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 期末テストの時期が近付くことで慌しくなるのは何も生徒たちだけではない。テストを

作る側の人間、つまり教師たちにとっても期末テストの時期は猫の手も借りたくなるほ

どの忙しさだった。受け持っているクラス、教科が複数あれば作らなくてはならなくなる

問題の量も増え、その教師にかかる負担もそれだけ多くなる。

 

 そのことを考えれば、受け持っているクラスが三年一組、三年三組の二つだけであ

る高峰誠治は比較的余裕がある方と言える。誠治が担当している教科は歴史だけな

ので作るテスト問題は一つだけでいいし、あとはミスがないようによく確認をしながら

テストを作っていけばいい。他の教師たちよりも幾分余裕があることは事実だが、だ

からといって手を抜こうなどとは思っていなかった。新人教師である誠治には、経験と

いうどうすることもできないものが不足しているので、一組と三組のテストを作るのだ

けでも一苦労である。それでも一学期の中間テストを作ったときに比べると大分マシ

にはなったが。

 

 早朝の職員室で、教科書や授業中に配布したプリントを見ながらテストに出す問題

を考えていると、誠治と同じ社会科系の教科を担当している北野敬四郎が「よう」と手

を上げて近付いてきた。相変わらず髪の毛はボサボサで、よれよれのネクタイを身に

つけていた。素材は良いのだから身だしなみを整えれば格好よくなるのに、と誠治は

常々言っているのだが、当の北野に意識改革するつもりはまったくないらしく、誠治の

助言が実を結ぶ様子はまだ見られなかった。

 

「テスト問題の方はかどってるか?」

「いやー、それがまだ全然なんですよ。重要な部分を重点的に出そうとは思っている

んですが、それでやると全部埋まらなくて」

「歴史はまだマシだろ。今回の俺の担当は政治経済だからな。重要な部分を出すに

しても一苦労だよ」

「いっそのことほとんどプリントから出せればいいんですけどね」

「馬鹿、そんなことやってたら問題が簡単になりすぎてテストにならねえだろ」

「それはまあそうなんですけど、テストを作っているとついそう考えちゃうんですよ」

「まあ、分からなくもないけどな。だいたいうちの学校で真面目にテスト受ける奴なん

て半分くらいしかいないんだし」

 それは誠治も理解していることだったが、それを考えると寝る間も惜しんでテストを

作っている自分が馬鹿みたいに思えてしまうので、極力考えないようにしていた。

 

「しかしお前のクラスも大変だよな。真神野に渡良瀬に刀堂、うちの学校でもトップクラ

スの問題児ばかり集まっているんだから」

「でも、実際はそんなに悪い子ばかりじゃないですよ。確かにいろいろと苦労はさせら

れていますけど、みんな良い子ばかりだし。渡良瀬なんかは噂だけ先に聞いていたか

ら、最初会ったときに面食らいましたね」

 

 誠治の受け持っている三年一組は北野の言うように、何かと問題を起こしている生

徒が多い静海中学校でもトップクラスの問題児ばかりを集めたようなクラスだった。

その中でも特に真神野威(男子15番)渡良瀬道流(男子18番)刀堂武人(男子10

番)は名実共に静海中学校で最大級の問題児で、担任である誠治が受けた手間隙は

数え切れないほどである。

 

 それでも誠治がこうして平和に日常を送っていられるのは、誠治が彼らのことを理解

して問題を起こさないような接し方をしているからだろう。そのためクラス内での誠治

の人気は高く、四月以降はそれほど目立った問題は起きていない。

 もちろんこれは誠治一人だけの力ではなく、茜ヶ崎恭子(女子1番)桐嶋潤(男子

6番)などクラスをまとめ上げることに秀でている生徒たちの協力があったからこそな

のだが、問題児揃いの三年一組が比較的平和なのは誠治の手腕の為せるところが

大きい。

 

 誠治と北野が世間話をしていると、つい先程までテスト関係の打ち合わせをしていた

教頭先生が険しい表情を浮かべて職員室に入ってきた。教頭はぐるっと職員室の中を

見渡し、誠治の姿を確認すると彼が座っている席に向っていった。

「高峰先生、少しよろしいですか?」

「え? ……あ、はい。別に構いませんが」

 いつも温和な教頭からは考えられないような、険しく蒼白な顔をしていた。誠治は自

分の感覚が嫌な予感を捉えたのを感じていた。喧嘩や万引きなどの問題で今のよう

に呼び出されたことは何度もあるが、今回はなんだか”雰囲気”が違っていた。

「じゃあ北野先生、俺はこれで失礼します」

「ああ。テストの方頑張れよ」

 身体にまとわりつく嫌な予感を振り払いつつ、誠治は教頭の後に続いて校長室へと

向っていった。

 

 

 

 そこで自分の予想を遥かに超える、残酷な現実を付きつけられるとも知らずに。

 

 

 

