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 ホテルの中はそれほど古い造りではなかったが、薄暗い灯りと人気の無さがここを廃ホテル

にいるかのような錯覚に陥らせていた。

 つい先程兵士から受け取ったデイパックを肩から提げ、村崎薫(女子15番)はやや早歩き

でホテルの玄関を目指していた。

 

 出発する直前までは緊張感の無い――悪く言えばふざけた態度を取っていた薫だが、こう

して一人で歩いていると不安と焦燥感が頭の中を占めてくる。いくら前向きに考えたところで

自分がプログラムに参加しなくてはいけなくなったという事実に変わりはないのだ。いくら薫と

いえど、そんな状況において一切の不安を感じないほど鈍感な神経は持ち合わせていない。

 体育館の中と同様、玄関へと続く廊下の窓も全て鉄板で塞がれていた。脱走者を出さない

ためだろうが、ここまで徹底していると感心してしまう。ここまでやらなくても首輪があるんだか

ら、プログラムデ脱走者なんて出るわけがないのに、と薫は思った。

 

 零司の指示通り体育館を出て左に真っ直ぐ進んでいくと、通路の幅が何倍にも広がった。

ベージュ色のソファや高価そうな絵画などが目に飛び込んでくる。どうやらフロントに辿り着い

たらしい。視線を右に移すとガラス製の扉があって、その向こうには自動ドアが見えた。自動

ドアの向こうに広がる景色は真っ暗で、ようやく今が夜なんだという実感が湧いてくる。

 はっきりとした外の様子はここからでは分からなかったが、どうやら外には誰もいないようだ

った。

 

 ――真理ちゃんは待っていてくれると思ったんだけどな。

 出発が早い鏑木大悟(男子5番)桐島潤(男子6番)は無理にしても、黛真理(女子13番)

ぐらいは待っているだろうと思っていた。だがそれは自分の思い違いだったらしく、みんなバラ

バラになってしまったらしい。

 自分たちの間にある交友関係はこの程度のものだったのだろうか。そう考えるととても悲し

くなってくる。

 

 いささか憮然としながらも、薫は後から出てくる渡良瀬道流(男子18番)夕村琉衣(女子

18番)などを待つために、外へ出ようとガラス製の扉に手を掛けた。

 扉の外はもちろん、今この場所には自分以外誰もいないはずだった。

 

 だから、聞こえてきた声に驚愕した。

 

 

 

『外で待ち伏せされている。ここを出たら全力で走って行ったほうがいい』

 

 

 

「――――!」

 薫は声なき悲鳴を上げて額を押さえた。

 また、だった。またこの声だ。体育館の中で目を覚ます前、夢の中で聞こえてきた声。零司

が姿を現す前、自分の頭に響いてきた声。

 その声がまた、薫のもとに届いてきた。鼓膜を震わせるのではなく、頭の中に直接響いてく

る不思議な声。

 

 ――な、なんなのよコレ!?

 訳が分からなかった。人の姿は見えないのに声だけが聞こえてくる。こんなことが有り得る

のだろうか? いや、有り得る、有り得ないで考えていても何の意味もない。現に今、自分の

頭に響いてくる声が”それ”だ。受け入れ難いが――現実として受け入れるしかないだろう。

 

「幻覚……?」

『それを言うのなら幻聴だろ。お前、勉強不足だぞ』

 正体不明の声にツッこまれ、勉強不足まで指摘されてしまった。もう何がなんだか、だ。

 プログラムに選ばれたというだけでも滅多に体験できないことなのに、その上幻聴と会話を

してしまっている。ここまでくると次はUFOか幽霊でも出てきそうだった。

 最初は自分の聞き間違えか幻聴だと薫は考えていたが、次第にそれは違うのではないか、

と思うようになっていた。

 

 その理由は単純なもので、薫は『自分はまだ狂ってなんかいない』と思っていたからだ。

 どういう状態が狂っていると言うのかいまいちよく分からないし、狂っている人間は自分が

発狂していることに気づいていないような気もするが、とにかく自分の精神状態は正常だと薫

は判断していた。まだまともならば幻聴なんて聞くはずがない、というわけである。

 

