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 安川聡美(女子17番)が体育館を出て行って二分が経過した。

「男子18番、渡良瀬道流」

 生徒たちはもちろんのこと、プログラム進行に携わる零司たちも注目している男子生徒の

名前が読み上げられる。素行の悪い生徒が多いために派手な戦いが展開されるだろうと予

想されているこのプログラムにおいて、トトカルチョに参加している政府の官僚たちから絶大

な人気を集めているのが彼だった。一点突破にして強力無比なるその戦闘能力は他の追随

を許さない。このゲームの優勝候補最右翼は、やる気になったならないを問わず、間違いな

くこの渡良瀬道流だろう。

 

「やっと俺の番か。待ちくたびれたぜ」

 立ち上がった際に背筋を伸ばし、何度か伸脚を行って軽く体をほぐす。右手で水色のサン

グラスを上げ、ポケットに両手を入れて零司に向って行った。本物の軍人が相手でも彼の

態度に変わりはない。最強と呼ばれるが故のふてぶてしさと余裕がそこにはあった。

 

「俺たちは殺し合いをする。――これでいいんだろ?」

 体育館に残された他の生徒たちは道流の言動から彼がやる気なのかどうか判断しようと

していたが、それは徒労に終わってしまうことになる。プログラムに選ばれたことによって日

常生活での自分と違いが出てしまった生徒が多い中、道流は完全に『普段通り』だったから

だ。精神にも肉体にも、どこにも影響を受けていない。いつもと変わらぬ渡良瀬道流がそこ

にいた。

 

 だからこそ他の生徒たちは、彼がやる気なのかそうでないか判断することができなかった。

道流は不良だからやる気になるだろうと思っている生徒も何人かいるが、実際のところ彼が

やる気になる可能性は五分五分である。殺し合いに乗るかもしれないし、乗らないかもしれ

ない。プログラムのボーダーラインにおいて凄まじく微妙な位置に立っているのだ、道流は。

 

 その人間離れしたケンカの実力と誇張が加わった噂により誤解されている部分もあるが、

道流は威や刀堂武人(男子10番)などと違って自分からケンカを売る、ということはほとんど

しない。だいたい相手が売ってきたケンカを買うか、友人を助けるために首を突っ込むとい

うケースが多い。ケンカに対して乗り気ではない、というわけではないのだが、どういうわけか

道流にはそういう事実が見られていた。

 

 その原因となったものは彼の過去にあるのだが――その事を知るものは誰もいない。陽気

で気さくな性格の道流だが、自分自身のことを語ることは滅多に無かった。

 

 

 

 

 

 玄関の扉を開けてホテルの外に出た道流は、久しぶりに触れる外気を堪能するかのよう

に大きく背伸びをした。右の拳を握ったり開いたりして感覚が鈍っていないかを確かめると、

小さな階段を降りて少し進んだところにある噴水の淵に腰掛けた。デイパックを隣に置き、

ジッパーをスライドさせて中に入っているものを確かめる。

 

「武器ってのは……ん? これのことか」

 道流の手に掴まれて出てきた物は黒いグローブだった。と言っても野球に使うグローブで

はなく、バイクに乗るときなどに使用する滑り止め――もしくは手の保護を目的として作られ

たグローブだが。

 とりあえずそのグローブを手にはめ、もう一度拳を握ったり開いたりする動作をしてみる。

普段グローブなんてしないから若干の違和感こそあるが、グローブが手の動きを鈍らせる

なんていうことはなさそうだった。

 

 何の変哲も無いただのグローブかと思ったが、デイパックの底にあった小さな紙を見つけ

てそれが間違いだということに気づいた。

 そこにはただ一言『防刃グローブ』とだけ書かれていたが、このグローブがどんな機能を有

しているのかを伝えるには充分だった。防刃グローブ――刃物を防ぐことができ、刃物で切

ることができないグローブ。

 