「…………冗談、でしょう?」

 誠治の声は震えていた。寒さを無理矢理我慢しているような、弱さを見せまいと必死

に感情を押し殺している声だった。

「残念だが冗談ではないな。仮にこれが冗談だったとしてもここまで大それた真似は

せんよ。それに俺には貴様を騙しても何の利益も無い」

 その男の声は低く、他者を圧倒する程の力が内包されていた。校長室に置いてある

高価そうなテーブルを挟んだ向こう側のソファに座っているその男は、外見から判断し

て二十代後半から三十代前半くらいの容貌だった。肩にかかるくらいの金髪はところ

どころ外に跳ねており、カチューシャを付けている。学校という場には不釣合いな着崩

したスーツ姿で、首には金色のネックレスが覗いていた。一見しただけでは若いヤクザ

かホストにしか見えないだろう。

 それらの可能性を全て否定しているのが、スーツの胸元に光る桃のバッチだった。

 

 この国で桃のマークが示すところは一つしかない。にわかには信じられなかったが、

このホスト風の男は”軍の関係者”ということになる。

 そしてそれを裏付けるかのように、ソファに座っている彼の両隣には専守防衛軍の

兵士が二人、立っていた。どちらも迷彩模様の戦闘服にコンバットブーツ、桃のマーク

を正面にプリントした軍の帽子を被っている。腰に巻かれたベルト――ホルスターには

拳銃らしきものがちらりと顔を出していた。無論それは偽者などではなく、引き金を引

けば熱々の鉛球が吐き出される本物の拳銃なのだ。一瞬で人の命を奪うことができ

る道具。誠治はもちろんのこと、部屋の脇で子犬のように怯えている校長が平静でい

られるはずがない。

 

 男はテーブルの脇に置いていた鞄から書類を取り出し、それを誠治に差し出すよう

にテーブルの上に置いた。

「話は簡単だし手間は取らせん。貴様はここにサインをして全てを承諾すればいい」

 黒いサングラスのせいで男の表情はよく読み取れなかったが、誠治には男が薄笑

いを浮かべたような印象を受けた。

「生徒たちがプログラムに参加することを認めろ……そういうことですか?」

 一切の感情を押し殺した低い声を絞り出す。先程は驚愕や恐れを見せまいと感情

を押し殺していたが今は違う。今、誠治の中に湧き上がってきているものは”怒り”だ。

教師としての道を歩み始めた自分の始めての生徒たち。その生徒たちをプログラム

に参加させるなんて、そう簡単に了承できるわけがない。

 

「他の準備は全て整っている。あとは貴様の返事を待つだけだ」

「変更や中止はないんですか?」

「ない。これは決定事項だ。もう誰にも止められないし手出しはできない。総統陛下が

直々にプログラム対象校を撤回されれば、話は別だがな」

 そんな話があるわけがないということを誠治は知っている。知っているからこそ怒り

が湧いてきた。この男はプログラムの中止なんて起こり得るはずがないということを

知っている上で自分をからかっているのだ。在りもしない希望をちらつかせ、それに

すがりつく姿を見て楽しもうというのだろう。

 

 ――ふざけるな。誠治は胸の内で怒号を吐き、テーブルの下で拳を固く握り締めた。

もし男の両脇に立っている兵士がいなければ、誠治は彼に殴りかかっていたかもしれ

ない。

 深呼吸をして暴れ出しそうな怒りを必死に抑え込みながら、何とか「分かりました」と

言って頷く。

「最後に一つ、質問をさせてください」

「何だ」

「私があなたの申し出を断ったら、どうなりますか?」

 

 金髪の男は、膝の上に置いていた手を動かして目の前で組んだ。

「どうなるか……とは?」

「分かりにくかったのなら分かりやすく言います。もし私が生徒たちのプログラム参加

を断ったら、生徒たちはどうなりますか?」

 誠治は意識せずに、相手の逆鱗に触れるような言い方をした。この国で彼ら軍人が

どんな地位にいるのか、彼らに逆らえばどうなるのかぐらい誠治もよく知っている。

 

 叫びたかった。心の底から叫んで軍のやり方を、国の在り方を、プログラムそのもの

を否定してやりたかった。結局そうせずに敵意を含ませた言い回しをしたのは相手に

対する恐怖心と諦めが誠治の中にはあったからだ。そうしたが最後、自分は即座に

蜂の巣にされるに決まっている。

 

「面白い奴だな、貴様は」

 今度は薄笑いではなく、金髪の男ははっきりと声に出して笑った。

「プログラムの対象となったことを知り逆上して掴みかかってくる奴は何人かいたが、

貴様のように静かに腹を立てている奴を見るのは初めてだ」

 男の言葉は誠治が静かに怒りを燃やしていたことを容赦なく指摘していた。心中を

読まれていたことを知った誠治の顔に動揺が表れ、それを見た男は誠治の内心を嘲

笑うかのように言葉を続ける。

「――だが、利口ではないな」

 そう言い終えた瞬間、誠治の頭目がけて男が手を伸ばした。卓越した動きで一気に

距離を詰められた誠治には避ける暇も無い。頭と髪をがっしりと掴まれ、誠治は微動

だにできなかった。動かしたくても、思うように動かすことができないのだ。彼は片手で

自分の動きを抑え付けている。同じ成人男性なのに、その膂力は誠治のそれを遥か

に凌駕していた。

 

