終盤戦:84





 真琴は自分が転倒したことすら気づいていなかった。

 梢の向こう側に燦々と輝く太陽が見える。荒い自分の呼吸と、それと同調するかのように

脇腹の傷がドクドクと脈打っていた。

 ここから遠くないどこかで、和樹が持っていたショットガンの銃声が聞こえた。

 どうやら彼から逃げることには成功したらしい。マガジンの交換や傷の手当てをしなけれ

ばと考える片隅で、真琴の心の中にある戦意や復讐心が恐怖という名の抗いようがない

感情に侵食されていった。

 

 私は彼に勝てるのだろうか。真琴は自問しながら深く息をつき、散弾によって傷つけられ

た脇腹の様子を見る。出血量こそ多いものの、傷は広くも深くもなく命に別状は無いようだ

った。

 といっても素人判断なので油断はできない。とりあえず止血をするのが先決だろうと考え、

真琴は私物が入っているバッグの中からハンカチとタオルを、デイパックの中からミネラル

ウォーターを取り出した。

 

 ハンカチをミネラルウォーターで濡らし、そっと傷口に当てる。焼け付くような先程の痛み

とは違う、痺れるような痛みが全身を駆け巡った。真琴は小さく悲鳴を漏らし、涙目になりな

がらもハンカチの上からタオルを巻く。タオルの両端には筆記用具の中に入ってあったハ

サミを使って小さな穴を開け、そこに予備のハンカチを通してタオルが落ちないように固定

させた。何だか腹巻きのようでみっともないが、この際贅沢は言っていられない。

 

 ワルサーのマガジンを新しいものに交換し、真琴は脇腹の痛みを堪えながら歩き出す。

和樹と戦うのが怖くないといえば嘘になる。だが真琴は逃げるわけにはいかなかった。

 逃げたら自分の目的が達成できない。敵討ちを果たすと決意した以上、自分はどんなこ

とがあっても戦わなくてはいけなかった。戦い、退かず、そして生き残る。シンプルなようで

難しい目標だが、もう後に退ける状態ではない。

 

 自分と和樹の距離がどれくらい離れているか分からなかったが、自分は今怪我をしてい

るし、先程の銃声から推測してもそれほど離れてはいないだろうと真琴は思った。

 ならば待ち伏せよりも奇襲をかけての短期決戦のほうがいいかもしれない。失敗したとき

のリスクは半端ではないが、成功すればこれ以上傷を負わずに勝負を終わらせることがで

きる。それに相手はまともな思考能力を失っているから、こちらが気をつければ気づかれる

ことはまずないだろう。

 

 真琴が戦闘スタイルについて思案しているそのとき。

 彼女は、ようやく気がついた。

 自分の後ろに、誰かが立っていることを。

 

 最初に目に入ったのは黒だった。

 闇夜の黒、漆黒の黒、暗黒の黒――。

 それらを全て組み合わせたかのような黒を、その少女は両の瞳に宿していた。

 何もせず、何も言わず、彼女はただ黙ってこちらを見ている。

 自然の中で彼女の存在だけが異質だった。広い広い建物の中央で、たった一人の人間

が立っているのを見ているような、そんな感覚が襲ってくる。

 

「こんにちは」

 当たり前の挨拶が当たり前のように聞こえない。

 目の前にいる自分と同年代の少女が人間のように思えない。

 真琴は、黒崎刹那(女子7番)に言いようのない恐怖を感じていた。

「朝倉さん、今ひとりでいるの?」

「え、ええ。そうですけど……」

「ふーん……」

 再び沈黙。気まずいというか、この場から消え去ってしまいたい気分だった。

 と、真琴の視線が刹那の持っているものに向けられる。

 自分が持っているワルサーを巨大化させたような銃を、刹那は持っていた。銃器類に詳

しくない真琴でもそれが何かはすぐに分かった。

 

 ――マシンガンだ。

 