 今まで武器を使わずに己の肉体だけで戦ってきた道流にとって、こういう明らかな『武器』

を使うことは正直複雑な心境だった。――だが、ここはとりあえずグローブを使わせてもらう

ことにした。斧や銃など、使い慣れていない――というよりも使ったことも無い武器を振り回

すくらいだったら素手で戦っていったほうがいいという、他人が知ったら無茶苦茶だと思う事

を道流は考えていたが、このグローブならば動きを鈍らせたり移動の際の荷物になったり

しないだろうと判断したのである。

 

 道流はポケットからいつも吸っている煙草のフィリップ・モールスを取り出して火を点けた。

身に付けているサングラスと同じ水色のパッケージをしばらく見つめ、プログラムが終わる

まで持つかなぁ、と煙草の残量の心配をしていた。いざとなれば会場で出会った誰かにもら

えばいいのだが、このクラスで自分と同じ銘柄の煙草を吸っているものは一人もいないので

今のところその気は起きなかった。交友関係がある人物で喫煙者は鈴森雅弘(男子8番)

佐伯法子(女子6番)の二人だけなのだが、雅弘が吸っているのはヘヴン・スター、法子は

フォルテッシモ・ワン、と自分の好きな銘柄ではないので、どうも吸う気にならなかった。

 

 となると会場のどこからか調達しなければいけないことになるのだが、こんな山奥に煙草

の自販機とか雑貨屋が置かれているだろうか。もしあったとしても、自分が吸っているもの

は置いていないかもしれない。

 日常的に煙草を吸っている道流にとって辛い決断となるが、ここは本数を抑えていくしか

なかった。吸いたいときに吸えないのは厳しいが、ストックがなくなって吸えなくなる方が厳し

いに決まっている。道流は深く煙を吸い込み、その味を堪能した。

 

 煙草の煙や臭いで他の生徒に自分の場所が気づかれたりしないだろうか、という心配は

一切していなかった。誰がやってきても倒せる自信が道流にはあるからだ。

 宙に投げ出された足をぶらぶらと動かし、ホテルの玄関へと視線を転じた。空は暗く、人工

的な灯りが漏れてくるホテルが人がここにいるという照明を示している。腕時計で時間を見て

みると、午後の十時五十三分だった。

 

 煙草の灰を落とし、ホテルを出てすぐの所にある小さな階段の脇まで歩いて行った。周り

の空間は静寂に包まれており、そのせいで風の流れる音すらも聞こえてきそうだった。

 吸っていた煙草の長さが半分以下になろうとした時、ホテルの玄関から特徴的な髪型を

した少女が姿を現した。

 

 

 

「あ……」

 夕村琉衣(女子18番)は道流に気が付いたらしく、彼に向けて小さく手を振った。

「お久しぶりです、渡良瀬くん」

「お久しぶり――って、そんなに時間経ってないじゃんよ」

「そうですか?」

「そうですとも。ってか琉衣ちゃん、こんな状況だってのにいつもと全然変わらないねぇ」

 

 デイパックを受け取って出てきた琉衣の笑顔はいつもと同じく柔らかだった。

 本当にいつもと同じだ。

 誰に対しても優しく微笑んでいて、身体が弱いくせに自分のことよりも他人のことを心配し

ていて、弱いところを見せないように頑張っている琉衣。

 

「でさ、ちょっと話したいことがあるんだけど、いい?」

「構いませんが、ここでは話せないようなことなんですか?」

「いや、俺は別に構わないんだよ。でも次に出てくるのって麻生だろ? 俺だけならともかく、

琉衣ちゃんに何かあったら取り返しが付かないと思って」

 道流の後には琉衣、茜ヶ崎恭子(女子1番)と仲の良い女子生徒が続いているが、彼女ら

と前後して麻生竜也(男子1番)糸屋浩之(男子2番)も出発を控えている。竜也と浩之は

道流と犬猿の仲である真神野威のグループに属しているため、お互いの仲は良いとは言え

なかった。自分ひとりだけならまだしも、琉衣がいるこの状況では出会いたくない人物だ。

 

