中盤戦:47





 沙更島公民館の事務室は、重苦しい空気に包まれていた。

 規則正しく並べられた灰色の事務用机。それと同じだけ設置されているオフィスチェアー。

その一つに座りながら、荒月凪那(女子2番)は開いていたノートパソコンをゆっくりと閉じた。

「ねえ、本当に諦めちゃうの?」

 側に立っていた加藤辰美(男子5番)が、取り乱したような口調で言った。

「もしかしたら繋がるかもしれないし、最後まで諦めずに頑張って――」

「無理よ」

 凪那が遮った。その顔には悔しさとも落胆とも取れる色が浮かんでいる。

「ここに来てから今まで、ありとあらゆる手を尽くしてみたわ。他に手はないか、見落としてい

る部分はないか何度も何度も確かめてみた。でも……どうやったって外と連絡は取れそうに

ないのよ。電話も通じないし、電話回線にも繋がらない。回線に繋がらなきゃネットもメール

もできない。私はもう何をやれば良いのか分からないわ」

 

 三年三組の中では最もコンピューター関連の技術に秀でている荒月凪那。プログラムが始

まってこの公民館に辿り着いてから、凪那は持参したノートパソコンを駆使して外と連絡が

取れないか試みていた。だが凪那は、かなり初期の段階から外と連絡を取ることが不可能

だろうと思っていた。

 

 1997年に香川県で行われたプログラム。優勝者と担当官が殺害され、生徒二名が脱出

したという前代未聞の事件だ。難攻不落ともいえるプログラムから脱走者を出してしまった

ことで大失態を犯した政府は、その事件以来に行われるプログラムのセキュリティをより厳し

いものにしていた。これは凪那がネット上で仕入れた情報である。もちろん公に流されている

情報ではないが、ネット上では表の世界には出ないような情報が比較的簡単に手に入る。

 

 その事実を知っていたからこそ、凪那は外と連絡が取れないだろうとほぼ確信していた。

電話回線は切られているし、携帯から繋ごうにも周囲一帯の電話局が押さえられている。衛

星携帯電話を持っていれば繋がるかもしれないが、普通の女子中学生に過ぎない凪那がそ

んな特殊な物を持っているわけがなかった。

 それでも外と連絡を取ろうと努力したのは、万が一の可能性に賭けてみたからである。成

功するはずがないと思ってはいても、凪那だって死にたくはない。何もせずに時を過ごすより

は、わずかな可能性に賭けてみようと思ったのだ。

 だが、現実はそう甘くはなかった。大方の予想通り回線には繋がらず、外と連絡を取ること

は不可能だということがわかった。

 

 と、辰美が何か思いついたような声を上げた。

「そうだ! そのパソコンで政府のコンピューターを壊すってのはどう? ハッキングとかウイ

ルスを送ったりしてさ、首輪を無効化すればいいんだよ!」

 凪那は、今の状況をまるで理解していない辰美を蔑むような顔で見た。

「そう簡単に言わないでくれる? ハッキングができていればとっくの昔にやっているわよ。

あんた何か勘違いしているようだけど、私はちょっとパソコンが使えるってくらいでハッキング

みたいな専門的な技術は持っていないの。私みたいな中学生にハッキングされているようだ

ったらプログラムなんて成立していないわ」

 叱り付けるような凪那の言葉に、辰美は相変わらずもじもじとしながら「ご、ごめん」と一言

だけ謝った。それを見て余計に気分が悪くなった凪那は、辰美に聞こえるよう露骨な舌打ち

をした。

「ちょっとは考えてものを言いなさいよね」

 二人の会話はそれで終わり、嫌な沈黙が事務室の中に流れた。

 

 公民館の屋上。渡辺千春(女子19番)は足元に釘バットを置き、ぼんやりと景色を眺めて

いた。二階建ての建物なのでそんなに高くはないが、それなりに広い建造物の屋上のため、

思ったよりも広範囲を見渡すことができる。もっとも今は視界の悪い夜なので、そんなことは

あまり関係なかったのだが。

 柵の上で組んだ両腕に顎を乗せながら、千春は本日何回目か分からない溜息をもらした。

ただでさえプログラムに選ばれて気落ちしているというのに、一緒に行動しているのが下賎

な一般市民だなんて非常に不愉快なことだ。

 時刻は一時過ぎということもあって、辺りは静まり返っていた。普段ならばベッドに入って眠

っている時間帯である。千春は口元を押さえて小さな欠伸をし、目元ににじんだ涙を指先で

拭い取った。

 激しい睡魔と戦いながら、千春はあの時に断っていればよかったと思った。本当の自分を

隠すためとはいえ、安請け合いはするものではないと。

 

