終盤戦:60





 ぼやけた視界にまず映ったのは真っ白な天井だった。飾り気も何もない、冷ややかで人工

的な色。

 それを見ただけで自分がどこにいるのか分かったのは、この色が自分にとって馴染み深い

ものだったからだろう。

 

 病院……?

 上半身を起こし、徐々に覚醒し始めた頭を働かせながら視線を動かす。白を基調とした部

屋の造り、やや固めのベッド、消毒液の混じった香り。そのどれもがここが病院であることを

語っていた。

 ここが病院だということは分かったが、自分はどうやってここまで来たのだろう。デイパック

に入ってあった地図には病院のマークが記してあったので、この島にそういう施設があると

いうことは知っていたがそのエリアに足を踏み入れた覚えはない。

 何しろ自分は、ついさっきまでF−4エリアの公民館に立て篭もっていたのだから。

 

 清水翔子(女子9番)は軽く頭を押さえ、これまでの行動を思い返し始めた。

 修学旅行に行くために新幹線に乗って、気がついたらプログラムに選ばれていて、たまた

ま通りかかった公民館に隠れようとして、そこで荒月さんたちに会って、田中さんが襲ってき

て、そして……。

 

 そうか、私は――。

 と、ノックもなしに突然ドアが開かれた。

 

 開かれたドアの向こうから現れたのは牧村千里(女子14番)だった。いつも落ち着いている

大人びた少女で、背中の半ばほどまである髪がさらさらと揺れていた。翔子が起きていると

思っていなかったらしく目をぱちくりさせていたが、千里はゆっくりと微笑を浮かべていった。

「よかった。目が覚めたみたいね」

 千里はそのままベッドに近づいてきて、翔子にかけられている布団の乱れを直した。

「どこか痛いところはない?」

「うん……」

 ためしに身体を動かしてみる。

 痛みはなかったが、何とも言えない違和感を覚えた。

 

「私、まだ生きているのね」

 あの時、公民館から逃げ出した先の森の中で自分は死んでしまうものだと思っていた。

 しかし自分は生きている。死んでいればこんな風に身体が動くはずがない。

 自分が死んでいないことは分かったが、どうも実感が湧かなかった。倒れて記憶を失う前、

翔子は完全に死を受け入れていた。いや、彼女の心は死を望んでいた。

「外傷はなかったみたいだから、きっと喘息の発作か精神的なものが出たのね。薬、まだ持

っている?」

 翔子は言葉ではなく、頷くことによって答えてみせた。

 

「そう。なら安心だわ。いくら病院にいるっていっても、素人の私たちじゃどれがどの薬なのか

全然分からないから」

 翔子の思ったとおりだった。やはりここは病院なのだ。

「清水さん、自分がどうやってここに来たのか覚えている?」

 今度は首を横に振る。

「真琴と綾香が運んできてくれたのよ。六時の放送が流れるちょっと前くらいで、病院の前で

誰かいませんかーっていう声がしたからびっくりしちゃった」

「え? 牧村さんが私を助けてくれたんじゃないの?」

「ううん、違うのよ。私たちはプログラムが始まってからずっとここにいるの。だからあなたを

見つけて運んでくるなんてことできないわ」

 千里が発したとある言葉に反応し、翔子は怪訝に首を傾げた。

「私たち?」

「ああ、そういえばまだ言っていなかったわね」

 思ったとおり、千里はひとりでここにいるわけではないらしい。彼女は指を折りながら、病院

にいるメンバーの名前を挙げていった。

 

「まず私でしょ、それに優と森くん。この三人が初めからここにいるメンバーなの。二回目の放

送が入る二時間くらい前に斉藤くんが病院にやってきて、最後に真琴たちがやってきたのよ」

 京都の生まれだという緑川優(女子15番)、理知的だがちょっと暗そうな感じの森一郎(男

子17番)、野球部エースピッチャーの斉藤修太郎(男子8番)、そして倒れている自分をここ

まで運んできてくれたという朝倉真琴(女子1番)木村綾香(女子5番)。ここにいる千里と

翔子を含めた七人が病院にいるメンバーということになる。

 

