終盤戦:73





 正午が近づくにつれ日の光はその勢いを増していき、青く澄み渡っている空が森や海、地

面とのコントラストを生み出す。時折吹く風は春を感じさせるように暖かく、そして心地よい風

だった。

 両脇に木々と民家が立ち並ぶ道路を歩いている木村綾香(女子5番)の心中は、頭上に

広がる大空のような美しい青ではなく、例えるのならばヒビが入ったタイルのようになってい

た。

 

 張り詰めていたりイライラしていたり――とにかく、今の綾香は精神的に安定していない状

態にあった。ケンカをした直後のような感じ、とでも言うのだろうか。

 理由を挙げるとすれば、まず森一郎(男子17番)が気に食わないというのが第一である。

性格だとかそういう細かいことではない。森一郎という一人の人間そのものが気に食わない

のだ。あの落ち着いた物腰。達観したかのような態度。大人ぶっているような口調。過程な

んて視野にも入れていない、結果だけを重視したような考え方。

 

 改めて、そして今更ながら綾香は確認した。

 私はあいつが大嫌いなんだと。

 

 あいつの考えが間違っているとは思っていない。生き方は考え方は人間の数だけ存在し、

その全てに正確な合否を付けることなんてできやしない。神様というものが本当にいれば、

話は別だが。

 一郎の考え方は実に分かりやすく単純明快なものだ。計画を立てたらその通りに行動し、

効率や可能性を重視していくタイプ。自分みたいな行き当たりばったりの人間なんかよりは

よほど頼りがいがあるタイプなんだろう。

 

 しかし、だからこそ。

 綾香は一郎のことが好きになれない。周りの人間の気持ちや考えなんかまるで無視した

そのやり方は、いくら頼りがいがあって間違いがない考え方なんだとしても、綾香はどうして

もそれに賛同することができなかった。

 

 今回の事だってそうだ。雪姫つぐみ(女子17番)が呼びかけを行ったときも、一郎は敵の

襲撃やつぐみがやる気になっている可能性もあるから行くべきではない、と判断をした。

 その通りだとは思う。あの場にいた全員でのこのこと小学校まで行って、その途中で誰か

に襲われでもしたら取り返しがつかない。一郎の考えは正しい。あの場にいた人間全員の

身を案じた冷静な判断だ。

 

 だから気に入らない。やることなすことその通りで、無性に頭にくる。

 つぐみのことは小学校の頃から知っていた。今と変わらず元気で明るくて自由奔放で飄々

としていて、困っている人がいたら自然とその人を助けることができて、いつもみんなの中心

にいて――。

 

 だから自分も、彼女のために何かをしたくなる。してもいいと思うようになる。

 このクラスの中でも、綾香はつぐみとの付き合いが長いほうに入る。あとは朝倉真琴(女

子1番)がいるけど、あれはただ単に昔からの腐れ縁なだけだ。小学校1年生から今まで

全部同じクラスだったんだからそうに決まっている。

 

 昔からつぐみの側にいて彼女を見ているからこそ、綾香はつぐみが困っているときに力に

なってあげたいと思っていた。つぐみが自分たちにそうしてくれたように、今度は自分たちが

彼女の力になるのだと。

 一郎の意見に背き、一人病院を飛び出したのもそのためだった。敵がいるかもしれないと

いう一郎の言葉は正しい。しかし助けに行かないわけには行かない。その結果綾香が取っ

た行動は『自分一人でつぐみの所に行く』というものだったのだが――。

 

「木村さん、一人で先に行かないほうが――」

 穏やかな口調で話しかけた斉藤修太郎(男子8番)だったが、綾香に振り向きざまに睨み

つけられて思わず身をすくめてしまう。

「そんな怖い顔せんといてもええやん。シュータくんだって悪気があって言ったわけやないん

やから」

 重くなった空気を和ませようと緑川優(女子15番)が二人の間に割って入る。優にまで険

悪な態度は取れなかったのか、綾香は「悪かったわよ」とだけ言って前に向き直った。

 修太郎と優が横に並んで歩き、その少し前を綾香が行く形になっている。一人先頭を行く

綾香は、後ろにいる二人には気付かれないよう溜息をついた。

 

