終盤戦:85





 暗闇が薄れ、意識が覚醒していく。眠りについていた全身の感覚が通常の機能を取り戻し

ながら、脳は現状把握を開始しようとしていた。

 

「…………」

 吉川秋紀(男子19番)はのっそりとした動きで身を起こし、重たい瞼を擦りながら辺りを見

回した。目に入るものは見慣れた机と椅子、清潔感を感じさせる白い壁、『五時間目は自習。

視聴覚室に行ってね。――つぐみ――』と書かれている黒板、その脇には連絡用のプリント

がいくつか貼られているスペースがある。

 秋紀は改めて自分が今どこにいるのかを確認する。右端から二番目の列、一番後ろの席

――つまり、いつもの教室、いつもの自分の席だ。窓が近くて日当たりも良く、一番後ろだか

ら本を読んだり居眠りをしたりと好き勝手ができてかなり気に入っている自分の席。

 

「あれ……? 俺、何やってたんだっけ」

 寝起きだからなのか、先程まで自分が何をやっていたのか思い出せない。五時間目は自習

と書かれているということは、今は昼休みなのだろうか。ということは自分は貴重な昼休みを

寝て過ごしていたということになる。今日はそんなに疲れていただろうか。昨日はパソコンも

早くに切り上げたし、ゲームもしていないし新発売の本も出ていないから夜更かしはしていな

いはずである。それなのに頭の中はまるで霧がかかっているかのように不鮮明だった。

 

 何か――そう、何か大事なことを忘れているような気がする。

 そうだ、確か自分は新幹線に乗っていて、玲子たちと本を読んでいて、それで――。

 

 銃声。硝煙。プログラム。死体。飛び散る血液。沙更島。銃声、銃声、銃声、死体。首輪を

作動できるリモコン。尾行。公民館に行って、刹那に見つかって、目の前で山田が殺された。

ひしゃげる腕。迸る悲鳴、哄笑。切り刻まれた浩介、ぐちゃぐちゃになった玲子。

 

 とても哀しそうな、刹那の顔。

 

「――――!!」

 ガタン。

 勢い良く席を立ち上がる音が、誰もいない教室に大きく響く。

 そうだ、全て思い出した。自分たちはプログラムに選ばれたんだ。修学旅行に行く新幹線、

気が付いたら見知らぬ教室の中にいた。

 じゃあなぜ自分はここにいる? いつも通っている舞原中学三年三組の教室に。プログラム

に選ばれたのならこんなところにいないはずだ。これは夢か何かなのだろうか。

 いや、それともプログラムに選ばれたということ自体が長い長い夢だったのだろうか。本当

は修学旅行に行く前日くらいで、春の陽気に誘われてうっかり居眠りをしてしまい、その結果

あんなタチの悪い夢を見てしまった。

 

 本当にタチが悪い。嫌な夢は今まで何回か見てきたけど、こんなにリアルな悪夢は初めて

だ。それも修学旅行が近いこの時期にプログラムの夢だなんて。

 額に浮かんだ嫌な汗を拭っていると、教室の扉が開きそこから見慣れた顔が秋紀の前に

現れた。

 

「あ、やっぱりまだここにいた」

「何やってるのよバカ秋紀! もうとっくに授業始まってるわよ!」

 高橋浩介(男子10番)と、その後ろで大声を出しているのは霧生玲子(女子6番)だった。

「浩介、玲子……」

「? なにぼけーっとしてるのよ」

「ひょっとして今まで寝ていた?」

「あ……ああ。なんかそうみてえだな」

 それを聞いた浩介は軽く肩をすくめ、玲子は見るからに呆れ返っているという様子でこちら

を見ていた。

 

