終盤戦:63





 幸せとは何なのだろうか?

 自分たちは幸せの意味を分かっているように口にしているけど、本当のところはよく分か

っていないのかもしれない。

 幸せとは実体のないあやふやなものだ。この質問をして即答できる人間はあまりいない

のではないだろうか。大抵の人は考え込むか、口ごもってしまうだろう。

 

 幸せが何なのかは答えられない。しかし高橋浩介(男子10番)は、どういう時に幸せを

感じるのかと聞かれればあっさりと答えることができるだろう。

 彼女のことを想うだけで胸が温かくなる。表情豊かな彼女の顔は一日中見ていても飽き

ないだろう。

 

 浩介は部屋の壁に掛けられている時計に目を移し、時間を確認してから青色のソファの

上で眠っている霧生玲子(女子6番)を起こすため彼女のもとに近づいていった。

 安らかな顔で小さく寝息を立てている玲子を見て、浩介は小さく笑ってしまった。プログラ

ムの中で再会したときは子供のように泣きじゃくっていたのに、今ではすっかり主導権を

握っている。

 

 意地っ張りで、我がままで、気が強くて、だけど本当は寂しがり屋で。

 いつもの、自分が好きな玲子だった。

 寝顔を見つめながら、そっと玲子の髪に手を伸ばす。

 玲子の髪は細くて柔らかく、とても触り心地のいい髪だった。浩介はそのまま髪を撫で続

けていたが、玲子が寝返りをうったのに反応して素早く手を離す。

 浩介は相変わらず玲子の顔を見続けていたが、たった今自分のやったことをようやく実

感したらしく、浩介の頬は恥ずかしさで真っ赤に染まっていた。

 玲子に触れただけでドキドキしてしまう。女性に免疫がないとはいえ、今時の中学生に

しては情けない話だった。

 

 不思議だと思った。

 プログラムに選ばれて殺し合いを強要させられ、いつ死ぬとも分からないような状況に

いるというのに。

 自分は、幸せを感じている。

 玲子と二人でいられることがとても嬉しかった。

 

 二人の家は歩いても一分とかからない距離に位置していたため、幼稚園に入る少し前

から一緒に遊び始めていた。

 玲子とは幼稚園、小学校、中学校と全て同じクラスだった。彼女は「腐れ縁もここまでく

ると神がかっているわね」なんて言っていたけど、嫌そうな顔はしていなかった。

 小さい頃からずっと玲子を見てきているけど、彼女の性格は昔から全然変わっていな

い。自分勝手で感情がすぐ表に出るくせに人よりも傷つきやすいところとかが特に。中一

のときに玲子の悪口がもとでクラスの女子と口ゲンカになって、背が低いことを指摘されて

泣きそうになったこともある。だったら初めから悪口なんか言わなきゃいいのに、と言った

ら思いっきりぐーで殴られた。

 

 あまり表には出さないけど、玲子は悪いと自覚したことはちゃんと反省する。他人に弱み

を見せたくないから意地を張っているんだろうけど、長年付き合っている浩介は玲子の本

心が何となく分かるようになっていた。

 だからだろうか。浩介は最近、玲子を見るのが辛くなってしまうときがある。

 彼女を見ていて幸せなはずなのに、心の別の部分に暗く大きな鉛ができていく感じ。

 

 理由は分かっている。

 ずっと前から気づいていたけど、知らないふりをしてきた。目を逸らし続けてきた。

 認めたら辛くなってしまう。

 そして何より、この幸福感が消えてしまいそうな気がして。

 

「玲子、そろそろ時間だよ」

 浩介は優しく玲子の肩を揺すった。まだ寝たりないのか、玲子は「うーん」と声を上げて

なかなか起きようとしない。無理に起こすとどういう事態になるかは明らかなので、間を空

けてから再び起こすことにした。

 浩介と玲子がこの家に隠れてから四時間が経過しようとしている。二人はこの殺し合い

を止めるため、同じ想いを持つ仲間を捜そうとこの住宅地にやってきた。家に隠れている

クラスメイトを捜そうと考えてやってきたのだが、数多く立ち並ぶ家の一つ一つを調べてい

くという作業はあまりにも効率が悪かった。何の手がかりもなしにクラスメイトを見つけると

いうのはやはり簡単なことではない。仲間を捜そうと決めたときから分かっていたことだっ

たが、こうもまざまざと思い知らされることになるとは。

 

 二人が今隠れている家は地図上で言うとG−3エリアに位置している。放送を聞くために

窓ガラスを割って(割り方は吉川秋紀が自慢げに言っていた時のことを思い出していた)

この家に忍び込んだのだが、放送が終わった直後に眠気に耐え切れなくなった玲子がソ

ファの上で寝てしまったのだ。寝る寸前に彼女が言った『9時に起こしてー』という言いつけ

を守ってこうして起こしてはみたが、案の定彼女は起きてくれない。この調子だと起きるま

でにもう少し時間がかかりそうである。

 

 で、起きたときに「何で時間通りに起こしてくれなかったのよ!」って言われて引っぱたか

れるんだよな……。

 そのときの光景は容易に想像できる。今から覚悟をきめておいたほうがいいかもしれな

い。

 

「覚悟か……」

 浩介は独りごち、ベルトの前にさしてあったFN ファイブセブンを取り出した。そのフォル

ムをしばらく見つめ、両手で構えて銃口を壁に向ける。ずっしりとした重量感が手の中に

現れると同時に、手の中にじわっと汗が浮き上がってきた。

 

 僕は今、人を殺せる道具を手にしている。

 この引き金を引くだけで、簡単に人の命が奪えてしまうんだ。

 最初の放送で六人、次の放送で七人、三時間ほど前に流れた三回目の放送では八人

の名前が呼ばれた。死者の数はすでに二十一人。クラスの半分以上にも及んでいる。

 ゆっくりと、だが確実に優勝という名の椅子へ近づいてきている。だがそれは同じだけ、

死に近づいているということでもある。

 

 いつかは戦わなければいけない時がくる。プログラムの残り人数が減ってきている以上、

それは仕方のないことだ。

 来るべき時が来たとき、僕はちゃんと戦うことができるだろうか。玲子を守るために、彼

女の盾となって戦うことが。

 戦えたとしても勝てるかどうか分からない。ここに来るまでに見かけた君島彰浩(男子6

)のように変わり果てた姿になってしまうかもしれない。

 

 怖い。

 銃を撃つことが。誰かを殺すことが。死んでしまうことが。

 そして玲子を守れなかったときのことが。

 壁に向けられているファイブセブンがカタカタと小刻みに揺れ始める。浩介はファイブセ

ブンを下ろし、震えている自分の腕を無理矢理押さえつけた。

 

 ダメだ。怖がっていちゃダメだ。

 やらなくちゃいけないんだ。僕が、僕が玲子を守ってやらないと。

 刹那と秋紀を見つけて、またみんなで一緒に――。

 

「……そろそろ起こしてやらないとな」

 そう言って再び玲子に手を伸ばした瞬間。

『あー、あー……みんな聞こえるー?』

 家の外から聞き覚えのある、しかしどこか歪んでいるような声が聞こえてきた。

 

【残り17人】

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