 琉衣も道流の意図を汲み取ったらしく、こくりと頷いてみせた。道流はきょろきょろと辺りを

見渡し、琉衣の手を取って十一時の方向にある林の中へと走って行った。

 

 

 

 

 

 林の中に入った二人はホテルの玄関から見えない位置まで進み、改めて向き直ると先程

の話を再開させた。

「それで、話というのは?」

 黒目がちの双眸が道流を見つめる。

「琉衣ちゃんさ、これからどうしようとか考えてる?」

「具体的には考えていませんが……全く考えていないというわけではないですよ。これから

どうするのか、という漠然とした『目的』ならば決定しています」

 道流は琉衣の答えにわずかながら眉根を寄せた。それと同時にある考えが道流の脳裏に

浮かび上がったが、想像するだけ馬鹿らしいことだったのですぐにその考えを打ち消した。

 

「――なあ、良かったら俺と一緒に行動しないか?」

 余計なことは言わず、必要最低限の言葉を口にする。同行を求められた琉衣は口元に手

を当てて考える素振りを見せていたが、返答は思ったよりも早かった。

 

「申し訳ありませんが……渡良瀬くんの期待に応えることはできません」

「そっか。まあ残念だけど仕方ないな。俺ってあんまり信用されてないっぽいし。状況が状況

だからしょうがねえってのもあるけどさ」

「…………」

「琉衣ちゃん?」

 どういうわけか、琉衣は痛みを堪えているような眼差しで静かに首を振った。

「違います。私は渡良瀬くんを信じていないわけではありません。渡良瀬くんは私にとても優

しくしてくれて、頼りになって、いつも元気付けてくれて……そんなあなたを信じていないなん

てことは絶対にありません」

 

 梢の間から差し込む月光が琉衣を照らし、ドラマのワンシーンのようなシチュエーションを

作り出していた。そんな中で見る、寂しさと悲しみを孕んだ琉衣の眼差しは魅力的だった。

強く惹き付けられ、彼女から目が離せなくなる。

 

「私には……誰かと一緒に行動する資格なんてないのです」

「え?」

「だって私は……プログラムに乗ろうとしているのですから」

 

 その瞬間、世界の時が止まったような気がした。

 夜風が二人の間を駆け抜け、頭上の葉がかさかさと音を立てて揺れる。

 琉衣の顔は月明かりでほのかに白く照らされていた。

 二人はデイパックを握り締めながら、お互いに黙り込んでいた。

 

 プログラムに乗ろうとしている――それは、つまり。

 

「嘘……だろ?」

「嘘じゃないですよ」

 道流の声ははっきりと否定され、冗談だと思っている彼の心は琉衣の表情を見た瞬間に

打ち消された。

 琉衣の顔は能面のように感情が見当たらなくなっており、その瞳は自分たちが立っている

空間のように静謐だった。そこに偽りは見当たらず、先程の言葉が真実だと言うことを暗に

告げている。

 

 だからなおのこと返事に窮した。琉衣と恭子、この二人と合流しようと考えていた時点で断

られることは考慮していた。しかし、まさか琉衣の口から「プログラムに乗る」という言葉を聞

くことになるなんて思ってもみなかった。

 

「これでも悩んだんですよ」

 自嘲的に、ぽつりと呟く。

「みんなと一緒に集まってここから脱出する方法を考える、殺し合いを止めさせる、プログラ

ムが進行できなくなるように本部を襲撃する……私なりに対応策は考えたんです。ですが、

考えれば考えるほどどれも成功確率が無いということを思い知らされることになりました」

 静かに、そしてはっきりと自分の意思を言葉にして紡ぎ出す。

 

「……信じられない、といった顔ですね」

「ああ、信じられない。つーか信じたくねえ」

 道流でなくても、夕村琉衣を知る人間ならば誰もがそう思うだろう。

 彼女が人を殺そうとしているなんて。

 

