終盤戦:82





 木々が生い茂る森の中を一人の少女が歩いていた。森の中を、と言っても茂みの中という

わけではなく、森の中にあるちゃんと舗装された道路の上を歩いていた。森の中を歩いた方

が敵から見つかる確率は低いというのに、彼女はそんなことはお構いなしといった様子で平

然と道路の上を進んで行く。よほど自分の腕に自信があるのか、愚かなだけなのか、それ

とも他のことに意識がいってしまっているのか。

 

 朝倉真琴(女子1番)は幼い頃のことを思い出していた。幼稚園を卒業し、地元の小学校

に入学したばかりの頃。両親が買ってくれたピカピカのランドセル、新しい勉強道具、広い

教室、顔も知らないたくさんの同級生たち。 周りの人も、環境も、全てが今までのものと違

っていた。新鮮な環境、これから始まる小学校生活を想像し、幼い真琴は期待に胸が躍っ

ていた。

 

 昨日両親に買ってもらった可愛い服を着て、真琴は教室の前に立った。友達ができるかな

かなという不安、新しい日常への楽しみ。様々な感情を抱きながら、真琴は教室の扉を開け

た。

 入学式を終えた後のHRで行われる簡単な自己紹介。「皆さん始めまして。朝倉真琴とい

います。よろしくお願いします」と、頭を下げ丁寧な口調で言う真琴。裕福な家で育った彼女

は両親から厳しい躾を受けていたため、幼くして常に礼儀正しく気品溢れる佇まいを心掛け

るようになっていた。

 

 挨拶を終え顔を上げる真琴。元気のよい拍手の音が耳に届き、クラスメイトたちの顔が目

に映る。よかった、失敗しないでちゃんと言えたみたいだ。そう思い安堵していた真琴は、

目の前の席に座っている少女が発した一言で硬直した。

「何よあんた、たかが挨拶でかしこまっちゃって。自分がお嬢様のつもりなの?」

 上品な雰囲気の漂う真琴とは違い、その少女は見るからに「わんぱく娘」といった感じの子

だった。真琴だけではなく、周りのクラスメイトや先生までもが彼女の一言で言葉を失ってい

た。

 

 お嬢様のつもりなのか、という質問に対してはノーだが、お嬢様かどうかという質問に対し

てはイエスだ。どう答えるべきか真琴は困ってしまったが、とりあえず当たり障りがなく相手

を怒らせないようなことを言っておくことにした。

 「えっと、私はそんなつもりで言ったんじゃなくて、挨拶は基本的なことだから礼儀正しくし

なさいってお父様やお母様に言われているから」

「なーにがお父様お母様よ。本当にお嬢様のつもりなの? ばっかみたい」

 これにはさすがの真琴も我慢できなかった。”人に暴力を振るったり、乱暴な言葉遣いを

してはいけないよ”と両親に教えられていたのも忘れ、「何よあんたさっきから! 私に何か

恨みでもあるの!?」と叫びながらその少女に飛び掛っていた。

 

 その相手の名が木村綾香だということを知るのは、それから少し後のことになる。

 

 彼女とはことあるごとに衝突していた。算数の問題をどちらが先に解くか。どちらがより上

手な絵を書くか。体育の時間での50M走の競争。音楽の時間での歌の上手さ。など、挙げ

始めればキリがない。

 元気一杯でスポーツ万能な綾香。穏やかで勉強が得意な真琴。全てが対極な上にファー

ストコンタクトが最悪だったのが災いし、二人は目を合わせるだけで口ゲンカをするほど仲

が悪くなっていた。

 

 その関係に変化が現れたのは小学校一年生、二学期に行われた遠足の時のことになる。

 あの時は綾香が珍しい昆虫を見つけたとか言って、自由時間のときに一人で山の奥に入

っていったのがきっかけだった。当時クラス委員長だった真琴はその行動を注意するため

に嫌々ながら綾香のもとへ行き、それでまたケンカになってふとした拍子に足を滑らせ崖か

ら落ちてしまったのだ。幸いにも崖はそれほど急な傾斜ではなく二人とも怪我はしなかった

のだけど、ここがどこなのか分からなくなり集合場所へ戻れなくなってしまった。

 

 綾香は一人戻ると言い続けていたが、真琴が「こうときには下手に動かない方がいいの

よ。誰かがすぐ助けに来てくれるから」と言ったら黙ってその場に座り込んでしまった。

 それから救助が来るまでの約一時間、恐怖心や不安感を紛らわすために二人はいろい

ろなことを話した。自分のこと、家族のこと、学校のこと。そうしているうちに真琴は、綾香が

そんなに悪い奴ではないのではないかと思うようになっていた。あの時自分にくってかかっ

たのは「何だかすましていたから、気に入らなかったのよ」という子供らしい単純な理由だっ

たし、お腹をすかせていた真琴に自分が持ってきたお菓子を分けてくれたりもした。

 

 先生たちに助けられた二人はその後説教をくらい、家に帰ってからも両親に凄く怒られた

けれど、それは二人にとって大切な思い出となった。

 

 一番最初に二人で過ごした、とても大切な思い出。あれが真琴と綾香の原点だった。

 あの事件があったから、今の真琴と綾香がいる。

 それから二人はずっと一緒に過ごしてきた。喜びを分かち合い、苦労をともにし、ときには

ケンカをするお互いなくてはならない関係に。

 

 ずっと、ずっと今が続くと思っていた。そう思っていたのに。

 

 彼女はいなくなった。死んでしまった。もう二度と会うことはできない。笑い合いながら話を

することもできない。些細なことでケンカをすることもできない。

 意識していなかった当たり前すぎる日常が、いて当然のように思っていた存在が失われて

しまった。気付いたからどうするというわけでもない。どうすることもできない。何をやっても

綾香が帰ってくることはもうない。

 

