終盤戦:86





 柔らかな光が差し込む病室の中には二つのベッドが置かれていた。どこの病院にもあるよう

な簡素なベッドだ。牧村千里(女子14番)森一郎(男子17番)は並んで部屋へ入り、手前の

ベッドの上で上半身を起こしている清水翔子(女子9番)に声をかけた。この病室は本来二人

用だが、常にベッドを使わなくてはいけないような人間は翔子しかいないので奥のベッドは空

のままだ。もしかしたらこの島の誰かが入院していてあそこで寝ていたのかもしれないけど。

 

「具合はどう?」

「だいぶよくなったみたい。もう起きていても大丈夫」

「そう、それはよかったわ。清水さんのバッグの中にはもう薬がなかったから、このまま具合が

よくならなかったらどうしようかと思っていたの」

 身体が弱いといっても、翔子はそんなにしょっちゅう喘息の発作が出るというわけではない。

良いときは全然症状が出ないときもあるし、悪いときはほとんど毎日出ることもあるそうだ。

今回はたまたま、その悪いときにあたってしまったのだろう。

 

 千里は腕時計で時間を確認した。午後三時五分を少し過ぎている。

「清水さん、大事な話があるんだけど……してもいいかしら」

「……禁止エリアのこと?」

 先に言われてしまった。当然というべきなのだろうか、翔子も気がついていたようだった。

 千里たちが潜伏しているこの病院、それを含むG−2エリア全体が午後五時から禁止エリア

に指定されていた。五時までにはここから動かなくてはいけないということになる。千里と一郎

はそれを翔子に伝えるため、こうして彼女の病室を訪れていた。

 

「前に来たときは禁止エリアのことは言わなかったと思うけど……もしかして放送を聞いていた

の?」

「うん。お昼前には起きていたから。だから木村さんたちが死んだことも……知っていたわ」

 おぼろげに霞む翔子の目。悲しみというより、どこか投げやりな雰囲気を湛えている。

 口を開こうとして――千里は部屋の中に漂う煙草の香りに気がついた。

 

 振り向くと、一郎が壁に背を預けながら煙草を吸っている。それを見た千里は不愉快そうに

眉をひそめ、一郎が咥えているその煙草を掴み、奪い取った。

「清水さんの前で煙草を吸わないで」

 千里にしては珍しく、怒っているような口調だった。

「ああ……悪い。気がつかなかった」

 本当に悪いと思っているのか、いささかやる気の無い憮然とした返事をする。

「それ、返してくれないか? もう残り少ないんだ。ないと困る」

「煙草を吸うんだったら外でしてきて。森くん、少し周りへの配慮が足りないわ」

 差し出された煙草を黙って掴み取り、それを再び口に咥える。「配慮のなさは自覚してるさ」

と幾分自嘲的な言葉を残し、一郎は一人部屋から出て行った。

 

 煙草の香りが消えきっていない病室に沈黙が流れる。窓から注ぐ日の光はややオレンジ色

を帯びてきていた。それなのに、その日を受けている翔子には健康的な気配が感じられない。

「私も……牧村さんに話したいことがあるの」

 今気がついたが、翔子の顔はまるで仮面のように表情がなかった。唯一表情があるとすれ

ば、それは『諦め』だろうか。全てを投げ出し、立ち止まることを選んだ人間の顔。彼女の顔は

まさにそんな感じだった。

「私――」

 だから、次に出てきた言葉を聞いても千里はそれほど動揺しなかった。

 

「私、ここに残るわ」

 

 翔子は、簡単にそれだけを口にした。

 その言葉が何を意味するのか。それが翔子にどんな結末をもたらすことになるのか。それに

気づかぬ千里ではない。だがこの場でどんな台詞を言ったらいいのか、千里にはそれが分か

らなかった。

 そんなことは止めろ、と言えばいいのか。考え直せ、と言えばいいのか。

 どんな言葉をかけても、恐らく彼女は耳を貸そうとはしないだろう。何の根拠も無いがそれだ

けは分かる。翔子は自分の言葉などでは意思を曲げようとしないのだと。

 

「ここに残ったら二時間後には死ぬわよ」

「うん、分かってる」

「……何でそんなことをしようと思ったの? よかったら聞かせてくれないかしら」

 千里は翔子の感情を煽らないように、なるべく平静に質問した。

「私なんか……生きていても仕方がないから」

 

 生きていても仕方がない。

 それは生を諦めるということ。死を受け入れるということ。

 

 プログラムという状況下で『生きていても仕方がない』なんて台詞を口にするというのはよほ

どのことだ。千里を含め、今生き残っている全ての生徒は死を拒絶している。生を渇望してい

る。それなのに、なぜ彼女は自分の生存価値が無いようなことを言うのか。

「もう嫌なのよ。私を守るために誰かが死んでいくのを見るのはもう嫌なの」

 暗く、沈んだ声。底無し沼のように深いのに、その声はなぜか千里の胸に大きく響く。

「私はみんなの犠牲の上に成り立って生きていくほど価値のある人間なんかじゃない。プログ

ラムで生き残っても、私はきっとその重みに耐えられないわ」

 

 かつて彼女が潜伏していた公民館にいたメンバーが、田中夏海の突然の襲撃により翔子を

除き全滅したことを千里は思い出した。詳しいことは分からないが、公民館にいたメンバーは

翔子だけでも助けようとして命がけで彼女を逃がしたのだろう。死んだ仲間の分まで生きる。

そのことが彼女にとってかえって重荷となってしまったようだ。

 

