終盤戦:75





 引き金に掛けていた指を離す。瞬間、自分がここに足を踏み入れたときと同じ静寂が降りて

くる。今まで銃撃戦をしていたのが夢か幻なのではないかと思えるくらいの圧倒的な沈黙。

 全てを否定し、全てを零に戻すそれはさながら神の意志のようだった。

 

 しかし。

 

 目の前に広がる光景、自分が立っているこの世界は夢でも幻でもない。

 辛くても苦しくても悲しくても痛くても切なくても逃げ出したいと思っても、もうどうしようもない

どうすることもない現実。醒めることのない永遠の夢。

 黒崎刹那(女子7番)はH&K MP7の銃口を下げ、会議室の扉近くで倒れている木村綾香

へ近付いていった。

 全身を穿たれ、穴だらけになったかつてのクラスメイトへと視線を落とす。魂が抜け落ち、肉

塊と化した物言わぬ骸。変わり果てた顔見知りの姿。

 不思議と罪悪感はなかった。殺さなければ殺されていたから? これがプログラムだから?

理由は次々と出てくるけど、最終的な理由はたった一つの簡単な答え。

 

 こうするしかなかった。

 伊藤忠則を殺した後、吉川秋紀(男子19番)がこう言っていた。

 

『ほら、さっきまであいつ生きていただろ? それなのに今はあんな風になっちまってさ、人間

って思ったより簡単に死んじまうんだなって……そう思い始めたら俺もいつかはこんな風にな

っちまうのかなとか、人間って死んだら全部終わっちまうんだなとか、いろいろ考えちまってさ』

 

 彼の気持ちが、今ならば痛いほど理解できる。

 人はいつしか死ぬ。誰もが皆、平等に。

 死は人間にとって絶対だった。全てを終わらせ、逃げることのできないほど大きいもの。

 人生の終着点が死だということは分かっている。だがそれならば、自分たちは死に向かって

生きているということなのだろうか。

 どんな幸せを手にしても、どんな苦しみを味わっても、最後に待っているのは平等な死だけ

だ。

 

 それならば、自分たちが生きていることに何の意味があるのだろう。

 死と血の存在を強く感じ取りながら、刹那はあの時と同じ疑問を浮かべる。

 

 十年前、テレビに映されていたニュース番組でプログラムの報道を目にしたあの時と。

 忘れることの無い記憶の海。狭まることなく無限に広がっていく大海の底――どこよりも深く

何よりも大切な、傷であり宝物でもある想い出が疼き始める。

 

 楽しくて、今では辛いもので、けれど楽しい”それ”は黒崎刹那という人間の人生に多大な影

響を与え、彼女の人間性を形作った美しく鮮明な想い出。

 

 翻る、肩まで伸びた青い髪。

 透き通った冷たい真水のような声。

 滅多に変化を見せない理知的で端整な顔。

 家族以外の人間で、唯一自分と仲良くしてくれた人。

 

 ――琴乃宮涼音。

 もういないけれど、もう二度と会うことはできないけれど――あの人は生きている。

 自分の中で。自分の記憶の中で優雅に、そして鮮やかに。

 

 会議室から出て、一度外しておいたガスマスクを再び付けた刹那は玄関に向かって歩き始

める。ガスマスクをしていない方が相手の動きが見やすいから一時的に外していたが、一階

で斉藤修太郎と緑川優を殺した際に毒ガス弾を使用したため、ガスマスクを付けていないと

こちらの命に関わる。あの毒ガスは時間が経てば空気中に分散するらしいが、窓の閉め切っ

てある屋内で使用すればどうなるかくらい予想が付いた。こういったガス系統の兵器の恐ろ

しさは屋外よりも屋内で発揮されるものである。念のために秋紀を外に残してきたのは正解

だったようだ。

 

 廊下を進みながら、刹那は十年前のことに思いを馳せる。

 新潟市に引っ越す前の頃、自分の記憶力の良さをおぼろげにしか理解していなかった頃。

 当時の刹那には年齢の近い友達がいなかった。刹那は五歳という年齢の割りに大人びた

考え方をしていたし、頭の回転の速さも同年齢の子供たちを遥かに凌駕していたからだ。

 

 天才少女、黒崎刹那は幼少時代からその片鱗を覗かせていた。

 明らかに『異質』な存在である刹那に寄り付こうとするものは誰もいなかった。通っていた保

育園の先生でさえ薄気味悪く思ったり、「子供のくせに生意気だ」と怒鳴ったりしていた。

 毎日毎日一人で過ごし、家族以外の誰とも話さない日々。幼い刹那にとってそれはどれだ

けの苦痛だっただろうか。

 

 その孤独を癒してくれたのが、近所に住んでいた中学生の琴乃宮涼音だった。彼女には赤

音という双子の姉がいたが、刹那は活発な赤音よりも自分と同じような性格の涼音のほうに

懐いていた。

 

 小さかった自分と毎日のように一緒にいてくれて、自分の面倒を見てくれて、自分の記憶力

のことを知っても不気味に思ったりせず、「それは君の長所であり個性だ。もっと誇ってもいい

と思うよ」と微笑みながら優しく言ってくれた涼音。

 彼女のようになりたかった。彼女が自分の目標だった。

 あの時、刹那は幸せを感じていた。

 

 ――しかし。

 それはあまりにも無慈悲に、そして突然訪れる。

 1995年の夏。三条市静海中学の3年1組は一人の生徒を残し、全員この世から別れを告

げた。

 その中に、涼音も含まれていた。

 

 プログラムだった。

 涼音から聞かされていたから、プログラムがどういうものなのか刹那は理解していた。

 どういうものなのかは分かっていたが、何が起きたのか理解できなかった。ずっと側にいて

くれた涼音の死。制服を血で真っ赤に染めた涼音の遺体を前にしても、刹那は彼女の死を受

け入れることができなかった。

 

 そして刹那は、人間が死ぬということがどういうことなのか――『死』がどういうものなのかを

おぼろげながら悟る。

 

 人間はみんな、いつか死んでしまう。

 あんなに元気だった涼音お姉ちゃんも死んでしまった。

 なら、自分たちが生きていくことに何の意味があるんだろう?

