中盤戦:52





「ヒャハハハハハハッ! いくぜいくぜいくぜいっくぜぇえええええっ!!」

 戦闘開始の叫び声を発し、山田太郎(男子18番)は手に馴染んだH&K MP7の引き

金を躊躇なく絞った。パパパパパという軽快な破裂音と共に発射された何十発もの鉛弾

黒崎刹那(女子7番)に襲い掛かる。

「ヒャッハハハハッハハハ!!」

 太郎の笑い声に被り、銃撃によるマズルフラッシュが煌きを放った。これだけの銃弾を

受けて生きていられる人間などいるはずがない。ズタズタに引き裂かれボロ雑巾のよう

になった刹那の姿を思い描き、太郎はその笑顔をより深いものにした。

「ハハハハハハハ――――ああ?」

 突如太郎が呆けた声を上げ、それと同時に銃声が止まった。

 

「…………」

 マシンガンの硝煙の先、無数の銃弾が通過した場所で刹那が何事もなかったかのよ

うに立っていたからだ。その身体にはかすり傷一つないどころか制服のリボンすら乱れ

ていなかった。

「へぇー……上手いこと避けるじゃん。だが偶然はそう何度も続かないぜ――っと!」

 言葉が終わる前に再び引き金を引く。偶然などそう何度もあるものではないが、確実

に刹那を殺すため銃口を左右に振って弾を扇状にばら撒いた。

 その動作より”早く”、刹那は太郎から見て右側に走り出した。

「なっ!?」

 太郎の目が驚愕に見開かれる。刹那は自分が銃を撃つよりも早く、銃弾の範囲外と

なる場所に走り出していた。

「このっ……ちょろちょろと動き回ってんじゃねえよ!」

 予想外の事態に戸惑いつつも、太郎は横を走る刹那に向け銃弾を浴びせかけた。そ

の弾が列を成し刹那のすぐ後ろを追って行ったが、刹那に届くより先にMP7の弾が尽

きてしまった。

 

 太郎は素早く予備のマガジンを詰め替え銃撃を開始する。だがまたしても刹那は銃撃

より早く動いていた。一瞬とはいえ、それは戦闘にとって大きな差となって現れる。現に

太郎はマシンガンを駆使していながらも、刹那に傷一つつけられないでいた。

 ――あいつ、俺の動きが分かっていやがるのか?

 太郎の頭を、そんな疑問がよぎる。

 今まで何回もこの武器を使ってきたから分かる。近くに遮蔽物があるならまだしも、身

を隠せるものが何もない場所で銃弾の雨を避けられるはずがない。それに刹那は自分

が引き金を引くより――いや、銃口を向けるより一瞬早く動き出している。あれは自分の

動きが読めていなければ到底不可能な行動だった。

 

 とは考えたものの、中学生にそんな芸当が可能なのだろうか。漫画の中ではそれほど

珍しいものでもないが、現実でそれをやるとなると一流の格闘家を持ってしても難しい。

やはり自分の思い過ごしなのだろうか。

 不可解な点はあるが、現状が自分に有利なことは変わりない。見たところ刹那は武器

らしい武器を持っていないし、もし持っていたのなら今頃使っているはずである。

 フルオートで引き金を引き続けていたためか、再びMP7が弾切れを起こした。すぐに

新しいマガジンを入れると、太郎は戦闘スタイルを変えることにした。

 ベルトの前に差してあったシグ・ザウエルSP2009を掴み取り、冷静に照準を定めて

引き金を引く。一発、二発、三発。引き金を引くたび、太郎の顔に驚愕と焦燥感が浮か

んできた。

 圧倒的なエネルギーが込められ超高速で飛来する銃弾。刹那はそのことごとくをかわ

していた。何も特別な動作はせず、ただ銃弾の軌道からわずかに体を逸らすかのような

動きをしていた。

 

