フィニッシュ:90





 一日の役目を終えようとしている太陽の光を受け、幻想的な煌きを放つ海を前にしながら

雪姫つぐみ(女子17番)は夕暮れの色を濃くしていく空を見ていた。

 砂浜と平行して通っている舗装された道路には、車どころか人のいた痕跡すら感じられな

かった。砂浜を挟んで左側は海岸、右側は森林と対照的な環境になっている。目の前には

美しい砂浜の様子が広がっているが、ちょっと西に進めば漁船が停泊している港へとその

姿を変化させることだろう。

 

 夕暮れの空を見ると、つぐみはたびたび言葉では表現できない特別な感情を胸に抱くよう

になる。

 この空の下で――今にも飛べそうな夕焼け空の下で、つぐみは彼と出会った。まるで少女

漫画のようなシチュエーション。運命なんていう言葉は信じていないけど、あの時ばかりは例

外だ。

 

 ここは今の自分が生まれた場所。夕焼け空は雪姫つぐみの原点だった。

 

 それは自分の前にいる少年、浅川悠介(男子1番)にとっても同じことだった。悠介もまた、

夕焼け空を見るたびに特別な想いを抱いている。悠介にとってみれば、あの時の出会いは

つぐみ以上に重要で特別なことなのだろう。両親から見放され、誰からも必要とされていな

かった悠介が変わり始めたきっかけがつぐみとの出会いだった。

 悠介もつぐみと同じことを考えているのか、彼も時折空を見上げては複雑そうな表情を浮

かべている。

 

 二人は今、H−3エリアに通っている道路に建っていた小屋の横で腰を下ろしていた。悠

介は小屋の壁に背を預け、つぐみがその前に座る形になっている。二人とも特に何かを話

そうとはせず、沈黙が降りてからすでに十分が経過しようとしていた。

 悠介もつぐみも、薄々感づき始めているのだ。自分たちに残された時間がそんなに長くは

ないということを。

 

 プログラムが始まってから既に一日が――いや、あと少しすれば三十時間が経過したこと

になる。正午の時点で生存者は十人。あれから何度も銃声が聞こえてきた。二時過ぎには

ここから少し北で、三時過ぎには病院がある方向から続いた銃声が聞こえてきた。ここから

歩いて一時間もかからない距離だ。何があったのか様子を見に行こうとも考えたが、悠介の

状態を考慮してそうすることを止めた。彼は浅くない傷を負っているし、ただでさえ体力を消

費している。不必要な戦闘はできるだけ避けたかった。

 

 あれほどの銃声が聞こえてきたということは、まだ名前を呼ばれていない自分たち以外の

生存者が死んでいてもおかしくはない。一人か、二人か――もしかしたら、もう自分たち以外

には誰も残っていないのではないか。そんな不安さえ感じてしまう。

 

 もし、本当にそうなっていたら。

 自分たちは、殺し合わなければいけないのだろうか。

 

 彼を殺すか。

 彼に殺されるか。

 

 どっちも選べないわよ……。

 それが、つぐみの正直な気持ちだった。

 悠介を殺したくはないが、かといって自分も死にたくはない。どちらを選んでも別れが訪れ

る。だからどちらも選びたくない。

 

 いっそのこと二人で自ら命を絶とうか。――いや、それこそ馬鹿げている。だったら自分が

犠牲になって悠介に生きていってもらったほうがよっぽどマシだ。

 悠介も自分を犠牲にしようと考えているのだろうか。彼の性格から考えれば、それが一番

ありそうだった。悠介は自分を必要としてくれる存在に対して、自分そのものを捧げすぎてい

る。大切なものが傷つくくらいなら自分が傷つく。自らをときには盾、ときには矛に変えて戦

局を突破しようとする。彼はそれで満足なんだろうが、つぐみからしてみればたまったもので

はなかった。

 

 自分は無傷のまま、目の前で愛しい人が傷ついてく。

 プログラムの中で、つぐみはその現実をずっと見てきた。

 だから確信できる。悠介は自分の命と引き換えに、つぐみを生かそうとしていると。

 どちらを選んだところで――どう動いたところで、その先に待ち受けているのは永久の別れ

だ。違うのはそこに行き着くまでの過程だけだ。

 

 いっそこのまま、時が止まってしまえばいいのにと思う。

 時が止まった世界で、ずっと二人で過ごすことができたのなら。

 きっとそれは、夢のような――

 

「なあ、つぐみ」

 沈黙を破り、悠介がつぐみに話しかけてきた。

「なに?」

「あ、いや……別に大したことじゃないんだけど、礼を言っておこうかなって思って」

 礼と聞き、つぐみの中に思い当たる節はない。自分は何か、悠介に特別なことをしてやっ

ただろうか。

 

「俺ってこんな奴だから昔から友達いなくてさ……いや、いなくても別にいいって思ってた。

うちの親父たち絡みでいろいろあったから、他人のことが信じられなくて……いつか裏切ら

れるんじゃないかって、怖くて誰かを信じることができなかった」

 悠介とは付き合いが長いが、彼の口から家庭の話が出るのは一度か二度しかなかった。

そのとき悠介はきまって不愉快そうな顔になり、「やっぱいいや。あんな奴らのことなんか」と

無理矢理話を終わらせてしまう。悠介と彼の両親の間には、つぐみには計り知れない特別

な事情があるのだろう。彼の気持ちも考え、つぐみは悠介の話を聞くことに専念する。

 

