終盤戦:55





 この光景を、現実として受け入れろというのだろうか。

 

 中村和樹(男子11番)は呆然と立ち尽くしていた。プログラムが始まってから目を疑

うような光景を何度も目にしてきた。辛い現実に何度も打ちのめされてきた。しかし

今回のそれは、今まで目にしてきた中でも最大級の衝撃を誇っていた。

 あの山田太郎が死んでいるのだ。マシンガンとグレネードランチャーを所持し、躊躇

のない殺意を見せ付けていた山田太郎が見るも無残な姿になっていた。

 

「……何がどうなっているんだよ、これは……」

 零時の放送が流れる直前、山田太郎の攻撃から無事逃げ切った和樹はそのまま

島の北を目指して進んでいた。沙更島の北部はまだ足を踏み入れたことがない場所

がほとんどなので、誰か仲間になってくれる人がいるかもしれないと思い探してみる

ことにしたのだ。

 

 B−5エリアにある小さな神社を中心にしばらく探索を続けていたが、仲間になって

くれそうな人はおろか何の手がかりも見つからなかった。唯一見つかったものといえ

ば、C−3エリアの丘に横たわっている井上凛と長月美智子の死体だけだ。自分の

目の前で死んだ君島彰浩と同じように、彼女たちも零時の放送に名を連ねていた。

 和樹は二人の顔についていた血や汚れを私物のタオルで丁寧に拭き取り、その亡

き骸を優しく横たえた。両手を胸の上で組ませようとしたのだが、死後硬直のせいで

なかなかうまくいかず結局そのままにしておくことにした。

 

 無念のうちに死んでいったであろう凛と美智子に想いを馳せている和樹の耳に激

しい銃撃戦の音が聞こえたのは午前二時を過ぎてしばらくした頃だった。その音を

頼りにして再び住宅街の方へ戻っていたが、現場がどこか分からぬまま銃声は止ん

でしまった。

 

 その後和樹は自分の記憶を頼りに住宅街を歩き回った。公民館へと続く道で渡辺

千春の死体を見つけた和樹は、あの時の銃声はこの先から聞こえていたのだと直

感で理解した。公民館へ行く理由は特になかったが、この先で何が起きたのか確か

めないわけにも行かなかった。

 ウィンチェスターを構えて慎重に進んでいった和樹は、ようやく辿り着いた公民館の

駐車場で倒れている山田太郎を発見したのだ。右腕は有り得ない方向に曲がってお

り、顔は所々腫れ上がっている。そして全身が真っ赤に染まっていた。体中に銃弾を

受けたのだと一目で分かった。

 

 信じられなかった。実際に太郎と戦った和樹は彼の強さを嫌というほど分かってい

る。躊躇のなさや威力の高い武器を持っていることもそうだが、己の意思を曲げよう

としない心の強さは対峙して初めてその強さが分かる。よもや誰かにやられるわけが

ないと思っていたが――。

 太郎の死という衝撃的な事実もそうだが、和樹には先程から気がかりになっている

ことがあった。

 数時間前に出会ったとき、太郎はひとりではなかった。彼の後ろにはひとりの女子

生徒が控えていた。あの時は話を交わすことなく別れてしまった、あの少女。

 

 ――黒崎さんはどこにいったんだ?

 

 日頃の学校生活で太郎と刹那が関わっている場面は見たことがない。正反対の性

格で交流の乏しい二人がなぜ一緒に行動していたのか。その理由は和樹の知るとこ

ろではないが、とにかく太郎と刹那が一緒にいたというのは事実だ。それならばこの

場に刹那の死体があってもおかしくないのだが、いくら周りを調べても彼女のものらし

き死体は発見できなかった。

 チームを解散したのか、他の場所で殺されたのか、彼女だけ無事逃げだすことが

できたのか、それとも太郎を殺したのが刹那なのか……可能性を上げればキリがな

い。とりあえずこの場は、太郎が死んだという事実だけを受け入れておくべきだろう。

 太郎の死体から視線を上げ、改めて辺りを見回す。あの銃撃音が聞こえてきたの

は今から二時間ほど前で、太郎を殺害した誰かはとっくにいなくなっているだろう。し

かし自分のように音の詳細を確かめようとやってくる奴を仕留めるため、まだその辺

に隠れているかもしれなかった。

 

