終盤戦:79





 森一郎(男子17番)は感情に左右されて動くということがほとんどなかった。それこそ理性

が吹き飛ぶような怒りや恐怖に駆られない限り、思考が先に働いてこの状況下で最適だと

思われる選択肢を導き出しているからだ。考え、予測することを常とする一郎は一時の感情

で動く人間の気が知れないと思っている。その結果として自分の身に災いが降りかかったら

どうするつもりなのか。理解できないし、理解したくもなかった。

 

 それなのに、寂しく思っている自分がいる。

 悲しく感じている自分が、責任を感じている自分が確かにいる。

 

「……そんなガラじゃないってのに」

 病院の屋上に座って青空を見上げながら、一郎は吸い込んだ煙草の煙を吐き出す。わざ

わざ屋上に出る必要はないが、ここのところずっと室内にこもっていたので気分転換の意味

もかねて屋上で煙草を吸うことにした。久しぶりに肌で感じる風は冷たく、全身に降り注ぐ太

陽の光は暖かい。外に出たのは正解だったな、と思う。

 

 今この病院には自分を含めて四人の人間がいる。

 病室で安静にしている清水翔子(女子9番)、先程の放送を聞いてから堰を切ったように泣

きじゃくっている朝倉真琴(女子1番)、その真琴に付き添っている牧村千里(女子14番)

そして自分、森一郎の四人だ。

 数時間前までは七人の人間がいたが、雪姫つぐみ(女子17番)の呼びかけに反応して出

て行った斉藤修太郎、木村綾香、緑川優の三人は四十分ほど前の放送で名前を呼ばれて

いた。

 

 つぐみを助けたいと言い、ここを飛び出していった綾香と優。それを追っていった修太郎。

彼女らはもう二度とここに帰ってくることはない。

 彼らの死を悲しむ必要なんてなかったはずだ。行かない方がいいと言ったのにそれを無視

して出て行ったのだから、三人が死んだのは自分自身に責任がある。

 そう分かっているのに、一郎の中には大きな喪失感があった。大切な何かが気付かないう

ちに抜け落ちてしまったような感覚。

 

 三人が死んでしまったことを悲しんでいるのだろうか。

 三人を止めることができなかったことを悔やんでいるのだろうか。

 感傷に浸るなんて自分らしくもない。家族以外の誰かの死をまるで自分のことのように悲し

むなんてセンチメンタルな部分、今までなかったはずだ。自他共に認めるリアリストであった

はずなのに。

 

 一郎は数時間前に交わされた綾香との会話を思い出す。一番相応しいと思っていた自分

の発言に真っ向から異を唱えた綾香。正直彼女の気持ちが分からなかった。誰かを信じて

も向こうが信じてくれているとは限らない。他にも危険はたくさんある。なのになぜ、自らその

身を危険に晒そうというのか。命が惜しくないのか。短絡的思考にも程がある。

 だが彼女の行動は、同じ人間として見習わなければいけない部分があったのではないか

とも思う。自分にとって大切な人が助けを求めていて、それに対し躊躇いを見せず行動する

ということ。

 

 もしも一郎の大切な人が危険に晒されていて、その人が助けを求めていたら綾香と同じこ

とをやっているかもしれない。だから一郎は、綾香を完全に否定することができなかった。

 それに彼女は仲間だった。ほんの少しの間だったけど、自分たちの仲間だった。綾香の

ことは嫌いだし仲良くなれそうになかったけど、死んでもいいとは思っていなかった。

 木村綾香はもういない。彼女の元気な声を聞くこともできないし、口ゲンカをすることも二度

とない。

 

 普通なら涙ぐんだりするんだろうなと思いながら、一郎はゆっくりと煙草の煙を吐いた。

 屋上を後にして一階に戻ろうとしたところで、二階にある病室から出てきた牧村千里と出く

わした。

 

「清水の様子はどうだ?」

 千里が出てきた部屋の中に清水翔子がいることは一郎も知っている。それに翔子の面倒

を一番よく見ていたのは千里だった。彼女が二階に来ているということは、翔子の様子を見

に来ているということになる。

「そうね……彼女、大分参っているみたい。前にひどい目にあって、やっと身体が休まったと

思ったら次は木村さんたちがあんなことになって……見ているこっちが辛くなるわよ」

「前にひどい目にって……あいつ、ここに来る前に何かあったのか?」

「さっき本人が話してくれたんだけど、清水さんってここに来る前に公民館にいたらしいのよ。

戌神くん、加藤くん、荒月さん、長谷川さん、それに渡辺さんが一緒にいたらしいわ」

 連ねられる四名の名前を聞き、一郎はあることに気付く。

 

