終盤戦:56





 朝が近づいてくるにつれ、黒一色だった空に変化が現れ始めていた。

 天頂は薄い藍色になっており、水平線の辺りは淡い黄色の輝きを放っている。見るものの

目を奪う美しいグラデーションだった。

 

 だんだんと力を増していく輝きを木立の間から見上げながら、伊藤忠則(男子2番)は未だ

痛みの消えない右肩を軽く押さえて溜息をついた。

「くそっ……なんでこう上手くいかねえんだよ」

 芳しくいかない現状に腹を立て、忠則は荒っぽく地面を蹴った。周りに生えている草に土

が降り注ぎ、ぱらぱらと音を立てる。

 

 伊藤忠則は、このゲームで信用できる人物は自分自身以外に存在しないと考えていた。

忠則は浅川悠介(男子1番)のようにクラスメイトと距離を置いている方ではない。君島彰浩

(男子6番)斉藤修太郎(男子8番)、それに先程出会った中村和樹(男子11番)などとは

普段から親しくしていたし、クラスの和の中にも溶け込んでいた。

 しかしだからといって、彼が信用できる人間とは限らない。毎日をどんなに仲良く過ごして

きても、自分の命を犠牲にしてまで助けたいとは思わない。自分と他人、双方の命が危険

に晒されていたら誰だって自分の命を優先するだろう。どんなに善人ぶっている奴だって、

結局は自分自身が一番可愛いに決まっている。

 

 だから俺のやっていることは間違ってなんかいない。仕方がないじゃないか。誰だって自

分が死ぬくらいだったら他人を殺して生き残る方を選ぶだろう。

 そう考えている忠則にとって、クラスメイトを殺害するということにはそれほど躊躇いがなか

った。殺人を拒否してどこかに隠れていたり多くの仲間を集めたりしても、『24時間に渡っ

て死人が出なかった場合、生存者全員の首輪が作動する』というルールがある限り無意味

なものとなってしまう。それに自分がやる気にならなくても、他のみんなが同じ考えだとは限

らない。38人の人間がいればそれだけの考え方があるのだから。

 

 プログラムに選ばれた以上、何をやっても人は死んでいく。ここではそれが道理だった。

そんな場所で仲間を集めて戦闘を拒否するなんておかしいんじゃないか? いずれ死んで

いく人間のことを気にかけも、全ては徒労に終わってしまうというのに。

 とにかく、この伊藤忠則という少年はプログラムが始まって早い段階からやる気になって

いた。支給武器が銃だったということもそれに拍車をかけた。もしも彼がハズレ武器を引い

ていたら、ここまで露骨にやる気にはなっていなかったのかもしれない。

 

 午後六時に一回目の放送が流れた後から、忠則は獲物を探して島の中を歩き回ってい

た。人を殺すかもしれないという緊張感と誰かに襲われて殺されるかもしれないという恐怖

心から、忠則は木村綾香(女子5番)に肩を撃ち抜かれるまで軽い恐慌状態に陥っていた。

それは結果として忠則に落ち着きを取り戻させたが、その代償としてコルトパイソンを失っ

てしまった。

 これは忠則にとって大きな痛手となった。事前に他の誰かを襲って武器を手に入れていた

のならそれほどの損失でもないが、綾香とその友人である朝倉真琴(女子1番)はプログラ

ム開始以降忠則が初めて出会った人間だったのだ。パニックになって慌てているうちに、

物音を聞き駆けつけた綾香によって銃を奪われてしまった。相手の接近を察知していなか

ったとはいえ、相手の手に銃が渡ってしまったのはとんでもない失態である。

 

 あのクソ女……次に会ったら絶対ぶっ殺してやる!

 自分が真琴を殺そうとしていたことは棚に上げ、忠則は綾香に対する憎しみを膨らませて

いった。

 

 先程までは綺麗なグラデーションを描いていた大空のパレットも、今では藍色の割合がほ

んのわずかになり黄金色が一面に広がっていた。もしかしたらもう、日が昇っているのかも

しれない。

 忠則は適当な場所に立っている木に身体を隠し、充分に辺りを警戒しながら前へ進んで

いった。息を殺し、木々の間を縫うように歩いていく。

 少し進んだ先にあった茂みの中に身を隠し、物音を立てないよう注意しながらそうっと顔を

出した。忠則が隠れている茂みの向こう、木にもたれかかっている人の姿が見えた。ショー

トボブの黒髪、落ち着いた雰囲気、中学生とは思えない美しい顔立ち。――黒崎刹那(女子

7番)だった。

 

 刹那は背後の木に背を預け、その場から動こうとしなかった。ここからでははっきりと確認

できないが、恐らく眠っているのだろう。

 忠則は相手に気取られないよう、すぅっ、と小さく息を吸った。これは忠則の癖のようなも

ので、気合を入れ直すときや己を鼓舞するときなど彼は決まってこの行動をとる。

 足元に木の枝などが落ちていないか注意しながら、ゆっくりと刹那に近寄っていく。ポケット

に入れておいた果物ナイフを抜き出し、鞘を取り外した。朝日が反射し、刃の部分がきらり

と光った。

 

 黒崎か……あいつ本ばっかり読んでいるし、運動部にも入っていないから体力はそんなに

ないだろ。真っ向からの勝負だったら俺が勝つに決まっている。

 果物ナイフを握り締め、徐々に刹那との距離を縮めていく。二人の距離が五メートルほど

にまで迫り彼女の姿がはっきりと見えるようになったとき、忠則は刹那が手にしているもの

を目にして思わず息を呑んだ。

 