 人が死ぬということは、そういうことなのだ。

 

 頬を伝う涙を拭き取り、真琴は綾香から渡されたオートマチック拳銃、ワルサーP99に視

線を落とす。一通りの使い方は分かった。ちゃんと弾も入っている。覚悟も、できている。

 彼女を殺したのが誰なのかは分からないが、幸いなことに(というのも失礼だが)生存者の

数はすでに十人にまで減っている。自分と、あの病院にいた一郎、千里、翔子を除けば残る

は六人。この六人の中の誰かが綾香を殺したに違いない。居場所は分からなくても、全員

を問い詰めればきっと誰なのか分かるはずだ。

 

 最悪、その六人全員を葬ってもいいと思っていた。

 綾香のためならば。彼女の仇を討つためなら、自分はどんなことだってやってみせる。

 道路の周りに立ち並ぶ木々や生い茂る草花が大分まばらになってきた。目を凝らして遠く

を見てみると、ぼんやりとだが瓦屋根がいくつも見える。どうやらもうすぐ住宅地に入るよう

だ。

 

 住宅地に入ったらとりあえず小学校に向かってみよう。綾香がそこへ行ったのなら何らか

の手がかりがあるはず。もしかしたら、彼女の死体も――。

 真琴はそこで想像を打ち払った。もういないと分かっていても、綾香が死んでいる姿なんて

想像したくもない。できれば見たくないけれど、それでも何が起きたのか確かめなければ。

 そんなことを考えているうちに、真琴は人を殺すために真剣に考えを巡らせている自分の

姿に気がついた。

 

 今いろいろなことを考えているのは綾香の仇を討つためだ。綾香を殺した奴を、自分が殺

すためだ。人間を――それもよく見知ったクラスメイトを殺すためにこんなに真剣になってい

るなんて。

 それに気づき、真琴は何だか自分がひどく汚れてしまったような感覚にとらわれた。どん

な理由があるにせよ人殺しは人殺しだ。一生消えない罪を背負うことに変わりはない。

 真琴は朝倉家の名に恥じない、高貴で優雅な女性になることが目標だった。三つ上の姉

や、自分の母のような美しい女性に。父や母が自分の存在を誇りに思ってくれるような、そ

んな娘になりたかった。

 

 だから真琴は自ら進んで様々な教育を受けてきた。どんなに辛い想いをしても、両親に相

応しい存在になりたいという強い想いがあったからやり遂げることができた。

 今の自分の姿を見たら、両親はどんな顔をするだろうか。

 友達の仇を討つためとはいえ人を殺そうとしている自分の姿を見て、何を感じるだろうか。

 きっと軽蔑され、失望され、見捨てられてしまうだろう。お前は我が家の人間として相応しく

ない、と。

 

 だけどそれでもよかった。例え家族に見放されても、今まで築き上げてきたものを全て失う

ことになったとしても、綾香を殺した奴だけは許すことができなかった。その相手を倒さない

限り、自分の気持ちに収まりがつかない。

 

 復讐ということがどういうことなのか真琴にも分かっていた。そんなことをしても何にもなら

ない。大切なものを奪った相手を殺したところで得られるものは罪悪感と空虚感だけだ。

 高いリスクを払っても得られるものはほんの一滴ほどの満足感と達成感。どうすることも

できなくなった気持ちを消化するための最終手段。

 得られるものが何もなかったとしても、どんなに自分が傷ついたとしても、”あの時ああし

ておけばよかった”と後悔するよりはずっといいのではないか。そういう人生を進むのは理

想だし、真琴もそうやって生きていきたいと思う。

 

 ここで復讐を果たさなかったら、自分はきっと物凄く後悔すると思う。プログラムで優勝し

て無事住んでいた街に戻ったとしても、毎日毎日この時のことを思い出しながら日々を過ご

していかなければならないのではないか。

 だから真琴は仇を討つことにした。復讐をすることを決心した。こんな感情を抱くのは、後

にも先にもこれ一度きりだろう。先があるのかはまだ分からないけど。

 

 森の出口が近くなった頃、真琴は家の陰で動く何かを発見した。まだ遠くてはっきりとは分

からないが、あの影の輪郭からしてどうやら人間のようである。

 全身の神経が研ぎ澄まされる。怒りと憎しみに染まっていた思考がクリアなものになって

いく。近くに立っていた木の陰に隠れ、ワルサーを両手でしっかりと包みその人物に視線を

注ぐ。

 だんだんとその人物が近づいてくるにつれ、相手の表情などが分かるようになってきた。

 ――あれって中村くん……よね?

 真琴が戸惑いを覚えたのも無理はない。前から近づいてくる人間は姿形こそ中村和樹(男

子11番)その人だが、雰囲気や様子といったものは真琴が知っている和樹とはまるで別人

のようだった。

 

 こちらの気配を察知したのか、和樹は素早い動きで頭をこちらに向ける。頭を引っ込める

のが間に合わず、二人は完全に目と目が合った。

「ひひっ、ひひゃはははははははははははは!」

 拳銃を持ち上げようとした真琴の動きが止まった。その笑い声は真琴の鼓膜に心地悪い

響きを残す。彼はどうしたというのだろうか。その疑問が解決する前に、和樹の両腕がこち

らを向いていた。

 

「――――!」

 正確には両腕ではなく、彼が持っているショットガン、ウィンチェスターM1897が。

「見つけた……やっと見つけたぜこのゴミクズが! 死ね、死ね死ね死ね死ね死んじまえ!

お前ら全員俺がこの手でぶち殺してやる!」

 高らかな殺人の宣言に続き、腹の底に響くようなショットガンの銃声が周りの草花を震わ

せた。

 

【残り9人】

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