フィニッシュ:93





 漁船の陰に身を隠している悠介は視線と注意を前方に向け、いつでもベレッタが撃てるよう

に注意力を最大限まで高めていた。左腕は動かすだけで痛みが走るため、銃の反動は右腕

一本で受けなければならなくなる。そのため悠介の身体に伝わる反動も半端なものではなか

ったが、今の彼にそんなことを気にかける余裕は無かった。

 

 先程までは銃声がひっきりなしに響いていた港も、今ではまるで別の場所のような静けさだ。

一発の銃声を最後に物音が途絶えてしまったのである。

 異変が生じたのは音だけではない。自分がついさっきまで戦っていた相手である黒崎刹那、

そして悠介の最も大切な人、雪姫つぐみの姿が見えなくなったのだ。

 ある瞬間を境に二人とも姿を消してしまった。それこそまるで神隠しにでもあってしまったか

のように。

 

 妄信的とも言えるほどの信頼をつぐみに寄せている悠介だが、この状況では不安を感じず

にはいられなかった。姿が見えないということは何が起きているのか判断できないということ。

援護射撃もアドバイスもできないし、考えたくはないがつぐみが殺されていても悠介には分か

らない。

 もちろんその逆の可能性も考えられる。刹那を倒したつぐみが何事も無かったかのように

ひょっこりと現れるとか、倒したまではいいが怪我を負ってその場を動けないとか。

 考えれば考えるほど、悠介は思考の泥沼にはまっていく。希望と絶望がぐるぐると渦を巻き、

悠介はこの場でじっとしていることに強いもどかしさを感じた。

 

 ――やっぱり、様子を見てこよう。悠介はそう決断を下し、ベレッタのグリップを強く握り締め

て漁船の陰から姿を現した。

 ゆっくりと、どこから刹那が現れても対処できるように慎重な足取りで進んで行く。ふと横を

見た悠介の目に、もうすぐ水平線に沈もうとしている太陽の姿が映し出された。明るく、暖かい

輝きが一日の役目を終えようとしているその光景を見て、悠介の心はなぜか強く締め付けら

れていた。

 

 言葉にできない痛みが、胸に広がる。

 沈んでいく太陽の姿が、今にも消えそうな命の灯火のように思えた。

 そこから二十メートル程進んだところで、悠介の歩みがぴたりと停止した。

 

「つぐ、み……」

 悠介の唇は小さく震えていた。彼の考えたとおり、雪姫つぐみはそこにいた。

 その身体を地面に横たえ、真っ赤に染まっている腹部を手で押さえながら。

 悠介は急いで彼女のもとに駆け寄り、その身体を抱きかかえる。弱々しい呼吸や、それに

同調して上下する胸を見ればまだ死んでいないということが分かる。しかし彼女の身体から伝

わってくる命の鼓動はとても小さく、どんどん流れ出ている血は一向に止まる気配がなかった。

 助かる見込みがないということは悠介にも分かっていた。だが彼はそれを認めようとはしな

かった。

 

 認めてしまえば、そこで全てが終わってしまうような気がして。

 つぐみが死ぬはずがないという、有り得もしない希望にすがっていたかった。

 

「なあ、やめろよ……こんなの嘘だろ? つぐみ……なあ、つぐみ」

 悠介はどうすればいいのか分からず、今にも泣き出しそうな顔でつぐみの傷口を手で押さえ

た。この出血を止めなければと思ったが、生温かい血が悠介とつぐみの指の間からどんどん

溢れ出てきた。

「くそっ、何で止まらねえんだよ!」

 悠介の声はほとんど涙まじりだった。彼は自分が着ていたブレザーを脱ぎ、つぐみの傷口に

それを巻きつけた。傷を押さえている部分に、ゆっくりと血の色が滲んでいく。

 

「悠介、くん……」

 今にも掠れて消えそうな、しかし心地のよい聞きなれた声がした。

 悠介の気配を察したのか、つぐみの目がゆっくりと開く。彼女は何回か呼吸をして、目を細め

ていつものように微笑んだ。

「ごめん、ドジっちゃった」

 それは本当に、悠介がいつも見ていたつぐみの笑顔だった。心から楽しそうで、見ているこち

らも幸せな感じになれるつぐみの笑顔。

「ごめんね……私が失敗しちゃって、悠介くんにまで、迷惑かけて」

「何言ってんだよ……謝らなくちゃいけないのは俺の方じゃないか」

 傷ついた左腕を無理矢理動かし、つぐみの手をぎゅっと握り締める。その手は柔らかく、暖か

く、つぐみの温もりが伝わってきた。

 

