「はあっ、はあっ、はあっ……!」

 少年は荒く乱れた息遣いと共に、深夜の路地を駆け抜ける。周囲には自分以外人影もなく、

窓から灯りが漏れる民家や自動販売機などの”風景”が続くだけだ。

 

「畜生、畜生、畜生! あ、あんなのやってられっか! こっちはせいぜい二十人くらいだった

のに……! あんなのアリかよ、畜生!」

 静まり返った路地に足音と怒声を撒き散らしながら、少年は右手側に現れた公園に足を踏

み入れた。少年はまだ高校生くらいの顔立ちだったが、髪を染めていたり様々なアクセサリー

を身につけていたりと、その風貌は明らかに不良少年といった感じだった。

 普段は恐喝をするときなどに相手に恐怖を与えるための顔が、今や少年自身の恐怖一色

に染まってしまっている。

 

 

 

「はあっ、はあっ……くそっ、な、何で俺がこんな目に――」

 こうなることを全く予期していなかったわけではない。少年はこうなることを可能性の一つと

して念頭に入れておいた。しかし本当にこうなると思っているはずもなく、”もしかしたら”程度

のことでしか考えていなかった。

 

 勝負に挑む前から自分が負けたときの光景を想像し、それが原因で臆してしまうほど愚か

なことはない。それは何かを相手にするとき全般に言えることで、ことケンカに関しても例外で

はなかった。

 

 ”あいつら”の脅威は少年も噂で聞いていた。静海市最大最強の不良グループで、中学生が

主軸とは思えないほど高い戦闘能力を持ち、その気になれば暴走族の一チームくらい楽に

壊滅させることができるのではないかと囁かれ、一体何人がそのグループに所属しているの

か誰もはっきりとしたことは分からないため、警察でさえ迂闊に手が出せないグループ。

 

 否、それはもはやグループというレベルではない。

 静海市の力のピラミッド、その頂点に君臨する二つの力のうちの一つ。

 そのグループは、いつしか『レギオン』と呼ばれるようになっていた。

 少年はそのまま公園を通り過ぎようとしていたが、どこの公園にでもあるような水飲み場が

視界に入ったため、足の向ける方向を公園の出口ではなくそちらに切り替えた。

 

 

 

 どれくらいの距離を走って――というより逃げてきたのか分からないが、とにかく長い距離を

全力で走り続けたのは事実だ。身体が喉の渇きを訴えている。水の潤いを欲している。過度

の水分摂取が走行に支障をきたすということを知りながらも、少年は水を求めずにはいられ

なかった。光に吸い寄せられる虫のように、ふらふらと水道に近寄って行く。

「そういや、他の奴らはどうなったんだ……?」

 そんなことを呟きながら蛇口に手を伸ばした瞬間。

 

 ドガッ!

 

 突然やって来た衝撃に、不良少年は宙を舞いながら真横に吹っ飛んでいった。

「がはっ!!」

 少年はそのまま横から地面に叩きつけられる。それで全身に衝撃が走ったが、最初にやっ

てきたあの一撃に比べたら微々たるものだった。ガラ空きになっていた脇腹に蹴りを叩き込

まれたようだが、肋骨が折れていても不思議ではないほどの衝撃と威力を持っていた。

 脇腹の痛みに顔をしかめながら、少年はゆっくりと背後に目を移す。

「あ……あああ……」

 今の彼にとって最大の恐怖が、そこにあった。

 

 

 

「――二十五人目」

 闇の中に佇むその少年は短く、そして冷たい声でそう呟いた。

「お前で二十五人目、つまり最後だ。たいした実力もないくせに、たいした数でもないくせによ

く俺たちと張り合える気になったものだな」

 軽く後ろに流した金髪の髪が、時折そよそよと流れる夜風で揺れている。右頬に刻まれた

刃物による傷跡が自然と相手に畏怖と威圧感を与えていた。決して大柄な体型とはいえない

が、只者ではない雰囲気が全身からひしひしと伝わってくる。

 血に飢えた肉食獣を相手にしたときのような、そんな恐怖感があった。

「そういうのは勇気とは言わない。無謀を通り越してただのバカだ」

 

 この少年の名は真神野威。

 静海市最大最強の不良グループ、その頂点に君臨する少年だった。

 

「く、くそっ……てめえよくも……」

 憐れな不良少年はそこでようやく気が付いた。

「あ――――」

 周囲の闇の中に佇む無数の人影に。格闘技の試合でも観戦するような形で、一目で危ない

奴らだと分かる中学生くらいの少年たちが自分と威を――否、”自分を”包囲していた。共通

の服やシンボルを身につけているわけではないが、袋のネズミとなった少年は彼らが何者な

のかすぐに想像することができた。

 

