終盤戦:65





「お前さー、将来どんな仕事をやってみたいと思ってる?」

 去年の夏休みだったか、吉川秋紀(男子19番)が突然そう言ってきたのを覚えてい

る。

「何よ急に」

「いいから言ってみろって。なけりゃ目標とか、こーいうのがいい、とかでもいいぜ」

 霧生玲子(女子6番)は自分の後ろにいる秋紀をちらりと一瞥する。他人の家のベッド

に寝転がり、我が物顔で本を読んでいる。いくら入りなれた部屋だからといって、少々無

作法ではないだろうか。親しき仲にも礼儀あり、と言うし。

 

「そうね……私は特にないわ。今のところはだけど」

「へー、意外じゃんか。お前のことだからてっきり図書館の司書とか、どこぞの編集者と

か言い出すもんだとばかり」

「それは私よりも刹那の方が適任でしょ。そういうあんたはどうなのよ。やりたい仕事と

かあんの?」

 昔からの付き合いである高橋浩介(男子10番)ならばどういう仕事を目指しているの

か大まかだが想像することができる。

 

 しかし秋紀は違った。

 

 自分の交友関係の中では浩介の次に付き合いが長いくせに、彼がどういう仕事を目

指そうとしているのか全く読み取れないのだ。何しろ気まぐれで自分たちが驚くような奇

抜なことをする男だから、「弁護士になりたい」とか「医者になりたい」といっても頭から

否定することができない。現に小学校のときに玲子と浩介が舞原中学進学を希望して

いると知るや否や「俺も舞原中学に行く!」と高らかに宣言し、6年生の後半ほとんどを

勉強に費やした結果見事この中学に入学したのだ。あれには玲子も浩介も空いた口が

塞がらなかった。

 

「俺か? 言ってもいいけど笑うなよ」

「笑わないわよ」

 まさか本当に弁護士か医者なのだろうか。

「俺さー、どんなのでもいいから作家になろうと思ってんだよね」

「へえ」

 これには別の意味で驚いた。野球が得意な少年が将来の夢にプロ野球選手と答えた

ような、何の面白みもない普通の答えだったからだ。

 

「おうよ。俺って本読むの好きだから頑張れば書く側にもなれると思うんだよ。やっぱ好

きなことやっていくのが一番だしさ。 俺の書いた本がずっと後の世界まで残るのって

何だか嬉しいし、今のこの国のことを書き残しておきたいって気持ちもあるからな」

「書き残しておきたいってどういうこと?」

「んー……いやなんつーかさ、この国って世界的に見ても変ちくりんなことやってんじゃ

ん。実際に他の国の情勢見たわけじゃねえから何とも言えないけどよ、少なくともプログ

ラムとかやってんのはこの国だけだと思うんだよな」

 

 インターネットが普及してきたこのご時世とはいえ、一般人が他国の情報を入手する

ことはなかなか難しい。たまに古本屋で翻訳されていない外国の本を見かけたりする

が、歴史書や向こうの雑誌などが店頭に並んでいることはほとんどない。裏のルートと

か、そういう感じの店に行けば置いてあるのかもしれないけれど。

 

「でもこのプログラムにだっていつか終わりはくる。そうなったらやっぱり誰かが書き残し

ておくべきだと思うんだよ。俺らの何世代か後の人間が同じ過ちを繰り返さないように

するためにも、こんな腐った時代があったってことを伝えるものを残しておかなきゃだめ

なんじゃねーかな」

 

 目を輝かせながら語る秋紀を見て、玲子は嬉しい反面軽い劣等感を覚えていた。

 秋紀がそんなことを考えているとは思わなかった。

 いい加減で口が悪くて面倒くさがりなくせに、こんなに真剣なことを考えていたなんて。

 何の目標も持っていない自分が、何だか恥ずかしく思えてしまう。

 

 私はどうなんだろう。

 やりたいことやなりたいものなんて何もない。

 秋紀のように、誇らしく言えるような目標を見つけられることができるのだろうか。

 

 それとも。

 

 

 

「玲子」

 少年にしては少し高めの声が耳朶を打ち、玲子の意識は現実世界に引き戻された。

「あと少しで小学校に着くけど、どこから入ればいいと思う?」

「え?」

「だから、どこから入ればいいのかなって。まさか正面玄関が開いているとは思えない

けど、中に会長がいるってことはもしかして開いているのかな? でも一応警戒して裏

口から入るって手もあるけど」

 浩介の言葉で初めて気がつき、玲子は自分のいる場所を確認した。

 

 吹き抜けた風が周りに立ち並んでいる街路樹の葉を揺らす。新緑の葉の向こうに、

先ほどの家から見えた建物がひょっこりと頭を出していた。どうやら考え事をしている

うちに小学校の前まで来ていたらしい。

 