 太郎は我が目を疑った。十メートルと離れていない至近距離で銃弾をかわすことがで

きるなんて。つい先程までは歓喜に染められていたその表情も一変し、いまや焦りと苛

立ちが広がっていた。

「うおおおおおおおあああああっ!!」

 太郎の喉から絶叫が上がった。ただしそれは愉悦によるものではなく、未知なるもの

を前にしたパニックによるものだったが。

 決して視認できない銃弾を刹那は余裕を持ってかわす。次も、その次も、足を狙った

一撃もひょい、と簡単にかわしてみせた。先のマシンガンの分も合わせるとすでに五十

発以上の銃弾が発射されているが、その全てが刹那の体にかすることすらできていな

かった。

 太郎と刹那の距離はついに五メートルほどにまで縮められる。太郎は焦りを必死に抑

えて狙いを定めるが――。

 

「この……バケモンがあっ!」

 太郎の声に銃声が呼応する。銃口が火を噴き、生命を刈り取る鉛弾が解き放たれた。

しかし、すでにそのとき刹那はいない。引き金が引かれる直前に弾道から体をずらして

いた。まるであらかじめ銃弾がどこを通るのか分かっていたかのように。

「なかなか当たらないようだね」

 太郎を嘲笑っているかのように、刹那の声は冷静沈着だった。

 彼女はシグ・ザウエルの銃身を掴み――それを自分の眉間に突きつけた。

「これなら当たるんじゃないかな。君へのハンデだ、試してみるといい」

 この言葉で太郎は完全にブチ切れた。ナメられている。完全に格下扱いされている。

それは太郎にとってこれ以上ない屈辱だった。

「ハ……ハハハ……てめえ本ッ当にムカつく野郎だな……だったらお言葉に甘えてよぉ

……てめえの脳天ぶち撒けさせてもらうぜ!!」

 幸か不幸か、太郎の中にあった怯えや焦りという感情は怒りの業火に焼き尽くされて

綺麗さっぱり消えてなくなってしまった。目の前の敵を倒すことに全てを集中し、ありった

けの殺意が込められた銃弾が発射される。

 そして、目の前で起きた出来事に太郎は戦慄した。

 

 シグ・ザウエルから飛び出た銃弾は刹那に当たらなかった。いや、避けられたのだ。

引き金が引かれる直前、刹那は自分の頭部をわずかに弾道からずらしていた。その結

果として銃弾は刹那の頭部を破壊することなく、髪を掠めて闇の中へと消えていく。

「な――――」

 太郎は今度こそ完全に絶句した。有り得るはずのない光景を前にし、彼の思考能力は

その機能を完全に停止させていた。

 慌ててもう一度引き金を引くが、カチンという音がするだけで銃弾は発射されない。太

郎は引き金を引き続けるが、弾切れを宣告する空しい音が響くだけだった。

 太郎が公民館で手に入れたグロックを掴み取る直前、ここに来て始めて刹那が手を

動かした。

 

 右手が恐るべき速度で突き出され、太郎の身体――ちょうど心臓がある部分に直撃

する。

「がはっ!」

 低い呻き声を漏らし太郎はそのまま大きく吹き飛んだ。決して軽くはないはずの太郎の

体が一瞬とはいえ宙に浮く。太郎が見ていた刹那は決して運動が得意な方ではない。

力があるとか、武術を習っているとかの話も聞いたことはない。だというのに今の一撃は

人体の急所とされる正中線を的確に強打していた。素人にはほぼ不可能な芸当である。

「てんめぇ……うおっ!?」

 太郎に呆然としている余裕などなかった。間合いを詰めた刹那が太郎の右手を掴み、

そのまま一気に投げ捨てた。教科書に書かれているような、とても綺麗な一本背負いの

形だった。

 

