中盤戦:49





 田中夏海(女子11番)の笑い声が、薄暗い事務室の中に響き渡る。銃口からのマズルフ

ラッシュで照らされたその顔は、まさに狂人そのものだった。残弾数を省みず、目の前にい

る人間を葬るために引き金を引き続ける。時折マガジンを交換していたが、そのときも彼女

はどこかに隠れるということをせず、どうどうとその場でマガジンの交換を行っていた。

 それは彼女に狙われている者たちにとって大きなチャンスだった。夏海は人を殺すことだ

けに固執しており、自分の保身をまったくと言っていいほど考えていない。そのときの隙をつ

けば、夏海を倒すことも可能だった。

 だが荒月凪那(女子2番)たちには、彼女を倒す武器がなかった。

 

 ……今私が持っている武器といえば、机の上に置いてあったこのハサミくらいね。

 どこか冷静に考えながら、凪那は夏海に気づかれぬよう、四つん這いになって前に進む。

腕を負傷した戌神司郎(男子3番)清水翔子(女子9番)の元に移動していたのが先程確

認できた。二人と合流するため素早く、しかし焦らずに進んでいく。

 公民館に集まっていた六人の中で使い物になりそうな武器は、翔子に支給されたスチェッ

キンというオートマチック拳銃と、つい先程自分たちを見捨てて逃げ出した渡辺千春が持っ

ていた釘バットぐらいだった。凪那を含めるほかの四名の武器は、どう使えばいいのか分か

らないくらい実用性がなかったのである。

 

 自分ひとり逃げ出すのであれば武器など必要ないかもしれないが、この部屋には病弱な

翔子と腕に傷を負った司郎がいる。彼らを逃がすためには夏海の気を引いておく必要があ

り、そのためには何らかの武器が必要だった。

 怪我をしている司郎に囮の役目は無理だ。かといって翔子では荷が重過ぎる。夏海の気

を引きつけて翔子たちを逃がすためには、自分が囮になるしかない。しかし――。

 凪那は右手に握り締めたハサミに目を落とした。裁ちばさみではない、文房具屋で売って

いるただのハサミ。こんなもので銃を持った夏海に対抗できるのだろうか?

 

 ――『できるのだろうか』ではない、やらなければいけないんだ。脱出できるかもしれないと

いうみんなの期待を裏切ったのは私だ。せめてもの罪滅ぼしに、私がみんなを助けないと。

 

 普通に歩けば十秒もかからない所に、凪那はその倍近い時間をかけて辿り着いた。

「二人とも聞いて。私が囮になって田中さんを引き止めておくから、二人はその隙にあそこの

扉から外に逃げて」

傷口を押さえて苦しそうにしている司郎と、その様子を心配そうに見ていた翔子の目が凪那

の方を向いた。

「そんな……そんなことできないわよ! それじゃあ荒月さんが……」

「清水の言うとおりだ。それをやればお前は死んじまうぜ」

「分かっている。でもこれは私にしかできない役目だから」

「荒月さん……」

 涙ぐむ翔子の横で、司郎は大きく溜息をついた。

「分かった。だけど一つ条件がある」

「条件?」

「ああ。俺もお前と一緒に残る」

 

「な、何言っているのよ! あんた腕に怪我しているのよ!? 怪我人がここにいたって何の

役にも――」

 凪那の口に手を当てて無理矢理黙らせると、司郎は自嘲的な笑みを浮かべながら人差し

指で眼鏡を上げた。

「バーカ、怪我人だからこそ盾になれるんだろうが。それにこの傷じゃあ、これから先戦って

いけそうにもないしな」

 そう言い、司郎はゆっくりと立ち上がる。もう保身を考える必要はなくなった。今まで銃弾を

避けるために机の陰に隠れていたが、それはもうどうでもよかった。

「もし俺が失敗したら、その時は頼むわ」

「……うん」

 今にも消え入りそうな声が、司郎の背後から聞こえてきた。

 もう、迷う必要は無かった。

 

 これが人生最後の晴れ舞台かもしれない。そう思うと、一歩一歩が軽やかに踏み出せる。

自分の中にあった恐怖心も、いつの間にか薄れてしまった。死を覚悟してしまったからだろ

うか。

 右の脇腹に衝撃が走った。体のバランスが崩れ、口から血が溢れてくる。

 清水は……。

 振り返った視界の片隅に、事務室の外へと逃げていく翔子の姿が映った。自分と目が合っ

た凪那がこくりと頷いてみせた。

 それを確認した瞬間、グロックから吐き出された銃弾が右足を貫いた。

「ううっ……!」

 思わず呻き声を上げる司郎だが、それでも両足に力を入れ夏海に向かい突進していった。

次々と撃ち出される銃弾が司郎の体を貫いていく。

 この状態からできることはあと一つくらいしかなかった。だからこそ自分は、この役目を買っ

て出たのだ。

 