 映画などでよく目にする、ワントリガーで大量の銃弾をばら撒ける強力な銃器。人を殺す

には充分すぎる武器だった。

 このまま黙っていても埒が明かないので、真琴の方から喋りかけてみることにした。

「ところで黒崎さんはどうしてここに?」

「私は……この近くをたまたま歩いていたら銃声が聞こえたから、気になって来てみただけ

だよ」

「はあ……」

 正直なところ、どう言っていいのか分からなかった。

 嘘をついているとも言えるし、本当のことを言っているとも言える。表情や口調から真偽を

判断しようにも舞原中学一のポーカーフェイス、黒崎刹那にそれが通用するわけもない。

できることならば今すぐこの人の前から離れたいのだけれど、それをすれば彼女の手の中

にあるマシンガンで蜂の巣にされるかもしれない。それにもしかしたら彼女は敵意が無く、

自分の味方になってくれるかもしれないし、綾香を殺した犯人について何らかの情報を持っ

ているかもしれない。彼女自身が綾香を殺したという可能性ももちろんある。

 

 というわけで、真琴はどうすることもできなかった。この場合はどうすれば最良の結果が

生まれるのか判断がつかなかったからだ。

「さっきの銃声について何か知っている?」

「あれは中村くんが私に向けてショットガンを撃ってきたんです。出会い頭にいきなり」

「中村くんが?」

「ええ。なんと言うか……中村くんは普通じゃありませんでした。狂っている、って言えばい

いんでしょうか」

「…………」

 

 刹那は無言だ。喋ることが無いのか、それとも会話をする気が無いのか。それは分から

なかったが、話の通じる相手に出会えたことは貴重なチャンスだと考え、真琴は刹那から

いろいろと情報を聞き出すことにした。

 

「少し聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」

「別にいいけど」

「私、綾香を殺した相手を探しているんです。もし黒崎さんが何か知っていたら教えてもらえ

ませんか?」

 再び刹那は口を閉ざす。何かを考えているのか、それともただぼーっとしているだけなの

か。どちらにしろ真琴にとってこの沈黙は耐え難い苦痛だ。

 

「知っているわよ」

「えっ!?」

 刹那の口から予想外の言葉が返ってきた。

「だから、木村さんを殺した相手」

「だ、誰なの? お願い黒崎さん、私に教えて!」

「……いいわよ。知っていて得するものでもないしね」

 嬉々とする真琴とは正反対に、刹那は何の感情も抱いていない様子だった。

 刹那はもったいぶるように間を空け、ゆっくりと口を開く。

「木村さんを殺したのは――森くんだよ」

 

「……………………」

 

 今度は真琴が沈黙する番だった。

「どうかした?」

「え、いや……そんなはずないですよ。森くんが犯人なわけありません」

「どうして?」

「だって森くんは私と一緒に病院で――」

 言って数秒後、

 

 ――――あ?

 

 真琴はようやく気づいた。

 

 ――私、今、なんて言ったの?

 

 自分が何を言ったのか。

 

 ――森くんと一緒に病院で、って……。

 

 どんなに重大なことを口にしたのか。

 

 ――あ、あああああ……!!

 

 

 

 彼女はようやく理解する。

 自分が、仲間の居場所を言ってしまったことを。

 

 

 

「なるほど……森くんは病院にいるのか。もしかしたら他にも誰かいるのかい?」

「あ、あなた、あなたまさか……!」

「今話に出た中村くんと、あと秋紀くん、この場にいる私と朝倉さんは除外。残るは浅川くん

と森くん、清水さんに高梨さん、それと牧村さん。この中から適当に名前を出して、あなたが

誰かと一緒に行動していたのか試してみたんだ」

 

 全身が震えた。

 和樹と対峙したときに感じた恐怖でも、刹那と出会ったときに感じた恐怖でもない。取り返

しのつかない失敗をしてしまった、圧倒的な絶望感による恐怖。

 理性が停止する。精神が崩れ落ちる。ガラガラと音を立て、全てが無に帰していった。

「最後に一つだけ答えてあげる。木村さんを殺したのは、私」

 言い終わると同時に、刹那の手にあるMP7がパパパパッという軽やかなメロディーを奏

でた。

 

 真琴の腹部から胸にかけていくつもの衝撃が跳ね上がり、目の前に赤い血飛沫が舞い

上がったのを確認した瞬間、彼女の視界は真っ黒に染まった。

 

 あや、か……。

 

 そのとき真琴は、自分に向って手を差し伸べている木村綾香の姿を見た。

 背中に強い衝撃が伝わる。真琴の意識はそれが地面に倒れたときのものだということを

認識する前に、二度と出てくることのない深い闇の底へと埋没していた。

 

朝倉真琴(女子1番)死亡

【残り8人】

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