 受身を取る余裕もなく、太郎の体はそのままコンクリートの地面に叩きつけられる。背

中から固い地面に叩きつけられた太郎は軽い呼吸困難に陥ったが、その闘志と殺意は

揺らぐことなく即座にMP7で反撃をする。刹那の動きを封じるため下半身に狙いを集中

させて撃ったが、その動作すらも予知していたのか刹那は太郎の背後に回り込んでいた。

「…………っ!」

 背後に現れた気配を察知すると同時に太郎はその場を飛び退いた。その直後、先程ま

で彼がいた場所を刹那の踵落としが通過する。空気を切るひゅおんっ、という音が駐車場

に響く。

 接近戦は不利と判断したのか、太郎は刹那と距離を取って再び遠距離戦の構えを取っ

た。

 太郎はMP7の銃口を向けつつ、乱れた呼吸を整えている。対する刹那は何もしていな

い。黙ってその場に立ち、太郎を見ているだけだ。

 それなのに、異常なまでの威圧感があった。

 

 太郎のこめかみがズキズキと痛み出す。幼い頃、実の父親によって付けられた傷。

 自分に向けられている刹那の眼差しが、太郎の忌まわしき記憶を掘り起こしていた。

 アパートの一室。足の踏み場もないほど散らかった室内。飛び交う罵声。鼻につくタバコ

の臭い。何度も何度も振り下ろされる拳。抵抗する術もなく、されるがままの子供。うずく

まって何もしようとしない女性の瞳。

 

 やめろ、やめろやめろやめろ!

 違う、こんなのは俺じゃない。俺は変わったんだ。幸せになれる権利を手にしたんだ!

 あんなものは嘘だ。俺は楽しく、幸せに生きていくんだ。

 あれを俺に、思い出させるな!

 

「君は運が悪かったんだよ」

 刹那の言葉が、彼を現実世界に引き戻した。

「私を倒すつもりだったら、出会ったときにすぐ殺しているべきだった」

「……どういうことだ」

「君は私に動きを見せすぎたということさ」

 刹那は当然のように言っているが、太郎には何のことだかさっぱり分からなかった。

「私は生まれつき記憶力がいいんだよ。今まで例のないくらい、人間としては桁外れの記

憶力を持っているらしい」

 刹那は自分の頭を人差し指でとんとん、と叩いた。記憶力が優れているという事実が本

当だとしても、それが先の台詞と何か関係があるのだろうか。

 

「私は一度見聞きしたことは決して忘れない。君が普段学校で何を言い、どういう動きをし

てきたのか全部正確に覚えている。もちろんプログラム中の言動もね」

 そう言われてもにわかには信じられない。太郎は反論しようとしたが、それよりも先に刹

那が話を続けていた。

「君がこのプログラムの中で何を言い、どういうことを考え、どういう状況でどういう風に銃

を向けてきたか。私はそれらを全て覚えている。銃弾を避けたのは何も私の運動能力が

優れているからじゃない。それらの情報を元に、君がこの先どういう行動を取るのか予測

したっていうわけさ」

「つまりてめえは……過去の行動を元に俺がどう動くのか読んでいたってわけか?」

「そうなるね」

「ふっざけんな! ンな馬鹿げた話があってたまるかよ! そんな真似が普通の人間に

できるわけねえだろ!」

「……普通じゃないんだよ、私は」

 どこか寂しそうに、そして悲痛そうに呟く。

 

 ――記憶を元に俺の動きを先読みしているだと? そんなこと有り得るはずがねえ。

あれはただのブラフだ。俺を動揺させようとハッタリをかましているに決まっている。

 太郎の理性が無理矢理にそう結論付けようとしている。だがそれも無駄なことだった。

 ついさっき自分の目で見てしまっているからだ。目の前の少女が迫り来る銃弾を次々と

避けていく光景を。刹那の台詞を嘘だと認識しようとしても、彼の本能がそれを許そうとは

しなかった。

 毒ガスにマシンガンに拳銃。誰か見ても分かるほど圧倒的な戦力を自分は所持してい

る。だがそれも刹那の前には通じない。自分が強力な矛ならば、彼女は強力な盾を所持

していることになる。

 

 行動も思考も刹那に読まれている。なら自分はどうすればいい? そう考えているうちに

刹那が歩を進めてきた。とくに慌てた様子もなく、武器も持たずに悠然と。

 ――くそっ、何をすればいい? こういう時はどうすりゃいいんだ?

