終盤戦:88





 扉が閉められ、その向こうにある森一郎の顔が完全に見えなくなった。千里はドアノブを掴

んで何度か回してみたが、扉の前に何か重い物でも置いてあるらしくほんのわずかな隙間し

かできない。逡巡した結果、千里はその扉を開けることを諦めた。

 

「なんで……っ!」

 千里は苛立たしげに呟いた。逃げることを優先していたはずなのに、最良の結果を出すた

ためならそれ以外のものは全て割り切る考え方をする人物だったはずなのに。

 ダン、と壁を叩いた。視界がぐにゃりと揺れ、自分が涙を流していることに気づく。

 正直な意見を言えば、彼のことはあまり好きではなかった。感情論を一切排除して結果を

出そうとするそのやり方は確かに効率がよく、このプログラムの中では確実なやり方なのか

もしれない。それは千里も理解していたし、否定する気もなかった。

 

 ただ、困っている人を見捨てるのだけは賛成できなかった。雪姫つぐみ(女子17番)によ

る呼びかけが行われたとき千里は何も言わなかったが、本当は様子を見に行ったほうがい

いのではないか、と思っていた。ただそれを口に出そうとはせず、ただ黙って一郎と木村綾

香の言い争いを見つめていた。

 

 自分には自分の考え方があるように、人には人の考え方がある。だから一郎の考え方に

対し反論しようなどとは思わなかった。彼の言っていることは間違ってはいないし、これは自

分が口を出すようなことではないのではないか、と。

 

 診察室から出る直前、窓の向こうに佇んでいるスカート姿の人物が一瞬だけ確認できた。

そしてその人物が、何か黒っぽいものを手に持っていることも。

 一郎はその人物の存在に気づき、我が身を呈して自分を逃がしてくれたのだ。早く逃げれ

ばいいのに、自分を逃がすことを優先してくれた。

 

 彼と生きて会えることはもう二度とないだろう。彼か自分か、もしくは両方ともが近いうちに

死んでしまうだろうから。

 涙を拭い、診察室から出た千里はそのまま一直線に廊下を左に走り出した。二階へ続く階

段がある場所はすぐ近くだ。このまま行けばすぐに――。

 千里のその思考は、階段の脇から現れた男子生徒によって中断させられた。

 

「ふ、はは、はははははははっ!」

 中村和樹(男子11番)は理性が失われた形相で大きく笑い、右手に握ったショットガン、ウ

ィンチェスターM1897を構えるとそれを間髪いれずに撃ってきた。

 狭い通路にウィンチェスターから吐き出された散弾が撒き散らされる。千里は咄嗟に廊下

に身を伏せたが、広く散らばった散弾全てを避けきれるはずがなく、細かい弾のいくつかが

千里の柔らかな肉に食い込んだ。

 

 最初は熱さがやってきて、次に痛みがやってきた。傷の深さ的にはそれほど大したことは

ないが、その分痛さが持続して非常に辛い思いを強いられる。それでも命を落としていない

だけマシだが、どっちにしてもこのままではなぶり殺しにされるだけだ。

 倒れそうになる身体を無理矢理引き起こし、千里は来た道をそのまま引き返した。この建

物は中央に階段が設置してあるため、病院内はほとんど一本道になっている。和樹から逃げ

るためには後退するしかなかった。

 

 診察室を通り過ぎ、その隣の部屋の扉が見えたところで再び銃声が轟いた。ドアノブを捻

って部屋の中に入った途端、廊下に散弾の雨あられが降り注いだ。

「逃げたって無駄だぁ! お前ら全員、俺の手でぶっ殺してやる!」

 左肩と脇腹を血で染めながら、彼はただひたすらショットガンの引き金を引き続ける。片手

で撃つこと自体が無茶だというのに、彼は攻撃を止めようとしない。銃撃の反動で和樹の体

は大きく揺らぎ、その度に彼の右腕に想像を絶する衝撃が走る。このままでは近いうちに、

いや――ひょっとしたら和樹の右腕はもう折れているのかもしれない。折れていなくてもヒビ

が入っているか、肩の骨が外れてもおかしくない状態だった。

 

