フィニッシュ:94





 自分はつくづく甘い性格をしているなと、黒崎刹那は思っていた。

 自分と対峙している少年、浅川悠介。彼が雪姫つぐみのもとに駆けつけてから今までの様

子を、刹那はずっと見ていた。

 

 撃とうと思えば撃てていたはずだ。つぐみに寄り添う無防備な背中に銃弾を浴びせかけ、

痛みを感じる暇もなく命を奪ってやればいい。そうすればあとは、自分と秋紀の二人だけに

なる。誰かと戦う必要もなくなる。

 それなのに刹那は銃を撃つことができなかった。最愛の人との別れを前に涙を流す悠介

を、瀕死の身体で想いを必死に伝えようとするつぐみの姿を目にして、刹那の指は彼女の

意思に従うことを拒否していた。

 

 理由は簡単。悠介とつぐみ、二人の姿に自分をダブらせていたからだ。

 ごくわずかな交友関係しか築いていなかったとはいえ、刹那にも失いなくない大切な友達

は存在する。――いや、”していた”と言ったほうが正しいだろう。

 

 高橋浩介、霧生玲子、吉川秋紀。

 自分とこの中の誰かが、今の悠介たちと同じ立場だったとしたら。

 起こり得たかもしれない可能性の中の一つを、刹那は頭に描いてしまったのだ。

 

 そう思ったら引き金を引けなかった。撃つことができなかった。

 何の意味もないのに。さっさと殺してしまえばいいのに。

 何で自分はこんなことを。

 本心を隠して、偽りの気持ちを重ね続けて。

 

 あの時だってそうだった。

 生きて帰るために、彼のことを忘れて非情に徹しようとしてやったことなのに。

 なのに自分は、秋紀といたいと思っていた。彼のことを忘れるなんてできなかった。

 素直に気持ちを伝え合っている悠介たちが羨ましかった。

 だからなのだろうか。二人に自分の姿を投影してしまったのは。

 

 思いを巡らせている矢先、悠介の身体がゆらりと動いた。

「何でだろうな……俺は特別なことを願ったつもりはないのに……ただあいつと、つぐみと

一緒にいれたらって思っていただけなのに……」

 喉の奥で感情が軋むような、それでいてはっきりとした声色だった。

「昔からそうだったな……本当に大切なものは俺の手の中に残らないんだ。みんな消えて

なくなって……」

 小さく静かに呟きながら、悠介はそのままゆっくりと進んでくる。顔を俯かせ、まるで生気

を失ってしまったかのように。

 

「だから俺は……お前を許せそうにない」

 そこでぴたりと止まり、先程とは打って変わって怒りをはらんだ声を出す。悠介の瞳には

怒りという名の炎が爛々と揺らめいていた。

「つぐみを殺したお前だけは――絶対に許せない!」

 

 悠介はためらうことなく、ベレッタが握られた右腕を刹那目がけて持ち上げた。

 刹那はその場を動こうとせず、頭の中で悠介に関する記憶を全て引き出しそこから先の

動きを予測しようとする。

「お前は、お前だけは俺が絶対に殺してやる!!」

 ベレッタの銃口から火花が吹き、刹那の頭のすぐ横を銃弾が通過した。空を裂いて通過

した銃弾が刹那の耳に甲高い音を残す。

 刹那はそれに怯むことなく、悠介の殺意に気圧されることなくマシンガンの引き金を引い

た。パパパパッ、という小気味よい音が弾け、無数の鉛球が悠介に襲い掛かっていった。

 悠介は銃口がこちらに向けられた瞬間に移動していたが、放たれた銃弾の一発が彼の

左足首を貫いていた。

 

 血が吹き出し、悠介の身体がぐらりとよろける。しかし彼は倒れることなくその場に踏み

とどまった。

「うおおおおおおおっ!!」

 ベレッタのマガジンに入っていた弾を全て刹那に向けて撃ち出した。刹那はシグ・ザウエ

ルSP2009を左手に持ち、悠介が撃った分と同じ弾数を撃ち出す。

 金属同士が衝突する甲高い音がいくつも鳴り響き、同時に空中で火花が飛び散る。

「くそっ……!」

 先程と同じだった。悠介が放った銃弾は全て撃ち落されている。港に到着してからこれま

での戦いで、刹那は悠介が銃を撃つときの方向、タイミングなどをほぼ全て脳内に納めて

いた。

 

