終盤戦:81





 とても晴れやかな気分だった。

 心の中に溜まっていたものがごっそりとなくなったような、埃の積もった部屋を綺麗に掃除

したときのような、早朝の綺麗で澄み切った空気を肌で感じているかのように晴れやかで

清々しい気分。

 

 こんな気持ち、今まで体感したことがなかった。自分を縛っていた枷を外し、束縛から解き

放たれることがこんなにも気持ちのいいものだなんて。

 心臓が高鳴る。気分が高揚する。身体が空気のように軽く、風のように速く動けるような

気がする。

 今の自分なら何でもできる。どんな相手がこようと負けはしない。

 

 中村和樹(男子11番)はウィンチェスターM1897ショットガンを右手に持ち、どこへ行くわ

けでもなく住宅地をふらふらと歩いていた。その足取りはどこかぎこちなく、まるで夢遊病者

のようでもある。

 おかしいのは足取りだけではない。彼の身体から発せられる雰囲気、そして彼の様子全

てがおかしかった。普段の彼を知るものであれば、口を揃えて「異常だ」と言うだろう。

 和樹本人は自分の異変に気付いていなかった。正常な思考能力が半分以上失われてし

まったことも、記憶が混濁し始めていることも、今の自分を突き動かしているのが怒りと殺

意だけだということも。

 

 今から一時間ほど前のことになる。和樹はたまたま通りかかった公園で霧生玲子を見つ

け、背後から近寄り彼女の頭をウィンチェスターで吹き飛ばし殺害していた。

 生温かい玲子の血を浴びながら和樹が感じていたものは罪悪感でも達成感でもなく、胸

の奥がすぅっとするような爽快感だった。

 クラスメイトに裏切られ続けることによって精神が崩壊した和樹は、目の前に現れる人間

全てを敵だと認識するようになっていた。どうせ向こうも自分を殺そうとしている。手加減は

いらない。やられる前にやってやる。

 

 だから玲子を殺すときは何の迷いもなかった。銃口を向けて引き金を引くだけで敵がいな

くなる。まどろっこしい説得をせずとも事態を解決できる。

 人を殺す。結構なことじゃないか。人を殺せば有無を言わさず、速やかに問題を消化する

ことができる。悪意には悪意で、殺意には殺意で対抗してやればいい。

 友情、愛情、正義、道徳心。そんなものはこの場所で必要の無いものだと和樹は感じてい

た。必要なのは殺意と覚悟だ。何よりも優先して敵を殲滅するという感情、誰を相手にして

もナイフを突き立て銃を向けることができる覚悟。

 

 友情も愛情も正義も道徳心もその他にたくさんある人間の心の良い部分が不必要だとい

うわけではない。それらは人間に欠かせないものだろう。そうでないとこの世界を生きてい

けない。生きていけたとしてもその人物の周りには誰もいないであろう。

 

 ただし、それは日常の中での話だ。

 そしてここは日常ではない。日常から隔離された非日常。血と死の臭いが立ち込める負

の感情の巣窟。まさに奈落の底という表現が相応しい世界、プログラム。

 プログラムで必要とされるのは先程挙げたような概念ではない。むしろそれらが枷となり、

時に自分の首を絞め命を危険に晒してしまうこともあるだろう。かつての和樹がそうであっ

たように。

 

 プログラムでの一番の目標は生き残ること。つまり死なないことだ。そのためにはどうすれ

ばいいか。

 答えは簡単。自分以外の敵を全て排除すればいい。目の前に現れる人間を殺していけば

敵が減っていくということだから、おのずと自分の安全は保障される。

 その敵が家族や恋人などであれば殺すことをためらうかもしれないが、今はそんな心配を

しなくてもいい。ここにいるのは自分を殺そうとしていた最低のゴミどもだ。そんな奴らに哀

れみを抱く必要は無い。死んで当然の奴らなんだ、このクラスの連中は。

 

 和樹の脳裏でプログラムの記憶が目まぐるしく渦を巻く。次々とフラッシュバックする傷の

記憶。痛みの記憶。失われていく信頼と希望。積み重なっていく不安と絶望感。その果てに

生み出された最終的な感情――殺意。

 その結果、彼は次なる獲物を求めて島の中を歩き回る。敵を排除するために。生き残っ

ているクラスメイトに痛みを与えるために。

 