 千里は修学旅行の班行動をするときの、班のメンバーを決めるときの光景を思いだした。

 三組の生徒は個性的なメンバーが数多く揃っており、こういった何か一つを決定する場面

になるとなかなか話がまとまらず場の収拾がつかなくなる。二年生の前半はそういう風な光

景が多く見られたが、後半に差し掛かると和樹やつぐみといったクラスの中心人物が上手く

場を収めていた。それは班のメンバーを決めるときも例外ではなく、あの時も二人が先頭に

立ち動き回っていたことを覚えている。

 

 そんな和樹が誰かを殺そうとするだなんて。信じられないような状況だったが、それも今の

彼を見れば納得がいく。

 和樹は壊れてしまっているのだ。もう修復不可能なほど、どうしようもないくらいに。

 説得ができれば助かるかも……という千里の考えは、波にさらわれる砂の城のように脆く

崩れ落ちた。どの道ここまできたら説得もへったくれもないのだが。

 

「今度はお前らの番だ! お前らも殺される側の痛みを味わえ!」

 射撃の音がどんどん近付いてくる。どうやら歩きながらショットガンを撃っているらしい。

 千里にしてみれば絶望的な状況だった。たまたま入ったこの部屋に逃げ場所などどこにも

ない。かと言って部屋から出ればショットガンの弾幕が待ち受けている。拳銃などの単発なら

ばまだ分からないが、ショットガンの一撃を食らえばそれが致命傷になりかねない。

 

 背中に受けた痛みがじわじわと千里の身体を蝕んでいった。額には汗が浮き、歯を食い

しばって痛みに耐えている。持久戦をやっても分が悪いのはこちらだ。

 考えても考えても良い案が思い浮かばない。何をやっても失敗しそうな気がする。誰かを

助けるなんて偉そうなことを言っておいてなんて様だ。千里は自分の無力さを痛感し、悔しさ

で心が押し潰されそうになった。

 

 大きな音を立て、散弾でぼろぼろになった扉が強引に開かれる。ついに和樹が千里のいる

部屋の前までやってきた。片手でショットガンを構える和樹は半笑いを浮かべている。額に

汗を滲ませ、左肩と脇腹から血を流しながら。

 

「ははっ、ははははははは! いい気味だ。もっと苦しめ! みんな俺がぶっ壊してやる!」

 和樹はショットガンのフォアグリップを握り、一度だけ大きく縦に振った。カシャン、という音

と共に薬莢が排出される。彼はフォアグリップを固定して”銃自体”をスライドさせることによ

り、片手でのポンプアクションを可能にしていたのだ。

 銃口が持ち上げられ、照準が千里にロックオンされる。片手撃ちとはいえ、この距離で撃て

ば間違いなく命中するだろう。

 

 背筋に氷柱を突き立てられたような感覚。戦慄と恐怖が入り混じり、迫り来る死の瞬間を前

にして千里は何もしようとしなかった。

 

 動かないのではない。

 動けない。

 逃げられない。

 怖いのに、全身が震えているのに、身体が言うことを聞いてくれない。

 こんなことをしていてはいけないのに。清水さんを助けて、ここから逃げ出さないといけな

いのに。

 

 なのに、なのに何で――。

 動け、動け、動け――!

 

 和樹の口がニヤッ、と笑みの形を作り、

 ショットガンに掛けられた引き金が引かれ、

 大きな銃声が、響いた。

 

 

 

 そこから先は、まるでスローモーションで見る映像のようだった。

 全てが緩慢で、まるでテレビを見ているようだった。一秒が経つのがとてつもなく長く、この

世が今どうなっているのかすら分からなかった。

 

 そんな世界で起こる光景を、千里は見ていた。

 引き金が引かれる直前、廊下から誰かが飛び出してきた。

 小柄な身体のその人物は、自分がよく知っている顔だった。

 

 ――清水翔子。

 

 彼女は自らショットガンの銃口の前に飛び出た。撃ち出される散弾を全て受け止めようとし

ているのか、両手を大きく広げている。

 翔子は千里の方を振り返り、とても優しい笑みを浮かべた。

 

 そして、次の瞬間。

 

 大きな紅い花が、翔子を中心に咲き乱れた。

 

 身体の中心が勢い良く弾け、彼女の身体を流れていたもの、彼女の身体に詰まっていたも

のが盛大にぶち撒けられた。

 翔子はゆっくりと、床に引き寄せられているかのように――舞台上の役者のような芝居が

かった動きで背中から倒れる。

 千里が全てを理解したのは、部屋の中にある空気よりも血の臭いのほうが濃くなったとき

だった。

 