 生気のなくなった涼音の顔を前にして、刹那は静かに泣いていた。

 

 

 

 小学校の外へ出て、校門の脇で待っていた秋紀に合流する。

「よう、どうだった?」

 刹那はガスマスクをはずし、軽く前髪をかき上げる。

「会長はいなかった。どうやらもう別の場所に行ったらしい」

「そっか……。ちょっと来るのが遅かったみたいだな」

「そうだね。けれど生きていればいずれどこかで会うことになる。そんなに急ぐ必要はないよ」

 刹那は予感していた。このまま勝ち進んでいけば、高確率でつぐみと出会うことになるだろ

うということを。

 

 待ち合わせの場所に指定された会議室、あそこには綾香の他に二つの死体があった。とい

うことは自分が来る少し前まであそこに誰かがいて、殺戮を行っていたということになる。

 その”誰か”がつぐみである可能性は高い。呼び出しておいた張本人があそこにいないとい

うことは、彼女は”殺すため”に呼びかけを行ったということになる。

 彼女は本気だ。今まで築き上げてきた友情とか信頼、その全てを投げ打ってまで優勝しよ

うとしている。あの雪姫つぐみが本気になったらどうなるのか――刹那には想像がつかない。

場合によれば山田太郎以上の強敵になるだろう。

 

 だが自分には完全無欠の記憶能力がある。彼女の動きを覚えることができれば、勝利を手

にするのもそれほど難しいことではないはずだ。

 つぐみに勝つことができれば、現在生き残っている他のメンバーに負ける気はしない。

 あとは最後の一人になるまで、目の前に立つ人間を殺せば――。

 刹那の歩みが、ぴたりと停止する。

 

「……刹那?」

 怪訝そうな顔で秋紀が声をかけてきた。

 刹那は顔だけ振り向き、彼の顔をじっと見つめる。

 

 最後の一人になるまで、目の前に立つ人間を殺す。

 それは。

 つまりそれは――。

 

 ――『いつか刹那ちゃんにも現れるよ。自分が大切だと思える人、自分を大切だと思ってく

れる人が』

 

 記憶の中から再生される『あの人』の声。

 あの時は彼女の言葉を受け入れられずにいた。自分は他の人と違う。だから自分を大切に

思ってくれる人なんて現れないだろうし、大切に思えるような相手なんて一生をかけても巡り

逢えないだろうと。

 

 今は違う。

 今なら彼女の――琴乃宮涼音の言った言葉を、信じることができる。

 大切に思える人、大切に思ってくれる人。

 その相手を、いつか私は。

 

「秋紀くん……君は私のことをどう思っている?」

「どうって……」

 刹那は完全に秋紀の方へ振り返り、自分の胸に手を当て、震える声で言葉を紡ぎ出す。

「こんな私を――生きるためとはいえたくさんの人を殺している私を見て君はどう思う? どう

考えても私は最低だよ。都合の良い自分勝手な理由を振りかざして人を殺して、自分だけが

生き残ろうとして……こんな私を見て、君はまだ友達と言ってくれるのか?」

 顔を伏せながら、今にも泣き出さんばかりの様子で立っている刹那。

 

 それは秋紀をひどく動揺させた。

 彼が知っている黒崎刹那は常に冷静沈着でめったなことでは表情も口調も変えない、それ

こそ人形のような人間だ。その彼女が泣きそうな顔で、声を震わせながら自らの感情をぶつ

けている。

 だが戸惑いもわずか、秋紀は神妙な面持ちでこう答える。

 

「友達だよ」

 そこには揺らぎも偽りも無い。

「どんなことをしていたってお前はお前だ。俺は嫌いも軽蔑もしやしねえよ。それに人間っての

は誰でも、大なり小なり自分勝手に生きてんのさ。少しぐらい好き勝手やったってバチは当た

らねえよ」

 彼は思っていることを包み隠さず言っている。同情や哀れみなどではなく、自分の本心を。

 刹那が先程そうしたように。

「死にたくないってのは誰でも同じだ。俺もそうだし、玲子も浩介もそう思ってるだろうぜ。だか

らそれは都合の悪い理由なんかじゃねえし、お前が今やっていることは間違いなんかじゃね

えと思う。正しいのかどうかって言われると分かんねえけど……とりあえず『生きたい』って思

う上での選択肢の一つなんじゃないか?」

 刹那は何も答えられない。言葉が出てこない。

 

「あー……なんかわけ分からなくなっちまったな。俺、お前みてえに頭良くないから上手く言え

ないけどさ、ようするに細かいこと気にすんなってこと。俺は俺だし、お前はお前なんだから」

「…………うん」

 彼の優しさを嬉しく思う反面、「なんで」と思う気持ちもある。

 こんなことを言われたら、私は秋紀くんを殺せなくなる。

 いっそのこと、思いっきり罵倒してくれたほうがいいのに。

 そうすればきっと、私は引き金を引くことができる。

 あなたを殺すことができる。

 彼の気持ちを喜べばいいのか、悲しめばいいのか。刹那には分からなかった。

 

【残り11人】

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