終盤戦:67





「あ、誰かと思ったら和樹じゃん。久しぶりっていうか一日ぶりだね。元気してた?」

 聞きなれた明朗な声と見慣れぬ銀色の銃を自分に向け、正面に立っている雪姫つぐ

み(女子17番)はにこやかに微笑んで見せた。

 この時和樹は、一足先に会議室へと足を踏み入れた高橋浩介(男子10番)と同じ思

いを抱いていた。

 

 血の海に横たわる二つの死体。

 お互いに銃を向け合っている浩介と浅川悠介(男子1番)

 まだ正常な機能を残している和樹の脳はこの場で起きたことを推測する。だが和樹

はそれを認めようとしなかった。

 認めなくなかった。

 和樹はよろけるように後ずさりし、廊下の壁に背を預ける。

「つぐみ、お前……そんな……」

 

 違う。嘘だ。こんなの嘘だ。

 なんでつぐみが。だってあいつは俺たちを助けようと、危険を顧みずに呼びかけをし

てくれたじゃないか。そのあいつがなんで。

 そういえば何で浅川がここにいる? あいつはこのゲームに乗っている。人を殺して

いるんだ。なのになんでここに。

 

 頭で必死に否定しようとしても、残された理性や目の前に広がる光景、そしてつい先

程聞いてしまった会話がそれを成すことを許さない。

 それにこれは同じだった。

 自分が今まで嫌というほど体感してきた、最悪のパターンと。

 

 最初はここの校庭で田中夏海(女子11番)に襲われた。

 次に出会った浅川悠介はやる気になっていた。人を殺しているというのに罪悪感を

微塵も感じさえない表情で、自分に『偽善者』という言葉を投げつけてきた。

 仲間になってやると言ってくれた君島彰浩(男子6番)は目の前で殺された。

 山田太郎(男子18番)は楽しんでいた。この地獄の環境を、命を奪うという行為その

ものを。

 黒崎刹那(女子7番)はその太郎と行動を共にしていた。悠介のような殺意も、太郎

のような愉悦も、一切の感情を湛えていない闇のような眼をしていた。

 伊藤忠則(男子2番)は仲間になると言って自分に近づき、ナイフを突き出してきた。

 

 期待は裏切られていった。

 疑念は増すばかりだった。

 希望は霞んでいき、絶望は深まっていく。

 信じていた友達には襲われ、騙され、誰一人として救えなかった。

 いつ壊れてもおかしくなかった和樹の精神を守っていた最後にして最固の砦。

 それが雪姫つぐみという絶対的な信頼を置ける人物。

 

 彼女に会えば。

 彼女に会うことさえできれば。

 そう思っていたのに。

 

 つぐみは離れた場所にいる悠介と二言三言交わし、自らも会議室から出て後ろ手で

扉を閉める。

「こっちの方が話しやすいでしょ? 立ち話は何だからどこか座れる場所へ行きましょ

う、ってわけにはいかないけどさ」

 つぐみは手にしていた大型のリボルバーをしまい、代わりにこれまた銀色のアーミー

ナイフを取り出した。

「時間がないからちゃっちゃっと済ませるわね。和樹もさっき聞いたかもしれないけど、

私はこのゲームに乗っているわ。さっきスピーカーで呼びかけたのもそのためよ。効

率よく人数を減らすためのアイデアってわけ」

 まるで数学の回答を説明しているかのように淡々とした口調。不要なものを全て省い

た、つぐみらしい言い方だった。

 

 それゆえに和樹のショックも並大抵のものではない。昨日まで笑いながら話し合って

いた友人の口からこんな言葉を聞くことになるなんて。

 和樹にとってつぐみはクラスメイトであり、また良き友人でもあり、そして尊敬の対象

でもあった。

 

 中学生にしては飛びぬけた美貌と誠実で優しい心。周りにいるものを楽しませ、場

の空気を明るくさせる面も持ち合わせていた。運動面でも学年トップクラスだし、何を

やらせてもそつなくこなす天才肌の人間。

 彼女を初めて見たとき、和樹は今は亡き自分の父親の姿をつぐみに重ねていた。

和樹の父とつぐみが似ているというわけではない。性格一つとっても正反対のところ

が多いし、言動にも共通点はない。

 

 二人が似ていたのは、人間としての『根元の部分』だった。

 和樹の父は損得を考えずに他人を助け、見ていて清々しいほど真っ直ぐな部分が

あった。和樹はつぐみにそれと同じものを見たのだ。

 最初は直感的なものだったが、付き合いを重ねていくうちにそれは直感から確信に

変わっていった。

 もう手の届かないところに行ってしまった父が戻ってきたような気がした。

 だからこそ、和樹のつぐみに対する信頼感は他の誰よりも厚い。彼女は目標であり、

道標でもあるのだ。

 

「じゃあお前も、もう誰かを殺したのかよ」

「前田くんと宗像。とは言っても悠介くんみたいに自分から積極的に、ってわけじゃな

いけどね。どっちかって言ったら成り行き上仕方なく」

 

 胸が苦しくなって、吐き気がこみ上げてくる。

 まるで別人だった。

 これが――これが本当にあのつぐみなのか?