「戌神に加藤って……おい、そいつらは確か――」

 千里は黙って頷く。

「田中さんがやってきて……清水さん以外、全員殺されたそうよ。直接殺された場面を見た

のは加藤くんだけらしいけど」

 ここでまた意外な名前が出てきた。田中夏海といえばクラスの女子の中でも緑川優、井上

凛の次ぐらいに小柄な生徒である。家族思いの優しい少女だった。その夏海が人を殺して

いた? にわかには信じがたい話だが、実際に今名前が出てきた人間は全員午前六時の

放送で名前を呼ばれている。

 その中には、夏海の名前も入っていたが。

 

「一緒に行動していたメンバーが全滅して、助かった先に今度の出来事か」

 自分の知る限り、翔子は精神的に強い人間ではない。見た目からしてホラー映画などが苦

手そうだし、争い事なんてもっての他だ。そんな彼女が目の前で仲間が殺されていく光景を

見て平気でいられるはずがない。もしかしたら彼女は、自分のことを疫病神か死神かと思い

込んでいる恐れもある。行動を共にする人間が自分を除き次々と死んでいったら、それも仕

方のない話かもしれないが。

「自殺とか……考えているわけじゃないんだろ?」

 あんなことがあった後でこういう話題を口にするのも気が引けたが、聞かずにはいられな

かった。恐らく翔子はかなり鬱な状態になっているだろう。ましてや今はプログラムの真っ最

中だ。そういう行動に出てもおかしくはない。

 

「考えていないかもしれないし、そうじゃないかもしれない。部屋にあった危険そうなものは

一応取り除いておいたけど、私からは何とも言えないわ」

 この病院の中で自殺に使えそうなものと言えば限られてくる。メスやハサミ、剃刀など。あと

はカーテンとかシーツを使っての首吊り自殺、何も道具を使わなければ自分の舌を噛み切っ

てなどが挙げられる。

 

 千里が言うには、メスなどの刃物は彼女が先程片付けてきたらしい。その点は心配いらな

いとして、その他の方法を防ぐにはこまめに翔子の様子を見に来るしかない。千里に支給さ

れた武器はアルコールランプだったし、一郎にいたってはヘアスプレーだったので危険性の

心配はないだろう。唯一の例外は真琴が持っている拳銃だが、彼女が銃を翔子に渡すとは

思えないし、そもそも真琴ならばそんなことはしないはずである。

 

「そういえば朝倉はどうしている?」

 それを聞き、千里の表情がより重苦しいものに変わる。

「朝倉さんは……下手をしたら清水さんより危ないわ。顔を伏せて何も言ってくれないのよ。

何を言っても反応してくれないし、まるで魂が出ていったみたいだわ」

「”魂が出て行った”か……。あながち間違いとも言いきれないかもな。あいつと木村は俺か

ら見ていても凄く仲が良かった。よくケンカしている割にはいつも一緒にいたし、あいつにとっ

て木村は家族同然――いや、もしかしたらそれ以上に大切な存在だったんだろう」

 

 家族以上に大切な存在。言ったところで一郎にはそれが理解できない。一郎の交友関係

は広く浅いものだったので、仲の悪い生徒がいない一方で特に仲の良い生徒もいなかった。

だから自分の命を懸けられる友人がいるという感覚が、一郎には薄く不鮮明なものにしか

感じられない。

 

 ここで一郎は千里のことを思った。彼女はこのプログラムの中で仲の良い友人を全て失っ

てしまっている。それなのに彼女はあまり悲しい素振りを見せない。本当に悲しく感じていな

いのか、それともただの痩せ我慢なのか。どっちにしろ大した神経である。

「そういえばお前ってあまり取り乱したりしていないよな。仲の良い井上や佐藤が死んじまっ

たっていうのに泣いたりしていなかったし。プログラムが怖くないのか?」

「そういうわけじゃないんだけどね……。私の家、親が政府の官僚なのよ。だからプログラム

のことは昔からよく聞かされてきたの。『お国のために自分の命を捧げることはとても名誉な

ことだ』ってね。だからみんなに比べると耐性があるのかもしれないわ」

 

 名誉ある死。

 そんなものが本当にあるのだろうか。名誉を懸けても、誰かのために命を賭しても死は死

だ。それ以上でも以下でもない。

 

「名誉なことね……で、それについて肝心のお前はどう思ってるんだ?」

 千里は皮肉っぽい笑みを浮かべて言う。

「何かのために命を懸けられるっていうのはいいことだと思うわ。それが人であろうと国であ

ろうとね」

「つまり名誉なことだと思っているってわけか」

「あなたに比べれば」

 一郎はきょとんとした顔になって、しばらくしてから「フフッ」と小さく笑った。

「――そろそろ下に行くか。朝倉の様子も心配だし」

「そうね。私はその後でバリケードのチェックをしてくるわ」

「ああ、頼む」

 

 このとき二人は、まだ気付いていなかった。

 朝倉真琴が、この病院の中にいないということに。

 

【残り10人】

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