 

 

「あの……」

 見張りを交代し、事務室へ向かおうと歩き出した千春の背後で消え入りそうな声が聞こえ

てきた。肩に触れているセミロングの髪と気弱そうな印象を持たせる顔が、振り返った千春

の目に入ってきた。

「どうしたの、長谷川さん?」

 長谷川恵(女子13番)はじっと押し黙り、ややあってから上目遣いに口を開いた。

「あの、その……私、渡辺さんにお願いがあるの」

「私に? いいわよ、何でも言ってみて」

 後に千春は、このときの発言を死ぬほど後悔することになるのだった。

「渡辺さん……私と一緒に見張りをやってくれない?」

 恵は一人で見張りをやるのが心細いらしく、その旨を他のメンバーに相談してみたらしい。

その結果、一番頼りになりそうな千春に頼んでみてはどうか、ということになったそうだ。

 

 それを聞いたとき、千春は自分のこめかみが『ぴくっ』と引きつるのを感じた。頼りになる人

物の名で自分を挙げたことは感心するが、それだからといってなぜ自分がこんな奴の面倒

を見なければいけないのか。そもそも自分は見張りをやったんだし、休憩している別の奴に

やらせればいい。そして何よりも不満に思うことは、この馬鹿女が何で一人で見張りをやら

ないのかということだ。怖い、不安、心細いのは他のメンバーも一緒なのに、自分だけが特

別扱いされると思っているのだろうか。

 怒りを必死で押し殺しながら、千春の中で普段の恵の様子が思い起こされていた。

 そうだ。こいつはいつもこうなんだ。自分に自信がないからって人に頼ってばかりで、すぐ

泣き言ばかり言って努力をしない向上心の欠片もない奴。

 

 長谷川恵は内向的で気弱な性格をしていた。両親から過保護とも言える教育を受けて育

ってきた恵には、自分の力で物事を成し遂げようとする力が大きく欠けていたのだ。

 困ったことがあればすぐ誰かが助けてくれる。私がやらなくても、きっと別の誰かがやって

くれる。私なんかがやるより、他の人がやったほうがいい。そう思うことが、恵の癖になって

いた。

 それと正反対と言える人物が、渡辺千春である。

 千春は渡辺家の一人として恥ずかしくないよう、幼い頃からいくつもの塾や習い事をしてい

た。運動でも勉強でも上位をキープするために寝る間も惜しんで努力をした。時には父親や

家庭教師に厳しく叱られたこともあった。

 周囲の期待に応えたいという思いがあったからこそ、千春はそれに耐えることができた。

自分に期待してくれている人を裏切るなんてことだけは、絶対にさせたくなかった。

 

 だからこそ千春は、恵のことが大嫌いなのだ。自分で何もしようとしないで、すぐに誰かの

力を借りようとする。それで失敗をすれば被害者ぶった態度を取る。他人に頼りきった寄生

虫のような生き方をしている恵は、存在しているだけで千春の生き方を侮辱していたのだ。

 それなのに断れなかった。周りの評判を落としたくないという思いのほうが、わずかながら

に上回っていた。

 

 

 

 周りの様子に気を配らせながら、千春はまた一つ欠伸をした。なんとかなるかと思っていた

が――もう限界だ。

 緩慢になっている意識を何とか保ちながら、千春は反対側で見張りをしている恵のもとに

近づいていった。恵には悪いが、眠気がもう限界まで来ている。プログラムが始まって十二

時間以上が経過しているが、その間一回も睡眠をとっていないのだ。張り詰めた精神で過

ごしてきたこともあるかもしれない。とにかく、今は早く眠りたかった。

 

 屋上の端、千春がいた場所とはちょうど正反対の位置に恵が座っていた。距離的にはそ

んなに離れてはいないので、千春がいた場所からでも恵の姿は何となく見えていたのだが。

「長谷川さん。いきなりで悪いんだけど、私もう限界だから下で休ませてもらうわね。代わり

に戌神くんでも呼んでくるから、それで――」

 千春が話しかけているのに、恵は座ったまま顔を向けようともしない。

「ちょっと、長谷川さん? 聞いているの?」

 語気を強めたが、やはり何の反応もなかった。死んでいるのかとも思ったがどこにも外傷

は見られないし、第一そんなことが可能なはずがない。

 怪訝に思った千春は、俯いている恵の顔を真下から覗き込んでみた。

 

 そして、絶句した。

 

 本来ならば見張りをやっていなければいけないはずの恵が、すうすうと小さな寝息を立てて

いたのだ。その表情は安らかで、ぐっすりと眠っていることが見て取れる。この様子では、こ

こ数分の間に寝たようではない。もっと前から眠っていたようだ。

 

 え、何これ? 何やってんの?