 まったく……何でこんなことになってしまったんだろうか。本当ならば小学校へ行くのは自

分一人のはずだった。これは自分の勝手な行動なのだから、何かあっても犠牲になるのは

自分だけでいいと。だから修太郎と優の二人が追ってきたときには本当に驚いた。何も二

人が来ることはないと綾香は言ったのだが、二人は綾香の言葉など関係なしといった様子

で「一緒に行く」の一点張りだった。このことでしばらく口論が続いたが、これは綾香が折れ

る形となって無事(?)治まった。

 

 小学校は大分近づき、もう肉眼でも確認できるほどの所まで来ている。距離的に言うと10

0メートルあるかないかといったところか。綾香はデイパックの中に入っているコルトパイソン

に手を伸ばし、そのグリップを軽く握り締めた。これは真琴を殺そうとしていた伊藤忠則が

持っていた銃だ。本来の支給武器であるワルサーP99に比べると反動が強そうだというイ

メージがある。自分が持っているゲーム(あのゾンビが出てくるやつ)でもコルトパイソンは

強力な反面、撃った直後の隙が大きかった。自分にちゃんと撃てるのだろうか……そんな

不安が頭の中によぎったが、あまり考えていても仕方ないと思い割り切って考えることにし

た。

 

「そういえばさ、シュータと優ちゃんに支給された武器ってどんなんだったの?」

 病院に辿り着いてから二人とは同じ時間を過ごしてきたが、どんな武器を支給されたのか

はまだ聞いていなかった。

「俺はこんなのだった」

 そう言って修太郎がデイパックから取り出したものは、黒い缶詰のようなものに木製の柄

を付けたものだった。パッと見れば四角いマラカスに見えなくもない。

「なにこれ?」

手榴弾だってさ。全部で二個入ってた」

「え? 手榴弾ってもっとこう……丸っこい感じのやつじゃないの?」

 綾香の頭の中にある手榴弾のイメージは、映画などによく出てくるパイナップルのような

デコボコした形のものだ。それに比べると修太郎が持っているものは見たことのない形をし

ている。

 

「前に吉川から聞いたことがあるけど、手榴弾にもいろいろと種類があるんだってさ。映画

なんかでよく見かけるやつはピンを抜いて使うけど、棒型のものはヒモを引き抜いて使うん

だって。一緒に入っていた説明書にも同じことが書いてあった」

 

 吉川秋紀(男子19番)。漫画とかゲームが好きな、いわゆるオタク系の男だったと思う。

綾香はあまり彼と話しをしたことがないので分からないが、彼がミリタリー系の本を持ってき

たりそういうタイプのゲームの話をしていた姿は見たことがある。

 このクラスの中で一番銃器類の知識が豊富なのは秋紀だろう。そして彼の名前はまだ放

送で呼ばれていない。彼がゲームに乗っているとしたら、自分が思っている以上の強敵に

なりうるはずである。知識があるとないとでは、戦いの運び方がまったく違ってくるからだ。

 

「優ちゃんは?」

「私のはこれ」

 優の手に納まっていたのは何の変哲もない携帯灰皿だった。

「……森にでも渡しておけばよかったかもね」

 

 

 

 小学校の玄関に入った二人を出迎えたのは雪姫つぐみでも生き残っている他のクラスメ

イトの姿でもなく、床に転々と残された赤い液体――血痕だった。

 付着してからそれほど経っていないらしく、まだ完全には乾ききっていない。これが誰のも

ので、何が起きたのかは分からない。だが綾香たち三人を沈黙させるのは、この血痕だけ

で充分だった。

「これって血……だよな」

 誰に話しかけるわけでもなく、現状を確認するかのように独りごちる修太郎。確かにこれ

は血だ。紛れも無い、人の身体の中に通っている赤い液体。

 それがここにあるということは、自分たちより前に来た誰かが傷ついたということ。

 