 真神野威が統べる不良少年グループのメンバーたちだ。

 その数、この公園に集まっているものだけでざっと三十人。素手のものもいれば、鉄パイプ

などの明らかな凶器を手にしているものもいる。そして彼らは、ゆっくりとその包囲を狭めつつ

あった。

 

「何だよ……何なんだよお前らあああああああああ!!」

 その叫び声を皮切りに、グループのメンバーたちは一斉にその少年に襲い掛かっていった。

 

 まるで、獲物を喰らう肉食獣の如く。

 

 

 

 

 

 ――七時間ほど前、静海中学校三年一組の教室にて。

 

「真神野威?」

「そ。ここらで一番デカイ不良チーム――俺たちはレギオンって呼んでいるんだけどさ、その

チームのリーダーなんだよ。とにかくこいつとは関わり合いにならない方がいい」

 そう言いつつ、その少年は黒板に白いチョークで『真神野威』と漢字で書く。見れば見るほど

変わった名前だな、と高峰誠治は思った。昨日このクラスの名簿を開いたときに一番印象に

残ったのが彼の名前である。

 

「レギオンってチームはとにかく”なんでもアリ”なんだよ。目的を達成することには手段を選ば

ないし、やるからには徹底的にやる。とにかく人数が多いからそうなってるらしいんだけど、

リーダーの真神野を筆頭に頭のネジが二、三本ぶっ飛んでいる奴らばかりだからね。あいつ

らの中でまともな奴っていったら萩原ぐらいだし。ケンカになれば一人の相手を四人くらいで

取り囲んでボッコボコにするらしいから。原チャリで人を跳ね飛ばすくらい平気でやる連中だ

し、とにかく関わり合いにならない方がいい。先生も目を付けられないように注意しとくべきだ

ね。病院のベッドの上で後悔するんじゃ遅いから」

 

 誠治に対してレギオンの基礎知識を話すこの少年は、誠治が担任となった三年一組の鈴森

雅弘(男子8番)という生徒だ。

 

 誠治は始め、とある出来事がきっかけで仲良くなった村崎薫(女子15番)琴乃宮涼音(女

子4番)にこのクラスのことや学校のことについて詳しく聞かせてもらおうと思っていた。しかし

二人とも急な予定が入ってしまったため、代わりに話をしてくれる生徒として紹介されたのが

彼、鈴森雅弘というわけだ。雅弘はすらっとした体型で背が高く、やや茶色に染めた髪は癖

がかかっている。誠治の彼に対する第一印象は『軽薄そうな子』というものだった。事実、雅

弘は口が達者なお調子者としてクラスメイトに認識されている。薫が自分たちの代わりとして

彼を紹介したのもそのためだろう。

 

「俺はこの街に来たばかりだからそのレギオンってチームのことをよく知らないんだけど……

そんなにヤバいのか?」

「ヤバい。あいつらと敵対するってことは崖から飛び降りるってことと同じことさ。――まあ、そ

れでも挑戦しようって奴らは後を絶たないけどね。俺から言わせりゃそいつらは馬鹿だよ。何

でわざわざ勝ち目のない戦いに挑むんだか」

 

 誠治はまだ真神野威と正面から接触したわけではないし、そのレギオンというチームを見た

わけでないから何とも言えないが――雅弘がそのチームに、真神野威という人物に対して抱

いている恐怖を感じ取ることはできた。

 

「じゃあ、その真神野が静海市の不良で一番強いってことか?」

 そう尋ねると雅弘は一瞬沈黙し、「はははっ」という声と共に肩を震わせる。

「それもちょっと違うなぁ。確かにレギオンも真神野も強いし関わり合いにはなりたくない。けど

この街で一番強いかっていうとそうじゃないんだよ」

「じゃあ、他にもっと強い奴が……?」

「ああ。渡良瀬道流って奴だよ。こっちは別に危ない奴ってわけじゃないんだよ。普段はちょっ

と騒がしい奴だけど、怒らせたり敵に回したりしない限り危険はない。危険性で言えば真神野

の方がずっと上だ。だけどどちらが強いか? って聞かれたら、この街の人間なら誰でも道流

の名前を挙げるだろうね」

 

