旅立ちの季節である三月が終わり、多くの人たちにとって新たな生活のスタートとなる季

節が訪れていた。中学生から高校生へ、高校生から大学生、または社会人へ。今まで

慣れ親しんでいた生活を抜け出し、新たな環境で新たな生活が始まろうとしている。

 

 それは彼、高峰誠治にとってもまた同じことだった。

 

 今までの人生の中で緊張したことなんて数え切れないくらいある。高校や大学を受験し

たときだってそうだし、大学で運動系のサークルに入っていた際、新入生歓迎のために

代表でサークルの紹介をした時だってガチガチになっていた。だが今回は、それらがどう

でもいいことのように思えるくらい緊張してしまっている。

 

 誠治は今年大学を卒業し、四月から地元である新潟県の中学校に教師として着任する

ことになった。基本的な流れは教育実習のときに覚えたが、今日からは実習ではなく本物

の教師として壇上に立たなくてはいけない。多くの生徒たちに勉強を教え、悩みを聞いた

り希望の進路へ導いたりと、担わなければいけない責任も実習生の比ではないのだ。

 スーツに着替えた誠治は自宅に置いてある鏡の前に立ち、どこかおかしなところがない

だろうかと入念にチェックする。ネクタイは曲がっていないし、顔も洗ったし髭も剃った。

髪型も特におかしなところはない。スーツやワイシャツに汚れなどはない。自分が見る限

り、鏡に映っている人間におかしな部分は見受けられなかった。

 

「……そろそろ行くか」

 予定の時間までまだ大分あるが、早く着いてしまっても別に困ったりはしないだろう。遅

刻ギリギリで行くよりはよっぽどマシだ。

 テレビの電源とかガスの元栓をチェックし、玄関に鍵をかけたことをしっかりと確認した

誠治は駐車場に止めてある軽自動車に乗った。今日から自分の仕事場になる静海中学

校はここから車で十五分から二十分程度。お盆やゴールデンウィークの帰省ラッシュレベ

ルの渋滞に巻き込まれなければ遅刻するということはまず考えらない。

 

 

 

 窓の外に流れて行く街の景色を時折眺めながら、誠治は不安げな声で「大丈夫かな」と

独りごちた。教師という仕事を上手くやっていけるだろうかという心配はもちろんあるが、

それと同じくらい心配だったのが自分が着任する中学校のことである。

 静海市立静海中学校。それがこれから行く学校の名前だが、静海中学校は地元では

かなり名の知れた学校らしい。

 

 優等生が多い県内有数の進学校だとか、優秀な成績を収めている部活がある学校と

かではない。静海中学校は在籍する生徒の素行の悪さ――つまり不良生徒が他の中学

よりも多いということで有名な学校らしい。この辺りで中学生絡みの悪さが起きれば、そ

の半分以上に静海中学の生徒が関連していると言ってもいいほどである。新潟県に住ん

でいた以上、誠治も静海中学校についての噂は何度か聞いたことがある。しかし自分に

は縁のない話だろうと思い笑って済ませていたが、まさか教師としての初舞台がその静

海中学になるとは思ってもいなかった。

 

 学校との距離が縮み、自転車で通っている学生の姿がちらほらと見え始めるに連れて

不安と緊張も高まっていく。不良生徒が多いということは、教師に対しての反発は当然と

考えたほうがいいかもしれない。新人教師ということもあっていいように扱われることも考

えられるし、最悪の場合だが自分に対する暴力も覚悟しておいた方がよさそうだ。

 家を出る前からいろいろと良い考えを練ってはいるが、どうも悪い方向にばかり考えが

いってしまっている。神経質なところやネガティブなところは悪い癖だと自覚しているが、

そう簡単には直ってくれないようだ。

 

「ったく……初日からこんな調子かよ」

 チッ、という軽い舌打ちの音が車内に響く。今年新しく社会人になるのは自分だけでは

ないというのに、最初からこんなザマでいいのだろうか。まだ新人とはいえ教師という立場

なのだから、もっと胸を張って堂々とするべきだろうに。

 ウダウダと考えるくらいなら、いっそのこと考えないというのもいいかもしれない。俗に言

う当たって砕けろ、というやつだ。

 ――本当に砕けちまったらお終いだけどな。

 誠治は鞄の中から煙草を取り出し、手馴れた動作で火をつけて口に咥える。密閉され

た車内に紫煙がゆるゆると立ち昇った。ああ、なんだか気分が楽になった気がする。開き

直るという方法は案外正解だったかもしれない。

 