「だからなんだろうな。お前が他の奴らと同じように俺に接してくれるようになって……俺、凄

く嬉しかったんだ。付き合っていくうちにこいつは――お前は他の奴らとは違うって思うように

なって、いつの間にかお前といるのが当たり前になってさ」

 悠介の声から、表情から、彼の気持ちがつぐみに伝わってくる。悠介はつぐみに感謝の言

葉を送ろうとしていた。今まで胸の奥に秘めて口にできなかった言葉を、一つずつ心を込め

て。

 

 もしかしたら、普通に会話ができるのはこれが最後になるかもしれないから。

「初めて誰かを好きになれて……ずっと一緒にいれたら、って思う奴もできた。だからお前に

は、ほんと凄く感謝してる。――ありがとう」

 正面から、微笑みながらそう言う悠介を見て――つぐみはたまらない気持ちになり、次の

瞬間には彼に抱きついていた。

 

「あのひねくれモノの悠介くんがここまで素直になるなんてねぇ。結構意外かも」

「お前みたいに馬鹿正直なのよりも、俺みたいなので丁度いいんだよ」

「あっそう、そりゃ失礼しました」

 抱きしめた悠介の身体から、血と汗と硝煙の臭いがする。

 彼の身体は決して大柄な方ではない。腕は割りと細めだし、体力もある方ではないだろう。

 それなのに悠介は、自分に会うためにこの島を走り回り、自分を守るためにクラスメイトを

殺害し、合流してからは自分を守ろうと必死に戦ってきた。

 

 つぐみは改めて思う。今私が生き残っているのは、ここにいる彼のおかげなんだなと。

 つぐみは自然な流れで悠介の頬に口付けをすると、彼の耳元で「でもね」と囁くように話し

かける。

「お礼を言いたいのは私も同じよ。悠介くんがいたから、私はここまで来ることができた。悠

介くんのおかげで楽しい想い出がたくさんできた。本当にありがとう」

 あの時、学校の屋上に行っていなければ今の自分はここにいなかった。

 悠介と出会い、語り、触れ合うこともできなかった。

 だからつぐみは幸せに思っている。あの日悠介と出会えたことを、今ここでこうしていられ

ることを。

 

 何かが始まったとき、終わりも同時に発生している。

 重要なのは、その終わりがいつ来るのか。

 

 遠くの方から、くぐもった発射音が聞こえた。

 それがなんなのかを理解する少し前、悠介は偶然目にしていた。

 自分たちが座っている小屋の奥、その向こう側にある林の中に佇んでいる人間を。

 その人物は、黒い金属質の物体を手にしていた。

 

「つぐみ、走るぞ!」

 目の前にいる少女の手を取ってその場から駆け出した瞬間、黒崎刹那(女子7番)が手に

するグレネードランチャーから毒ガス弾が発射された。

 つぐみは悠介に手を引かれながら、海岸のすぐ脇を通っている道路の上を全速力で走っ

ていた。

 

「ちょ、ちょっと悠介くん! いったい何があったの!?」

 つぐみにとっては何がなんだか分からない状況である。悠介は彼女の手を引きながら振り

返り、つい先程まで自分たちがいた場所を指差す。

「黒崎だ。あいつが俺たちのすぐ後ろにいたんだ」

「えっ、黒崎さんが?」

「ああ。あいつ、グレネードランチャーみたいなものを持っていやがった。あのままあそこに

いたら俺たちは今頃死んでいたかもしれない」

 悠介は繋いでいたつぐみの手を離し、ベルトにさしていたベレッタを取り出す。

 

「とにかく、あそこで戦っていたらこっちが不利だ。このまま進めばすぐに港に着く。そこなら

車とか陸に上がった船とか、遮蔽物になるものがたくさんある。そこで戦おう」

 悠介の言葉が終わった瞬間、二人の後を追うように連続した銃声が響き渡った。

「くそっ、マシンガンまで持っていやがるのかよ!」

 ベレッタの握られた腕を後ろに向け、悠介は走りながら後を追ってくる刹那を狙い撃った。

しかし彼女は道路脇の林の中を進んでいるようで、ベレッタの銃弾は無数に立ち並ぶ樹木

に遮られ刹那にまで届かない。それに加え、走りながらの銃撃では狙いがおぼつかなくなっ

てしまう。かと言って立ち止まって撃っていてはあっという間にマシンガンの餌食になってしま

う。

 

「今は逃げることに専念しましょう。ここじゃあ何をやったってマシンガンを持っている黒崎さ

んのほうが有利だわ。下手に威嚇射撃をしていたらスピードが落ちるだろうし」

「ああ、分かった」

 デイパックの中に入っているS&W M686を確認し、つぐみは走りながら後ろの様子を窺

う。見渡せる範囲に人の姿はないが、マシンガンの銃声と共に林の中から銃口のマズルフラ

ッシュを確認することができた。

 

 銃弾がアスファルトに着弾し、二人のすぐ後ろでたくさんの火花が散った。自分たちと刹那

の距離は決して近いものではない。それなのに正確な射撃をしてくる刹那に、つぐみは少な

からず恐怖を感じていた。

 

【残り4人】

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