終盤戦:74





 初志貫徹。

 それが木村綾香(女子5番)の座右の銘であり、彼女の行動スタイルでもあった。

 最初に決めたことを貫く。簡単なようで難解なことだ。

 初めに心に決めたことよりも強い誘惑、魅力を持つものが出てくれば人はそちらを選

ぼうとする。人間としては自然なこと。状況にもよるが、そうしたところで誰かに責めら

れるというわけでもない。

 

 だが彼女は、一番最初に決めたことをやり遂げる。

 それはまるで直線のように。

 ただひたすらに、真っ直ぐと。

 

 呼びかけのときにつぐみが口にしていた会議室は、自分が立っている沙更島の大地

と同じようにまるで戦場のようだった。

 机もパイプ椅子も乱雑に投げ出され、血と硝煙の臭いが部屋に充満している。そして

部屋の中には、ついこの間まで無邪気に話し合っていたクラスメイトが転がっていた。

 掃除用具が入っているロッカーの前でうつ伏せに倒れているのは、近づいてみて佐

藤美咲であることが判別できた。その隣で倒れているのは橋本恵一。二人とも喉を切

り裂かれ、大量の血液を床に撒き散らしている。

 

 呆然となったのも一瞬、綾香はこみ上げてくる吐き気と恐怖をぐっと堪えて、慎重に

部屋の中を調べ始めた。いくら死体に慣れたとはいっても怖いものは怖いし、ここまで

のものを見せられると気持ち悪くなってしまっても仕方がない。その反面、綾香はまだ

自分に人間らしい部分が残っているんだなと思い少しだけ安心した。

 部屋の中には自分以外の誰の姿も無く、誰の気配も無い。ここまで来る途中にあっ

た教室も一応調べてみたが誰もいなかったし、ここにいるのは自分だけと考えて間違

いないだろう。

 

 日差しを強め始めた太陽を背に、綾香は考えを巡らせる。自分は肉体派だから予測

とか物事を整理したりするのは得意じゃないけど、ここで何があったのかくらいは理解

できる。

 

『んー……私はたぶん、殺し合いに乗っていると思う』

 

 脳裏に蘇る、取りとめも無い会話の記憶。

 あの時彼女は言った。殺し合いに乗っているかもしれない、と。

「何よそれ……冗談にしてはタチ悪すぎじゃない」

 壁に寄りかかった綾香は、全身の力が抜けていくのを感じて声を漏らす。

 

 綾香は改めて美咲と恵一の死体を見た。とにかこれで死亡者が新たに二人増えた

ことになる。残り15人。もっとも別の場所で誰かが死んでいるかもしれないので、最低

でも、ということだが。

 病院にいる真琴たちと、一緒に来ている修太郎と優を除く生存者は八人。男子は

川悠介(男子1番)高橋浩介(男子10番)中村和樹(男子11番)吉川秋紀(男子

19番)。女子では霧生玲子(女子6番)黒崎刹那(女子7番)高梨亜紀子(女子10

番)、そして雪姫つぐみ(女子17番)

 

 この中ではっきり無害だと言えるのは浩介、和樹、玲子の三人くらいだ。秋紀は付き

合いがほとんど無いからどう動くのか分からないし、刹那は見た目からして何を考えて

いるのかさっぱり分からない。亜紀子は乗っていてもおかしくないと思う。彼女はスリル

とか他人の不幸を楽しむような悪い癖があるから、誰かを殺していてもそれほど不思

議には思えない。

 

 そして、浅川悠介。あいつは絶対やる気になっている。断言してもいい。つぐみ以外の

誰かと喋っている場面をほとんど見かけたことがないし、クラスに親しい人物がいない。

だから誰かを殺していてもおかしくはない。

 

 ――これからどうすればいいのだろうか。もしかしたら、と思っていたつぐみはやる気

になっている可能性が高い。自分たちは殺し合いをする以外に助かる道がないのか?

