終盤戦:76





 悲嘆と絶望が立ち込めるその頭上は、青く晴れ渡った空と暖かく鮮烈な陽光。

「ねえ浩介……私、どうすればよかったのかな」

 彼女の、霧生玲子(女子6番)本来のキャラクターからはおよそ考えられないような抑揚の

ない声が空気に触れ、果てしなく広がる青空へと吸い込まれていく。

 

「あんたを助ければよかったのかな。でもそうするとあんた文句言いそうよね。”これは僕と

浅川の問題なんだ”とかなんとか言っちゃってさ。生きるか死ぬかってときにそんなことにこ

だわって……どうかしてるわよ」

 玲子は空を見上げる。

 青くて、晴れやかで、今の季節に相応しい清々しい天気だ。

 みんなでこういう場所に来れば、きっと楽しい思い出ができるだろう。

 

 けれど、みんなが揃うことは決してない。

 もう、二度と。

 

「ちょっと浩介、何とか言いなさいよ。好きな子が困ってるんだからアドバイスの一つでもよ

こしなさいっての。そんなんじゃ私に嫌われちゃうんだから」

 嘘だ。

 自分が彼を嫌うなんてことは絶対にない。以前に吉川秋紀(男子19番)が「絶対とか必ず

とかはないんだよ」と言っていたけど、こればかりは断言できる。

 私は、浩介のことを嫌いになんてならない。

 腕の中にある高橋浩介の身体は冷たかった。正午が近づき気温が上がっているのに、

彼の身体はどんどん冷えていっている。

 

 全ては手遅れだった。遅すぎたのだ。

 何で自分はあの時、浩介を助けてあげなかったのだろう。

 雪姫つぐみ(女子17番)に止められたから? 浩介が手出しはいらないと望んだから?

 そうすれば浩介は満足するだろう。現に死に際の彼の顔は満足そうだった。少なくとも後

悔や苦しみなどの念は、彼の中になかったと思う。

 

 でも、玲子自身の気持ちはどうなる? 玲子はつぐみのように強くない。絶対的な信頼を

置くことができない。信じ切る強さよりも、失ってしまうことへの恐ろしさの方が強く心に現れ

てしまう。

 

「どうすればよかったの? どうすることが正解だったの? 答えてよ、浩介……。私、もう

何がなんだか分からないよ……!」

 浩介から返答はない。閉じられた瞳は二度と開くことはなく、血の気の失われた唇は二度

と言葉を口にすることはない。

 

 分かってはいたが、自然と言葉が溢れていた。

 浩介はいい奴だった。明るくて優しくて、いろいろと我がままを言っても嫌な顔一つしない

で、最後まで誰かを救おうとしていて。

 こんな自分を好きになってくれて。

 そんな浩介が何で死ななければいけない。浩介は何も特別悪いことをしたわけじゃないし、

特別幸せを願ったわけでもない。

 どこにでもいる普通の、一人の人間として生きようとしていただけだ。

 たったそれだけのことすら許されないというのか。

 

 何のために――何の権限があってプログラムなんてやらなければいけないんだ。

 浩介の命を奪う権利なんて誰にもないのに。

 どうしよう。どうすればいい? 何をやればいいの? これからどうすれば――。

 その言葉だけが頭の中で繰り返される。浩介のためにも、彼の分まで生き続ければいい

のだろうかと考えても、言いようのない不安と絶望がそれをあっという間に打ち消してしまう。

 

 ――秋紀。

 彼女の脳裏に浮かぶ、一人の少年の姿。

 ――助けて、秋紀。

 いつも自分をからかっている、言葉遣いは汚いけど本当は凄くしっかりしているあいつ。

 会いたかった。今すぐ助けに来てほしかった。

 浩介の気持ちは嬉しい。ただ、玲子の秋紀に対する気持ちも彼のそれと同じくらい強く、

譲れないものだった。

 

 想い人である秋紀のことを考えながら、玲子は私物のバッグの中から一冊の本を取り出し

た。数年前の誕生日、秋紀がプレゼントしてくれた本。痛まないように、大切に大切に扱って

きた。

 

 玲子は浩介の遺体をそっと横たえ、「私、もう行くね」と優しく語りかける。

 どうすればいいのか、何をすればいいのか。

 簡単なことだった。自分が今、一番やりたい事をやればいい。

 秋紀に会いたい。会って彼にこの想いを伝えたい。

 浩介がそうしてくれたように。

 秋紀から貰った本を大切に抱え、玲子は心の中で浩介に別れを告げた。

 

 だがそれは、あまりにも突然だった。

 

「――――!」

 寒気と戦慄が同時に走った。

 今まで感じたことのない禍々しい気配。直接的な殺意ではなく、それとはまた別に狂気が

含まれたドス黒い殺意を全身で感じ取った。

 玲子は何もできなかった。

 振り返って相手の顔を見るよりも、この場から飛びのいて逃げ出すよりも早く。

 玲子を守ろうとした浩介の想い、秋紀に会いたいという玲子の想い。そんな二人の想いは、

一発の銃声によって無残に引き裂かれた。

 

 

 

 

 

 そこにあるのは、死体だった。

 銃創もなく切り傷もなく首にロープの跡があるわけでも頭が潰れてグチャグチャになってい

るわけでもない。外傷は無傷。しかしそこにあるのは生体反応を停止させた魂の抜け殻。

 足元に転がっている二つの死体を見下ろしながら、高梨亜紀子(女子10番)は冷静に分

析を開始する。

 