 しかしそうなると、ますますこの声の『正体』に予想が付かなくなった。幻聴ではないのなら、

これは誰かの意思によって発せられた声以外に考えられない。だが、声を出している人物の

姿がどこにもない。これはどう説明すればいいのか。

 

 得体の知れない声が聞こえてきたら誰でも戸惑いを覚える。それが幻聴ではないと知った

ら、多くの人間はパニック症状を起こすだろう。しかし薫は、割りとすんなりこの現実を受け入

れていた。騒々しいほどの元気さと真っ直ぐでノリのいい性格からは想像できないが、彼女の

信条は『論より証拠』である。説明がつかない事態でも、はっきりとした証拠となるものがあれ

ば簡単に受け入れてしまう度胸の広さがあった。また、薫は好奇心が他人よりも旺盛なため、

不思議な事があったら困惑するよりも「知りたい!」という知的探究心のほうが勝っていること

が多かった。皮肉なことに、それが彼女に『落ち着きがない』というイメージを定着させる要因

ともなったのだが。

 

「外で待ち伏せされているって、それ本当なの?」

『ああ。金髪の男と眼鏡を掛けた男の二人だ。金髪の男はマチェットを、眼鏡の男は銃を持っ

ている』

「マチェット?」

『ジャングルなんかで進路を阻む木の枝を切るときに使う、大きめのナイフのことだ』

 傍から見ればかなり異常と言ってもいい状況なのだが、薫の適応能力は常人のそれに比べ

て凄まじく早かった。声を聞き始めてそれほど時間は経っていないのに、正体不明の声と何の

違和感もなく会話をし始めている。

 

 この場で声の正体を追及しても時間を無駄に浪費するだけなので得策とは言えない。結果

だけみれば薫のやっていることは能率が良いが、彼女がそれを理解したうえで行動に移して

いるとは考えにくい。というより、逆に何も考えていない可能性のほうが高いような気がする。

 

「ねえ、じゃあ私はどうすればいいの? まさか二人相手にケンカするとか言わないよね」

 先程聞いた特徴から考えて、外で待っている生徒というのは真神野威と萩原淳志の二人だ

ろう。二対一というだけでただでさえ分が悪いのに、殺傷能力の高い武器を持つ二人を相手

に戦うなんて絶対にごめんだった。

 ここで薫は何で二人が外で自分のことを待ち伏せしているんだろうと思ったが、そんなことを

疑問に思うだけ無駄というものだ。

 

 これはプログラム。自分以外の生徒全てが死ななければ終わることのない椅子取りゲーム。

威と淳志は、自分を殺すために外で待ち伏せをしている。それ以外に理由はない。

 

『大丈夫、ここを出て一気に走っていけば攻撃を受けることはない。玄関を出てすぐの所に階

段があるんだが、あいつらはその陰に隠れている。自動ドアから出たら全力で走っていけば

いい』

 不安げな声を漏らす薫に、その声は落ち着いた声色でアドバイスを与える。何だか涼音に

似た感じだった。

 

「でも、向こうは私を待ち伏せしているんでしょ? そんなに上手くいくかな」

『不意打ちっていうのは攻撃対象が攻撃側の存在に気づいていないからこそ成立するんだ。

自分たちが隠れているってことがバレている時点であいつらの目論みは失敗している。だから

そんなに不安にならなくていい』

「…………」

『お前が俺のことを信用し辛い気持ちは分かるが、ここは俺を信じてくれ。頼む』

 姿こそ見えないが、声の主はたぶん頭を下げているのだろう。直感とか雰囲気とか、理屈で

は答えられないものが村崎にそう語りかけていた。

 

 謎の声の申し出に対し、薫は淀みも迷いもなく即答する。

「うん、分かった。あなたの言う通りにしてみる」

 宙に向けてにっこりと笑い、薫はデイパックを担ぎ直して一つ目のドアのノブに手を掛け、ゆ

っくりと開いた。

 

『…………』

 一方の声からは何の反応も返ってこなかったので薫は知らなかったが、この状況において

驚いていたのは突然現れた声の方だった。

 いきなり現れて好き勝手なことを言った立場としてこう言うのも変かもしれないが、この村崎

薫という少女がこうもあっさりと自分のことを信じるとは思わなかったのだ。てっきり半信半疑

に外へ出て、そこであの二人に襲われてしまう。不謹慎だがそうなるとばかり思っていた。

 

