フィニッシュ:95





 吉川秋紀(男子19番)は海岸に隣接する道路を全力で走っていた。後ろを振り向こうとせ

ず、道路をただひたすらに走り続けている。

 秋紀の腹部からは血がぼたぼたと流れ落ちている。左の脇腹にも銃創を負っており、彼

が通っていった道路には血が点々と並んでいた。

 

 彼は一人の女子生徒を背負いながら走っている。中学生にしては少々大人びた顔つき

の、華奢な身体つきをしたミステリアスな美少女。秋紀にとってとても大切な、このクラスで

たった一人生き残っている友人――黒崎刹那(女子7番)

 

 そして彼女もまた、その身体に深い傷を負っていた。それは秋紀のものより深刻で、刹那

の口から繰り返される呼吸音は今にも消えてしまいそうなほど小さなものになっていた。

「秋紀、くん……」

「喋るな! 余計な体力使ったら助かるものも助からなくなるだろ!」

 それは秋紀にも言えたことなのだが、刹那はあえてそのことに触れなかった。

 

 二人とも、もう気付いていたからだ。

 ごく近いうちに、自分たちは死んでしまうんだということを。

 

 秋紀はぎりっと奥歯を噛み締めた。ちくしょう、何でこんなことに――。今まで何度も何度

も思ってきたことを、今一度強く思う。

 

 何で、俺たちがプログラムなんてしなければいけないんだ。

 刹那も、玲子も、浩介も、他のみんなも死ななければいけない理由なんてなかった。

 なのに何で――俺たちがプログラムなんかに!

 

「ちょっと揺れるから、落ちないようにしっかり掴まってろよ」

 刹那は返事をせず、秋紀の肩に回している両腕にぎゅっと力を込めた。それを確認し、秋

紀は全身を走る激痛に耐えながら海岸脇の道路を走っていった。

 しばらく一定のペースを保ったまま走り続けていた秋紀だが、次第にそのスピードにも衰

えが見え始めた。彼の両脚は小刻みに震え始め、顔は蒼白になり、今すぐ倒れてもおかし

くない状態だった。

 

 秋紀は唐突に足を止め、そこでようやく後ろを振り返る。悠介がいた港は視界の奥で小

さくその存在を証明していた。自分でも気が付かないうちに大分離れてしまったようだ。

 刹那をそっと地面に横たえ、私物が入っているバッグの中から代えの服を取り出す。刹那

の制服を捲り上げ、傷口をハンカチで拭いてから服を巻きつけた。包帯なんて持っていな

い秋紀は、自分の衣服で代用する方法しか思いつかなかった。

 

「秋紀くん……もう、いいよ……」

「何がいいんだよ! お前はよくても俺はよくねえ!」

「私は、もう助からない……秋紀くんならまだ、手当てをすればきっと――」

「何が助からないだ! 勝手なこと言うな!」

 そうだ、まだ決まったわけではない。刹那の傷は秋紀の目から見てもひどいものだったけ

ど、まだ完全に助からないと決まったわけではない。

 秋紀の視界がぐらりと揺らぐ。呼吸が困難になり、全身を覆うような寒気がひどくなってき

た。

 

「助からないなんて言うなよ……何でお前、そんなこと言うんだよ……!」

 みんな、みんないなくなってしまった。

 浩介も、玲子も、他のみんなも。

 だから刹那にだけは、絶対に死んでほしくなかった。

「俺、お前に謝りたかったんだ」

「…………?」

 刹那が秋紀の方を見て、怪訝そうな顔をする。

「あの時……お前の気持ちも考えないで、ひどいこと言っちまっただろ」

 

 刹那の脳裏に蘇る、公園での出来事。

 玲子と浩介の死体を見た秋紀が平静さを失い、八つ当たりのように刹那に向けて暴言を

吐いたあの出来事。

 あれが、二人の道を分かつ原因となった。

 秋紀は突発的に、刹那は意識してお互いのもとを離れていった。

 