 夏海はその場所から動こうとしなかった。近づいてくる自分を殺すことだけを考えている。

あの精神状態で考えているかどうか怪しいところだが、どっちにしろそれは好都合だった。

 彼我の距離はついにゼロになる。司郎は勢いに乗せ、傷だらけの体を思いきり夏海にぶ

つけた。クラスの男子では小柄な部類に入る司郎だが、女子の中で最も小柄な体躯を持つ

夏海は簡単に吹き飛ばされた。

 夏海の体は壁に叩きつけられ、その衝撃でグロックが手からこぼれ落ちる。

「あんた……お姉ちゃんをぶったわね? お姉ちゃんを、お姉ちゃ、お姉……う、うう、うああ

あああああっ!!」

 頭をぶんぶんと左右に振り回し、夏海は床に落ちたグロックに飛びついた。それよりも一瞬

早く司郎が拾い上げ、自分の斜め横に移動していた凪那に向け放り投げた。

 徐々に暗くなっていく視界の中、グロックをキャッチした凪那がためらい無く引き金を引くの

が見えた。すぐ近くで銃が撃たれたというのに、銃声はほとんど聞こえなかった。

 

 司郎は自分の肉体がどれだけ破壊されているのかを把握することができなかった。五感の

ほとんどは機能を停止させ、その命は失われようとしていた。

 爪先に何かが当たった。それは胸を撃ち抜かれた女子生徒――田中夏海の死体だった。

狂った形相がそのまま張り付いた、恐ろしい死に顔だった。

 銃を下ろした凪那がこちらに向かってくる。何かを叫んでいるようだが――何を言っている

のか分からなかった。

 やがて身体を支えきれなくなり、司郎は事務室の床へ崩れ落ちる。凪那がそこに辿り着い

たときにはもう、彼の心臓は完全に停止していた。

 

「戌神くん……」

 凪那は恐る恐る声をかけてみた。

 一分。

 二分。

 しばらく待ってみても、倒れている司郎から返事は返ってこない。凪那はそっと手を伸ばし、

彼の頚部に触れた。

 脈はなかった。信じたくなかったが、これで決定的だった。

 司郎はもう死んでいる。もう二度と目を開くことはない。

 ショックに打ちのめされている頭で、凪那はそれだけを理解した。震える指先で開いたまま

の目を閉じる。血で汚れた彼の顔に涙が数滴流れ落ちた。

 

 凪那は血まみれの床に頭を打ちつけ悔しさに歯噛みする。結局自分は何もできなかった。

みんなを脱出されることも、誰かを守ることもできない。無力感が怒涛の如く押し寄せ、凪那

の心を押し潰そうとした。

 ……そうだ。まだ、清水さんが――。

 司郎が囮となって戦っている間に逃がした清水翔子には、公民館の裏口から出てできるだ

け離れるようにと言っておいた。病弱な翔子が武器も持たず一人で島の中を彷徨っている。

凪那はその事実に今気がついた。

「私が守らなきゃ……。死んでしまったみんなの分も、私が――」

 疲れきった身体に鞭を打ち、凪那はまだ流れ続けている涙を拭った。それだけで涙は止ま

らなかったが、止まるまで何度も何度も拭った。

 

 翔子が出て行ってまだ五分は経っていない。急いで行けば追いつけるはずだ。

 夏海のものと思しきデイパックを引き寄せ、中に入っている予備マガジンを回収する。今ま

で散々撃ったためだろうか、予備のマガジンはあと一つしかなかった。

 精神的にも肉体的にも、凪那の疲労はピークに達していた。公民館に来てからは交代制で

睡眠をとっていたが、凪那は他のメンバーが眠っている間もパソコンに向かっていたのだ。

睡眠などほとんどとっていない。それに加えて突然夏海が襲ってきたのだ。体に何の影響も

ないほうがおかしい。

 それを自覚していながら凪那は動こうとしている。例え自分の体が壊れてしまおうと構うもの

か。助けられたはず人が目の前で死んでいくのを見るよりはずっとマシだ。

 公民館の外側からバラ撒かれた銃弾は、凪那の体と一緒に活力の戻りかけた心をズタズ

タに引き裂いた。

 

「がはっ……!!」

 衝撃によろめき、後ろの机に置いてあったものが大きな音を立てて床に落ちた。同時に新

鮮な血が事務室の床に流れ落ち、部屋の中に漂う血臭がより一層濃くなった。

 頭が自然とうな垂れ、司郎のすぐ横で仰向けに倒れている夏海の死体が目に入った。その

両目は凪那を呪わんばかりに大きく見開かれており、口元にはあの不気味な笑みが張り付

いたままだった。

 あんたも道連れよ、ってこと? ――ったく、やってくれるじゃない。

 こんな状況でこんなことを考えられるなんて、自分にはまだ余裕があるのだろうか。

 そんなことを思いながら、凪那は公民館の外でニヤついた笑みを浮かべている山田太郎

(男子18番)を睨み付けた。今まで誰にも向けたことのないような、殺意のこもった瞳で。

 

 太郎は手にしているMP7のマガジンを新しいものに換え、事務室に向けて再び銃弾をバラ

撒いた。それで蜘蛛の巣のようになっていた窓ガラスが完全に破壊された。

 それより一瞬早く、凪那は事務室の扉から廊下に飛び出していた。それを見た太郎が面白

そうに顔を歪め、ガラスのなくなった窓から公民館に侵入して凪那の後を追っていった。

 

戌神司郎(男子3番)

田中夏海(女子11番)死亡

【残り20人】

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