 ――いや、そんなことはない。探せばきっと、きっと何か抜け道があるはずだ。この

世に『絶対』なんてものは存在しないのだから、ここから逃げ出す方法もあるはずだ。

 

 とりあえず、このことを下にいる修太郎たちに伝えよう。そして病院に戻って真琴たち

にもこれを伝えて――ああ、森にも言わなければならないのか。結局あいつの言葉ど

おりになってしまった。理不尽だとは分かっていても、悔しくてあいつへの怒りが再びこ

み上がってくる。

 

 廊下に出た綾香は二回ほど深呼吸をし、肺の中を綺麗にする。死体もさることなが

ら、あのむわっとした空気のせいで会議室の中は長居できない状態になっている。

 何気なく視線を向けると、廊下の奥のほう――ちょうど下へ行く階段がある場所に人

の姿があった。綾香は視力が悪いわけではないし、距離もそれほど離れていなかった

がそれが誰なのか判別することができなかった。

 

 自分と同じ女子の制服を着た彼女は、ガスマスクのようなものを付けていた。背格好

からいって霧生玲子ではない。つぐみなら髪の色ですぐ分かるし、亜紀子だとしてもパ

イナップルのような髪形をしているからこれもすぐ分かる。ということは――。

 

「――――!!」

 その人物の正体が分かった瞬間、綾香は目を見開いて横ざまに跳び会議室の中へ

身を隠した。一瞬遅れ、もう聞き慣れてしまった火薬音が響き先程まで綾香が立って

いた場所に火花が咲き乱れる。

 

「な、何なのよいきなり!」

 綾香は扉の影から顔と腕を出し、ガスマスクの人物へコルトパイソンを向けた。両手

で構え、立て続けに二回撃つ。こちらに向かって走っていたガスマスクの人物は途中

にあった教室の扉を開け、綾香と同じように横ざまに跳躍して身を隠した。

 その扉の陰から、すっと手が伸びてきた。その先には黒いオートマチック拳銃が握ら

れている。

 

 火花とともに轟音が噴き出し、放たれた銃弾は綾香が隠れている場所のすぐ近くに

着弾した。しかしそんなことで怯む綾香ではない。今度は自分の番と言わんばかりに、

扉から半身を出して連続して引き金を引いた。

「くらえっ!」

 シリンダーに残されていた四発のマグナム弾が立て続けにガスマスクの人物へと襲

い掛かる。しかし相手もずっと身を出しているほど馬鹿ではない。その人物はすっと身

を隠し、結果コルトパイソンの銃弾は何も無い空間を通過していった。

 

 綾香はデイパックの中から予備の銃弾を取り出し、慌てることなくシリンダーに装填

する。リボルバーは構造がシンプルなため故障に強く弾詰まりも起こり得ないが、連射

力に欠け総弾数が少ないという欠点がある。しかし、綾香が伊藤忠則から強奪したこ

のコルトパイソンには、スピードローダーというリボルバーの弾込めを早くさせる道具が

備え付けられていた。これならばオートマチックの銃を相手にしても、弾丸を再装填す

る際の隙がなくなるというわけだ。

 

 相手にとってもスピードローダーの存在は予想外の出来事だったらしい。ガスマスク

の人物は顔を出して銃撃をしようとしたが、それよりも早く綾香が撃ってきたために攻

撃の手を中断し慌てて頭を引っ込める。コルトパイソンから撃ち出された銃弾が教室

の壁に当たり、クレーターを小型化させたかのような穴が穿たれる。

 

 扉の脇に身をくっつけて、十二、三ートルほど先にいるガスマスクの人物の様子を見

る。銃弾を惜しもうとは思っていないらしく、隙あらば自分に向けて発砲してきた。どう

やら話が通じる相手ではないようだ。

 玄関から会議室までは一本道だ。窓から外に出るとか他の教室に隠れでもしない限

り、自分とともにやってきた斉藤修太郎と緑川優の二人に出くわすはずである。二人は

無事逃げ出すことができたのか? それともあいつの――黒崎刹那の手によって殺さ

れてしまったのだろうか。

 

 コルトパイソンを握る両の手が、グリップを破壊せんばかりにぎゅっと固められていく。

 そうだとしたら。

 もしそうだとしたら、あいつをこのまま生きて帰すわけにはいかない。

 綾香は今まで以上の決意と殺意を込め、目の前にいる敵を打ち砕かんとただひたす

らにコルトパイソンの引き金を絞る。

 

 

 

