終盤戦:62





 今でも時々、疑問に思うことがある。

 父さんと母さんは、本当に俺を愛していたのだろうか。

 

 浅川悠介(男子1番)は12歳になったその夜、生まれて初めて父親を殴り飛ばした。

 その時の悠介の精神状態はかなり滅茶苦茶なものになっていた。大人しく内向的な性格で、

誰かに暴力を振るったことなどなかった悠介が怒声を上げながら父親を殴る。この光景を見

ていた母は信じれないといった顔をしていた。

 

 悠介の父親はその昔、甲子園でベスト8まで進んだ高校のエースピッチャーだった。その時

の写真は大切そうに居間に飾ってあるし、昔は飽きるほどその話を聞かされた。そして父親

は話の終わりに決まってこう言っていた。

「お前にはできることならプロ野球選手になってほしいんだ。父さんはなることができなかった

けど、お前なら努力すればきっとなることができる」

 そんな父親のもとで、悠介は幼い頃から野球の練習をさせられてきた。自分の意思に関係

なく、ほとんど強制的に。

 

 運動以外でもそうだった。両親は悠介の意思など聞こうともせず、自分たちの勝手な考えで

習い事を押し付けたり塾に行かせたりして悠介から自由を奪っていた。一日のスケジュールを

全て親が決めているようなものだ。一日の中で悠介が思い通りに過ごせる時間はほとんどな

かった。

 

『お前は私たちの言う通りにしていればいい』

『あなたは何も心配することないのよ。全部お母さんたちに任せて』

『悠介、来週から野球部に入りなさい。道具はもう買っておいてあるからな』

『悠介にはいい大学に行ってほしいわね。それで公務員になって、お婆さんになった私たちに

親孝行をしてほしいわ。お父さんの言う野球選手よりずっと安定性があるもの』

 

 自分の夢を託しているつもりであったその言葉は重圧以外のなにものでもなく、悠介にとって

足かせでしかなかった。

 年を重ねて成長していくにつれ、悠介の心の闇は果てが見えないほどに広がっていた。

 

 ほぼ毎日のように聞かされる、自分の人生のスケジュール。

 悠介が望んだわけではない。全て親が勝手に決めたことだ。

 いくら親だからって、息子の人生をここまで縛ってもいいのか?

 

 頭の中に浮かぶのは笑顔で話し合うクラスメイトたち。彼らはそれぞれ自分の夢を持ち、人

生の中に浮かび上がる選択肢を自分の意思で選択しているのだろう。

 自分にも夢がある。憧れていることや、やってみたいことだってたくさんある。

 それができない。自分の意思を伝えることができない。

 たまらなく悔しく、惨めだった。

 

 ――このままではいけない。勇気を出して父さんたちに俺の想いを伝えるんだ。

 

 そう決心したのが12歳の誕生日のことだった。

 その日、悠介は今まで両親に言えなかったことを全て打ち明けた。

 将来はコンピューター関係の仕事に就きたいこと。

 両親が志望している中学とは違う、当時仲の良かった友達が行く中学に行きたいと思ってい

ること。

 もう父さんたちの言いなりになっているのは嫌だということ。

 自分が本当にやりたいと思っていることを、やっていきたいということ。

 自分をあまり表に出さずいつも一歩引いたところにいる悠介にとって、それは人生最大の決

断であっただろう。

 

 しかし。

 精一杯の勇気を振り絞って本音を伝えた悠介に向けられたものは、落胆と失望を隠そうとも

しない両親の姿だった。

 

 ――お前にはがっかりしたよ。

 そう呟いて首を振り、部屋の奥へと消えていく父。

 それを境に、悠介に対し他人のように接するようになった母。

 両親がいなくなったリビングに一人残された悠介の目から、ぽたぽたと涙が零れ落ちた。怒

りと悲しみと絶望が溢れ、バースディケーキにささった蝋燭の炎だけが悠介の誕生日を祝福

していた。

 

 両親が自分に向けているのは愛ではなく、期待。

 求めているのは結果。

 両親は息子を必要としていなかった。

 必要としていたのは自分たちのステータスを上げるための、

 自分の希望や夢を全て背負わせるための存在。

 父さんたちは俺を――浅川悠介という人間を必要としているんじゃない。

 求めているのは操り人形のように従順な人間。

 そして自分は……両親が求めているものを持っていない。

 

 全てを理解したとき、悠介の中で何かが変わった。

 気がついたときには父がいる部屋に押しかけ、何か滅茶苦茶なことを叫びながら父を殴って

いた。

 