 だが彼女は、得体の知れない声だけの存在である自分を信じてくれた。

 なぜだ? 何でそう簡単に信じる事ができる? 初対面の――ましてや姿も形も見せていな

い自分のことなんかを。

 

 ”とある事情”のある声はこのことが大変不思議に思えたが、薫のことを知る友人たちにして

みれば不思議なことでもなんでもなかった。

 

 だって、それが薫だから。

 

 彼女の友人たちがこのことを知れば、一様に口をそろえてこう答えただろう。

 純粋な心と持ち前のフランクさが、薫の交友範囲の広さを暗に現している。それが薫の長所

であり、短所でもあるのだが。

 

 

 

 電力の通っていない自動ドアを手で開け、薫は暗黒に包まれた外界へと足を踏み出した。

先程あの声が言っていた通り、確かに出てすぐの所にコンクリート製の小さな階段がある。

 声の言ったことが正しければ、威と淳志は自分から見て死角となっている階段の脇、つまり

薫のすぐ近くにいるということになる。

 薫は無意識のうちに唾を飲み込んでいた。そのときの音がやたらと大きく聞こえたような気

がする。――緊張、しているのだろうか。

 

『――おい』

「うん、分かってる」

 再び聞こえてきたその声が合図となった。

 薫は短く、深く息を吸い込み、足の裏に力を集中させて自分が持ち得る最大限の走力を発

揮させた。決して低くはない階段を一っ飛びで跳躍、着地し、下半身に伝わった衝撃に構わ

ず言われたとおり全速力でその場を離脱した。シンプルなデザインの噴水を通り過ぎる直前、

ひゅおん、という風の音が耳元を吹き抜けていった。それを認識したときには自分の数メート

ル手前の地面がびしっ、と穿たれた。

 

 銃で撃たれた! これにはさすがの薫も動揺を隠せない。無意識のうちに両足がブレーキ

を掛けるが、直後に飛んできた『止まるな! 走れ!』という声が薫に最大走力を維持させて

いた。

 

 ――良かった、彼はまだ近くにいるんだ。

 自分は一人ではない。それを実感したとき、薫の中にあった恐怖心は次第に薄れていった。

 予期せぬ事態の連続となったが、薫は謎の声の助言のおかげで、無傷のままホテルを出

発することができた。

 

 

 

 

 

「逃げられたな」

 薫が逃げていった方向を見ながら、萩原淳志は静かに現状を確認する。

「今の銃声を聞きつけて人が来るかもしれない。早いところ集合場所に行こう」

「…………」

 淳志が声を掛けているのにも関わらず、彼のグループではリーダーの位置にいる少年、真

神野威は黙ったままだ。

 

「あいつ……まるで俺たちに気づいているかのようだった」

「村崎が?」

「ああ。俺はあいつの性格上、ここで渡良瀬とか夕村を待つんだとばかり思っていた。だが、

あいつはそんなこと考えていませんとばかりに全力でここから走り去っていった。まるで始め

から、俺たちがここにいることに気づいていたみたいに」

「それは――いくらなんでも考えすぎじゃないか? 俺もお前も声はおろか、物音一つ立てな

かった。あいつが俺たちに気づいていたはずはない」

「だが、それでは説明がつかん。いや、説明がつかんというより不自然なんだ」

 

 淳志としては、威がそこまで薫にこだわる理由が分からない。無視することもできないので

返事をしているが、威は納得できないようでしかめっ面を浮かべている。

「――まあいい。ここはお前の言うとおり、さっさとここを離れた方がよさそうだ」

 威は右手に持っていた銀色のリボルバー、S&W M629を本来の持ち主である淳志へと

返す。

 

「銃の方が有利だと思っていたが、やはり扱いなれていないせいか命中精度が良くないな。

かえってこっちのほうが扱いやすくて役に立つかもしれん」

 踵を返し、人目につかないように木が立ち並ぶ林の中を歩いて行く。威の手にはM629の

代わりに、威自身の支給武器であるマチェットが握られていた。

 

【残り35人】

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