 彼女の手の中にあったものはH&K MP7というサブマシンガンだった。携帯用に小型化

されているとはいえ、そこから放たれる威圧感は充分なものがある。映画や漫画の世界で

しか見たことのないものが、今自分の目の前にあった。

 

 凄え……あれってマシンガンだよな。

 忠則の視線は刹那ではなく、彼女がお守りのように握り締めているマシンガンに注がれて

いた。アレさえあれば、俺をこんな目に遭わせたあいつらをぶっ殺してやることができる。

 忠則は口元をニヤリと笑みの形に歪めた。自分がこれから何をしようとしているのか――

それは彼自身が誰よりもよく分かっていた。

 分かっているからといって止める理由にはならなかった。今は何よりも武器が――銃が必

要だった。ここから生きて帰るためには。そのためならば、無防備に眠っている女子生徒を

殺すことも平気でできた。

 

 そう考えたら、行動に移るのにたいして時間はかからなかった。物音を立てないように全

身の神経を張り詰め、機械仕掛けの人形のように一歩、また一歩と進んでいく。

 茂みから姿を現した忠則は刹那の目の前に立った。女の子らしい、小さな寝息が聞こえて

くる。刹那はとても綺麗な顔をしていて、肌の色がやたらと白かった。初めて刹那を間近で

見て、忠則は彼女の美しさに見惚れてしまった。いくら同じクラスだといっても、自分と刹那

とではほとんど関わりがない。まともに喋ったことさえないのだ。

 一瞬やましい考えが頭の中に浮かんできたが、いつ他の誰かがやってくるのか分からない

し、マシンガンを持った相手を力ずくで押し倒すのはかなり危険なことだと思い、行動には移

さないことにした。

 忠則がナイフを持ち上げたとき、彼の頭に鈍器で殴られたような痛みが走った。

 

「――っ!!」

 頭の芯にまで響く重い一撃だった。忠則は左手で後頭部を押さえ、がばっと後ろを振り向く。

「お前さぁ……なァにやってんの?」

 鋭い眼光で忠則を見下ろしている吉川秋紀(男子19番)が、そこにいた。

「吉川、てめえッ!」

 突然の攻撃に忠則は怒りを露にし、問答無用で秋紀に襲い掛かる。

 ガツッ、という音がして、秋紀の腹部に果物ナイフが突き刺さった。

「ハッ、ざまぁみやが――」

 意気揚々としていた彼の声は、不測の事態を前に途中で途切れる。

 

「え……あれ?」

 彼が握っている果物ナイフは確かに秋紀の腹に刺さっていた。柄の部分まで腹にねじ込む

つもりで刺したのだが、どういうわけか五ミリ程度しか刺さっていなかった。

「な、なんで刺さらねえの?」 

 訳が分からず混乱している忠則を嘲笑うかのように、秋紀は右手に握っていたものを忠則

目がけて叩き付けた。今度は忠則の左側頭部に当たり、衝撃に耐え切れず地面の上に膝を

ついた。

「ちょっと不安だったけど、案外やってみるもんだな」

「…………?」

「コレだよ、コレ」

 秋紀は来ていた制服を捲り上げた。その下から現れたものを見て、忠則の目が驚愕に見

開かれた。

 

「ま、まな板?」

 そう。秋紀の制服の下にはまな板が巻かれていたのだ。どこの家にもある、ごく普通のまな

板である。それをガムテープで貼り付け、即席の盾にしていたのだ。

「ついでに言うと、こっちも俺が作ったもんだけどな」

 そう言って秋紀は右手を突き出した。彼はどこにでも売っているような灰色の靴下を握って

いたが、その中に何かを入れているらしく爪先の部分がかなり肥大している。

「この中には大き目の石がぎっしりと詰め込んである。こいつを遠心力をつけて振り回すと、

そこらのトンカチで殴るよりずっと威力が出るんだ。うまくいけば人を殺すことだってできるん

だぜ。知ってたか?」

 手にした即席の武器をひゅんひゅんと振り回しながら、秋紀は少しずつ忠則に歩み寄って

いく。

 

「き、汚ぇぞてめえ! ちゃんと支給された武器で戦えよ! それにこっちはナイフ一本しか持

ってねえんだぞ! まな板とそんな武器持ち出されちゃ勝ち目ねぇだろうが!」

 随分と身勝手な言葉にも動じず、秋紀は冷静に反論する。

「まあ……ナイフ一本相手に二対一ってのはちょっとやり過ぎかもしれねえけどさ、こっちも命

がかかっているし。つーか先に仕掛けてきたのお前だし」

「知るかンなこと! どのみち誰か殺さねえと生きて帰れねぇんだよ! だったら正当防衛も

何も――」

 

 怒声を張り上げていた忠則はようやく気づいた。

 

 今、後ろに誰がいるのかを。

 自分は先程まで、誰の武器を狙っていたのかを。

 

 さぁっと風が吹き、忠則たちのいる場所に木の葉が舞い上がった。忠則はゆっくりと――顔

を引きつらせながら後ろを振り向く。

 刹那がそこにいた。風に前髪を靡かせながら、MP7の銃口を真っ直ぐ自分に向けている。

 柔らかな早朝の陽射しを受けているその身体の中で、夜を顕現しているかのような刹那の

瞳が忠則を震え上がらせた。

 

 恐怖と狼狽が支配したのも一瞬、忠則の身体はMP7から吐き出された銃弾によって穴だら

けになった。全身から血を撒き散らしながら、忠則はどうっ、と前のめりに倒れた。痛みを感じ

る暇も無く、彼の命は無残にかき消された。

 宙に撒き散らされた忠則の血が朝日を受け、幻想的な赤い煌きを作り出していた。

 

伊藤忠則(男子2番)死亡

【残り17人】

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