 刹那のマシンガンが動いたのを目にして、悠介は咄嗟に右へ飛び退こうとする。だがその

直前、この行動も彼女に予測されているのではないかという考えが頭を過ぎる。

 躊躇は一瞬。悠介は動きかけていた身体を無理矢理停止させ、今度は刹那の方に向き

直った。そしてその際に、ベルトに差し込んでおいた”あるもの”を掴み取る。

 

「黒崎いいいいいいい!!」

 彼はそのまま低い姿勢で地面を蹴り、頭から刹那に突っ込んでいった。今まさに引き金

を引こうとしていた刹那はこの予想外の動きに驚き、身体と思考を一瞬停止させてしまう。

 刹那が持つ記憶能力からの言動予測は絶対ではない。相手の言葉、動き、性格、思考、

心情など、データとなり得ることを見ていれば見ているほどその予測は絶対に近付く。

 

 しかしそれは近付くだけで、永久に絶対にはならない。

 裏返せば、彼女の能力は自己を隠し通している人間や、実力をあまり表に出さない人間

にはその効果が薄いということになる。

 

 例えば高梨亜紀子。彼女はその時その時で己を変化させるため、どこまでが本気でどこ

までが嘘なのか判断がつかない。そのために彼女の言葉、動きを予測しようとしてもそれは

ひどく不確かなものになってしまう。刹那にしてみればやりづらい相手だろう。

 それと同じように、刹那の脳内に記憶されている悠介に関する記憶も予測を高い成功率

にさせるには不充分だった。

 

 銃を撃つときの記憶は揃っているのだが、それ以外の光景――たとえばケンカをしている

場面だとか、クラスの誰かと話をしている場面だとかが圧倒的に不足しているのだ。

 最近はそうでもないが、少し前までの悠介は学校をサボリがちだった。そのため刹那は

悠介のことをあまり見る機会がなかったので、彼がどういう人物なのかあまりよく分かって

いない。プログラムの中で出会うのもこれが初めてだし、銃を使わない接近戦を挑むのも

これが初めてだった。

 

 そのため刹那は、悠介が咄嗟の判断でとったこの行動を回避することができなかった。

 しかし彼女にとっての本当の衝撃は、次の瞬間に訪れる。

 

「――――!」

 悠介がぶつかってきたと同時に刹那の顔が強張り、その身体がびくんと小さく揺れる。

「くっ……」

 小さな呻き声を漏らし、刹那は悠介を突き飛ばしてよろよろと後ろに下がっていく。

 かつて長月美智子のものだった脇差が、刹那の腹部に突き刺さっていた。その刀身は制

服の下にある防弾チョッキを突き破り、銀色の刀身を半ばほどまで埋めている。

 自分の身体から流れ出る赤い血を見ても、刹那は取り乱すことなく悲鳴を上げることもし

なかった。深く息を吸い込み、毅然とした眼差しで悠介を睨みつける。

 

 刹那は再度マシンガンを持ち上げ引き金を引くが、カチッという音がするだけで弾は出て

こない。弾切れだった。

 残弾数に気を配ってきた刹那らしからぬ失態だった。新しいマガジンを装填しようとデイパ

ックに手を伸ばしかけたが、およそ三メートルほどの距離にいる悠介はベレッタが握られた

腕を持ち上げてる最中だった。

 再装填は間に合わない。動きは予測できるが、怪我を負ったこの身体で咄嗟の動きをと

ることができるだろうか。最初の一発を避けることができても、二発目、三発目までとなると

どうなるか分からない。

 

 追い詰められた刹那の頭がはじき出した答え。

 それは美しい弧を描き、ひゅんっ、という空を裂く音を残して悠介の側頭部に吸い込まれ

ていった。

 

 刹那が先程見た攻撃。

 実際に受けた攻撃。

 それはつぐみが得意とする、疾風のようなハイキック。

 

 悠介の膝ががくん、と折れる。脳を揺さぶられてまともに立っていられなくなったらしい。

「――ぐっ……」

 しかし彼は倒れなかった。膝が地面に付く直前で力を振り絞り、そのままの体勢を保持す

る。撃たれた左足の傷から流れている血が、悠介の足首から下を真っ赤に染めていた。

「いってぇじゃねえかよ、おい……」

 悠介は凄絶な笑みを浮かべ、がくがくと震える足を無理矢理手で押さえつけている。全然

効いていないというわけではないようだが、今の攻撃を受けて立っていられるということが

信じられない。

 