 そんな二人の姿を見て、なぜか秋紀は泣きそうになった。二人がいつもと変わらない姿で、

いつものように自分と話をしているというだけなのにそれが凄く嬉しかった。玲子も浩介も生

きている。こんな単純なことがこんなにも嬉しいなんて。

「ねえ、あんた顔が真っ青よ。何かあったの?」

「ちょっとな。かなり嫌な夢を見ちまってさ」

「ふーん……どんな夢?」

「俺らがプログラムに選ばれるって夢。んでもってお前らが死んでんだよ。何か知らねえけど

やたらとリアルでさ、思い出しただけで吐きそうだし」

 秋紀は笑い混じりで言ったつもりなのだが、なぜか玲子と浩介は剣呑な面持ちになりその

まま黙り込んでしまう。

 何か変なことでも言っただろうかと秋紀は思ったが、いくら考えても思い当たらないので視

聴覚室に持って行く教科書などを取り出すことにした。

 

 それを遮るかのようなタイミングで、浩介が秋紀に声をかける。

「その夢って刹那も出てきたの?」

 今度は秋紀が嫌な顔をする番だった。あの公園で彼女にひどいことを言ってしまった光景

が脳裏に蘇る。夢の中の出来事とはいえ刹那にあんなことを言ってしまったのはいい感じが

しなかった。

「ああ、出てきたよ。つーかありゃほとんどラスボスだな」

 秋紀は身振り手振りを交えながら、夢の中で刹那がどんなことをしたのかを二人に話した。

これも時折冗談を交えながら気楽に話したつもりだったのだが、玲子と浩介は期末テストを

受けるときのような真剣な態度で耳を傾けている。思い違いなどではない、やはり今日の二

人はどこか様子が変だ。だが秋紀にはその変化の原因が分からない。分からないのなら考

えなければいいのだが、この手のものは一度気にし始めるとなかなか頭から離れてくれない

のだ。このままでは堂々巡りである。

 

「――とまあ、こんなとこ」

 秋紀の話を聞き終えた玲子と浩介はしばらく黙っていたが、ややあってから顔を見合わせ、

玲子が勢いよく秋紀を指差した。これが漫画だったら『びしっ!』という効果音が入りそうなく

らいの勢いだった。

「あんた、今すぐ刹那のとこ行きなさい」

「――はぁ?」

 何を言っているんだこいつは。秋紀は本気でそう思った。今すぐ行きなさいって言われても、

自分が彼女に対して心無い発言をしたのは夢の中での出来事である。何もしていない現実

でそれをやったって意味は無いし、刹那だって混乱するだけだろうに。

「おい、何言ってんだよ。夢のことにいちいち構っていたって何の意味も――」

「夢じゃないよ」

 浩介が発した言葉は、簡潔だった。

 

「夢なんかじゃない。君がさっき見たものは夢なんかじゃないんだ。夢は”そっち”のことじゃな

くて、今君が立っている”こっち”の方のことなんだよ」

 最初は何を言っているのか理解できなかったが、考えを巡らせるにつれ浩介が何を言って

いるのか次第に分かってくる。

 

 つまりこれは夢の世界で、目の前にいる玲子と浩介は本物ではないのだと。

 

「秋紀、君だって本当はこのままでいいなんて思っていないはずだ。お互い一方的に別れて、

謝ることも何もできずに二度と会えなくなってしまうかもしれない。下手な意地を張ったって後

悔が残るだけなんだ」

 これが夢だというならば、目の前にいる玲子や浩介も夢の一部なんだろうか。

 無意識のうちに自分が生み出した空想の産物。

 しかし秋紀は、二人をそういう風に思うことがどうしてもできなかった。この二人は本物で、

立ち止まって動こうとしない自分にアドバイスをしにきてくれたのではないか。ついそう思って

しまう自分がいた。

 

 浩介の後に続き、今度は玲子が口を開く。

「あんた、ちょっとは刹那の気持ちも考えてみなさいよ。何で刹那があんなことしたと思う?