 心のどこかに空洞ができはしたものの、両親のことを悟ってからはむしろ楽になった。

 いちいち親の反応を気にしなくてもいい。自分の好きなようにやっていける。どうせ両親の期

待に応えることは無理なのだ。何も心配する必要はない。

 悠介は誰からも必要とされず、誰も必要としない人生を歩み始めた。

 

 

 

 

 

 沙更島の朝は静かだった。

 聞こえてくるのは鳥の鳴き声や木の葉が擦れる音くらいで、人工的な音は何一つ聞こえてこ

ない。島の住民が全員追い出されてしまっているから当然のことかもしれないが、まるで世界

から切り離されてしまったように感じられる。

 

 いや、本当にそうなのかもしれない。

 小学校の職員室にある窓から外を眺めながら、悠介はそんなことを考えた。

 

 自分たちのいる世界は何もかもが狂っていて、何が正しいのかまるで分からない。

 昨日まで笑い合っていた奴らと殺し合って、必死に生きようとしても結局殺されてしまって。

 こんなものが、自分たちの世界のわけがない。

 自分たちは本当に、切り離された世界にいるんだ。

 

 ふと、疑問が浮かんだ。

 俺のいるべき場所は日常の中にあったのか?

 生まれ育った街。

 見慣れた風景。

 共に育った家族。

 仲良く遊んだ友人。

 このクラスにいるほとんどの人間は、日常の中に自分の居場所を作っている。自分が本当

にいるべき場所を。

 

 悠介にはそれがなかった。

 両親と疎遠状態になり、親しい友人もなく、自分の育った街に特別な感情を抱いていない彼

には自分のいるべき場所というものが存在しなかった。そこに存在はするが根を張らない、旅

人のようなものだった。

 

 それが変わったのは、つぐみと会ってからだった。

 去年の春の、あの夕焼けの屋上から全てが始まった。

 つぐみと喋っているときは、自分の本音を話すことができた。初めて誰かに、自然に接する

ことができた。彼女といるときは、他のどこかにいるときのような居心地の悪さは感じなかった。

 何も持っていない自分の中でたったひとつの、何よりも大切なもの。

 悠介はこっそり、部屋の後ろの方で”探し物”をしているつぐみの姿を見る。

 

 失うものか。

 例え全てと引き換えにしても、つぐみを失いたくなかった。悠介にとって彼女は自分の命以上

に大切なものだった。

 初めて自分を必要としてくれて、自分のいるべき場所を作ってくれたつぐみ。

 俺のいるべき場所は、ここだ。

 あいつが俺の世界そのものなんだ。

 それを守るためだったら、どんなことだってしてやる。

 

「悠介くん、一応あったけどこれでいいの?」

「ああ、ありがと。電池の方は使ってみなけりゃ分からないけど、なくなっているってことはない

だろうから大丈夫だろ」

 つぐみが見つけてきた”それ”を受け取り、正常に動くかどうか確認する。

「……悪いな。本当ならもっといい作戦があればよかったんだけど」

「私は全然大丈夫。悠介くん左手怪我してるし、道徳心とか正々堂々とかを気にするような状

況でもないでしょ」

 つぐみの言うことはもっともだったが、悠介はつぐみが本当はどう思っているのか気になって

いた。これから自分たちが行うことはつぐみを信頼しているクラスメイト全てを裏切る行為であ

る。他の連中がどうなろうと知ったことではないが、つぐみが乗り気でなかったら諦めるつもり

だった。

「イヤだってんなら無理するな。俺一人でやるから」

 悠介にしてみればつぐみを気遣っているつもりなのだろうが、つぐみにしてみれば少しムッと

してしまうような言葉である。

 

「その、一人で何でも背負い込もうって考え方は好きになれないわ」

「…………」

「悠介くんは一人で生きているわけじゃないでしょ? すぐ側に思い荷物を一緒に背負ってくれ

る人がいるんだから、もっとその人を頼ってもいいと思うんだけど」

 ”その人”というのが誰のことなのか、言わずとも悠介は理解していた。

 つぐみは深く考えずに言わない。思ったことを率直に、包み隠さず口にするタイプだ。

 それゆえに彼女の言葉、その一つ一つが悠介の胸を打った。悠介の中に言い表せないほど

の喜びが込み上げる。

 そして改めて決意する。

 つぐみは死なせない、と。

 

「……分かった。ありがとな、つぐみ」

 短く感謝の台詞を口にすると、先程受け取った”それ”をつぐみに返して職員室から出て行っ

た。つぐみもその後に続く。

 今なら誰にも負ける気がしない。

 決意を固めるかのように、悠介は力強く拳を握った。

 

【残り17人】

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