 完璧だったはずだ。蹴りの速さ、タイミング、命中させる場所。どれをとってもつぐみのもの

と大差はないはずだ。なのになぜ、悠介は倒れないのだろうか。

「そんな……あの蹴りをくらって君は平気なのか?」

「ああ? 平気なわけねえだろうが。めちゃくちゃ痛えし、頭はくらくらするし」

 言うと同時に、握り締めたベレッタを刹那に向けて続けて三回引き金を引く。それれは全

て刹那の胴体に命中した。いくら防弾チョッキに守られているといっても、着弾による衝撃

までなくせるというわけではない。強い衝撃が走り、肋骨の軋む音が刹那の耳に聞こえてき

た。

 

「だけどな――あいつの蹴りのほうがもっと痛かったんだよ」

 左手に握られたシグ・ザウエルを持ち上げかけたところで、悠介がベレッタのマガジンに

残された銃弾全てを刹那に向けて叩き込んだ。

 そのうち二発は先程と同じように胴体に命中した。残りの二発は右足に命中し、刹那の太

腿を易々と貫いていった。

 腹を刺されたとき以上の激痛。鮮血が弾け、滴り落ちたそれが地面に赤い水溜りを広げ

ていく。

 

 もはや刹那の先読みはまともに機能していなかった。記憶力と思考力があってこそ成せる

刹那の言動予測。度重なるアクシデントと全身を駆け巡る激痛が、刹那から正常な思考能

力を奪い取っていた。

 

「筋力や脚力までは再現できないということか……」

 自分に言い聞かせるように言いながら、刹那は体勢を整える。

 考えがまとまらない。先の動きが導き出せない。それでもまだ負けたわけではない。

 

 大丈夫、まだ戦える。

 戦って、勝って、生きて帰らなければいけないんだ。

 生きて帰って、そして――。

 

「あ…………」

 

 そして、どうなる?

 生きて帰ったとしても、もうそこには誰もいない。

 自分を迎えてくれる友人たちはみんな死んでしまっている。

 私がいるべき場所なんて、どこにも――。

 

 どくん、と一度、心臓が大きく揺れる。

 秋紀と別れたときの光景が蘇る。

 もしそうだとしたら、刹那は自分の居場所を自分で壊してしまったということになる。

 

 なんて皮肉なことだろう。

 まさかこんなことになるだなんて。

 素直になれなかったばかりに、生きのこることを優先したばかりに。

 こんなことになるなんて思っていなかった。

 こんなことになるんだったら、あの時にあんなことをしなければ――。

 

 混濁する刹那の思考をクリアにしたのは、腹部に生まれた灼熱感と貫くような痛み、そし

て一発の銃声だった。

 その一撃で刹那は今度こそ立っていられなくなった。喉の奥から血が溢れ、口腔に鉄錆

の味が広がる。込み上げる不快感に耐え切れず、刹那は真っ赤な血を吐いた。

 

 地面に両膝を付き、震える右手で必死にシグ・ザウエルを掴み取る。それを持ち上げよう

としたところで、飛来してきた第二撃が刹那の右肩の上半分を抉り取っていった。

 立ち上がろうとした顔の上で、悠介がベレッタとは違う拳銃を握っているのが見えた。

 刹那は撃たれた部分を左手で押さえる。着弾した弾は防弾チョッキごと自分の身体を貫

通しているらしかった。

 

 もはや形勢は完全に逆転していた。ほんの小さな読み違いが原因で、刹那の思考能力は

修復不可能なくらいぼろぼろになっていた。

 戦いの中で迷うということがどれほど危険なことなのか、刹那も分かっていたはずなのに。

 

「……私の、負け、みたいだね」

 少しだけ落ち着きを取り戻した刹那は、相変わらず無表情のまま抑揚のない声で自らの

敗北を認める。

「さあ、早く撃つといい。そうすれば君か秋紀くんのどちらかが優勝だ」

「……お前と吉川は一緒にいたんじゃないのか?」

「いたよ。少し前まではね。でも……別れた。それがお互いのためだと思ったんだけど……

改めて考えて、そして君と雪姫さんを見てそれは違うんじゃないかって……本当は最後まで

一緒にいたほうがいいんじゃなかったのかって思わされた」

 悠介は刹那のことを許せないと思っていたが、今の彼女の心境は痛いほどよく分かった。

最後までつぐみと生き残ったとしても、そこに残るのは最愛の人を殺すか、最愛の人に殺

されるかという過酷な現実だ。別れなければいけない未来しかないのだとしたら、こうして

二人で過ごしている時間にどれだけの意味があるのだろう。

 