「ここでじっとしていても仕方ないわ。とにかく入ってみるわよ」

 そんなことはお構いなしと言わんばかりに、綾香は臆することもなく小学校の中に足を踏

み入れていく。つぐみが言っていた場所はここの二階にある会議室。廊下に設置してある校

内地図でその場所を確認し、綾香は一人階段の前まで進んできた。

「綾香ちゃんちょっと待って〜」

 と、後ろから呑気な間延びした声が聞こえてきた。

「木村さん、あんた怖くないのか?」

 そう質問してきたのは一番最後に追いついてきた修太郎だ。彼の声には疑問よりも驚き

の色が強く浮かんでいる。

「怖いって、何が?」

「何がって……すぐそこに血が付いていたじゃないか。普通は怖がったり警戒したりするも

んだろ」

 

 ああなるほど、と綾香は納得する。ようするにこの二人は血とか死体などに免疫がないの

だ。それで初めて目にするクラスメイトの血に少なからず怯えているわけである。

 

「ちょっと聞くけど、二人ともプログラムが始まって死体とか見たことないの?」

「俺はないけど……」

「私もないなぁ」

 綾香は違う。プログラムが始まって真琴と出会い、清水翔子(女子9番)を見つけて病院に

運ぶまでの間いくつもの死体を目にしてきた。きっとそのうちに『死』や『恐怖』などに対する

耐性が付いてしまったのだろう。真琴を見つけたあの時、躊躇無く伊藤忠則を撃つことがで

きたのもきっとそのせいだ。

 

「私は……みんなと会うまでいろいろ見ちゃったから、もう慣れているのかもしれないわね」

 こんなことに慣れたって何も嬉しくないのに。むしろ人間味が失われてしまったみたいで、

自分自身に嫌気がさしてしまう。

 綾香はコルトパイソンのシリンダーに納まっている弾丸を確認し、二階へと続く階段を見

上げる。まるで自分たちを導いているかのように、そこにも血痕が刻まれていた。

「シュータ、優ちゃん」

 後ろを振り返らずに、前を向いたまま二人の名を呼ぶ。

「何で二人は私に付いてきてくれたの? 森が言ってたように、下手をしたら死んじゃうかも

しれなかったのよ」

「……たぶん木村さんと同じだよ」

 

 私と同じ。ということは、つまり――。

 

「俺も、きっと緑川さんも会長にはいろいろ助けられたから。そしてそれ以上に俺は会長の

ことが好きなんだ。恋愛的な意味ってわけじゃなくて、その、なんて言ったらいいのかな……

つまり分かりやすく言うと、会長の人間的な部分が好きなんだってこと。会長が困っている、

助けを求めているって知ったら放っておけないんだ」

 胸が詰まり、綾香はそのまま沈黙する。

「私も同じ。危険な目に遭うんやったら、私は会長のために何かして傷つきたいと思うねん。

私一人ができることなんてたかが知れてるかもしれんけど……大事なのは誰かのために何

かをしたいっていう、その気持ちなんやないかな」

 

 だから、二人は自分に付いてきてくれた。同じ想いを持つ仲間を放っておけないから。そ

の仲間のためならば協力するのは当然。二人はそう考えているに違いない。

 

「……二人はここにいて。会議室には、私一人で行ってくる」

 拳を握り締め、綾香が言った。

「そんなのダメや。私も――」

「私に何かあったら、二人はすぐに病院へ戻って森たちに伝えて」

 有無を言わさぬ綾香の口調に、優は言葉を詰まらせてしまう。

「そんな心配しないで。すぐに戻ってくるわよ」

 

 優は彼女の後を追おうとしたが、修太郎に肩を掴まれ動きを制止させられてしまう。

 何かあったとき、犠牲になるのは一人でいい。自分が招いたことが原因で他の人の命ま

で落とさせるわけにはいかない。綾香はきっと、こう考えているのだろう。

 優も修太郎もそんな綾香の意図を察しているのか、それ以上何も言わなかった。一つの

銃と確固たる意志を持ち階段を上がって行く綾香の姿を見つめることしかできなかった。

 