 ただ銃を撃つだけでは刹那にダメージを与えられない。何か彼女の意表を突くような方

法で攻撃しないと先程の二の舞だ。

 太郎は必死に考えを巡らせた。銃を捨てて素手で殴ったりとか、あさっての方向に銃を

撃つとかいろいろ方法は浮かんだが、その考えすらも刹那に読まれている気がして実行

できずにいた。太郎は完全に泥沼にはまっていた。

 

 これまで深く考えず、ただ勢いとテンションに任せて戦ってきた太郎にとって『考える』と

いう行為そのものが彼の持ち味を低下させていた。その上相手は学年ナンバーワンの頭

脳を誇る黒崎刹那だ。付け焼刃の戦法が通じるほど甘い相手ではない。

 自分に勝ち目がないことは、太郎本人も心のどこかで薄々気づいていただろう。だか彼

はそれを認めようとしなかった。この場から逃げ出そうとしなかった。それは楽しさを重要

視する太郎にとって『楽しくない』行為だったからだ。

 太郎は一歩も退こうとはしなかった。自分をこんな楽しくない目に遭わせた刹那を、何と

しても殺しておく必要があったからだ。そうしないと自分がおかしくなってしまいそうだった。

 

「へへ……ハハハハハ」

 太郎は笑っていた。絶対的な窮地に立っているというのにも関わらず笑い声を漏らして

いる。

「てめえ、俺の動きが読めるっつったよなぁ?」

「参考になる記憶の量が多ければ多いほど予測はより正確なものになっていくから、100

%というわけじゃないけどね」

「だったらよぉ……こいつぁ予測できていたかよ!?」

 怒鳴りつけるような声を上げ、太郎は刹那に向けていたMP7の銃口を離れた場所に立

っている吉川秋紀(男子19番)に向けた。

 

 驚愕は一瞬、ゆっくりと歩いていた刹那の動作が途中で爆発的に加速し、弾丸のような

勢いで太郎の攻撃を中断させようと飛び掛る。

 刹那の腕が銃に届く寸前、太郎はニヤリと笑って左手を突き出した。その先に握られて

いるグロック22Cが火を吹き、刹那の制服――ちょうど胸の部分が弾け飛んだ。刹那の

口から「かはっ」と息が漏れるのを確認すると、太郎はドン、ドンと立て続けに銃弾を撃ち

込んだ。その衝撃で刹那の体ががくんと揺れ、ゆっくりと仰向けに倒れていった。

 銃声が途絶えた駐車場に、ククク……と必死に笑いを噛み殺す声が聞こえ始める。

「ククククク……ハハハハハハハ……ヒャーッハハハハハハハァ! ざまぁみろってんだよ

クソ野郎が! なーにが俺の動きは全て読めるだバァーカ! 読めても防げなきゃ意味

ねえっつーの! てめえ如きがこの俺様をぶっ殺そうなんざ不可能なんだよこのタコ!」

 太郎は顔に大きな歓喜を浮かべ、倒れたままぴくりとも動かない刹那に向け大声で叫

んでいた。今までの不機嫌さが嘘のように、至高の快楽を味わっているかのように。

 

