終盤戦:69





 雪姫つぐみ(女子17番)は、自分が浅川悠介(男子1番)のことが大好きなんだという

ことを自覚する必要がないくらいに自覚している。「あの人のどこが好きなの?」という

言葉があるが、その質問はつぐみにとって愚問以外の何者でもなかった。

 

 容姿でも、性格でも、相性でもない。言うならば彼という存在そのもの。

 浅川悠介という一人の人間、その全てが大好きだった。

 幼い頃から、つぐみの周りには自然と人が集まってきた。

 つぐみ自身が意識しようとしまいと関係ない。人を惹きつけるオーラのようなものを彼

女は持っていたのだ。

 

 友達はたくさんいたし、両親にも愛され何不自由なく育ってきた。

 しかしあるときを境に、彼女は『何かが足りない』と思うようになる。

 それはまるで難解な間違い探しを前にしたかのような気持ちに似ていた。

 満たされているが故の喪失感。矛盾している感情を抱きつつ、彼女は人生を歩んで

きた。自分の周りにいる人はみんな優しいし、一緒にいて楽しいことは事実だった。

 

 でも。

 でも、何か足りない。

 

 これが世界の全てなんだろうか。

 私はもっといろいろなものを見てみたい。

 今までとは違うものを見てみたい。

 

 決して人に理解されることのない想い。そんなつぐみの願いは、あの日に叶えられる

ことになる。

 

 去年のちょうど今頃――夕日で赤く染まる屋上で。

 つぐみは、彼と出会った。

 浅川悠介という人間の名は聞いたことはあっても、面と向かって会うのはあのときが

初めてだった。

 悠介を見た瞬間、つぐみは自分に足りない何かを見つけたような気がした。

 どこかに落とし、そのまま忘れてしまったパズルのピース。

 

 一目見た瞬間から、惹かれていた。

 

 今になって考えれば、自分が探していたものは”異質の存在”だったのかもしれない。

 自分が立っている場所とは対極に位置する場所にいる人間。

 自分とは正反対の、全く異なる人間。

 悠介がそれだった。

 

 つぐみは自分にないものを求めていた。

 悠介は自分にないものを持っているつぐみに興味を抱いた。

 それはまるで引かれ合う磁石のように。

 ごく自然と、二人は惹かれ合ったのかもしれない。

 だから絶望も失望も落胆もしない。

 そんなことなど、あるはずがない。

 

 しかし。

 さすがにあんなものを見せられれば、少しは落胆というか情けなさを感じてしまう。

 

「…………」

 会議室の扉を開けて中に入ろうとした瞬間、彼女は部屋の中に広がっている光景を

目にして言葉を失っていた。

 つぐみは先程ここにやってきた中村和樹(男子11番)を退かせ、今自分が開いた扉

とは反対側の扉から逃げ出していった高橋浩介(男子10番)霧生玲子(女子6番)

向けてS&W M686を発泡した。和樹には傷を負わせることに成功したが、彼我の距

離が離れていたためか浩介たちに手傷を与えることはできなかった。

 

 浩介たちの姿が見えなくなった瞬間、つぐみはなぜ彼らが逃げ出しているのかという

当たり前の疑問に気付く。自分が会議室から出たとき、浩介は悠介と向かい合ってい

たはずだ。その浩介が部屋から出てきたということは。

 最悪のケースを想定しつつ、つぐみは慌てて会議室の扉を引いた。

 そして、部屋の中央付近にある”アレ”を見たわけである。

 

「えーっと、一つ聞いてもいいかな」

 何か起きたのか把握するのに五秒、理解するのにもう五秒を要した。

「何やってんの?」

 彼女の視線の先には、会議用の机に押しつぶされている最愛の人の姿があった。

「……簡単に言うならば不意打ちをくらいました」

 痛みに顔を歪めながら机の下から這い出してくる悠介。

「いってぇ……くそっ、何なんだよ霧生の奴。普通あそこであんなことするか? つーか

考えるか? 考えたってやろうとは思わねえだろうがちくしょう!」

 憤慨しつつ机を蹴り飛ばす悠介。彼の言葉から推測するに、どうやら浩介との戦いの

最中玲子によって不意打ちを受けたようだ。この図から見て机で叩かれたとか、机を

投げられてそれに当たったとかだろうか。

 

「霧生と高橋は?」

「さっきそこから逃げて行ったわ。和樹も同じ」

「そうか……」

 悠介は考え込むような表情を浮かべる。これは彼が「俺に任せておけ」みたいなこと

を言うときによくする表情だ。本人は気付いていないらしいが、一種の癖のようなもの

なのだろう。

 だから、この後彼が何と言うのかだいたい予想ができた。

「あのさ、あいつらの後追って行ってもいいか?」

 

 ――やっぱり。

 つぐみはふう、と溜息を一つ吐いた。呆れにも諦めにも似た表情を浮かべ、軽く苦笑

しながら悠介の頭をぺしりと叩く。

 

