終盤戦:59





「つーかさ、それでよく生きているわよね、あんたって」

 木の幹に背中を預けるようにして立っている高梨亜紀子(女子10番)は、心底驚いてい

る様子だった。プログラムが始まってから今までに見たこと、体験したことを包み隠さずに

話した中村和樹(男子11番)は、そんな彼女の顔を見てやっぱり自分はかなりひどい目に

遭っているんだな、と改めて実感した。

 

「ほんと、自分でもかなり運が良かったと思うよ」

 何しろプログラムで出会った人物のほとんどに襲われているのだ。彼は気づいていなか

ったが、山田太郎と遭遇したときには毒ガス弾も撃ち込まれていた。それでこの程度の傷

で済んでいることは奇跡としか言いようがない。和樹はいつ死んでもおかしくない状況を何

度もくぐり抜けてきたのだ。

「でもまあ、一概に運が良いって言っていいのかどうか分からないけどね」

「どういうことだ?」

「それだけの目に遭って死ななかったのは確かに幸運だと思う。でもそれと引き換えに、

あんたは見たくないもの、知りたくないものをたくさん目にしてきた。違う?」

「…………」

 

 見たくないもの、知りたくないもの。亜紀子のその言葉に、様々な光景が脳裏に蘇る。

 あの時小学校の校庭で田中夏海に殺されていれば、誰かを殺そうとする友人たちの姿

を見なくて済んだのかもしれない。

 プログラムが始まってからすぐに自らの命を絶っていれば、こんな辛い思いをしなくても

よかったのかもしれない。

 

「そうだな……それはお前の言う通りかもしれない。だけど俺は逃げたくなかったんだ。

最初から何もせずに諦めるなんて絶対にしたくなかったし、みんな話せばきっと分かって

くれるって信じていたから」

 

 そう思っていたのが随分と昔のことのように感じる。

 今はもう、違う。

 みんな変わってしまった。

 一昨日まで笑いあっていた奴と会うのが、今は恐ろしく思えてしまう。

 

「あんたのやっていることは立派よ。こんな状況で誰かを信じろってほうが難しいもん」

「例え立派なことだったとしても、俺のやったことじゃ誰も助けてやることができなかったん

だよ。田中さんを見捨てちまったし、彰浩だって……!」

「……あんたさ、みんなが死んじゃったこととか自分が痛い目に遭っていることとか、全部

自分が悪いとでも思ってるの?」

 身を乗り出し、うんざりという口調で亜紀子が言った。

「あんたがどう捉えているのか知らないけどさ、私は死んじゃったみんながあんたの力不

足のせいで死んじゃったなんて全然思っていないし、あんたがそんな目に遭っているのだ

ってやる気になっている他の連中が悪いのよ。落ち込むのは仕方がないとしても、あんた

が否を感じる必要なんてどこにもないわ」

「…………」

「ようは全力でやったかどうかよ。手を抜いてそういうことになったんならまだしも、全力で

やってそういう結果になっちゃったんなら仕方がないわ。人間ある程度の割り切りは必要

なんだから」

「でも俺は――」

「うっさい!!」

 大声で怒鳴る亜紀子は本気で怒っていた。不甲斐ない和樹の態度に堪忍袋の緒が切

れたらしい。

 

「もうあーだこーだってうるさいのよ! 仕方がないものは仕方がないっての! あんたっ

て何でもできちゃう万能人間なわけ? そうじゃなかったらいつまでも悩んでいたって解決

しないでしょうが! 悪いのはあんたじゃない、やる気になってる他のバカどもなの!」

 次々と浴びせかけられる言葉に和樹は圧倒されていた。

「分かったら返事」

「あ、いや、その……」

「へ・ん・じ!」

「は、はい!」

 何が何だか分からないうちに、無理矢理返事をさせられてしまった。

 亜紀子は自分なりに和樹を元気付けようとしているつもりなのだろうが、実際は励まして

いるのか叱っているのかよく分からない状態になっている。

 とはいえ、こうされることに対して悪い感じはしなかった。人は進むべき道を見誤ったとき、

それを正してくれる人間を必要とする。そうしてくれる誰かがまだいるだけ、自分はまだ幸

せなのかもしれない。

 

「前から思ってたけどさー、あんたちょっと人が好すぎるのよ。誰かのことを気遣うってのも

いいけど、たまに人のせいにしたってバチはあたらないんじゃないの」

 重く沈んだ心に響いてきたのは、自分の考えをそのままぶつけてくる亜紀子の声だった。

己の感情をストレートに表に出してくる亜紀子を見て、和樹は自然と笑みが浮かんでくるの

を感じていた。

 

 みんな、生きようとしている。

 底無しの奈落に突き落とされても、必死で生き抜こうとしている。

 悲しみや絶望に打ちのめされそうになっても、それでもみんな生きようとしているんだ。

 