 正午に流れた放送は和樹の耳に入っていたが、彼はその意味をよく理解していない。死

亡者の名前をチェックしていないし、禁止エリアのメモもとっていない。全てが開放された中

村和樹という人間はその機能の全てを人を殺すことだけに費やしていた。今もどこかに潜

んでいるクラスメイトを見つけ出すために足を動かし、かすかな気配や足音も逃すまいと神

経を集中させ、やがて訪れるであろう殺人の瞬間を思い浮かべ不気味な笑みを浮かべて

いた。

 

 正午の時点で残り人数は十人になっていたので、何の手がかりもなしにこの広い島の中

で誰かに出会うということは簡単なことではない。銃声が聞こえたらその場所に行ってみる

というやり方をすればそのうち誰かに会えるかもしれないが、それも確実な方法とはいえな

い。ただし生存者が減って行くにつれ禁止エリアも増えているので一概にそうも言えないの

だが。

 

 そんな状況下で和樹が取っている方法は手当たり次第に探し回るという、考えうる限り一

番効率の悪い方法だった。プログラムから一日が経過し、肉体的にも精神的にも疲労が溜

まってきているこの段階でその方法を選ぶことはあまり良い判断ではないが、高梨亜紀子

のように探知機を持っているわけでもなく、病院から一人抜け出した朝倉真琴(女子1番)

ように、どこに誰が隠れているのか知っているわけでもない和樹にはその手段を選ぶしか

なかった。

 

 ただ今の和樹の状態を考えて言えば、選ぶしかなかったではなく無意識のうちにその行

動をとっていたと言う方が正しいのかもしれない。今の彼は正常な思考能力が失われてい

るため、憎悪と殺意をエネルギーに動いている殺人機械のようなものだ。機械はプログラム

されている動作しかすることができないように、和樹もまた人を殺すことだけに焦点を絞って

行動しているのだろう。

 

 ずきりと、脇腹が痛んだ。伊藤忠則によって付けられた刺し傷がじくじくと疼き始める。

「う、ううう……!」

 それがきっかけとなったかのように、続けて左目が痛み出す。雪姫つぐみ(女子17番)

よって切りつけられた左目が、もう二度と光を見ることはない左目が悲鳴を上げている。

「ちくしょう……ぶっ殺してやる、どいつもこいつももう許さねえぞ……手を吹き飛ばして脚を

吹き飛ばして内蔵抉り出してズタズタにしてから頭を吹き飛ばして殺してやる……ふふっ、

あははっ、はははははははは!」

 裏切られ、殺すべき自分以外の生存者がなかなか見つからないだけでも充分不愉快なの

に、ここにきて全身の痛みが再発するなんて踏んだり蹴ったりである。

 傷の具合なんてもはやどうでもいい。もう限界だ、早く出て来い。誰でも構わないから自分

の前に現れろ。痛みを与えて泣き叫ばせて絶望させてから殺してやる。

 

 和樹は人殺しに飢えていた。自分を殺そうとしておきながら今もぬくぬくと生きているクラス

メイトをいつになったら消し去ることができるのかと、その時を今か今かと待ちわびていた。

 ああ、何でもっと早くやらなかったんだろう。もっと早くからこうすることを選んでいれば、こ

んなに傷つかなくてもよかった。痛い思いをせずに済んだ。

 浅川悠介(男子1番)や山田太郎がなぜプログラムに乗ったのか。その意味が、今ならば

よく分かる。

 こんなに簡単で単純で癖になりそうなこと、やらなければ損というものだろう。仲間を集め

るとか戦いを止めるとか馬鹿なことを考えないで、最初からこうしていればよかった。

 

 目に映る人間は全て敵だ。容赦なく殺せ。手当たり次第に排除しろ。

 そして思い知らせろ。あいつらに俺の痛みと苦しみを。

 

「あははははははははははははははははははは!!」

 崩壊した善意は悪意に転化し、悪魔の笑い声が辺りにこだまする。

 解き放たれた狂人は憎悪と殺意をたぎらせ、ただひたすら獲物を追い求めていた。

 

【残り9人】

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