりと言ってのけた。

 

「……なんで、そんなことを」

「何でって、涼音と一緒に行こうって思ったからだよ」

 初期の出発者である潤が、最後の出発者である自分を待つということがどれほど危険な

行為なのか。涼音はもちろんそれを理解していたし、恐らくは潤もそれを承知の上で実行し

たのだろう。

 涼音は知っている。潤がとても優しい性格で、争い事なんかにはまるで縁のない少年だと

いうことを。

 

 友達が傷つくのが嫌いで、関わりのない赤の他人が傷つくのも嫌いで、道流と威が殴り合

いのケンカをしていると教室の隅で今にも泣き出しそうな顔をしていて、誰かの幸せを自分

のことのように喜ぶことができる。

 

 そんな潤のことが、大好きだった。

 

 真っ白なスケッチブックにペンを走らせ、白と黒だけの、だけど何よりも美しい世界を作り

出すことができる潤の手も、筆を握ったときの真剣な眼差しも、完成した絵を一番最初に見

せてくれるときの照れくさそうな顔も、その全てが。

 

 だから。

 

「……ごめんなさい」

 だから、もう決めていた。

「僕は……潤くんと一緒に行くことは、できない」

 

 プログラムで共に行動するのだけは避けようと。

 壊すことしかできない涼音が、作る側の潤と一緒にいられるわけがない。

 それに、潤に自分の姿を見て欲しくなかったから。

 誰かの血に染まる、自分の姿を。

 

「え…………?」

 小さく呟き、潤は目を大きく見開いた。

 信じられない、といった風な目で、涼音のことを見つめる。

 何を掴もうとしているのか、彼の右手は宙に差し出されたまま動こうとしなかった。

 

「冗談、でしょ?」

「冗談なんかじゃないわ。僕は潤くんと一緒に行けない。ひとりで行動することにしたの」

「そんな……何でだよ! 何で君が、そんなこと――」

 潤の声は震えていた。目には涙が滲んでいた。自分が潤のことを想っているように、潤が

自分のことをどう想ってくれているのかを涼音は知っている。

 

 胸が軋む。

 心が悲鳴を上げる。

 先程の発言を撤回すれば、潤の隣に行くことができれば、どれだけ幸せだろうか。

 

 だけどそれはできなかった。

 そうしたいけど、できなかった。

 自分の中で蠢いている衝動が、いつ潤に襲い掛かるか分からないから。

 他のクラスメイトはどうだっていい。だけど潤や薫などの親しい友人たちを壊してしまうこと

だけはやってはいけないと、心に決めていた。

 

「……ごめん、なさい」

 それだけしか言えなかった。これ以上、潤と喋っているのが辛かった。

 涼音は踵を返し、デイパックを担ぎ直して全力で駆け出した。後ろから自分の名前を呼ぶ

声が聞こえてきたが、涼音は止まることなく走り続けた。

 

 

 

 その間も、涼音は小さな声で「ごめんなさい」と何度も何度も謝っていた。

 自分の中で芽生えた抑えきれない衝動と、それに呑み込まれてしまい、結局何かを壊す

ことしかできない自分が、たまらなく惨めに思えた。

 それがどうすることもできないことだと、知りながら。

 

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