 悠介も少しだけ、そのことを考えたことがある。

「先のことなんて誰にも分かんねえよ……だから俺たちは後悔するんだ。しちゃいけないっ

て分かっていても」

「そう、だね……本当にその通りだ」

 刹那は薄く笑った。悠介はそこで初めて、刹那の笑った顔を見た。

 儚くて、触れたら簡単に壊れてしまいそうで――でも優しい笑顔だった。

 

 突然響いた声とともに銃声が響き、悠介の身体ががくんと揺れた。悠介の右足からは血

が流れ出しており、彼は傷を押さえながら背後に目を向けている。

 何が起きたのか刹那はすぐに理解できなかったが、悠介が見ている方向に視線を移して

全てを理解した。

 

 それは誰なのかと考えるまでもない。

 今生きている人間は刹那と、悠介と、そして――。

 

「てめえ……刹那から離れろ!」

 港の入り口付近に立っている吉川秋紀(男子19番)は怒号とともに駆け出し、右手に握り

締めたH&K USPから続けざまに三発の銃弾を撃ち放った。一発は悠介の右腕を掠め、

残りは逸れて二人の脇を通過する。

「吉川か……くそっ、タイミングが良すぎだろうが!」

 悠介は舌打ちと共にそう呟き、撃たれた右足を引きずりながら近くに停めてある漁船の

陰に隠れようとする。その間にもUSPが飛来してきたが、悠介の身体に命中するまでには

至らなかった。

 

 漁船に身を隠す直前、悠介はファイブセブンに残された銃弾全てを秋紀に向けて撃ち出

した。取り憑かれたように、一心不乱に銃の引き金を引き続ける。そのうちの何発かが当

たったのか、こちらに向って走ってくる秋紀の身体が途中で何回か揺らいだ。彼の制服に

滲んだ赤い染みがじわじわと広がっていく。

 

 秋紀は刹那のもとまで辿り着くと、有無を言わさず彼女を背中に担ぎその場から走り去っ

ていった。小屋や停められた自動車に身を隠しながら、悠介の迎撃を警戒しつつ全速力で

駆け出して行く。

 

 秋紀は運動が得意な方ではないし、体力があるわけでもない。それなのに人ひとりを背

負っている彼の走りには衰えが見えなかった。

 しかしその行為も、今の悠介の前では不必要な行為だった。

 悠介はもう、秋紀を追う力など残っていないのだから。

 遠ざかって行く秋紀の背中にファイブセブンを向け、三発ほど続けて撃った。反動で全身

の傷が痛み出し、硝煙が頭痛を誘発させる。もうこれ以上戦う力も気力も、彼の中には残

っていなかった。

 

「ちくしょう……」

 ついには目の前が霞み始めた。それは立ちくらみにも似た症状で、彼の身体に残された

力を奪っていく。

 悠介は地面を這いずるように移動し、同じように横たわっているつぐみのもとへ近付いて

いった。

 

 血と埃で汚れた彼女の顔をしばらく眺め、悠介はつぐみの制服からリボンをほどき、それ

をぎゅっと握り締めた。

 つぐみと繋がっていたという証が欲しかった。彼女と過ごした数々の時間の他に、形として

残るものが欲しかった。

 

 意識が薄れていく。

 どうやらもう限界らしい。

 まだ敵はいるのに。生きて帰るために立たなければいけないのに。つぐみとの約束を果た

すために、彼女の分まで生き抜くためには気絶するわけにいかないのに。

 

「俺は、まだ……」

 そう呟いた直後、悠介の視界は彼の意思に反し急激に暗転していった。

 気を失う直前、悠介は太陽が水平線に沈んだ瞬間を目にした。

 消えていく太陽が命の灯火のように見える。

 果たしてそれは自分のものなのか、それとも――。

 夜の帳が下りると同時に、浅川悠介は気を失った。

 

【残り3人】

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