「あ……ああ……」

 全てが緩慢な世界から現実に引き戻される。

 何だ。何だこれは。

 何が起きたんだ。何が、何が、何が――。

 

「ふふっ、ふふふふ、あっははははははははは!」

 和樹は天井を仰ぎ禍々しい笑い声を上げ、足元に横たわる翔子の死体を何度も踏みつけ

ては靴のそこですり潰す。

 

「あ――――」

 震えた。手が、脚が、全身が、心が。

 死んだ。

 翔子が死んだ。殺された。

 結果だけ見れば彼女が望んだものになった。生きることを諦め、やがて訪れる死を受け入

れることを選んだ翔子の望みどおりに。

 

 だが千里は助けたかった。どんな理由があろうとも、死は何も解決してはくれない。死は中

断するだけだ。根元を残し、先だけを取り除く。その場だけ見れば解決したように見えても、

根底の部分では何も変わっていない。

 死んだらダメだ。生きなければ。生きなければ変わるものも変われない。千里は翔子にそ

う伝えたかった。彼女を閉じ込めている絶望というの名の殻を壊してやりたかった。

 

 翔子は笑っていた。撃たれる直前、確かに彼女は笑っていた。

 満足、だったのだろうか。自分の命と引き換えに誰かを助けることができて。翔子のことだ

から、こんな自分でも誰かを救うことができたんだとでも思っていたのだろうか。

 

 そんなことは、誰も望んでいないというのに。

 そんなことで、誰も喜びはしないというのに。

 

 最後に見た翔子の顔が蘇り、千里は自分の中で殺意が膨れ上がるのを感じた。いや、そ

れはもう膨れ上がるなどというものではない。

 完全に、爆発していた。

 

「あああああああああああああああああっ!!」

 デイパックの中から自身の支給武器であるアルコールランプを取り出し、蓋を外したそれを

和樹目がけて力いっぱい投げつける。

 軽い衝撃と共に和樹はアルコールで包まれる。自分の身に降り注いだ妙な液体に動揺し

たらしく、和樹は銃を撃とうとはしなかった。

 千里は彼の眼前まで迫り、一郎から受け取ったライターの火を灯し――その火目がけて、

ヘアスプレーを吹きかけた。

 

 円形の筒から噴き出したヘアスプレーは火の力を得て火炎の息吹となり、アルコールまみ

れになっている和樹の身体を容赦なく呑み込んだ。

 

「――――――――!!」

 赤い炎が和樹を包む。火の爆ぜる音が声にならない和樹の悲鳴と調和し、病院の一室に

響き渡った。和樹は長くを共にしたウィンチェスターを手放し、炎を振り払おうと床を転げ回

っていた。そんな必死の抵抗も空しく、上半身を中心に燃え盛っている炎は一向に衰える気

配を見せない。

「あ、あああ、あああああああああああああああああああっ!!」

 炎の勢いは決して弱くはないものの、和樹の戦闘力を全て奪うまでには至らなかった。彼

は火だるまになりながら両手をぶんぶんと振り回し、千里に視線を合わせて呪詛の言葉を

紡ぎ出す。

 

「てめえ、てめええええああああああ! 熱い! 熱い熱い熱いいいいいいいいい! よくも、

よくもやりがっ……うがあああああああっ! ちくしょう消えろこのクソがぁっ! 熱い、熱い!

ちくしょう全然消えねぇよ! ああああ……ひひっ、あはははははっ! どうしてくれんだよ、

なあおい、これどうしてくれんだよぉおおおおおおおおおおお!!」

 千里は自分の足元に落ちていたウィンチェスターを拾い上げた。

 銃口を合わせ、人差し指を引き金にか掛ける。この指にほんの少しの力を込めれば全ては

終わる。翔子を殺した和樹を倒すことができる。

 

 それなのに、千里はどうしても銃を撃つことができなかった。軽いめまいに襲われ、腕が震

えてしまう。先程までは殺すつもりだったのに。彼を炎で包んだのは自分なのに。なのに何

で、引き金を引くことができないのか。

 翔子を殺されたことによる悲しみと怒りはまだ収まっていない。だが、自分の意思で人を殺

すことが千里にはどうしてもできなかった。

 炎と絶叫を迸らせ、和樹が千里目がけて突進してくる。捕まったら命はない。今度こそ彼を

撃たなければ。

「くっ……!」

 悲痛な決意を胸に、千里は引き金に掛けられた指を――。

 

