終盤戦:71





 小学校からそれほど離れていないE−2エリアの公園に辿り着いた高橋浩介(男子10番)

は、人目につかないよう遊具の陰に隠れると力なくその場に腰を下ろした。

「浩介、あんた本当に大丈夫なの?」

 隣にいる霧生玲子(女子6番)が悲痛そうな顔で聞いてくる。

「うん……まあなんとかね」

 青白くなった顔で必死に笑う浩介。口ではこう答えたが、当然ながら大丈夫なわけがない。

何しろ右肩の上半分を抉られ二の腕を銃で撃ち抜かれているのだから。

 

 眠気にも似た朦朧とした感覚と耐え難い痛みが同時に、浩介の華奢な身体に襲い掛かって

くる。痛みもさることながら、出血量も決して少ないものではなかった。絶え間なく続く痛みは確

かに辛いものがあるが、こんなもの我慢すればどうとでもなる。痛みを感じるということは自分

の身体がまだ正常に機能している証拠だ。

 問題は次第に失われていく血液と体温。玲子が一生懸命止血処理を施してくれてはいるが

それも気休め程度にしかならない。仮に出血が止まったとしても、武器を失い利き腕が使え

なくなった状態でプログラムを勝ち抜くことは難しいだろう。

 

 浩介は自覚していた。

 遠くない未来に、自分は死んでしまうんだということを。

 

「ねえ、玲子」

「ん?」

「僕さ……死んじゃうのかな」

 間髪入れず、玲子の平手が浩介の頬を打った。軽やかな音が辺りに響き、痺れるような痛

みが左頬に走る。

 驚いた浩介が前を向くと、玲子が今にも泣き出しそうな顔で浩介のことを睨みつけていた。

「やめてよ……死んじゃうなんて言わないでよ」

「玲子……」

「私たちまだ何もやってないじゃない。刹那にも秋紀にも会っていないのに、まだやらなきゃい

けないことが山ほど残っているのに死んじゃうなんて言わないでよ!」

 嗚咽が混じった不明瞭な声で涙ながらに訴える玲子。浩介は「ごめんね」と謝り、堰を切った

ように泣きじゃくる玲子の手をぎゅっと握り締める。

「私、クラスの人が死んで、いくのは嫌なの。でも、でも浩介が、浩介が死んじゃうのはもっと

嫌、なんだから」

 嗚咽で途切れ途切れになっている玲子の声を聞き、浩介はどうしようもなくいたたまれない

気持ちになった。

 

 玲子は見た目ほど芯が強い人間ではない。普段からの強気な口調は繊細な内面の裏返し

だ。打たれ弱い内面を守るために張っている虚勢の盾。それが崩れてしまえば、その裏に隠

された心はあっけないくらい簡単に折れてしまう。

 玲子を悲しませたくなかった。玲子の泣き顔なんて見たくなかった。彼女にはずっと笑ってい

てほしい。自分が好きな、笑顔のままの玲子でいてほしい。

 

 死ねない。

 彼女のためにも、自分が死ぬわけにはいかない。

 浩介の顔に自嘲的な笑みが浮かぶ。

 右腕が痛くて痛くてしょうがないってのに、この状態で玲子を守り抜かないといけないのか。

まったく――自分で選んだことながらハードすぎる。危なくなったらすぐに逃げるとか、自分の

力量に合った選択をしていればここまで切迫した状況には陥らなかったのに。

 

 だが、今の浩介に後悔はなかった。自分の選んだ道がどこまでも続く茨の道だとしても、玲

子を守るためならば躊躇なく足を踏み出していける。

 たぶんそれは、”あいつ”にとっても同じことなんだろう。

 

 浩介は先程対峙した浅川悠介(男子1番)のことを思い出していた。

 彼もまた、大切なものを守るために戦っていた。彼女――雪姫つぐみ(女子17番)に降りか

かる災いを全て排除するために、自分の身を顧みず修羅と化すことを選んだ悠介。

 

 殺されそうな目にあったというのに、浩介はなぜか彼を憎むことができなかった。

 悠介のやっていることは許せないし、彼の考えは間違っているとは思う。

 けれど、それと同じくらい彼の気持ちも理解できる。

 自分の命と同じ――いや、それ以上に大切なものを守るためならばどんな手段をも厭わな

い。それが例え人を殺すことになったとしても。

 殺人はともかく、彼が思っていることの基本的な部分は浩介と同じものだ。悠介の言葉通り

であまりいい気分はしないが、やはり自分たちは似たもの同士なのかもしれない。

 

 だからこそ浩介は、殺人に手を染める悠介を許すことができなかった。

 自分と同じ気持ちを持っているなら、分かりあうことができたはずだ。

 銃を向け合い、命を奪おうとすることもなかったはずなのに。

 

 何で彼は人を殺すんだろう。

 もっと他の選択肢はなかったのだろうか?

 自分たちが同じ道を歩むことは、絶対になかったのだろうか?