「だめだなー悠介くんは。っていうか人の話ちゃんと聞いてる? 私ちょっと前に何でも

一人で背負い込まないでって言ったばかりなんだけど」

「……でもお前がここに残らないと作戦が成立しないだろ。あいつらの他にもここにやっ

てくる奴はいるはずだし」

 呼びかけを行ってからここを訪れたものは橋本恵一、佐藤美咲、高橋浩介と霧生玲

子、そして中村和樹の六人だ。生存者の三分の一という数字が多いのか少ないのかは

判断の難しいところだが、これから先ここに誰も来ないという可能性は極めて低い。ま

だここに来ていない生存者の中にはつぐみの友人である木村綾香(女子5番)の名前

だってあるし、減らせる人数を考えればここを放棄するのは得策とは言えないだろう。

 それに浩介たちを追って行きたい理由は悠介の意地みたいなものだ。それとは関係

のないつぐみを同行させて、その結果死なせてしまったら取り返しが付かないと思って

いるのだろう。

 

「うん、まあ確かにそうなんだけどね。でも悠介くん一人にするのって心配なのよ。一人

で無茶して突っ走りそうだし、机に潰されて身動き取れなくなっちゃうし」

「さりげに失礼なこと言うなよ」

「でも事実じゃない」

 そう言われたら悠介は何の反論もできない。彼はつぐみの前であんな姿を晒していた

ということを改めて実感し、恥ずかしさで顔を赤くした。

「というわけでして、保護者兼お助け役として私も同行させていただきます」

 腕を水平に寝かせて頭を下げるその様子は、主人に仕える執事の姿を連想させた。

 今は何を言っても無駄だろうと悟り、悠介は彼女の申し出を受け入れることにする。

「……悪いな、ほんと。いつもいらない心配ばかりかけちまってさ。自分で自分が情けね

えよ」

 

 悠介はつぐみを守ると誓った。自分の命に代えても、彼女を死なせはしないと。

 それなのに自分は何をやっているのだろうか。偉そうなことを言っておいて本来守る

べき彼女に助けられるなんて格好が悪すぎる。

 今の悠介には、普段の強がっているような雰囲気が微塵も感じられなかった。

 つぐみも悠介の心中を察しているらしく、半端な同情の言葉はかけようとしない。今の

彼には”それ”が一番傷つくと知っていたから。

 

「そういえばさ、何でそこまでして浩介くんにこだわるの? 拳と拳を交えあったライバル

だからとかそういうやつ?」

「間違ってはいないけど、もっと単純なもんだよ」

 悠介はベレッタのマガジンを新しいものに取替え、デイパックを肩から提げて会議室

の扉に手を掛ける。

「あいつに負けたくないからだ」

 

 

 

 

 

 当然のことながら、二人が外に出たときはもう浩介と玲子の姿はどこにもなかった。

浩介のものであろう血痕が廊下から転々と続いているが、これだけで追跡ができるか

といえば至難の技だろう。悠介はプログラム開始直後に中学校の後門付近にあった血

痕を辿って村上沙耶華を見つけることに成功していたが、あれは血の量が多かったこ

とと沙耶華が重傷を負っていてそれほど離れた場所にいなかったからできたことだ。浩

介が怪我をしている部分は腕だし、肘の部分から千切れたような致命傷を受けたわけ

でもない。やはり血痕を頼りに追跡するのは無理だろう。

 

 せめてどの方向に走って行ったのか分かればいいのだが、あいにく悠介もつぐみも

あの二人が小学校を出てどちらに行ったのか確認していない。まだそれほど遠くには

行っていないと思うが、勘を頼りにして見当違いの方向に行ってしまえばそれこそ一大

事である。

 とはいえ二人に残された方法はそれくらいしかない。だいたいの方向を定めて捜そう

かと話し合っていたとき。

 

「ひょっとしてお困りだったりする?」

 

 後ろから声がした。少し高めの、よく通る女性の声だった。

「知りたいことがあるのにそれを知ることができないっていうのは耐えられないわよね。

その気持ちはよーく分かるわ。だからこそ、そういう人たちを助けるために私みたいな

人間がいるのよね」

 悠介がベレッタを、つぐみがS&W M686をそれぞれ握って同時に声のした方へ振

り向いた。

 そこには一人の女子生徒が、小学校の壁にもたれかかるようにして立っていた。

 

 つぐみほどではないにしろ中学生とは思えない美しい顔立ち、フットワークを大事にし

ているのかセミロングの黒髪をアップにまとめている。腕を組んだその不敵な佇まいは

この世の全てを嘲笑っているかのような雰囲気を漂わせていた。

 他人にさほど興味がない悠介でも彼女の名前は知っている。いや、舞原中学に通う

ものならば彼女の名前を知らないものはいないだろう。

「高梨……何でお前がここにいる」

 

 彼女の名は、高梨亜紀子(女子10番)

 またの名を、『情報屋』。

 

「何でここにいるのかって? ふふっ、おかしなことを言うのね。私はつぐみが呼んだか

らここに来たのよ。それはあんただって同じことじゃないの?」

 それはまあ、確かにその通りだ。悠介たちがここに来ることを分かっていて待ち伏せ

でもしていない限り、つぐみの呼びかけに応じてやって来たと考えるのが妥当だろう。

 しかしそれにしては――タイミングがよすぎる。これは本当に偶然なのだろうか?