「ここだけの話だけど、森くんはあなたたちが仲間になるのをあまり良く思っていないみたい

なの。『人数が増えればそれだけ裏切り者が出てくる可能性も増える』って言って真琴たちを

追い返そうとしたんだけど、結局優に押し切られちゃって」

 千里はどこかすまなそうな顔をしていた。嫌に思われたくなければ黙っていればいいのに、

丁寧に内部の事情を話してくれている。律儀な彼女らしい振る舞いだ。

「悪く思わないでね。森くんは内部分裂するのを心配してそういうことを言ったんだと思うし、

それに彼ってもともとああいう性格だから」

「うん、大丈夫。気にしていないから」

 森一郎とはまともに喋ったことがないのでどういう人物なのか分からなかったが、今の話を

聞く限りでは神経質で慎重な印象を受けた。感情論よりも理屈で動くタイプなのだろう。感情

で動く優に押し切られたというのも容易に想像できた。

 

「……今って何時なの?」

「えっと、七時五分前ってところね」

 ということは、すでに午前六時の放送が流れた後ということになる。

「六時の放送で……、誰か、名前を呼ばれた?」

 千里の顔に陰りが見えた。指先を口元に当てて考え込むようなポーズをとり、制服のポケッ

トから名簿と地図を取り出した。

「名前を呼ばれたのは……恵と、加藤くんと、渡辺さんと、戌神くん。それに夏海と荒月さん、

山田くんと伊藤くん」

 千里が挙げたのはその八名だった。これで生き残っているのは17人。プログラム開始か

ら一日も経たず、3年3組のメンバーはついに半分以下になってしまった。

 

「荒月さんが……」

 その中でもとりわけショックが大きかったのは、荒月凪那が死んだということだった。今こう

して生きていられるのは、凪那や司郎が身を挺して自分を逃がしてくれたからだ。二人がいな

ければ今頃死体となって公民館の事務室に転がっているだろう。

 あの時、逃げることしかできなかった自分への情けなさがぶり返してきた。凪那の言葉を無

視してあの場に留まったとして、夏見を倒すのに協力したらもっと違った結果が生まれていた

のだろうか。

 今更そんなことを思ったところでもう遅い。現実は変わらないし、そもそも「もしも」のことを思

ったって自分を慰めるだけにしかならないのだから。

 

「荒月さんがどうかしたの?」

「うん……ここに来る前、私はずっと公民館に隠れていたの。長谷川さん、渡辺さん、加藤く

ん、戌神くん、それに荒月さんと一緒に」

 沈んだ声で呟くように言う翔子。彼女が告げた五名は全員放送でその名を呼ばれていた。

翔子が隠れていたという公民館で何かがあったのだろう。気がかりなことではあるが、千里は

あえて聞かないことにした。

「みんなが死んで……何で私なんかが生き残っているんだろう。私なんか生きていたって何に

もならないのに……」

 あの時は死んでも構わないと思っていた。なのに今は、助かったと知って安心している自分

がいる。

 

「清水さん、それは間違っているわ」

 千里が諭すような口調で言った。

「生きていて何にもならないなんてことはない。生きているということはまだ可能性が残ってい

るっていうことなのよ。死んでしまったら可能性も残らないの。だからあなたが生きているとい

うことは凄く幸せなことなんだから」

「でも……」

「どう受け取るかはあなたの自由。でもあなたは、死んでしまった荒月さんたちの希望を背負

っているのよ。それを忘れないであげて」

「……うん」

「分かってくれて嬉しいわ。じゃあ私はそろそろ失礼するわね。一階の診察室にいるから、何

かあったらそこまで来て。でもあまり無理をしちゃだめよ」

 優しい声で言いながら、千里は支給された食料とミネラルウォーターを置いて部屋から出て

いった。

 

 千里が来る前と同じ静寂が部屋を包み込む。翔子は再び横になると、千里が出て行ったド

アを見つめた。

 ――言い忘れちゃった。

 ありがとう。その一言だけなのに、自分を助けて看病してくれた千里に言うことができなかっ

た。

 次に会ったら絶対に伝えよう。翔子はそう決意すると、再びベッドの上に横になった。

「生きていることが幸せ……。そうよね、死んでしまったらやり直すこともできないもの」

 千里の発したその言葉が、冷え切った翔子の心に温もりを与えていた。

 

【残り17人】

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