あのままあんたと一緒にいたら、最後に二人だけになったときどうすればいいのか分からなく

なるからでしょ。だから刹那はわざとあんたと別れて、非情に徹することにしたのよ」

 まさかと思ったが、言われてみればあのときの刹那の様子はどこか不自然だったようにも

思える。まるでわざと自分を遠ざけようとしているような、そんな態度があった。

 

「あんたと刹那が最後に残って、それでどうなるのかまでは分からないわ。でもね、このまま

二度と会えなくなっちゃってもいいの? ケンカしたままそれきりみたいな別れ方で本当に後

悔しないの?」

「俺は……」

 このままでいいわけがない。今すぐにでも刹那に会って、あのときのことを謝りたい。

 でも自分にそれができるのだろうか。自分は何の力も持っていないただの中学生だ。勇気

があるわけでもなく、勉強もそこそこだし運動も取り立てて得意というわけではない。ただ人よ

りもちょっと物を知っているっていうだけの自分に、一度壊れてしまった関係を修復することが

可能なのだろうか。

 

 やっぱり自分には無理だ。そう思った矢先、頬に軽い衝撃が走る。

 玲子に平手打ちを受けたのだと気づいたのは、それからすぐのことだった。

 

「弱虫」

「なっ……」

「この期に及んでまだ悩んでいるの? やってもいないのに自分には無理だって決め付けて、

自ら可能性を無くしているんじゃないの? そんなことしたって自分の本心を偽っているだけ

じゃない。たまには細かいことは考えないで自分のやりたいことやってみたらどうなのよ!」

 叱咤する声が胸に響く。今の自分には痛すぎる言葉だ。

 そういえば、少し前に自分も刹那に似たような台詞を言ったような気がする。細かいことを

考えるな。好き勝手やってみてもいいんじゃないか、と。

 

 それが今では、自分が言われる側の立場になっている。

 まったく――つくづく情けない。辛いのは全部刹那に押しつけて、彼女を理解してやろうとし

ないで一方的に別れてしまい、今度は死んでしまった玲子や浩介にまで迷惑をかけている。

 秋紀は自分は誰かが側にいてくれないとダメなんだなと改めて実感した。

 だけどこんな自分でも――こんな自分だからこそ、必要としてくれている人もいる。

 

「きっと刹那も本心では似たようなことを思っているんじゃないかな。刹那がこんな行動をとっ

たのは、本当に君のことが大切なんだからだと思う。だから――」

「今すぐあいつの後を追っかけろってんだろ?」

 浩介は意味ありげに微笑み、こくりと頷く。

「分かったよ。どこまでやれるか分からねえけど……自分の納得のいくようにやってみせるさ」

 言うと、二人は口元を緩めて笑った。

 瞬間、淡い光が秋紀の視界を包み――

 

 

 

 

 

「…………」

 彼は、現実世界へと意識を取り戻した。

 夢の中と同じように、まずは自分のいる場所を確認する。視界の奥に見えるのはいくつか

の樹木と遊具。視界の中央は開けた空間になっており、子供が自由に遊べるスペースが広く

作られていた。

 そしてそこに横たわる親友の死体。

 確認するまでもない。これは現実だ。帰ってきたのだ、自分は。

 

「ちょっと大袈裟すぎる気もするけどな……」

 デイパックを掴み取り、秋紀は玲子と浩介の死体のもとへ歩いて行く。

 ある程度近づいたところでピタリと足を止め、変わり果てた友人の姿をじっと見つめた。

「お前らも本当物好きだよな。いちいち人の夢の中まで出てきて世話を焼いていくんだから」

 口ではそう言っているが、心の中では二人に感謝していた。

 それと同時に、こんなにいい友人を持ったことを誇りに思える。

 

「浩介、玲子……ありがとな」

 秋紀の呟きは風に乗り、どこまでも高く青い空へと上っていった。この言葉が二人のもとに

届けばいいけど、と思いながら、秋紀はこの島のどこかにいる刹那を探し始めた。

 

【残り8人】

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