 後者の考えが当たっていたとして、その誰かが襲い掛かってきたとしたら自分は説

得することができるだろうか? ここに来るまでに出会ってきた田中夏海も浅川悠介

も、そして目の前で死んでいる山田太郎も、クラスメイトを殺して生き残ることを選ん

でいた。そして自分は、彼らを説得してやることができなかった。

 彼らのしていることは人を殺す以外に生き残る道がないプログラムにおいて正しい

ことなのだろう。だが和樹はそれを認めることができなかった。いくらどうしようもない

状況にいるからといって、つい昨日まで仲良く過ごしてきたクラスメイトを殺していい

理由にはならないはずだ。

 

 死は悲しみしか生み出さない。このプログラムの先に残るのは死体の山と涙を流し

悲しむ人たちだけだ。殺し合いが無意味だということを、何としてもみんなに分かって

もらわなければいけない。

 たった一人しか生き残ることができないプログラムでこんなことをしていても無意味

と思われるかもしれない。政府の奴らにこれが知られれば、「何を無駄なことを」と失

笑されるだろう。

 

 それでもいい。

 これは自分の選んだ道なんだ。

 後悔しないように、全力でやってやる。

 それに――。

 

「父さん……」

 普段はカッコ悪いくせに、いざというときはむちゃくちゃカッコ良く見えた父親。和樹

が憧れ、尊敬している人物。

 父さんが生きていたら、きっと自分と同じ事をしていたはずだ。自分の行動が正し

いとか間違っているとか悩むなんて事をせず、『困っている人がいたらほっとけない

だろ?』と言いながら何の疑問も抱かずに。

 父親のことを思い出したおかげで、和樹は随分勇気付けられた気がした。逆を言え

ばそこまで追い詰められているということなのだが、和樹はそのことにまだ気がつい

ていない。

 

 一通り公民館の周辺を見てみたが、どこにも誰かが隠れているような気配はなかっ

た。あと少しでここは禁止エリアに指定されるし、人が近づかない方が自然なのかもし

れない。自分の考えすぎだったか、と和樹が踵を返そうとした瞬間。

「おい」

 後ろからかけられた声に和樹の心臓が跳ね上がった。ばっ、と勢いよく振り返ると、

公民館の玄関から出てきた伊藤忠則(男子2番)の姿が目に飛び込んできた。

「そこにいるのは和樹……だよな? そんなとこで何してんだよ」

 喋りながら、忠則は一歩一歩和樹の方へ近づいてきた。ブレザーを着ておらずワイ

シャツ姿で、その肩口が赤く染まっていた。両手に武器らしいものは持っていない。

「俺は――仲間を探して島を歩き回っていたんだ。ほら、何時間か前に凄い銃撃戦

の音がしただろ? あれがどこから聞こえてきたのか気になったから、ちょっと来てよ

うかなって思ってさ」

 それを聞いた忠則の顔に変化はない。まるで珍しいものを発見したかのように自分

のことをじろじろと見ている。信用に足るかどうか考えているのだろうか。

 

「ところでお前は?」

「あ、ああ。俺はちょっと怪我したからさ。救急箱とかないかなって、ここでいろいろと

調べていたんだよ」

「怪我って……誰かにやられたのか?」

「ああ。木村と……あと朝倉だ。あいつらいきなり撃ってきやがった。俺は何もしてい

ないってのによ」

 忠則の口から出てきた名前に、和樹の顔色が変わった。

「朝倉さんと綾香が? まさか。あの二人がそんなことするはずがない」

「だったら俺のこの怪我はどう説明するんだよ。俺は確かにあいつらに撃たれたんだ。

殺されるところだったんだぞ! それともお前、俺が嘘をついていると思ってんのかよ」

 