「お前、そんなんでよく情報屋をやってられるよな」

「どういう意味よ」

「そのままの意味だよ」

 怪訝な顔をする亜紀子に、和樹は皮肉と笑いを含めた声で返した。

「なあ、高梨」

「なによ」

「お前……怖くないのか?」

 途端、亜紀子の顔から笑顔が消える。真剣みを帯びたその表情はとても同一人物とは思

えないほどの変わりようだった。

 

「怖いわ。凄く怖い。でも、だからって何もしなくていいっていう理由にはならないわ。こういう

時だからこそ、私たちは何かをするべきなのよ。それがどういう結果になろうとね」

 和樹の目を見据え、亜紀子が言う。彼女は「まあ、どんな結果になるかなんて誰にも分か

らないけどね」と付け加え、んっと背伸びをした。

「じゃあ私、そろそろ行くわ」

「ああ。気をつけろよ」

「あんたもね。次に会ったとき落ち込んでいたらぶん殴ってやるから」

 亜紀子は笑いながらそう言って、和樹に向けて何度も手を振りその場から去っていった。

 

 亜紀子の言うとおりだ、と思う。

 どんなに怖くても、辛くても、悲しくても、何もしなくていいという理由にはならない。いつ死

ぬとも分からないこの世界で、みんな精一杯生きようと努力しているのだから。

 そんな中で自分ひとりが悲壮に打ちのめされ、絶望にその身を委ねてしまうなど傲慢以

外のなにものでもない。自分の情けなさを叱責した和樹は、制服の下に着ていたワイシャツ

を脱いで脇腹の傷口を塞ぐようにして胴体に巻きつけた。あらかじめ着ていたTシャツの上

からブレザーを羽織り、ウィンチェスターをぐっと握り締める。

「つぐみなら……あいつなら、きっと……」

 まだ、信じられる友がいる。最後まで希望を捨てないために、彼は前へと向かって歩き出

した。

 

 

 

 

 

 手元にある少し大きめの携帯電話のようなものに目を落としながら、高梨亜紀子は満足

そうに微笑んだ。

「どうやら上手くいったみたいね」

 ただしそれは和樹が見たものとは異なる、邪悪な微笑だったが。

「やっぱ単純バカは扱いやすくていいわ。思った通りに動いてくれるし、何しろ融通が利き

やすいってのが最高ね」

 彼女の手元にある機械には赤と青の文字がずらっと映し出されている。半日ほど前は青

の文字の占める割合が多かったが、今ではわずかに赤い文字の方が多くなっている。

 画面上の青い文字は生存者、赤い文字は死亡者を表していた。

 

 ――それにしても、まさか山田くんがやられちゃうとはね。人生何があるのか分からない

ってことかしら。

 

 数時間前に入ってきた山田太郎死亡の通知を見たときは、さしもの亜紀子も驚きを隠せ

なかった。このプログラムにおける優勝者の最有力は、間違いなく山田太郎だと思っていた

からだ。戦闘性の高さ、武器の豊富さ、殺人に対する躊躇のなさ。そのどれをとっても、彼

が他のクラスメイトに負けるとは到底考えられなかった。

 

 しかし黒崎刹那(女子7番)は、たったひとりでそれをやってのけた。

 太郎と刹那が死闘を繰り広げている時、実は亜紀子も公民館の脇で二人の戦いを見て

いたのだ。誰にも見つからないよう、何が起きているのか判別できるギリギリの距離で。

 あれは、現実とは遠くかけ離れた光景だった。

 銃弾の嵐の中を悠然と進む刹那。あっという間に太郎の懐に潜り込み、打撃で圧倒して

持っていた銃で太郎を射殺した。

 

 レベルの――いや、次元の違いを見た瞬間だった。プログラムでは敵なしだろうと思って

いた太郎を軽々と倒してのけた刹那の実力は、自分がどうこうできる話ではなかった。

 自分が誰かに負けるなど考えられない。かといってあの刹那に勝てるとも思えなかった。

このまま勝ち進めば、自分はいずれどこかで彼女と刃を交えることになってしまう。

 そのときのことを考えて、亜紀子は自分の意のままに動かせる『駒』を用意しようと思った

のだ。いくら彼女の強さがかけ離れていると言っても、数で襲い掛かればこちらにも充分勝

機はある。

 

 中村和樹は刹那の力を奪う『駒』としては申し分ない逸材だ。殺し合いには向いていない

性格をしているが、それは扇動しだいでどうとでもなる。現に今の彼は精神的にかなり脆弱

になっていた。先程の会話で揺さぶりをかけておいたし、あとは何らかの方法でスイッチが

入れば面白いことになるだろう。

 

 みんな、私の思い通りに動く。

 私に不可能はない。私が、この世界の支配者なのだから。

 新たな『駒』を見つけるため、悪魔に魅入られた情報屋は行動を開始した。

 

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