「それじゃ、二人とも気をつけてね」

 踊り場に達したとき、そんな綾香の声が階下にいる二人に向けられた。

「うん、分かった」

「そっちこそ気をつけろよ」

 二人は短く答え、単身危険地帯に向かって行く綾香の背を見つめていた。

 

 

 

「……綾香ちゃん、大丈夫なんやろか」

「信じて待つしかないな。誰だって自分の命は惜しい。あいつも危なくなったら逃げ出すこと

を選ぶと思うよ」

「だとええんやけど」

 綾香が戻ってくるまですることがないので、二人はその間小学校の中をいろいろと調べて

みることにした。理科室や家庭科室などに行けば何か使えそうなものがあるだろうし、保健

室に行けば怪我を治療するための道具も揃っていると考えたのだ。

「とりあえず校内地図を見て、一階で行けそうな場所に行ってみようか」

 

 修太郎と優は横に並びながら廊下を歩く。確か校内地図は玄関の近くにあったはずだ。

戦う術が無い(修太郎の手榴弾は密閉空間だと威力が高すぎる)二人は辺りの様子を窺い

ながら、お互いに何があってもすぐに逃げ出せるように神経を集中させている。

 

 だがそれは――何の前触れもなしに、突然現れた。

 

「――え?」

 二人が同時に声を上げる。敵の出現ならば『逃げる』、『戦う』のどちらかの選択肢が頭に

浮かぶ。銃撃ならば『隠れる』、『逃げる』などの選択肢が頭に浮かぶ。

 しかし、わけの分からないものがいきなり目の前に現れた場合――人間は硬直し、それ

が何かを理解しようとその場に立ち尽くしてしまう。

 それが手榴弾のように、一目で危険なものだと分かるものでないならなおさらだ。

 

 校内の見取り図が設置してある場所に辿り着いた瞬間、玄関から――いや、正確には玄

関の外から何かが飛び込んできた。”それ”は床で一回跳ね返り、廊下の壁に当たってもう

一度跳ね返り、ごろごろと転がりながら二人の目の前まで転がってくる。

 

「何や……これ?」

 ”それ”は二人にとって馴染みのないものだった。金色でコーティングされた金属製の筒と

緑色の蓋のようなもの。その中からは微量ながら液体のようなものが流れ出ている。

「銃の弾に似てるけど……」

 修太郎はその物体を拾い上げようと身を屈めた。その手が物体に触れようとした瞬間、修

太郎の身体がぶるぶると震え始める。

 

「シュータくん?」

 修太郎に近づいた優の身体もびくんと大きく震え、修太郎と同じように小刻みに震えだす。

二人はそのまま廊下に崩れ落ち、口から血の塊を吐き出す。目を真っ赤に充血させながら

胸元を押さえ、助けを求めて虚空に手を伸ばす。二人の制服が、廊下が、徐々に赤く染ま

り始めてきた。

 血の海の中でもがき苦しむ修太郎は、ガスマスク姿の人間が自分たちを見ていることに

気が付いた。

 

「う、あああっ…………」

 視界に隅に自分のデイパックが映る。あそこに入っている手榴弾を使えば……。

 だが今の修太郎には、腕一本を動かす力も残っていなかった。何とか持ち上がった右手

は空しく床に落ち、小さな血の飛沫が辺りに舞う。

 

 木村さん、逃げろ……逃げてくれ。ここは……こいつは、俺たちが敵う相手じゃ……。

 

 薄れていく意識の中で、修太郎は願った。彼女が自分たちの悲鳴に気付き、この殺人者

と戦うことなく無事逃げ出してくれることを。

 先程投げ込まれたものが毒ガス弾であることも、自分たちを殺した人間の正体も、信頼

を寄せていた雪姫つぐみがゲームに乗っていることも知らないまま、斉藤修太郎と緑川優

の意識は闇に落ち、完全に消えてなくなった。

 

 二人を殺したガスマスク姿の人間――黒崎刹那(女子7番)は修太郎のデイパックから手

榴弾を回収し、修太郎たちの死体には目もくれず階段に向かっていった。

 

斉藤修太郎(男子8番)

緑川優(女子15番)死亡

【残り12人】

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