「――いけね、忘れてた」

 誠治は煙草を口に咥えたまま運転席の窓を開けた。別に窓から灰を落とそうとするつ

もりではない。歩き煙草をしないのと携帯灰皿を欠かさず持ち歩くというのは、誠治が喫

煙者として守っている最低限のことだ。窓を開けるのは車の中に煙の匂いが染み付くの

が嫌だからである。だったら吸うな、という話だが、気分的に吸いたいときもあるから仕

方がない。それにしょっちゅう車内で吸っているわけではないし、それについてはあまり

考えないようにしていた。

 

 信号待ちの途中に何気なく窓の外を眺めていると、不意に中学生らしき女子生徒三人

が道で立ち止まり、何やら話しこんでいる光景が目に留まった。

 それだけならば何てことはない朝の通学風景だが、誠治の目を釘付けにしたのはその

うち二人の少女の髪の色である。

 

 三人組の左端、自分ほど――とまではいかなくても、あの歳にしては男子並みに背が

高く、中学生アイドルとして歌番組に出演していても違和感のなさそうな少女。

 彼女の髪は”赤”だった。まるで火炎のような、まるで血のような艶やかな赤。それは髪

だけではなく、靴とかマニキュアとか鞄といった装飾品まで、彼女が身につけているもの

全てが赤を基調としていた。

 

 三人組の右端、こちらは赤い少女とは違い長身というわけではない。誠治は彼女を見

た瞬間、その少女が冷静で知的な少女なのではないか、と勝手なイメージを抱いていた。

 その理由は彼女の髪の色にある。右端の少女は左端の少女とは対照的に、髪の色が

”青”だった。まるで大空のような、まるで海のような鮮やかな青。そして彼女も赤い少女

と同様、身に付けているもののほとんどが青い色のものだった。

 

 

 

「うわあ……」

 思わず声に出てしまった。東京ならばいざ知らず、こっちであんなファンキーな格好を

している人間、それも女子中学生に遭遇するとは思ってもみなかった。

 真っ赤な少女と真っ青な少女。そんな二人組みが視界に入ったのである。気にするな

というほうが無茶な話だ。

 少し様子を観察していて分かったが、彼女らはただ道端で談笑しているわけではない

ようだ。三人組のうち最後の一人に何かハプニングでも起きたらしい。

 

「うー……とーれーなーいーっ!」

その証拠に、真ん中にいる軽い茶髪の子はかなり慌てふためいていた。

「おーい、まだ取れねえのかよかおりん。こっちはもう五分以上は待ってんぞ」

「そ、そんなこと言ったって取れないもんは取れないよ! 手が届かないんだもん!」

「んじゃまー諦めちまえ。そうだそれがいいそうしろ」

「家の鍵が落ちたのに諦めるわけないでしょ!」

「ばっかだなーお前。そんなもん窓ガラス叩き割って入れば済む話だろ」

「私、赤音ちゃんみたいに泥棒に間違えられて通りがかりの人に通報されたくないもん」

 

 距離が距離なので具体的な話の内容は分からないが、どうやら真ん中の子が道端に

ある溝か何かに大切なもの(鍵かお金だろうか?)を落としてしまったらしい。赤い少女は

諦めるように言っているが、真ん中の少女はそれを承諾していないようだ。ちなみに青い

少女はその様子をじーっと見つめ、眠たそうにあくびをしている。

 

 誠治はその様子をしばらく眺めていたが、突如聞こえてきたクラクションの音で自分が

信号待ちをしている最中だということに気づいた。前を見てみれば信号はとっくに青にな

っている。「ヤバッ」と呟き、慌てて車を発進させた。

 

 再び流れ出した景色を横目に、誠治はちらりと腕時計に目を落とした。静海中学に着く

までにはまだ時間がある。十分程度遅れても差し支えないだろう。

 誠治は信号を右折したところで近くにあった駐車場に車を停め、車から降りてあの少女

たちがいる場所へ歩いていった。

 

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