 ――思った通りというか、何と言うか。

 機械的な動作で右手に握ったシグ・ザウエルSP2009を撃ちながら、刹那は冷静に

現状把握を開始する。

 

 ――やっぱり彼女、分かりやすい単純な動きをする。これなら”読む”のにそれほど

時間はかからないな。

 綾香と刹那、彼我の距離は簡単に見て十メートルほど。銃撃の隙を見て移動すれば

近づくこともできるが、相手も同じことを考えているかもしれないのでここはひとまず綾

香の動きを見たほうがいいだろう。

 それに今は、彼女の動作を一つでも多く頭に刻み込む必要があった。毒ガス弾は残

弾数が少ないので、できれば個人相手の使用は控えたい。この先はプログラムを勝ち

抜いてきた強敵たちと戦うことになるのだから、使い勝手の良い切り札は一つでも多く

残しておくべきだ。

 

 刹那は先程から牽制程度にしか銃を撃っていない。本当の目的は綾香の撃ち方一

つ一つを目に焼き付け、先読みの成功性を少しでも上げるためにある。幸いなことに

体育の授業や部活中の風景を何度か目にしたことがあるので、綾香の基本的な動作

の記憶は揃っている。あとは銃を撃つときの動きを取り入れて、彼女の先の動きを頭

の中で組み立てるだけだ。

 

 綾香が銃を撃ち、刹那が身を隠す。今度は刹那が銃を撃ち、綾香が身を隠す。何度

繰り返したか分からない単純な動作。

 ――そろそろいいか。

 刹那はシグ・ザウエルのマガジンを新しいものに交換し、綾香の銃撃が止まったのを

見計らって廊下へと足を踏み出した。

 

 その後――信じられないような光景がこの場で繰り広げられることになる。

 

「――――!?」

 銃弾を補充し、コルトパイソンを握った手とともに廊下に顔を出した綾香は我が目を

疑った。

 先程まで身を隠して銃を撃っていた刹那が、何を思ったのか廊下にその姿を現した

のだ。ガスマスクはいつの間にか外しており、ぞっとするような美貌が目の前に現れて

いる。

 血と硝煙の臭いが香る小学校の廊下に悠然と立つその姿はどこか幻想的で、綾香

は無意識のうちに刹那に見入っていた。

 

 ――あいつ、一体何を考えてんの?

 もちろんそれも一瞬、綾香はすぐに銃の照準を合わせる。自分を動揺させて、その

隙を突こうというつもりだろうか。それとも玉砕覚悟で突っ込んでくるつもりなのか。

 いずれにせよ、向かってくるのならば迎え撃つまでだ。綾香は刹那の胸に照準を合

わせ、コルトパイソンの引き金を引く。

 

 響き渡る、銃声。

 

「な――――」

 しかし刹那は倒れていない。硝煙の上がった銃をこちらに向けて、何事も無かったか

のようにただそこに立っている。

 戸惑いも一瞬、綾香は再びコルトパイソンを撃つ。続けて二度、三度。しかし刹那は

無傷だった。避けようともせず、一歩一歩を踏みしめるかのようにゆっくりとこちらへ近

づいてくる。

 背筋に寒気が、全身に驚愕と衝撃が走った。綾香の双眸は刹那が何をやってのけた

のかをはっきりと見ていた。

 

 刹那は、”銃弾を銃弾で撃ち落していた”。

 

 腕を上げたタイミング、狙った方向、引き金を引く速度。刹那の取ったそれら動き全て

が綾香と同じものだった。刹那は綾香の動きを覚え、そこから先の動きを予測し、彼女

とまったく動きをやってのけることで銃弾を撃ち落し無効化していたのだ。

 偶然や勘などではない。そんな不確かなものでこんな業ができるわけがない。刹那は

故意に、全て計算ずくでこの行動をしている。

 

 綾香の全身を恐怖が侵食していく。新しい銃弾を装填し終えた綾香は、半ば恐慌状

態で銃を撃ちながら近づいてくる刹那の姿を見る。

 彼女の表情には何も映っていない。喜びも怒りも悲しみも楽しみも。ただ、こちらを見

ているだけ。全てを覆い尽くす闇のような瞳で。

 