 悠介は用心深げに眉をひそめ、ベレッタの照準を亜紀子から外そうとしない。それで

も亜紀子は余裕を崩そうとしなかった。まるで全ての状況を覆せる切り札を持っている

かのような、余裕綽々とした表情。

 

「事態は理解しているつもりよ。浩介くんと玲子ちゃんがどこに行ったのか知りたいんで

しょ? よかったら教えてあげるわよ」

 悠介とつぐみ、二人の顔が同時に強張る。

「何でそれを知っている」

「そりゃ私が情報屋だから。情報屋さんは何でも知っていなきゃ商売あがったりですから

ね」

「…………」

「そんな馬鹿を見るような顔しないでよ。本当はお二人さんが話しているところを偶然に

聞いちゃったってわけ。どういう理由があるのか知らないけど、あんたたちは浩介くんの

居場所が知りたいんでしょ? そして私はそれを知っている。私たちの間で大事なのは

そこなんじゃない?」

 

 どこまでが真実でどこまでが偽りなのだろうか。全部本当かもしれないし、全部嘘かも

しれない。つぐみはここで初めて、日頃から親しくしているこの友人に本格的な警戒心

を抱いた。こういうタイプの人間は物理的な怖さではなく精神的な怖さがある。例えるな

らばマシンガンを突きつけられた怖さではなく、数時間後に効果が出てくる解毒剤がな

い毒を飲んだ感じ。

 

「まあ、いきなり現れた人間にそんなこと言われても信じられないわよね。――だから、

今すぐ信じられるようにしてあげる」

 亜紀子はあからさまに、見るものの警戒心を煽らせるのには充分すぎるほどの怪し

い笑みを浮かべる。

 その直後に彼女の口から出た言葉に、二人は驚愕することになる。

 亜紀子は悠介を指差し、

「村上沙耶華、大野高嶺、井上凛、長月美智子、佐藤美咲、橋本恵一……あんたが殺

した人間の名前。これで合っているでしょ? ちなみに殺した順番どおりに言ってみた

んだけど」

 

 絶句どころではない。驚きを通り越し戦慄が駆け抜けた。こいつは、この女は本当に

あらゆることを知っているとでもいうのか?

 つぐみは唾を飲み込む。隣にいる悠介をちらりと見たが、やはり彼も驚きを隠せない

ようだ。

 

 それも当然だろう。悠介の殺害履歴を知っているのは悠介本人と、彼と合流を果たし

た際に直接聞いたつぐみの二人だけしかいないのだから。

 それをなぜ、こいつが知っているのだろうか。千里眼か、それとも地獄耳か。どちらに

しても馬鹿げた話である。

 

「ねえ亜紀子、『何でそんなことを知ってるの』って聞いたら答えてくれるのかしら」

「それは無理なお願いね。私のアドバンテージがなくなっちゃうもの。ジョーカーを持って

いることを自分で明かす馬鹿はいないでしょ?」

 手の平を返し大げさなリアクションを取る。

「じゃあもう一つ。あんたのその『情報』は信用してもいいことなのね」

「もっちろん。私は提供する情報に嘘はつかないわ」

 例外もあるけどね、と小さく呟く亜紀子。しかしそれは二人に聞こえていない。

「おいつぐみ、こんな得体の知れない奴の言うことを信用するって言うのかよ」

「だって仕方がないじゃない。私たちに浩介くんたちを追う手がかりはほとんど無いんだ

し。それに亜紀子の情報力は悠介くんも知っているでしょ?」

「そりゃまあ……そうだけどよ」

 

 直接関わったわけではないが、高梨亜紀子という少女が有する情報ネットワークは中

学生の所業とは思えないほどのものらしい。もちろん地元――つまり県内限定での話

なのだが、彼女の手に掛かれば手に入らない情報はないと言われているほどだ。

 

 しかしそれは、このプログラムにおいても同じことが言えるのだろうか? それにこい

つは何を考えているのか分からない策士のような感じがある。下手をしたら取り返しの

つかない目に遭うのではないだろうか。悠介が懸念しているのはそんなところだった。

「別にいいじゃない。騙されたって何とか切り抜ければいいだけの話なんだし。それより

早くしないと他の誰かが来ちゃうかもよ」

 つぐみはつぐみで実に短絡的な考えである。これが彼女の長所でもあり、短所でもあ

るのだが。

 

「……分かったよ。お前の『情報』とやらを信じてやる」

 渋々、悠介は亜紀子の情報を得ることにした。本当にこれでいのか未だに疑問が残

るが、つぐみの言うとおりこちらの手がかりは無いに等しかった。身勝手な要望を言っ

たのだから、否が応でも浩介との決着をつけなければ悠介の立つ瀬が無い。

「そうこなくっちゃ」

 亜紀子は楽しそうに、とてもとても楽しそうに微笑んだ。

 こうして悪魔との契約は成立し――浩介と玲子の背後に、再び死神の影が迫ることに

なる。

 

【残り15人】

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