終盤戦:80





 何がいけなかったのだろう。どこで間違えてしまったのだろう。

 分からない。いくら考えても答えを出せない。私の計画は完璧だった。穴なんてなかった

し、どこにも不備はなかったはずだ。

 全ては私の思い通りに進むはずだった。全ての出来事は私の意のままのに進むはず

だった。

 

 なのに、なぜこんなことに。有り得ない。認めない。こんなのは現実じゃない。

 私は支配者なんだ。全部私の思い通りに操れるんだ。私は、私は――。

 

「私は……負け、ない……こんなところで、死んで、たまるか……」

 全身が重く、まるで鉛のようだった。高梨亜紀子(女子10番)は全身を襲う痛みと激しい

息苦しさに耐えながら、震える腕を必死に伸ばしてアスファルトに爪を立て前へと進む。

しかしそれはカタツムリのようにひどくゆったりとした動きだった。

 

 自分が毒かウイルスのようなものに侵されていることはすでに理解している。絶え間なく

襲ってくる吐き気、意識の混濁、身体中に走る激痛。どんな毒にかかっているのか分から

ないが、とにかく自分が危険な状態にあることは間違いない。

 しかし、毒にかかっていると分かっていても亜紀子にはどうしようもなかった。いくら自分

が情報に精通しているとはいえ、解毒の知識まで完璧に有しているわけではない。蛇や

蜘蛛といった動物が持っている毒への対処法ならいくつか知っているが、これは明らかに

自然界には無い毒による症状である。そもそも蛇や蜘蛛に刺された覚えが無い。

 

 吐き出せるような血はすでに全て吐き出し、体温は低下する一方だった。亜紀子の顔

は今や生きているのが不思議なほど蒼白になっている。

 緩慢になっていく全身の感覚。地に伏す亜紀子の耳に、どこからか機械的な声が聞こえ

てきた。

 

『――お昼に――放送を――プログラムが――ちょうど――』

 

 意識が朦朧としていてよく聞き取れなかったが、この声だけは忘れもしない。いや、忘れ

ようがない。

 このプログラムの担当官、村崎薫の声だ。

 

『男――恵一、女子――』

 彼女の声が聞こえるということは、これは正午の放送と思って間違いないだろう。続いて

死亡者と禁止エリアが放送されたが、亜紀子は書き取ろうとしなかったし気にも留めなか

った。どうせ自分は死んでしまうんだろうし、だいたいもう身体が動いてくれそうにない。

 認めたくない。認めたくはないが、この状態では認めざるを得ない。

 

 自分が死ぬんだという事実を。

 

 やば……もうほんと、ダメかも……。

 痛みと苦しみと悔しさと悲しさの中で、亜紀子は死を感じていた。

 初めて誰かに情報を与えたのはいつだろう。あの頃は自分が教えたことが誰かの助け

となるのが純粋に嬉しかった。誰かの喜ぶ顔を見るのが自分の幸せのように感じること

ができた。他に誰かの役に立つ方法を知らなかったし、情報を集めるというその過程が

楽しかった。

 

 気が付いたときには情報に付属するスリルと、誰かが自分の与えた情報通りに動き、

翻弄されるのを見るのが何よりの快楽になっていた。中毒性が極めて高い麻薬のような

もの。誰かが傷ついても、不幸になっても何とも思わなかった。だって直接手を下したの

は自分じゃないから。自分はただ種を植え付けてやっただけ。育てたのは他の人間なん

だから、悪い花が出てもそれは育てた本人に原因がある。ずっとそう思っていた。

 

 だがこうして死の淵に立ったとき、それは少し違うのではないかと亜紀子は思っていた。

彼女の頭の中には『因果応報』の四文字が浮かんでいる。過去の行いにより、結果の善

悪が決まるということ。そんな迷信を全て信じ切っているわけではないが、なぜか亜紀子

の頭の中にはその言葉が浮かんでいた。

 