 やがて新しく装填した銃弾もすぐに尽きた。脇に置いてあるデイパックに手を突っ込

んで予備の弾を取ろうとするが、それよりも早く刹那が肩から提げていたH&K MP7

を撃っていた。

 刹那の左手の辺りから連続して火花が噴き上がる。吐き出された無数の銃弾のいく

つかは綾香の身体に深々と牙を立てる。

 

「うあああっ!」

 痛さと熱さが同時に襲ってきた。同時に全身の力が抜けていき、くるりと身体を回しな

がら床に倒れる。

「ううっ……」

 半身を隠していたために正面から攻撃を受けはしなかったが、綾香の身体は左半身

を中心に五発もの銃弾が命中していた。致命傷とまではいかないが、このまま放って

おけば出血多量で死ぬことは目に見えている。

 

 震える手でデイパックを探り、何とか掴み取った銃弾をコルトパイソンに装填する。力

の入らない手で、まともに狙いも定められないようなこの状態で何ができるというのか。

 膝立ちの体勢で、振り向きざまにコルトパイソンを持ち上げると同時に引き金を引く。

 

 そして、爆発音。

 

「――――っ!!」

 意味を成さない絶叫が綾香の喉からほとばしった。

 彼女の両手の中にあったコルトパイソンが、彼女が引き金を引くより一瞬早く爆発、

粉砕した。

 カシャン、という音とともに無残な姿で床に落ちるコルトパイソン。綾香の両手はひどく

焼け爛れ、右手の人差し指から薬指にかけてはほとんど千切れかけていた。

 激痛により研ぎ澄まされていく意識の中で、綾香はシグ・ザウエルを構えている刹那

の姿を確認した。

 

 相手の撃ってきた銃弾を銃で撃ち落すことが可能ならば、それよりも少し早く相手と

同じ動作をやってのければ、”相手の銃口に銃弾を撃ち込み”暴発させることもできる。

 理屈とすれば可能かもしれないが、現実的には不可能な所業。

 それを彼女は――黒崎刹那は悠然と、超然とした態度でやってみせた。

 

 呆然としている綾香を尻目に、刹那は再びMP7を持ち上げる。

 あとは彼女が引き金を引けば、自分は死ぬ。

 

 自分が死ぬ場面なんて想像できなかった。

 そのときがきてみないと分からないと思っていた。

 今、そのときが訪れようとしている。

 想像していたよりもずっと冷たく、凄惨で残酷だった。

 

 ふと、昔からの友人である朝倉真琴(女子1番)の顔が頭に浮かんだ。

 死ぬことへの恐怖も、刹那に対する戦慄も、全身を駆け抜ける痛さのことよりも、頭に

強く浮かんでくるのは真琴のことだった。

 小学校で知り合って、何かにつけてはケンカして、それと同じぐらい仲直りを繰り返し

て、いつも一緒に笑い合っていて。

 友人はたくさんいたけれど、腹を割って話すことができたのはつぐみと真琴くらいだっ

た。趣味も性格もまるで正反対だったけど、それでもずっと――ずっと一緒に生きてき

た。家族と同じ、自分にとって掛け替えの無い存在。

 

 あいつは、大丈夫だろうか。

 ここから無事に、生きて帰ることができるだろうか。

 ――きっと大丈夫だ。あいつは、真琴は私よりもずっとしっかりしている。何も心配は

いらない。何も不安に思うことはない。

 誰よりも側で、あいつのことを見てきたんだから。

 

 MP7の銃口から吐き出された弾丸は次々と綾香の身体に食らいついていった。床に

座り込むような体勢をとっていた身体が大きく揺れ、仰向けの体勢のまま後頭部から床

に崩れ落ちる。その半分が赤く染まっている会議室の床の上に、綾香の身体から流れ

出た血が新しい『赤』をゆっくりと広げていった。

 

 消滅していく綾香の目線は天井を見ていなかった。彼女の目に映るものは、プログラ

ムを共に過ごした仲間たちがいる病院。長いようで短い時間を共に生きた親友の顔。

 潰えていく世界の中で、綾香はここにいるはずのない真琴の姿を見た。

 

木村綾香(女子5番)死亡

【残り11人】

戻る  トップ  進む



SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送