 そう言われると返す言葉がなかった。忠則が下らない嘘をつくような奴ではないこと

は分かっているが、あの朝倉真琴と木村綾香が誰かを殺そうとしているとも思えなか

った。

 いや、そんなことを言ったら田中夏海も山田太郎も誰かを殺そうと考えるような人間

ではなかったはずだ。それがプログラムに選ばれたことにより、恐怖に耐え切れなくな

って人を殺す道を選んでしまった。これは自分を含める三年三組の誰にでも起こり得

ることである。

 

 誰だって死ぬのは怖い。誰かを殺すことでしか生き残れないのであれば、それを選

択してしまってもそんなに不思議なことではないのかもしれない。人を殺すのが嫌だか

ら自殺をする、という選択肢に比べたら遥かに現実味の高い話だ。

 

「……ごめん。俺、二人がやる気になっているなんて思っていなかったから」

「まあ、仕方ねえよな。俺がお前の立場だったらたぶん同じ反応しているだろうし」

 苦笑いを浮かべながら忠則は言った。

「そういえばお前、さっき仲間を探しているって言ってたよな。誰か見つかったのか?」

「…………」

 和樹は思いつめたような顔をした。プログラムが始まってから島中を走り回り、多く

のクラスメイトに出会ってきた。だがそれは、彼にとって非常に辛い記憶でしかなかっ

た。

「見つかっけど、誰も仲間になってくれなかった。みんなやる気になってる奴ばかりだっ

たんだ。山田も田中さんも浅川も、何でみんな――」

 最後のほうは、言葉になっていなかった。

 

「なあ和樹。俺でよかったら、その……仲間になってもいいけど」

「え?」

 和樹が目を見開いた。

「ほら、俺って右腕撃たれてるだろ? これじゃあ誰かに襲われたらひとたまりもない

し、武器だってあいつらに奪われて今は何も持ってないんだ。誰かと一緒にいたほう

が心強いからさ」

「ほ、ほんとに? 本当に仲間になってくれるのか?」

「俺はそのつもりだけど」

「忠則……」

 消え入りそうな声でそう呟き、和樹は俯いた。随分長い間、そのままじっとしていた。

「ありがとう。俺……本当に嬉しいよ。みんな俺のこと信じてくれなくて、何でこんなこと

になってるんだろうって思って……本当に良かっ――」

 

 突然、言葉が切れた。

 和樹の目が見開かれ、信じられないという表情を作った。それが苦しみの表情へ変

わるのにそれほど時間はかからなかった。

 

「……っ!」

 和樹には何が起きたのか分からなかった。ただ、全身に猛烈な痛みが走った。

「関心しねえなぁ、和樹」

 気づいたのは、その直後だった。

 自分の脇腹に何かが刺さっていた。茶色の小さな柄が深々と突き刺さっている。

 その柄には、忠則の手が添えられていた。

「お前、ちょっと油断しすぎだぜ? まあ俺から言わせてもらうと、おかげでやりやすく

て助かったけどな」

「ただ、のり……お前っ……!」

 忠則は握っていた果物ナイフを引き抜いた。和樹の脇腹から血が噴き出し、紺色の

ブレザーに染み渡っていった。ちなみにその果物ナイフは公民館の中から調達した物

だった。

 

「何で……お前、仲間になってくれるんじゃ……」

「ああ、あれ? あんなんウソウソ。お前を油断させるためにやったんだよ。思ってた

以上にお前がお人好しだったんで助かったぜ」

 喋り終えると同時に、忠則は再び果物ナイフを突き出した。和樹はギリギリのところ

でそれを避け、刺された脇腹を押さえながら片手でショットガンを構える。

「仲間になってやるってのは嘘だけど、木村たちに撃たれたってのは本当なんだよ。

そのときに俺の銃も奪われちゃってさ、どうしようか困っていたんだ」

 果物ナイフとショットガン。普通に考えればショットガンの有利は比べるべくもないが、

この時場を有利に進めていたのは忠則の方だった。

 二人は学校生活の中で比較的親しくしていた間柄である。中村和樹がどんな人間な

のか、忠則はだいたい理解していた。

 