 ――ちょっと信じられないけど、これってどう見ても毒殺よね。

 亜紀子の前にある斉藤修太郎と緑川優の死体は、最初にルール説明が行われた教室で

見た二ノ宮譲二の死体と酷似していた。見開かれた目、苦悶に満ちた顔、大量の吐血。

 ということは二人は、首輪を作動させられて死んだということになるのだろうか。確認のため

に探知機を取り出して支給武器一覧という項目を選択してみると、首輪操作リモコンという名

の武器は確かに存在していた。

 

 首輪操作リモコン。具体的な操作方法は分からなくてもどういう物なのかはすぐに分かる。

ようするに、スイッチ一つで対象者の首輪を作動させることができる代物。

 これには亜紀子も苦笑せざるを得ない。失敗無しの一撃必殺ができる武器なんて出回って

いていいのか? 何らかのデメリットが加えられているのかもしれないけど、ゲームバランス

を崩すには充分すぎる。

 

 しかもその武器を”あいつ”が持っているだなんて。

 

「冗談よしてよ……史上最高に最悪じゃん、これ」

 小学校の中にある教室の一つに隠れていた亜紀子は、ついさっきここで起きた出来事の

全てを把握していた。

 修太郎と優、そして二階で死んでいる木村綾香の三人がここにやって来て、その後に黒崎

刹那(女子7番)がやって来て修太郎と優を殺し、二階へ向かって綾香を殺して何事もなかっ

たように立ち去っていった。

 

 非常に分かりやすく、事件としてはシンプルの一言に尽きる。しかしその中に含められた深

い意味、彼女の危険性などを考慮すればそんな言葉では済まされない出来事だった。

 彼女が首輪操作リモコンを持っていれば、マシンガンに拳銃、銃を持った山田太郎を相手

に素手で圧勝できる力を持っているということになる。亜紀子には探知機による情報力とい

うアドバンテージがあるものの、直接的な戦闘で彼女を倒すことができる可能性はますます

厳しくなってしまった。

 

 亜紀子自信は気付いていないが、彼女は誤解していることがある。修太郎たちを殺したの

は刹那だし、その死因が毒殺であること、首輪操作リモコンが支給されていることも事実だ。

 しかし、刹那がリモコンを持っているというわけではない。彼女が持っているのは毒ガス弾

付属のグレネードランチャーで、リモコンを持っているのは刹那と行動を共にしている吉川秋

紀だ。

 

 支給武器一覧が表示されると言っても、それは誰にどんな武器が支給されたか見れるとい

うわけではなく、あくまで”支給される武器の一覧”を見ることができるということに過ぎない。

そして探知機の中の一覧表は、毒ガス弾を撃ち出す武器を『H&K HK69』としか表示して

いなかった。いくら亜紀子といえど武器、兵器類の名前を知っているわけではない。それら

の要素が絡まって、『情報屋』高梨亜紀子に間違った認識を与えさせていた。

 亜紀子は毒ガス弾が支給されていることを知らない。

 

 その事実が、彼女の命運を左右することになる。

 

「――――っ?」

 がくん。

 そんな音が聞こえてきそうな感じで、亜紀子は床に膝をついた。

「え……?」

 亜紀子は自分の両手を見つめる。ぶるぶる、ぶるぶると、見慣れた二つの手が規則的な

痙攣をしている様を怪訝そうに見つめる。

 立ち上がろうと膝に力を入れたがまるで力が入らない。それでも何とか立ち上がった亜紀

子は急激な吐き気を覚えた。

 

「う、ううっ……」

 口元を押さえながら震える足取りで玄関へ向かう亜紀子。目の前が霞み、意識が朦朧とな

る。全身に力が入らず、凄まじい嘔吐感が喉の奥から込み上げてくる。

 校舎の外に出ようとしたところで耐え切れなくなり、亜紀子は胃の中のものを吐き出した。

 口内に広がる鉄錆の味。

 

「――――!」

 自分の口から吐き出されたものを見て亜紀子は愕然とした。

 彼女の吐瀉物は赤い色をしていた。

 正確に言えば、それは吐瀉物ではなかった。

 赤い赤い、亜紀子自身の血だった。

 思わずもれそうになった悲鳴を押さえ、亜紀子はもつれる足で駆け出す。

 

「がはっ!」

 亜紀子の口から吐き出された血が真っ赤な飛沫を上げた。亜紀子はそれを見て恐怖に顔

を歪めたが、そんなことお構いなしに走り出して行く。

 校門をくぐり道路へ出てしばらくしたところで、亜紀子は何かにつまずいたように前のめり

に倒れた。全身が震えて思うように身体が動かせない。

 冷や汗が滲み出る。心臓がドクンドクンと鼓動を繰り返す。

 

「ぐ……、ううっ……う、ううう……」

 亜紀子の思考は混乱の極みに達していた。この症状が毒物によるものだということは分か

っている。だが、いつ自分は攻撃を受けた? 他の生徒への接触は必要最低限のもの以外

していないはずだ。誰か近くにいても探知機で分かるし、自分が毒による攻撃を受けるなん

て有り得るわけが――。

 そこまで考えたところで、再び喉の奥から熱いものが込み上げてきた。同時にとてつもない

痛みが身体中に走る。今度こそ堪え切れなくなり、亜紀子はくぐもった悲鳴を上げた。

 

 厳密に言えば、亜紀子は毒による攻撃を受けていた。

 刹那が撃ち出した毒ガス弾。空気中に分散するはずだった毒ガスはそれをせず校舎の中

に留まり、小学校の一階部分に広まっていた。

 そのことを知らず、ガスマスクを持っていない亜紀子に漂う毒ガスを防ぐ術はない。

 亜紀子が吸い込んだ微量の毒ガスは、彼女の肉体をじわじわと蝕み、破壊し始めていた。

 

【残り11人】

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