 『もし』や『あのときに』なんて言葉が何の意味も持たないと分かっていても、浩介はついそう

考えてしまう。

 

 悠介を止めたい。

 

 彼に自分のやっていることが間違っていることだと分からせてやりたい。

 無意味な犠牲の上に成り立つものが本当の幸せなわけがない。

 それが生き残る上で意味のあることなのかどうか分からない。しかしそれは偽りようのない、

確固たる浩介の気持ちだった。

 

 ――と、そのとき。

 

「見つけたぜ」

 声と共に、人の気配が背後に出現した。

 それは浩介の知っている声だった。

 聞き覚えのある声。

 聞き間違えようのない声。

 視界の片隅に映る恐怖に歪んだ玲子の顔。浩介は彼女の手をぎゅっと握り、「大丈夫」と言

って優しく微笑んだ。

 

 立ち上がって振り返ると、予想通りの人物の姿がそこにあった。

 浩介と同じ、しかし異質の決意を胸に秘めた少年、浅川悠介。

 決闘に挑む騎士のような佇まいで、彼はそこにいた。

 

「用件は分かってるな、高橋」

「――ああ」

 何でここが分かったんだ、とは考えなかった。少しは頭をよぎったかもしれないけど、今の浩

介にとってそれはどうでもいいことだった。

 まさかこうも早く、この時が訪れるなんて。

 浩介は笑い出したい気分だった。いや、顔はもう笑っているのかもしれない。自分が願い、

望んだことがこうも早々と実現してしまうとは。

 

 運が良いのか、悪いのか。

 

 どちらにしても、これは避けられようのない戦い。決着をつける時だった。

 悠介は後ろに控えているつぐみと話を交わし、彼女から何かを受け取った。どうやらそれは

刃渡りが17センチほどあるアーミーナイフのようだった。思わず身構える浩介。しかし悠介は

攻撃しようという素振りも見せず、受け取ったアーミーナイフを浩介の足元めがけ放り投げた。

「それ使えよ。お前武器持っていないだろ?」

 言われてみれば確かに、浩介の支給武器であるFN ファイブセブンは最初に悠介と戦ったと

き会議室に落としてきたままだ。

 悠介は肩から提げていたデイパックと私物が入っているバックを地面に置き、ベルトにさして

いたベレッタと浩介のものであるファイブセブンもそれと同様にする。これにより、悠介が今持

っている武器はかつて長月美智子のものだった脇差だけとなった。

 

「そんなことしなくても今すぐ僕を撃ち殺せばいいじゃないか」

 悠介は首を横に振り、

「それじゃあ意味がないんだよ。正面からお前と戦って勝たないと意味がないんだ」

 凛々しい顔でそう宣言し、脇差を鞘から抜き放つ。

「さあ、やろうぜ高橋。俺とお前、似たもの同士サシの勝負をしようじゃねえか」

 悠介と浩介はコインの表と裏のような存在だった。成し遂げようとしていることは同じであって

も、それを遂行するための考え方がまるで違う。

 

 浩介はこれまでずっと戦いを拒んできた。誰かが傷つくことも、誰かを傷つけることもしたくな

かった。だから小学校で悠介に殺されそうになっても、浩介は非常に徹することができず銃を

向けるときに躊躇いを持ってしまった。

 それは本来、人間の持つ良心や道徳心の面から考えれば褒められるべきこと。

 でもそれがこの場でも同じとは限らない。

 

 だから浩介はナイフを手に取る。

 一度決めた道を進み続けるために。

 そこに立ちはだかる壁を壊すために。

 

「浩介!」

 話に加わっていない玲子にもこれから何が起こるのか想像できたのだろう。彼女は浩介の

側まで駆け寄ってきて、訴えかけるようにして言った。

「やめてよ、あんた怪我してるのよ? そんな状態であいつに勝てるわけないじゃない!」

 浩介は必死に歯を食いしばった。涙を浮かべている玲子の瞳が、真っ直ぐに自分を見てい

る玲子の瞳が彼女の想いを強くぶつけていた。

 お願い、行かないで。玲子の瞳はそう叫んでいる。今にも爆発しそうな感情。それはかけが

えのないものを失うことへの恐怖。浩介はその瞳から逃げるようにして玲子に背を向ける。

 浩介は体の底から湧き上がってくる恐怖に耐え、アーミーナイフを硬く握り締めた。その先

では悠介とつぐみが無言で立っている。

 

 大きく深呼吸をし、浩介は玲子の顔を真正面から見た。

「玲子……僕は今からあいつと戦う。結果がどうなっても、玲子には僕の戦いを見ていてほし

いんだ」

 そう。例え自分がどうなったとしても、玲子には見ていてほしかった。

 玲子はもう何も言わなかった。浩介の思いを全て察したようで、無言のまま一度だけ頷き離

れた場所へと移動する。

 

 浩介は再び前へ向き直った。

 脇差を手にした悠介が、刃のような鋭い瞳でこちらを睨みつけている。

 想いは向こうも同じ。

 負けられない。退くことなんてできない。

 浩介は雄叫びを上げ、悠介に向かい走り出した。

 

【残り15人】

戻る  トップ  進む

 

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送