「ううん、いいの。謝らなきゃいけないのは、私のほうだから」

 つぐみはもう一度息を吸い、ゆっくりと吐き出した。彼女の瞳は悠介だけを捉えている。

 それはまるで、この瞬間を――悠介の顔を永遠に焼き付けようとしているかのように。

「最後まで一緒にいられなくて……ごめんね」

「おい……何縁起でもないこと言ってるんだよ」

 それが決定打となり、悠介の目から涙が零れ落ちた。堰を切ったように流れ出す悠介の涙

はつぐみの頬に落ち、彼女の血と混じり合った。

 

「ずっと、ずっと悠介くんと一緒にいたかった。修学旅行で思い出を作って、みんなで最後の文

化祭をやって……受験をして、高校にいって……もっと一緒に、生きていきたかった」

 つぐみの目の端には涙が浮かんでいる。しかし彼女は泣こうとしなかった。悠介を心配させ

ないように笑みを浮かべ、繋いだ手に力を入れる。

 つぐみは反対の手を伸ばし、そっと悠介の頬に添える。その手は少し冷たくて、つぐみは悠

介の温かさに触れて安心感を覚えた。

 

 自分の命があとわずかしかないのならば、その全てを悠介のために捧げたかった。最後ま

でこの人の隣にいたい。命が尽きるその瞬間まで彼と話をしていたい。彼の顔を見ていたい。

 

 つぐみはただ、それだけを想っていた。

 悠介のことだけを、強く想っていた。

 

「最初の頃は、悠介くん全然笑ってくれなかったけど……、最近になって、私の話にも笑ってく

れるようになったよね。私、それが凄い嬉しくて……悠介くんの笑っている顔、もっと見ていた

いなって思うようになって……」

 黙って聞いている悠介は胸を締め付けられるような思いだった。

 悠介がつぐみの笑顔に魅せられていたのと同じように、彼女もまた悠介の笑顔を見ることに

喜びを感じていたのだ。信じることを恐れ、他人の前で笑った顔を見せない悠介が自分の前で

は笑ってくれる。

 ただそれだけのことが、つぐみにとってはとても嬉しいことだった。

 

「悠介くんは、もっと笑って生きていても、いいと思うよ。笑って、楽しんで、いろいろなことを経

験して……」

 最後に小さな溜息のようなものを吐き、つぐみの身体から一気に力が失われていった。

「悠介くんと会うことができてよかった。ありがとう」

 小さな声で、しかしはっきりと想いを伝え、つぐみは今まで以上に幸せそうな笑顔を見せた。

 

「……つぐみ」

 悠介は優しく彼女の名前を呼んだ。しかし返事はなかった。

「なあ、つぐみ」

 再び呼んだが、やはり返事はなかった。

 海の彼方に消えていく夕陽の光に照らされたつぐみの顔はとても綺麗で、まるでこの世のも

のとは思えないほど儚く幻想的だった。

 閉じられた瞼と結ばれた唇は、もう二度と開かれることはない。

 

「やめろよ……」

 何かが、壊れる音がした。

「また俺、一人になっちまうじゃねえかよ……」

 最も大切な部分が、全てバラバラに壊れてしまったような。

「つぐみ……」

 

 悠介は気付いた。

 自分は、もう一つの『自分の命』を失ってしまったのだと。

 終わりが見える。

 世界の終わりが、自分の立つ世界が崩れていくのが。

 

 どこからか、足音が聞こえてきた。

 マシンガンを持った黒崎刹那が、そこに存在していた。

 何か言うわけでもなく、何かをするわけでもなく、観察するように黙ってこちらを見ている。

 悠介はつぐみの遺体をそっと地面に横たえ、涙を拭ってから刹那に向き直った。

 

雪姫つぐみ(女子17番)死亡

【残り3人】

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