 パパパパパッ。

 

 全身を駆け抜ける衝撃、体の中に生じる灼熱感。それを感じ取った瞬間、千里はショットガ

ンのものとは違う連続した火薬音を聞いた。

 自分に迫っていた和樹の体が小刻みに揺れたかと思うと、口から血を吐きそのまま床に崩

れ落ちた。そしてそれきり動かない。もしかしたら、死んでしまったのだろうか。

 

 その向こう側、少し前に和樹が立っていた廊下と同じ場所にガスマスクを付けた人物が立

っていた。自分と同じ舞原中学、女子の学生服を身につけていた。

 彼女が構えている黒い鉄の塊――H&K MP7の銃口から、ゆらゆらと白い煙が立ち昇っ

ていた。先程感じた痛みと灼熱感は、あそこから撃ち出された銃弾が和樹の身体を貫通し、

自分の身体へ届いたものなんだと千里は思った。

 

 ガスマスクの人物は炎を纏っている和樹の遺体をちらりと一瞥し、MP7に装填されてるマ

ガジンを新しいものに換えるとゆっくりと銃口を下げた。

「あなた……誰?」

 それは純粋な疑問だった。今生き残っている女子生徒は自分を除いて四名。朝倉真琴と、

黒崎刹那(女子7番)と、高梨亜紀子と、それに雪姫つぐみ。この中で真琴の可能性はまず

ないから、可能性として残されているのは真琴を除く三名ということになる。

 前にいる人物はその問いに答えようとせず、デイパックからオートマチック拳銃を取り出し

て千里の額に照準を合わせた。

 

 千里は何とかしてここから逃げ出せないだろうかと考えたが、自分がショットガンを構えて

撃つよりも早くマシンガンの銃弾が飛び出しているだろう。

 助かる方法を探せば探すほど、暗闇に差し込むわずかな光は潰えていく。

「森くんは……?」

 ガスマスクを付けたこの人物の姿は少し前に確認している。森一郎が自分を逃がす直前、

窓の外に何かを構えて立っていた。その人物がここにいるということは――。

 

「殺した」

 予想通りの答えが返ってきた。

 分かったことがもう一つある。それはこの人物の正体。決して大きくはないが耳に届く、静か

で透き通った声。

「あなた、黒崎さんね」

 

 ガスマスクの人物――黒崎刹那は応えない。銃口を向け、ただじっと千里を見つめている。

 修太郎、優、綾香、翔子、それに一郎。

 仲間は次々といなくなり、自分だけが残ってしまった。何もできなかった自分が、仲間内で

一番長く生き残ってしまうなんて。

 真琴の安否だけがはっきりとしないが……もし彼女がまだ生きているのだとしたら、自分た

ちの死を知ってどう思うだろうか。悲しんでくれるだろうか。そればかりは考えても分からない

けれど。

 

 唐突に、一郎と翔子――千里が見た二人の最後の姿が頭に浮かんだ。

 一郎は翔子を助けたいと言っていた自分を優先して逃がしてくれた。

 翔子は自分を死なせまいと、自ら盾となってその命を散らせた。

 二人とも最後まで何かをやろうとしていた。それなのに自分は、何もしないで黙って殺され

ようとしている。

 千里の心に再び意志の光が宿った。瞳に輝きが戻り、ショットガンを握る手に力が入る。

 

 ――誰も助けられなかったのなら、私がみんなの分まで生きてみせる!

 マシンガンの銃撃を受けている身体に鞭を打ち、千里はショットガンの銃口を刹那へと向け

る。

 

 パァンという、乾いた銃声。額に大きな鉄の塊がぶつかったような衝撃。

 それが、牧村千里の最後の知覚となった。

 千里は仰向けに床に倒れ、二度と動くことはなかった。頭を中心に赤い血溜まりが広がっ

ていき、部屋の中の血の濃度がより一層濃くなった。

 

 硝煙と血の臭いと人の肉が焼ける臭いが混じり合い、三つの死体が横たわる病院の一室

はまさに地獄絵図と化していた。

 普通なら目を背けたくなる惨状。その中心にいるというのに、ガスマスクの下にある刹那の

表情に変化は見られない。刹那はショットガンと予備の散弾を回収し、足早に病院から立ち

去っていった。

 

中村和樹(男子11番)

清水翔子(女子9番)

牧村千里(女子14番)死亡

【残り4人】

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