 渡良瀬道流――その名前にも聞き覚えがあった。確かその生徒も自分が担当している一組

の生徒だったはずだ。ということは自分はこれから一年間、静海市でも一、二を争う危険な生

徒がいるクラスを受け持たなければいけないということになる。誠治は事の重大性と自分の悪

運を改めて認識した。今年採用されたばかりの自分には少し――いや、かなり荷が重い。これ

からの事を考えると頭が痛くなりそうだ。

 

「でもまあ、道流のことはそんな心配しなくてもいいんじゃない? あいつは先生のやること邪

魔するわけじゃないし、俺たちと同じように接してくれれば問題はないと思うよ。実際、去年ま

ではそうだったし」

 真神野威のことを語っているときとは対照的に、渡良瀬道流のことを話すその様子はなんだ

か嬉しそうだった。道流のことを、自分の友人の強さを自慢しているかのように。

 

 雅弘から話を聞いているうちに、誠治は彼がここまで誇らしげに話す道流という人物がどん

な人間なのか興味が湧いてきた。威もそうだが、道流もまた今日行われた始業式には姿を見

せていなかった。不良生徒が多い静海中学で朝のHRにクラス全員が揃っているということは

稀らしい。まあ確かに、毎朝キチンと登校してくる不良も不気味な気がする。

 

 

 

 

 

「俺たちに挑んでくる奴らも久しぶりだったから少しは楽しみにしていたが……期待外れもいい

ところだったな」

「まったくだぜ。威勢がいいのは最初だけだったし、こっちの人数を知るとすぐに逃げ出すし」

「そういえば、竜也と浩之の姿が見えないが?」

「ああ、あいつらなら先に帰ったよ。俺たちがいなくても大丈夫だろう、って言って」

「――フン、相変わらず勝手な奴らだ」

 遠くから聞こえてくる少年の悲鳴を聞きながら、威はチームのナンバー2の位置にいる萩原

淳志(男子13番)と言葉を交わしていた。淳志は短い黒髪を立てている、理知的な感じがする

少年だ。威のチームの中では参謀的な役割を担うことが多く、人柄が良いために多くのチーム

メンバーから慕われている。学校でも淳志と普通に会話をする生徒は多い。

 

「そういえば威、また道流とやりあったんだって?」

 道流の名前が出た瞬間、威の眉がぴくっ、と動いた。

「お前は俺たちのリーダーなんだから、そういう勝手なことはあまり――」

「俺の前であいつの名前を出すな」

「いや、だけどさ」

「黙れ。殺されたいのか?」

 夜の闇の中で、威の金髪が鮮やかに浮かび上がる。その下では、剣呑な光に満ちた瞳が

爛々と輝いていた。

 

 静海市の最高実力者として名高い威と道流だが、彼らはお互いを異常なまでに敵視してい

た。ただ単に仲が悪い、相手のことが気に入らないというだけなのだが、それゆえに手が付

けられない状態だった。お互いが顔を合わせて会話をすれば殴り合いに発展しない方が珍

しいとまで言われている。

 

 淳志は威の恫喝にも動揺することなく、やれやれ、といった感じで溜息をついた。

「じゃあ話題を変えようか。お前は今日学校に来ていないから知らないだろうけど、俺たちの

担任が変わったぞ」

「ほう……どんな奴だ?」

「今年教師になったばかりの新人さ。何か村崎や琴乃宮と知り合いみたいだったけど、詳しい

ことまでは俺も知らない」

「新人か。だとしたら俺たちのことを知らないかもしれんな……」

「前の担任は俺らにビビりまくってたから好き勝手できたけど、今度はそうもいかないかもしれ

ないぜ。やる気に満ち溢れた熱血新人教師、なんてのはこの時期どこにでもいるからな」

 

 楽しそうな顔を浮かべている淳志とは対照的に、威は露骨に鬱陶しそうな顔をしていた。

 ただでさえ嫌いな道流の名前を聞いた後でこの話題を出したのはまずかったかもしれない。

淳志は自分の軽率な発言を反省した。

 しかし威は先程のように叱責の言葉を口にしなかった。その教師に対する鬱陶しさはある

が、自分に対する怒りはないらしい。

 

「淳志、他の奴らには適当に解散するように言っておいてくれ」

「分かった。お前はどうするんだ?」

「先に帰る。これ以上ここにいる必要もない」

 後のことを淳志に託すと、威はそのまま公園の出口に向って歩き出していった。

 

 威は煙草を取り出しながら、先程淳志から聞いた新人教師のことについて考える。

「明日は久しぶりに学校へ行くか……。その新人教師がどんな奴なのか、この目で見極める

必要もあるからな」

 

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