 

「つぐみ、お前本当にそれでいいのかよ。お前にとって浅川は大事な人かもしれない

けど、他のみんなを犠牲にしなきゃいけないようなことなのか? 他にもっと方法が

あるかもしれないじゃないか。俺と一緒にそれを――」

「和樹さ、今生き残っている他のみんなを信じきることができる? 誰もやる気になっ

ていないって、一片も疑わないでいることができる?」

 割り込んできたつぐみの言葉は和樹を完全に沈黙させた。

 

「いつもの私だったら『できるわよ』って即答していたと思う。でも今は違うわ。私はみ

んなを信じきることができない。現にプログラムは進んで、生きているのはもう15人。

ひょっとしたらもっと少ないかもしれないわ。悠介くんがやる気にならないで私に協力

してくれたとしても、やる気になる人は必ず出てくる。私はみんなを信じて裏切られて、

それで大切な人を失うのが怖い」

「だから他のみんなを殺そうとしているのか? そんなの絶対間違っている。人を殺

して何かを得ようとするだなんておかしいだろ!」

 つぐみはハッ、と鼻で笑った。

「間違い? あんたに私の何が分かるのよ。何で私の考えが間違っているって言える

わけ? 私たちには何が本当に正しいのかそうでないのかなんて分からないじゃない」

「それでも基本的な善悪の区別くらいつくだろう! なあつぐみ、お前いったいどうしち

まったんだよ。お前は進んで誰かを傷つけるような奴じゃないだろうが!」

「そんなのあんたたちが勝手に抱いた私のイメージでしょ。それに善悪なんて関係な

いわ。いつ死んでしまうかも分からないからこそ、私は後悔しない道を選ぶわ」

 

 絶句した。

 もう何を言ってもダメだと、和樹は本能的に理解した。

 自分には自分の考え、想いがあるようにつぐみにはつぐみの想いがある。自分が

どんなに言ったところで彼女の意志は変えられない。所詮無意味な事なのだと。

「…………お前も、なのか」

 俯き、幽鬼のような声で呟く。

「お前も、俺を……」

 

 心が、壊れてゆく。

 今まで築き上げてきたもの全てが。

 共通の思い出を作ってきた今までの時間が。

 自分という存在全てが。

 ガラガラと音を立て、跡形もなく。

 

 そんな和樹の耳に、鋭く空を切る音が届いた。

 直後に左の視界が真っ赤に染まった。カッターナイフなどの鋭利な刃物で指を切っ

たときと同じ痛みが、頬を伝う生暖かい血液の感覚が全身に伝わる。

「次は外さない」

 アーミーナイフを逆手に持ち直し、つぐみは猛禽類のように獰猛で攻撃的な視線を

向ける。刹那のそれが『闇』を連想させることにより恐怖を感じさせるのであれば、つ

ぐみのそれは単純な攻撃性を相手にぶつけている実に分かりやすいものだった。

 和樹は低い呻き声を漏らし、すぐ側に落ちていたウィンチェスターを拾って全速力で

その場から離れていった。

 

 その途中、一度だけ後ろを振り返った。アーミーナイフを握ったつぐみが何事もなか

ったかのように同じ場所に立っていた。

 つぐみが振り下ろしたナイフは和樹の顔に赤い線を引き、彼の左目の視力を完全

に奪っていた。

 左目を押さえながら正面玄関を飛び出し、どこへともなく駆け出していく。行く場所な

んてどこにもない。ただあの場所から逃げたかった。一歩でも遠くに行きたかった。

 

 ちくしょうちくしょうちくしょう! 信じねえぞ! もう絶対に誰も信じねえ!

 

 和樹は混乱の極みに達していた。様々な感情がぐちゃぐちゃに混ざり合い、崩れ

かけていた正常な精神を急激に蝕んでいく。

 

 何で俺ばかりがこんな目に遭わなきゃならねえ! 俺は何も悪いことなんてしてねえ

だろうが! もういい、やってやる! テメエらがそのつもりだってんならこっちだって

やってやる! 一人残らずぶち殺してやる!

 

 誰よりもクラスのことを想い、クラスメイトのことが大好きだった中村和樹。

 彼は殺し合いを止めるために死力を尽くした。

 目の前でいくつもの『死』を見てきた。

 信じていたクラスメイトは皆、ゲームに乗っていた。

 もう、どうでもいい。

 そんな奴らはクラスメイトじゃない。友達なんかでもない。

 どうせみんな俺を殺そうとしているんだ。悪いのはあいつらの方だ。

 

『悪いのはあんたじゃない! やる気になっているほかの馬鹿どもなの!』

 ――高梨、今ならお前の言っていたこと、本当に納得できる気がする。

 

『お前、馬鹿だろ』

 ――浅川、お前の言うとおりだった。信じていた俺が馬鹿だったんだ。

 

 和樹は泣いていた。口元は笑いの形に歪んでいるが、彼の右目からは一滴の涙が

流れていた。

 

 住宅地の中に和樹の笑い声がこだました。

 初めは小さな笑いだったが、次第に大きくなっていく。

 空を仰ぎ、肩を震わせ、取り憑かれたように全身で笑う。

 澄み渡る青空の下、狂人の誕生を告げる唄が高らかに響き渡った。

 

【残り15人】

戻る  トップ  進む

 

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送