「ほんと、ごめんな……俺があんなこと言って、どっかに行ったりしなけりゃ、お前を助けられ

たかもしれないのに」

「謝らないで……」

 刹那の腕が伸びて、秋紀の頭を抱え込んだ。上半身を起こした刹那は腕に力を込め、秋

紀を包む込むように抱きしめる。

「過去のことをいくら悔やんだって……それが変わることは絶対にないんだ。過去があるか

ら……今があるんだよ」

 静かだが、とても心地よい優しさが込められた口調だった。その言葉は秋紀の心にじんわ

りと染み込んでいく。

 

「私は、全然傷ついてなんていないから。だから……そんなに悲しそうな顔をしないで」

「刹那……」

 刹那は秋紀を悲しませまいと気丈に振舞っていたが、彼女のその優しさが逆に秋紀の心

を締め付けていた。

 刹那をここまで追い込んでしまったのは自分だ。何かしてあげられたはずなのに、自分は

何もしてあげることができなかった。そんな自分に対し、強い苛立ちと憤りを覚える。

 

「ごめん……俺、お前に何もしてやれなかった……。辛いこと全部お前に背負わせちまっ

て、俺はただ見ているだけで……俺は、何も、できなかった……怖いとか、俺なんかじゃ無

理だって、理由を付けて……それで、後になって、後悔して……どうしようもねえよな、俺っ

て……ちょっと勇気を出せばよかったのに、そんな簡単なことも、俺はできなかった……」

 秋紀は何度も何度も刹那に謝った。呻き声を漏らしながら、「ごめん」と繰り返し続ける。

彼の目から溢れた涙が、血で赤く染まった刹那の身体に落ちていった。

 

「そんなことない。私は、君が側にいてくれるだけで幸せだったよ。君や玲子や浩介くんが、

私に居場所を与えてくれた。こんな私にも初めて友達ができて、とても楽しい思い出を作れ

て……秋紀くんたちがいてくれたから、私は――」

 刹那はすうっ、と息を吸い、

「毎日がこのまま続きますようにって、思えるようになったんだ」

 精一杯の笑顔を浮かべて、自分の素直な気持ちを口にした。

 

 異質な力を持っているため、生まれ育った地では友達と呼べる人間が誰一人いなかった。

 刹那はずっと一人だった。孤独を受け入れ、虚ろな日々を過ごし続けていた。

 彼女も悠介と同じだった。他人から拒絶され、居場所を失い、空っぽな時間を生きながら

心のどこかで、自分のことを受け入れてくれる誰かを求め続けていた。

 秋紀たちが現れてからは、毎日は空っぽなものではなくなった。

 いろいろなことを思いながら、いろいろなことを感じながら、友達と過ごすなんてことのない

日常。

 

 それこそが刹那がずっと憧れ、心の中で思い描いていたこと。

 特別なことなんて必要なかった。ただそこにあるだけでいい。

 みんながずっと、側にいてくれれば。

 

「……私と友達になってくれて、ありがとう」

 それきり、刹那は何も言わなかった。

 冷たくなりはじめた風が刹那の髪を揺らす。すぐ横の林からカサカサという葉の擦れる音

が聞こえてくる。繰り返し聞こえてくる波の音も、次第に小さくなっていく心臓の鼓動も、秋紀

には嘘のようにしか感じられなかった。

 

 秋紀は刹那の手を握り締め、彼女の肩に顔を埋めた。もう二度と彼女のもとを離れない

ように、彼女を離さないようにきつく握り締めた。

 刹那の手は細くて、柔らかくて、とても冷たかった。

 

 それから数分後、吉川秋紀はゆっくりと息を引き取った。二人の身体から流れた血は混ざ

り合って、道路の上に赤い染みを広げていった。

 力を失った二人の身体が道路に倒れても、二人の手は繋がれたままだった。

 

 吉川秋紀(男子19番)

 黒崎刹那(女子7番)死亡

 

【残り1人/ゲーム終了・以上舞原中学校3年3組プログラム実施本部選手確認モニタより】

 

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