 もちろん要因はそれだけではないだろう。誰が敵なのか分からず、いつ襲われるのかと怯え

ていなければいけない、いつまで続くのか分からないデスゲーム。翔子でなくても、常人ならば

限界がきてもおかしくはないだろう。そうでなくても、翔子には精神的な負荷がかかりすぎてい

る。彼女はそれほど芯の強い人間ではない。ガラス細工のように脆く繊細な心は、ちょっとし

た衝撃で簡単に砕け散ってしまうはずだ。

 今の彼女は、心にヒビが入っている状態なのだろう。苦痛に耐え抜き少しでも長く生きるよ

り、自らそれを破壊して楽になりたい。

 

「もう疲れた……。私のことは放っておいて。どうせ私なんか優勝できないわよ。それに私が

死ねば牧村さんたちが生き残る確率が少しは上がるでしょ? この状況のままよりそっちの

方がいいかもしれないし」

 その考えは理解できる。できるのだが――。

 

「……本当に、それでいいの?」

 納得は、できなかった。

 

「荒月さんたちはあなたに生きて欲しいと思ったからあなたを逃がしたんじゃないの? あなた

がここで自殺することを選べば、荒月さんたちの遺志は全部無駄になってしまうのよ。それで

いいってあなたは思っているの?」

 翔子の肩がびくりと震える。誰からでも分かるほど動揺を浮かべ、怯えた表情で千里の方を

向いた。

 

「じゃあ、牧村さんが背負ってよ」

「えっ……」

「荒月さんたちの分も、私の分も、牧村さんや森くんが生きればいいじゃない。そうすれば荒月

さんたちの遺志も無駄にならないわ」

「それは――」

「もういいの。もういいのよ、私は……」

 千里は絶望している心の恐ろしさを身に染みて感じていた。自分も周りも関係なく傷つける、

望みを抱いていない淀んだ心。

 翔子は微笑んだ。それは柔らかなものだったが、同時にどこかが壊れている暗い微笑みだ

った。

「心配してくれてありがとう。私のことは、放っておいてくれていいから」

 

 

 

 病室を出た千里は、額に手を当てて深く息をついた。

「どうして……」

 先程の翔子の姿を思い出すと、涙が溢れてきそうだった。

 自分は彼女に何も言ってやれなかった。翔子を救うことができなかった。

 彼女は濃い死の空気を全身に纏っている。あれはダメだ。完全に死ぬ気だ。説得も何もか

も通じない、圧倒的な絶望の心。万が一翔子の考えを変えてやることができたとしても、この

状況までも変える力は自分には無い。

 

 結局、諦めるしかないのだろうか。彼女をここに置いて、自分だけ安全な場所に行って、助

けることができるかもしれない人を見殺しにして――。

 自分の無力さを痛感していたとき、千里は一階で大きな物音がしたのを聞いた。

 

 この病院は長方形の形をしており、建物のちょうど中央に階段が備え付けられている。その

ためどこに誰がいるのかは、辺りを見渡せばすぐに分かる。

 部屋を出て行った一郎の姿、気配ともに二階からは感じられない。となると一階に下りたの

だろうか。では、先程の音の原因は一郎にあるのだろうか。

 そう思った矢先、千里の耳に聞きなれた音――銃声が届いた。

 

「――――!」

 千里は表情を変え、駆け足で階段を下りて行く。銃を持っていた朝倉真琴、木村綾香の両

名がいない今、病院内にいる人間で銃を持っているものはいないはずだ。

 では、”病院外”の人間の仕業か?

 階段を下りて一階の床に足を踏み出した瞬間、玄関の方から走ってきた一郎とぶつかりそ

うになった。

 

「森くん、さっきの音は――」

「逃げろ!」

 言葉を言い切る暇も与えず、一郎は息を切らせながら大きな声でそう叫んだ。彼にしては非

常に珍しく、その顔にははっきりとした動揺、そして恐怖が浮かんでいる。

 突然逃げろといわれても千里には何のことだか分からない。再び質問をしようとするが、そ

れよりも先に一郎に腕を掴まれ、階段から少し置くに行った所にある診察室に連れ込まれた。

 診察室に入ると一郎は扉に鍵をかけ、近くにあった机や椅子などを扉の前に置きバリケー

ドを作る。

 

「ねえ、一体何が起こったの?」

「中村だ」

 肩で息をしながら、一郎は生存者の一人である中村和樹(男子11番)の名を口にする。

「中村がいきなり襲ってきやがった」

「えっ……あの中村くんが?」

 千里は訝しげに声を上げる。中村和樹といえばクラスの中でも中心人物で、他人のことを考

えて行動している兄貴肌の生徒だ。そんな彼が襲ってきたと言われても、千里はそう簡単に

受け入れることができなかった。

 

「俺が下に下りてきたら正面玄関を叩く音がして……行ってみたらそこに中村がいた。怪我を

しているみたいだったな。話を聞こうと思って近づいていったら、持っていたショットガンで突然

撃ってきやがったんだ。それで玄関のガラスが粉々になって、バリケードもほとんど効果がな

かった」

「そんな……」

「信じられないかもしれないが、事実だ。あと一分もすればあいつは中に入ってくる。それまで

にどうするか……」

 一郎が切迫した表情を浮かべている。彼の頭に浮かんでいる選択肢は『戦う』と『逃げる』の

二つだろう。そして一郎の性格を考えれば、彼は当然後者を選ぶ。戦闘用の武器がない自分

たちがショットガンを所持する相手に立ち向かったところで結果は目に見えているからだ。

 

 ただ、問題が二つほどある。

 一つは和樹から逃げ切れるのかという点。和樹の走力は自分たち二人よりも上のはずだ。

武器の射程距離の問題もあるし、逃げ出したところで追いつかれはしないだろうか。

 

 そしてもう一つ。これは千里と一郎二人の問題というより、千里にとって非常に重要な問題

だった。

 その問題とは――二階の病室にいる翔子を見捨てるのか否か。

 

【残り8人】

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