 ちょっと嘘でしょ? あんた、まさかそんな……え、これ本当なの?

 一緒に見張りしようって言ってきたくせに、自分だけ寝ちゃってるわけ?

 …………マジ?

 

 様々な疑問が泡のように浮かんできて、泡のように短い時間で消えていく。

 不思議なことに、今までのような激しい怒りは湧き出なかった。有り得るはずのない現実を

前に、千春はただ漠然と「人間って本当にキレるとこうなるんだ」と思っていた。

 本当に奇妙な感覚だった。思考回路だけが別の場所に切り離されてしまったみたいで、何

かをしようと考える前に勝手に身体が動いてしまうような――そんな感じだった。

 

 だから千春は、長谷川恵の頭に釘バットが振り下ろされていく光景を客観的にしか見るこ

とができなかった。釘バットの重みも、連続して聞こえるぐしゃっ、という小気味のいい音も、

釘バットを振り下ろすたび形を変えていく恵の頭も、血と共にぶち撒けられる脳漿も、自分

が行っている行動だとは思えなかった。

 釘バットを打ち下ろしているうちに、ようやく怒りが湧いてきた。呆けていた千春の顔が鬼神

の如きそれに変わり、罵声を浴びせかけながらひたすら恵の頭を殴り続ける。

 

「ふざけんじゃねえよ! てめえ何様のつもりなんだ、このボケがっ! そっちから誘っておい

て先に寝てんじゃねえよ! 死ね、死ね、死ねっ! くたばりやがれ、このウジ虫が!!」

 釘バットを振り下ろした際に聞こえてくる音が、『ごすっ』という鈍いものから『ぐちゃっ』という

粘着質な音に変わった。衝撃に耐え切れず飛び出した眼球が、糸を引いて地面に転がった。

 それでも千春は攻撃を止めようとしなかった。ただひたすら釘バットを振り下ろし続ける。

 命令を下されたロボットのよう、ひたすらに――ただひたすらに。

 

 千春は屋上に座り込んで夜空を見上げると、深々と夜の空気を吸い込んだ。ほどよい涼

しさを持った空気が肺に流れ込み、自分の中の汚い部分を洗い流してくれるかのような錯

覚に陥る。

 千春は屋上の隅に眼をやり、そこに転がった長谷川恵の死体を見て小さく鼻で笑った。

 ――本当に馬鹿な女。あんなクズ、死んでくれたほうが世界のためだわ。

 恵の死体、その頭部は釘バットによって無残に打ち砕かれていた。無機質なコンクリート

の上を飛び散った血と脳漿が彩っている。春の清々しい夜風に乗り、むわっとするような血

臭が屋上を覆いつくしていた。

 

 最高だった。汗でべとべとになった体を冷たいシャワーで洗い流したような、とびっきりの爽

快感を感じていた。

 人を一人殺してしまったとか、他のメンバーにどう隠していこうとか、そんなことはこの際ど

うでもいい。このすっきりとした感覚に比べたら、それはとてつもなく些細なことなのだから。

 邪魔な奴を排除することでこんな爽快感を得られるなんて。千春にとってはまさしく未知の

体験だった。少し前まであったイライラがまるで嘘のようである。

 とにかく今は、この感覚に酔いしれていたい。誰にも邪魔されることなく、もう少しだけ――。

 

「渡辺さん、長谷川さん、ちょっといい?」

 ……どうやら、そうもいかないようだ。千春は眉をしかめ、血が付着した釘バットをデイパッ

クに隠して扉のほうへと向かっていく。

 下へ続く階段がある扉を開けると、そこには加藤辰美が立っていた。

「荒月さんがこれからのことについて話をしたいそうだから、すぐ下に下りてきてくれって」

「――分かったわ。長谷川さんには私が伝えておくから、加藤くんは先に行っていて」

「うん。それじゃあ頼んだよ」

 伝えるべきことを言い終え、辰美は早足で階段を下りていった。

 

「…………」

 千春は恵が持っていたスチェッキンを取り出し、銃弾がちゃんと装填されているかどうかを

確認すると他のメンバーが待っている事務室へ向かった。

 その顔はふっきれて生き生きとしており、とても人を殺したようには見えなかった。

 

長谷川恵(女子13番)死亡

【残り24人】

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