「刹那!」

 と、この状況を傍観していた秋紀が倒れている刹那に駆け寄っていた。秋紀は刹那の

体を揺さぶり、悲痛な声で彼女の名前を呼び続ける。

「そんな悲しむこたーねえぜ吉川。俺がすぐさま会わせてやるからよ」

 刹那の体にしがみついている秋紀にグロックの銃口を向ける。秋紀は刹那が殺された

ショックから放心状態になっているのか、太郎の言動に何の反応も示さなかった。それが

無視されたようで太郎の癇に触れたが、廃人同然の奴相手に怒りを撒き散らしても無駄

なことである。太郎は口元を邪悪な笑みで歪め、グロックの引き金にかけられた指先に

力を込め――。

 

「――――!!」

 その表情が一気に裏返った。

 

「な……」

 目の前で起きている事態の異常さに、太郎はただ目を白黒させるしかなかった。

「まさか……こんな、こんなことが……!」

 太郎の顔に冷や汗が浮かぶ。全身に悪寒が走る。自分でも気づかないうちに、太郎は

数歩あとずさっていた。

「何で生きていやがるんだ……黒崎!!」

 震える声の向けられた先、黒崎刹那が無傷でそこに立っていた。

「……結構痛かった。防弾チョッキを着ていても全く痛くないというわけではないんだね」

 防弾チョッキ。刹那の発したその言葉で全ての疑問が吹き飛んだ。彼女が銃弾を受けて

もこうして立ち上がってこれたのは防弾チョッキが原因だったのだ。生身の人間なら胸に

銃弾を受けて生きていられるはずがない。

 

 よく考えてみれば、太郎は刹那の支給武器が何なのか知っていなかった。自分が負ける

ことなど有り得ないから、そんなことはいちいち聞く必要はないと。もし刹那の支給武器を

知っていれば、あの時に刹那を倒せていただろう。自分の慢心が招いた愚かな結果だっ

た。

「久しぶりに、ちょっと頭にきたよ。私の友達を……この戦闘とは関係のない秋紀くんを狙

うなんて」

 声がわずかに低くなる。刹那にしては珍しく、その声には感情がこもっていた。

「許さない。もう手加減はしない」

 それは、怒り。

 

 太郎が銃を構えるより先に刹那が動いた。側にいた秋紀に離れているように告げ、太

郎の右腕を払いのけて銃口の狙いを外す。右足に力を入れ、それを太郎の頭部目掛け

打ち込んだ。

 太郎は刹那の繰り出したハイキックを避けるため反射的に体を反らした。だがいつまで

経っても刹那の蹴りはやってこない。フェイントか、と思った太郎の視界に刹那の靴が映

ったのはほんの一瞬。

 がつっ、という音が響き、強い衝撃と痛みが全身に伝わっていった。口の中に血の味が

広がり、脳がぐらぐらと揺れて視界が上手く定まらなかった。

 太郎の顔面に踵落としを見舞った刹那は彼の背後に回りこみ、心臓の裏側を掌底で思

い切り強打する。倒れそうになっていた太郎はそれで無理矢理立たされることになった。

 

「ぐっ……うおおおおおっ!」

 身体を旋回し後ろにいる刹那に銃口を突きつける。刹那はその腕を右手で掴み取ると、

左の掌底を太郎の右肘の裏側に叩き込んだ。

 ゴキッ。

「…………っ! ぐあああああああああ!!!」

 とてつもない痛みが全身を駆け抜ける。太郎の右肘は曲がってはいけない方向に曲が

っていた。骨は完全に折れており、反対側からその先端を覗かせていた。

「あ、あああああっ! 俺の腕が、腕、腕がああっ! ちくしょう、ちくしょう、ちくしょうああ

あおおおおおあああああううああああっ!!!」

 あらん限りの悲鳴を上げ、太郎は左手一本で構えたMP7の弾を扇状にばら撒いた。フ

ルオート射撃の反動で太郎の腕は跳ね上がり、その結果弾は四方八方にばら撒かれた。

ろくに狙いをつけずに撃った銃弾が当たるはずもなく、真横に回った刹那は太郎に向け

矢継ぎ早に打撃を繰り出した。

 