 それ故に忠則は『和樹は自分を撃ってこない』と確信に近い思いを持っていた。誰か

が傷ついたり、誰かを傷つけたりすることが大嫌いなのも知っている。友人の自分が

襲ってきても、こいつは自分を撃つことに深い躊躇いを覚えるだろう。万が一撃ってき

たとしても、自分を殺そうとはしないはずだ。忠則はそう思っていた。

 そして彼の考えは当たっていた。騙され脇腹を刺され今まさに殺されようとしている

のに、和樹は忠則を撃つことができなかった。『撃たなければ』と頭が命令を出しても、

和樹の身体は拒否反応を起こしていた。

 

「誰か適当に見つけて武器でも奪おうかな……って思ってたんだ。そしたらそこにお前

がやって来てさ。しかもお前ショットガン持ってるし、これしかないって思ってよ」

 忠則の声は耳には入ってくる。だが。

 

 何で……?

 

 頭の中には入ってこなかった。現実味のない、夢の中のような出来事に思えた。

 そんな虚構の世界の中で、刺された脇腹の痛みと血の温かさがこれが現実だという

ことを証明していた。

「とりあえず、お前の持ってるショットガンは俺がもらってやる。やる気のないお前が持

っていたって何の役にも立たないからな!」

 果物ナイフを握り、忠則が突進してきた。和樹は慌てて真横に飛んだ。目の前をぎら

りと光るナイフが通り過ぎ、恐怖で心臓が高鳴った。

 

 信じたくなかった。だが、信じるしかなかった。

 忠則は本気だ。本気で自分を殺そうとしている。彼が発している殺意は偽者などでは

ない。彼は紛れもなく――。

 

「ははっ、どうした和樹! お前の持っているもんは飾りかよ!」

 

 俺を、殺そうとしている。

 

「うっ、うあああああああ――――っ!!」

 突然の絶叫。それに被さり、ドン、という重く低い音が響いた。

 

「――く、くくクソっ! クソっ、クソっ、クソっ! なな、な、何だってんだよちくしょう!」

 和樹の目に浮かぶ光は怒りと動揺の色を放っていた。短距離を全力疾走したかの

ように息遣いが荒くなっており、顔が真っ赤になっていた。

「何で誰も俺のこと信用しようとしねえんだよ! 何で俺がいいように撃たれたり刺され

たりされなきゃいけねぇんだよ! おお、俺が何かやったってのか、アァ!?」

 銃身をスライドさせ、散弾を薬室に送り込む。

「ふざけんなよ……ふざけんじゃねよこの野郎!」

 普段の彼からは考えられないような言葉が、和樹の口から飛び出した。

 

 ――あ? ――おい、ちょっ……。

 和樹が突然キレたことに呆然としていた忠則だが、ウィンチェスターの銃口を突きつ

けられたときは恐怖で顔が引きつっていた。

 ――ちょちょちょ、ちょっと待て。こいつ、マジで俺を撃つ気なのか?

 予想だにしていなかった事態を目の当たりにした忠則。余裕を感じさせていた先程

とはまるで別人のように怯えきった表情をしていた。

 双方の武器に大きな差がある以上、攻守が逆転したら不利になるのは忠則のほうで

あることは日の目を見るより明らかだった。

 

 ――ヤ、ヤバイ! こいつ完全にキレてやがる!

 死に直面してようやく事態の深刻さに気づいた忠則は、修学旅行のために持ってき

た私物のバックを和樹の顔面めがけて投げつけ、そのまま一目散に逃げ出した。

 背後で和樹の叫び声と銃声が何発か聞こえてきたが、今の忠則にそんなことを気に

している余裕はない。右手に果物ナイフを握り締めたまま、脇目も振らず公民館の横

にある林の中を駆け抜けていった。

 

【残り18人】

戻る  トップ  進む

 

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送