「そ、そうね。とりあえず正面の玄関に行ってみて、開いてなかったら他の入り口を探

せばいいんじゃないかしら」

 まさか今までの話しを聞いていなかったとは言えないので、とりあえず当たり障りのな

い返答をしておく。

「そうだね。じゃあ僕が先にいくから、玲子はすぐ後ろを離れないように着いてきて。誰

かが襲ってきたら全力で逃げるんだ。いいね」

「分かったわ。それよりも何であんたが偉そうに命令してるのよ。浩介のくせに生意気」

 玲子は不覚にも、幼い頃から毎日のように顔を合わせている幼馴染のことをカッコい

いと思ってしまった。見た目は女の子っぽくて勇気があるような奴ではなかったのに、

いつの間にこんなにたくましくなっていたのだろう。

 

 その照れくささを隠すため、ついつい憎まれ口を叩いてしまった。浩介が怒ってやしな

いかと不安になったが、彼は特に気にした様子も見せず小学校へと進んでいく。

 

 ――あいつもやっぱ男の子ってことなのかしら。

 

 いつの間にか成長している浩介を見て微笑ましく思っているはずなのに、玲子の心の

中にはそれとは別の気持ちが生まれていた。

 もうすぐ会長に会えることを喜ぶべきなのに。

 男らしい表情を見せるようになった浩介のことを嬉しく思うべきなのに。

 なぜだろう。昔から何も変わっていない自分が、惨めに思えてしまうのは。

 

 

 

 沙更島小学校はしんと静まり返っていた。

 いたる所に設置してある電灯はついておらず、窓から差し込む太陽の光が校内を明

るく照らしている。会議室に向かう途中の教室には、つい最近まで生徒たちがここで過

ごしていたことを思わせる痕跡がいくつも残されていた。

 浩介と玲子の二人は正面玄関から中に入り、校内の見取り図でつぐみが待っている

会議室の場所を確認した。どうやら会議室はニ階の隅、理科室の隣にある教室がそれ

に当たるようだ。つまり玄関から一本道。隠れる場所といえば途中にいくつかある教室

ぐらいで、万が一誰かに襲われたら逃げるのが難しい造りになっていた。

 

「……静かね」

 沈黙に耐えかねたように、後ろを歩く玲子がぼそっと呟く。

 島民が全ていなくなっているから校舎の中が静かなのは当たり前のことなのだが、さ

すがに物音一つ聞こえてこないと警戒を強めてしまう。

「僕たちが最初に着いちゃったのかな」

 この静かさでは人がいるとしてもせいぜい一人か二人だろう。最初に辿り着いたのが

自分たちなのか、それとも会長はすでにやる気の誰かに殺されていて、会議室で待ち

構えているのはそいつなのか。

 後者だけはあってほしくないことだが、あらゆる事態を考慮しなければプログラムで生

き残ることは難しい。それに玲子を守り抜くことが何よりも大事なことなのだから。

 

 考えていても仕方ないか。

 慎重になるのは大事だが、逆に考えすぎても行動が縛られて判断力が鈍り、とっさに

動くことができなくなってしまう。プログラムで一番必要なのは勇気と決意なのだから。

 何があってもいいよう、浩介はファイブセブンのグリップを硬く握り締めながら会議室

の前に立つ。ただの木製の扉のはずなのに、RPGゲームとかで出てくる分厚い鉄の扉

のように見えた。

 

「ねえ……この中に会長がいるのよね」

「……うん」

 扉の前に立つ二人はあるものを感じ取った。ほんのかすかな、しかし自分たちが嗅い

だことのある臭い。一度嗅いだら忘れることができない、胸の奥からこみ上げてくる嘔吐

感。玲子はあのときの光景を――井上凛と長月美智子の死体を前にしたときの光景を

鮮明に思い出していた。

 あの場所に漂っていた臭いもこんな感じだった。――いや、『感じ』なのではない。まさ

にそのものなのだ、この臭いは。

 

「じゃあ、開けるよ」

 浩介が扉に手を掛けたとき、玲子は「やめて」と言うことができなかった。この臭いが

明らかに異質なことは間違いないが、つぐみが待っている部屋の前まで来て引き下が

るわけにもいかない。それに会いたいと思っていたつぐみと合流できることを考えると、

ここは多少のリスクを背負ってでも扉を開けるべきなのかもしれない。

 浩介は壁に半身を隠しながら、ゆっくりと会議室の扉を右にスライドさせた。

「うっ……!」

 会議室の中に入った浩介は思わず口元を手で覆った。部屋の中はむせ返るような血

の臭いで満ちており、まるでガスが充満した調理場に入ってきたかのような錯覚に襲わ

れる。

 