「はは……あははっ」

 喉の奥から零れてくる笑いを止めることができなかった。これが報いだというのなら、こ

れ以上ないくらい自分にピッタリだと思う。自分ひとり安全な場所にいて、他人の不幸を

喜んで、責任を誰かに押し付けて――。

 その結果がこれだ。プログラムに選ばれて、聞いたこともない島で、誰の目にも留まら

ず、地面に這いつくばって震えながら死にかけている。まるで虫けらのように。

 なんという惨めな最期だろう。誰かに殺されるのならまだいい。自分の死を間近で見て

くれる人がいるのだから。だが自分は、誰にも見られないまま息を引き取ろうとしている。

 

「――げほっ!」

 腹の底から血と胃液が込み上げてきた。もはや吐き出すものは吐き出し尽くし、出てく

るのはわずかな血と胃液だけである。異臭が辺りに広がるが、それも薄っすらとしか嗅ぎ

取れない。

 ふいに、頭の中にある男子生徒の顔が浮かんできた。このプログラムの中で恐らく一番

利用させてもらった人物。この症状にかかる前に見た探知機では、個人情報の中にある

精神状態の欄に【発狂】の二文字が表示されていた人物。

 

 彼の名は中村和樹(男子11番)。対刹那用の駒としていろいろと手を加えさせてもらっ

たが、彼は今何をやっているのだろうか。発狂してしまったということは、もうまともな精神

状態ではないということ。彼がそんな風になるなんて想像できないが、その原因の一つを

作ったのは自分でもある。

 利用する側が先に逝き、される側が長く生き残るなんて皮肉な話だと亜紀子は思った。

彼がこの先どうなるのか気になるが、どうやらその『先』は見れそうにない。

 

 亜紀子は最後の力を振り絞って仰向けになり、空を見た。

 この空は繋がっている。自分が生まれ育った街の、日常が広がる場所と繋がっている。

 帰りたい。もう一度あの場所へ帰りたい。もう誰かを操るのなんてどうでもいいから、私

をあの場所へ帰して。

 自分の信念も情報への執着も全てを捨て、亜紀子は生きることへの想いを強く願った。

今更自分勝手なことかもしれない。だけど願わずにはいられなかった。

 

 死ぬときのことなんて考えられなかった亜紀子は、こうして実際に死の目前まで近づい

て今まで体験したことのない恐怖と絶望に触れていた。

 薄れていく意識の中で、亜紀子は以前に山田太郎からもらった拳銃の事を思い出した。

自分の情報と交換に譲ってもらった拳銃。あれには確か弾が入っていたはずだ。

 あれを使えば、少しは楽に死ねるかもしれない。自分から命を絶つのは怖いけど、この

痛みがずっと続くのよりははるかにマシだ。

 

「くっ……ううう……」

 徐々に震えが治まり、機能を停止させようとしている腕をデイパックに向けて伸ばす。幸

いなことにデイパックはすぐ近くにあった、指先もまだ何とか動いてくれそうだ。

 亜紀子はデイパックの底に入れておいたH&K USPを掴み取った。手の平に圧し掛か

る重い鉄の感覚。持ち上げることができるかどうか不安だったが、とにかくやってみるしか

ない。

 

 銃口を頭に突きつけようとしたところで、思えば銃を撃つのはこれが初めてだということ

に気付いた。最初で最後の標的が自分自身とは。滑稽すぎて言葉もない。

「死にたく、ないよ……」

 最後の一呼吸とともに、最後の言葉が漏れる。

 完璧なものなどない。どんなに上手く進んでいるものにも穴がある。亜紀子がそれを理

解することはついになかった。

 

 情報を操り、情報に全てを懸けた少女、高梨亜紀子は、情報外の攻撃により致命傷を

負い、こうして人知れずその短い命の幕を下ろした。

 拳銃に掛けられた細い指は、引き金を引く寸前で停止していた。

 

高梨亜紀子(女子10番)死亡

【残り9人】

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