「おい、銃を貸してくれ」

 男は横に立っていた兵士の一人から黒いオートマチック拳銃を受け取り、それを誠

治に向けて突きつけた。

「ひっ――――」

「いいか、よく聞け。俺は何も貴様にお願いをしているわけじゃないんだ。その気にな

れば貴様の意思なんぞ無視してプログラムを行うことだってできる。なぜそれをせずに

こうやって貴様らの前に現れ、許可を取ろうとしているのか分かるか?」

 畳み掛けるように男が言葉を発し続ける。誠治の全神経は眼前に突きつけられた

銃に向けられており、とても彼の質問に答える余裕などなかった。

 

「そういう”ルール”だからだよ、高峰誠治先生。プログラム対象クラスの教師に許可を

もらいにいくのはルールなんだ。ずっと前からそう決まっている。守らなくてはならない

ことなんだよ。俺はルールを守ることが絶対だと思っているし、ルールなくしてこの世

は成り立たないからな」

 男の声の調子はだんだん大きくなっていったが、そこまで言い終えたところで一息

付き、急に声の調子を落として話を続ける。

「ルールを破ることは癪だが、ここで貴様を殺してプログラムを開始することは俺たち

にとって何の造作も無いことなんだよ。……いいか、わざわざ人が穏便に済ませよう

と話を進めているんだ。命が惜しければ妙な気を起こすな」

 頭を掴む手に、ぐっと力がこもった。誠治は自分の頭蓋骨が軋む音を聞いたような

気がした。

 

「もう一度言うぞ。――ここで貴様を殺すことなんて簡単なんだ。何ならこいつで足か腕

を撃ち抜かれたいか? それが嫌なら刃物という選択もあるぞ。そっちは俺の専門だ

から何をされたのか分からないうちに殺すこともできる。その逆も然り、だがな」

 背筋に悪寒が走り、全身に戦慄が駆け抜ける。

 誠治は今、この世に生を受けてから最大の恐怖を味わっていた。窓の外から差し込

む光を受け、黒く鈍い輝きを放っている拳銃。自分の生徒たちが互いに殺し合うとい

う現実。この一連の出来事を眉一つ動かさずに見ている兵士たち。

 

 そして、目の前にいる金髪の男。

 

 それらから与えられる恐怖の量は、誠治の許容量を遥かに超えるものだった。これ

程までに凄まじい恐怖は味わったことがない。今まで感じた恐怖なんてこれに比べた

ら塵のようなものだ。何かの発作に襲われたかのように、全身が小刻みに震える。冷

や汗が滲み出て、心臓が破裂せんばかりに鼓動を繰り返す。

 何も考えられない。何もする気になれない。抵抗も、悲鳴も、命乞いも、圧倒的な恐

怖の前では意味を成さなかった。恐怖は人間にとって抗いようのない感情だ。成長の

過程で身につけた思想や言葉とは違う、本能によって司られた感覚。自らの意思で

どうにかする、ということは不可能に近かった。

 

「これが最後だ。貴様のクラスがプログラムの対象となることを認めるか?」

 認めたくない。

 認められるはずがない。

 自分の教え子を、自分の手で死地へ送り出すなんて誰ができようか。

 

 だが――。

 

「み……認め……ます」

 掠れきった声で、誠治は言った。

 

 ニヤリ、と。

 金髪の男は笑った。まるで事態がこうなることを最初から予測していたかのような笑

いだった。彼は誠治の頭から手をどかし、反対の手に握っていた拳銃を持ち主である

兵士へと投げ返す。

 

「どうだ、怖かっただろう? 常にとは言わんが、少し自分の力を考えて発言をした方

が身のためだ。長生きしたければな」

 男はしばらく誠治を見下ろしていたが、ふっと肩から力を抜いて部屋の隅にいる校長

の方を向いた。

「安心しろ、今日は承諾を得にきただけだ。これ以上のことはせん。日程などの詳細な

事柄は渡した資料に全て書いてあるが、詳細な事柄は予定日が迫り次第追って連絡

を入れる」

 金髪の男は踵を返し、扉に向って歩き始める。それを合図としたかのように、連れの

兵士二人も揃って校長室から出て行った。

 

「――じゃあな」

 閉じて行く扉の向こう、その男は不敵な微笑を浮かべていた。

 恐怖に屈した誠治を嘲っているのか、それともこの出来事自体を楽しんでいたのか。

 あるいはその両方だったのか。

 それが分からないまま、金髪の男は静海中学校から去っていった。

 

 

 

 あの男が去ったことにより、誠治の中から恐怖心は次第に薄れていった。

 しかし同時に、その恐怖心に匹敵するような自己嫌悪が誠治の心に広がっていった。

 生徒たちを助けられなかったこと。恐怖心に負けてプログラムへの参加を認めてしま

ったことを思い知り、誠治は声にならない慟哭を上げた。

 

【残り36人】

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