 会議用の長テーブルが長方形の形に並べられている会議室。パイプ椅子もそのまま

残されており、窓に備え付けられたベージュ色のカーテンは閉め切られている。

「浩介、あれっ……!」

 悲鳴にも近い玲子の呟きが耳に届き、浩介は彼女が指差している方向に目を向けた。

「――――!!」

 部屋の隅に備え付けられた掃除用具を入れるロッカー。その三メートルほど手前に青

とワインレッド色の塊が横たわっていた。

 いや、それは塊などではない。人間だった。浩介や玲子と同じ、舞原中学の制服を身

につけている。二人と決定的に違う点はその下に広がる赤い液体。カーテン越しに差し

込む日の光に照らされ、それはとても鮮やかな光沢を放っていた。

 手を出してここで待っているように玲子に伝え、浩介は”それ”に近づいていく。うつ伏

せに倒れているが、顔は横を向いているため誰なのか判別するのは簡単だった。

 

「佐藤さん……」

 浩介が名前を呟いても、その名の持ち主である佐藤美咲(女子8番)が反応を見せる

ことはなかった。床に突っ伏している彼の首は大きく切り裂かれており、切り口から真っ

赤な断面が覗いている。こみ上げてくる吐き気に浩介は口元を覆い、よろよろと後退し

ていく。

 それだけではなかった。美咲のすぐ横にもう一人誰かが倒れている。仰向けに倒れた

彼は光の宿っていない虚ろな瞳で天井を見つめている。

 大柄な身体に厳格そうな顔立ち。美咲のようにうつ伏せにではなく仰向けになっていた

ため、それが橋本恵一(男子13番)であることはすぐに分かった。

 恵一の喉にも美咲と同じような切り傷がある。浩介は吐き気を堪えながらも二人の死

体を見比べ、他に外傷がないことを確認する。どうやら喉への一撃が致命傷になったら

しい。よほど激しい出血だったのか、周りの壁や果ては天井にまで血飛沫が付着してい

た。

 

 頚動脈を切るとめちゃくちゃ血が出てくるってのは聞いたことあるけど……。

 それにしても、この光景は想像以上に凄まじいものがある。無造作に転がる死体、周

りに飛び散った血液。とてつもなく悪趣味な絵画のような図だ。

「浩介」

 名前を呼ばれ、後ろを振り向く浩介。そこには不安げな表情を浮かべている玲子の姿

があった。

 待ち合わせの場所に行ってみれば、そこにあったのはクラスメイトの死体だけ。間違い

ない。これは『罠』だ。自分たちをおびき寄せ、殺すための。

 

 何のためにこんなことをすることがある? ――決まっている。探す手間を省くのと、よ

り確実に人数を減らしていくためだ。自分たちはハメられたんだ。完全に。

 冷静に事態を把握していた浩介だが、それだけにこの事実を玲子に伝えるべきかどう

か悩んでいた。信じていたつぐみに裏切られたと知れば彼女は大きく傷つくだろう。もし

かしたらショックで塞ぎこんでしまうかもしれない。雪姫つぐみとはそれほどの信頼を持つ

人物なのだ。

 

 この事実を言えば傷つくかもしれない。しかしこのまま隠し通すわけにはいかないだろ

う。玲子はもう死体の存在に気が付いている。いや、もしかしたら彼女も気付いているの

かもしれない。この辛く厳しい現実を。

 浩介はきゅっと唇を引き結び頭を横に振る。

「恵一と佐藤さんだった。二人とも、もう死んでいるよ」

「そんな……」

 呆然と呟く玲子。その唇と声は少し震えている。恵一たちが死んでいるということにショ

ックを受けているのか。それとも別の何かに――。

 

 つぐみは小学校に来いと言った。これは憶測だが、恐らく彼女はここの屋上からスピー

カーか何かを使って呼びかけを行ったのだろう。島中に呼びかけるなら自分が同じ立場

でもそうする。

 近くを探せば、まだつぐみがいるかもしれない。彼女を見つけて聞き出すんだ。なぜこ

んなことをしたのか。彼女の真意を知る必要があった。

 

「とりあえずこの近くを探そうよ。ひょっとしたら会長、まだ近くにいるかもしれないし」

「ここで誰かを待っていなくていいの? ひょっとしたら私たちの他にも、誰かがやって来

るかもしれな――」

 と、玲子の声が唐突に途切れた。直後に彼女の目が大きく見開かれ、「浩介、後ろ!」

というほとんど悲鳴のような声がほとばしった。

 浩介はファイブセブンを構えるのと同時に、玲子の叫びに応じ背後を振り返る。

 ギィ、とかすかな音を立て、掃除用具が入っているロッカーから出てくる整った顔立ちを

した少年の姿が目に映った。

 

 刃のような鋭い眼光を放つその少年、浅川悠介(男子1番)は床に一歩を踏み出した

瞬間、浩介の胸めがけ素早く右手を突き出した。

 そこには正真正銘本物の刃――長月美智子のものだった脇差が握られていた。

 

橋本恵一(男子13番)

佐藤美咲(女子8番)死亡

【残り15人】

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