「だけど、事実なんだな」

 道流が呟くと、琉衣はうっすらと目を細めた。

「私は……幼い頃から両親にプログラムのことを何度も聞かされました。誰かを殺して優勝

する以外に生きて帰る術はない、と」

「だから俺らを殺すってわけ?」

「ええ。私はまだ死にたくありませんから」

 琉衣の瞳に睫毛が暗い影を落とす。今の自分を見て道流はどう思っているだろう。幻滅し

ているだろうか、それとも軽蔑しているだろうか。

 

 やる気になったことを道流に打ち明けた琉衣だったが、内心は彼の反応が怖くて仕方がな

かった。道流に蔑まれたらどうしよう、と思っていた。幼い頃から植え付けられてきた、プログ

ラム=やる気にならなければ死ぬ、という図式は彼女の中で何よりも強い影響力を発揮して

いたが、クラスメイトを殺すことに対し引け目や罪悪感を感じていないわけではない。

 

 わざわざ道流に自分がやる気であるということを伝えたのは、一種の懺悔のようなものだ

った。今から自分がやろうとしている事が悪いことだと分かっているからこそ、それを信頼で

きる友人に――道流に聞いてもらいたいと思った。

 

「プログラムが進めば、いずれ渡良瀬くんも分かってくることだと思います。自分が望む望ま

ないに関わらず、誰かを犠牲にしないといけない場面が来るということを」

 受け取ったデイパックを持ち直す。すっ、と滑らかな動作で一歩を踏み出すと、琉衣は道流

の横を通り過ぎて林の中へと進んで行った。

 道流が振り返り、それと同時に琉衣が立ち止まる。

 真っ暗な夜の闇と、不気味な木々が二人を包んでいた。

 

 

 

「私の話はこれで終わりです」

「そうか」

「渡良瀬くんは、話したいことはもうないのですか?」

「ねえよ。……いや、待て。いっこだけある」

 道流はサングラスを外して琉衣を見据え、

「もし次に会ったら……そんときは多分、容赦できねえと思う。例え琉衣ちゃんでも全力で叩

き潰すだろうな、俺は」

 

 それは夕村琉衣の友人、渡良瀬道流としての言葉ではなく。

 倒すべき敵を前にした時の、最強と呼ばれる少年の言葉だった。

 

 おかしいな、と琉衣は思った。何で自分は笑っているんだろう。道流が自分の敵になること

をはっきりと宣言したのに。

 最大最強の敵を作ってしまった。なのに自然と口元に笑みが浮かぶ。

 喜び? 違う。これは安堵だ。道流を見て安心しているんだ、自分は。

 いざというときに、取り返しのつかないくらい狂ってしまったとき、自分を止めてくれる人が

現れてくれたことに。

 自分とは違う、いつもと変わらない道流を確認することができたことに。

 

「分かりました。覚悟しておきます」

「俺も覚悟決めとく。――できれば会いたくねえけど」

「……それでは、先に行かせてもらいますね」

 淡い桜色の唇が静かに動いた。

「失望しても軽蔑してくださっても構いません。ただあなたには、私の本音を聞いておいてほ

しかった」

 静かに微笑み、軽く頭を下げた。

 

「さようなら、渡良瀬くん。今まで友達でいてくれてありがとう」

 

 そう言って、琉衣は夜の林の中へと消えて行った。

 

 

 

 後には唯一人、道流だけが残された。

 腕時計が示す時刻は午後十一時ジャスト。合流しようと思っていたもう一人の仲間、茜ヶ崎

恭子も既に出発してしまっている。

 

「……馬鹿野郎」

 それは自らの居場所を壊し、茨の道を歩むことを決めた少女に向けて言ったのか。

 それとも、彼女を止めようとせずにただ見送った自分に対して言ったものなのか。

 小さく吐息をつき、琉衣が去っていった方向とは別の方向に歩き出しながら空を仰ぐ。

 見上げた空に月は見えず、黒い空はまるで世界の終わりを告げているかのようだった。

 

【残り35人】

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