 太郎はなす術もなく殴られ続けていた。何かしようとしても思うように体が動かない。動い

たとしても相手はすでに攻撃の範囲外にいる。刹那がどこにいるか、何をしようとしている

のかは分かっているのに対処ができなかった。

 体中が痛い。だが、意識を失うまでには至らない。刹那の膂力が低いのか、それともわ

ざと痛みを与え続けているのか。どちらにせよ、分かったところでそれはあまり意味がな

かったのだが。

 みぞおちを膝で蹴り上げられた。胃の中にあるものが一気に逆流してくる。

 

 痛みが記憶を呼び起こす。辛い記憶を、思い出したくない過去の出来事を。

 意思に逆らい、刻み込まれた傷が再び浮かび上がってくる。

 

 痛い。

 もうたくさんだ。

 痛いのは嫌なんだ。

 痛いのも苦しいのもつまらないのも、もう――。

 

 絶え間なく続いていた打撃が突然停止する。腫れ上がった目で何が起きているのか確

認するより先に、全身を熱した釘で貫かれるような感覚が走った。パパパパパ、という連

射音と同時に、太郎の体に無数の穴が穿たれた。血が流れ出し、体内にもぐり込んだ銃

弾が肉と臓器をぐちゃぐちゃにしながら背中から飛び出していく。刹那が拳銃のようなもの

を握っており、そこから硝煙らしき煙が昇っているのが確認できた。

 スチェッキンのフルオート射撃を正面から受けたというのに、太郎の体は倒れようとしな

かった。倒れたら二度と起き上がれないような気がした。

 倒れなくても先に待ち受けているものは同じだと、分かっているはずなのに。

 

 プログラムが始まってから他者の死は身近なものだった。進んで多くの命を奪ってきた。

『殺人』という未知の快感に酔いしれ、誰かを殺すことに躊躇いを抱かなくなっていた。

 そんな太郎でも、自分が死ぬことなど考えたことがなかった。自分が負けることなんてそ

れこそ考えられないことだったし、思い描いても気分が悪くなるだけだった。

 その『死ぬということ』が、今自分の身に訪れようとしている。自分は今、殺される側に立

っている。

 底知れぬ恐怖と共に刹那に対する怒りが湧き上がってきた。

 こんなムカつく野郎に俺は殺されるのか。手も足も出ずにやられっぱなしで、俺は死んで

いくというのか。

 

 ――ふざけんな!!

 

「くっ……おおおおおおおおおっ!」

 全身に残ったわずかな力を振り絞り、太郎はH&K HK69を左手一本で掲げた。装填

されている弾は毒ガス弾。自分はもうガスマスクをつける必要はない。この引き金を引く。

ただそれだけをやればいい。

 俺は刹那に殺される。だが、

「このまま黙って……くたばってられっかぁぁぁあああああああ!!」

 己の全存在を賭けた最後の一撃。それに呼応するかのように、刹那もまたスチェッキン

を前に突き出した。

 二人の視線が交わった瞬間――死闘の終焉を告げる銃声が鳴った。

 

 太郎は再び全身に銃弾のシャワーを浴び、グレネードランチャーの引き金を引くことなく

ゆらりと前のめりに倒れた。うつ伏せに倒れた彼の手が、何かを求めるようにゆっくりと前

に伸びていった。

 

 何でこんなことになったんだろう。

 どうしてこんなことになったんだろう。

 俺は人殺しがしたかったんじゃない。こんなことを望んだんじゃない。

 俺は、俺はただ――。

 

 

 

 幸せになりたかった。

 

 

 

 宙を彷徨っていた手が力なく地面に落ちた。その後太郎が動き出すことはなかった。崩

壊し始めていた太郎の命は、完全に瓦解していた。

 これが、山田太郎の最期だった。

 

山田太郎(男子18番)死亡

【残り18人】

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――中盤戦終了――

 

 

 

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