中盤戦:46





瑞々しい緑色をした草が足に触れる感触に、朝倉真琴(女子1番)は露骨に眉をしかめた。

むず痒さを感じた場所を軽くさすり、私物のバックの中に入っていたタオルを地面に敷いて

その上に座り込む。もとからあまり体力が無いほうだろうか、その顔には憔悴の色がはっき

りと浮かんでいた。

 

 真琴はとある財閥の次女で、県内でもトップクラスのお金持ちである。優秀な生徒が集まる

舞原中学には、親がそれなりの地位を持っている生徒が多い。それらの生徒たちと比較して

も、真琴の家はズバ抜けていた。ようするに彼女は『超』が付くほどのお嬢様なのである。

 その真琴にとって、気持ちの悪い虫がいるかもしれない森の中で過ごす時間は不快以外の

なにものでもなかった。ここは埃っぽいし服は汚れるしで何一ついい事がない。やはり多少の

危険を冒してでも民家に隠れていた方が良かったかもしれない。

 

 沙更島の北、草木が深く生い茂っているD−6エリアの茂みの中に真琴は身を隠していた。

スタート地点の中学校を一番最初に出た真琴は、まず最初にどこかの家に隠れようと考えた。

侵入した民家で誰かに出くわすという心配は皆無だったため、家に入って鍵を閉めれば安心

して身を休めることができる。スタート地点の中学校で待ち伏せをして後から出てくる生徒を

殺害するという手段もあったが、真琴はプログラムなんかに乗るつもりは欠片もなかった。万

が一やる気になっていたとしても、自分に支給されたティーカップなどでは誰かを殺すことなど

到底不可能だろう。

 

 息を切らせながら住宅地に向かっている途中、真琴はふと思った。

 どこかの家に隠れようとしているのは、何も自分だけではないのではないか。

 よく考えてみれば、それはかなり現実的な話である。突然クラスメイトを殺して生き残れと言

われても、そう簡単にできるはずがない。やる気になる人間は何人かいるかもしれないが、ク

ラスメイトのほとんどは自分と同じ考えを持っているのではないか。

 それで真琴は民家に隠れるのを断念した。もし誰かがやってきたとしたら、戦う手段のない

自分に勝ち目はない。それならば比較的自由に動ける森の中に身を隠すことにしたのだ。

 森の中に入って六時間以上。誰とも接触することなく過ごせてきた真琴の精神はかなり安定

していた。隠れ始めた頃は様々な恐怖に襲われて涙を流していたが、今では平静を取り戻し

ている。

 

 そのせいだろうか。真琴は今の自分を取り巻く環境を非常に気にしていた。

「まったく……私がこんな不衛生な所で隠れていなければならないなんて、どう考えてもおかし

いです。服が汚れたりお肌が痛んだりしたら誰が責任をとってくれるんでしょうか」

 この言葉を誰かが聞いたら「何を呑気な」と思うかもしれないが、真琴にとっては重要なこと

である。裕福な家で何不自由なく育ってきた真琴は、自分のいる環境水準が一定以上ではな

いと我慢できなかった。同じクラスの友人たちが住んでいる普通の民家なら全然大丈夫なの

だが、こんなアウトドア環境はもってのほかだ。いつもふかふかのベッドで眠っている真琴に

とって、汚い地面の上で野宿するなんて考えられないことである。

 

 それに真琴は、自分の美しさに自信を持っていた。生まれつき平均以上の美しさを持ってい

た真琴は、その美しさを維持するために毎日入念な手入れをしてきた。真琴が纏っている優

雅で気品溢れるオーラは、日々の努力の賜物でもあるのだ。

 だがここは森の中である。化粧品は私物のバックの中に入っているが、手入れをしたところ

でまたすぐに汚れてしまうだろう。私は常に優雅で、美しくなければいけない。その美しさを維

持するためには、この環境ではダメだ。もっとちゃんとした場所でたっぷり休んで、身だしなみ

の道具を揃えてから外に出よう。

 決意を固め、真琴はデイパックを手に立ち上がった。

 

「――――!!」

 茂みの中から身を乗り出した瞬間、見慣れたブレザーを着た人物が目に飛び込んできた。

 大柄な体躯、スポーツマンらしく短く切られた髪、中学生にしては少し大人びた――悪く言え

ば老けた顔つき。特徴の多いその姿は、宗像恭治や大野高嶺と同じ陸上部に所属している

伊藤忠則(男子2番)だった。

 恐らくたまたま通りかかっただけなのだろう。真琴と同じく、忠則もぎょっとした表情を浮かべ

ている。

 

「……お久しぶりです。伊藤くんは、一人で行動しているんですか?」

 こんな状況で礼儀正しく挨拶もどうかと思うが、ここで重要なのは敵意がないことを相手に分

からせることだ。いきなり襲ってこないということは彼が完全にやる気になっていない、つまり

説得ができるという証拠だ。できることなら今すぐにでも逃げ出したかったが、そうしたら相手

を刺激してしまうかもしれないので、その手段はとらなかった。

「…………一人だ」

 緊張しているのか、いつもの忠則の声ではなかった。その表情もひどく強張っており、額には

薄っすらと汗が滲んでいる。

「誤解をされないように言っておきますけど、私があなたと会ったのは偶然なんです。私はたま

たまここに隠れていて、別の場所に移動しようと思っていたのです。あなたをどうこうしようとい

う気はありませんから、安心して――」

「嘘だ!!」

 突然強い調子で叫び、忠則は両手を真琴に向け突き出した。

 

 忠則の左手は右手に添えられる形になっており、その右手には黒い金属製の物体が握られ

ていた。

 真琴はそれをテレビや漫画などで目にしたことがある。自分の認識能力がおかしくなってい

なければ、忠則が握っているものは銃と呼ばれる道具だった。

「そんなこと言って、俺を騙そうって魂胆だろ! 見え見えなんだよ!」

 コルトパイソン(4インチ)を両手でしっかりと構え、命中率を上げるためにじりじりと近づいて

くる。その動きに合わせ、真琴も彼が進んだ距離と同じだけ後退した。

「お、俺がそんな単純な作戦に騙されるとでも思っているのか! ちくしょう、馬鹿にしやがって!

俺は、俺はお前なんかにやられないぞ! やられる前に、やってやる!」

 それは真琴が知っている忠則ではなかった。真琴はあまり彼と交流が無かったが、教室で

見かける彼は友達と楽しそうに笑い合っていた。進んで誰かを傷つけようとする人じゃない。そ

の忠則がここまで変貌してしまうなんて。

 これが……これがプログラムなのか。

 

 プログラムの恐ろしさを認識している暇は無かった。凄まじい轟音がしたと思うと、真琴の側

に立っていた木の一部が大きく抉れ飛んだ。忠則が銃を撃ってきたのだ。

「伊藤くん、話を聞いてください! 私は戦うつもりなんて――」

「うるせぇ!! そ、そんなこと関係ないんだよ! お前が戦う気がなくったって、どっちにしろ誰

かを殺さないと家に帰れないんだ!」

 忠則はそう叫びながら狙いをすませ、引き金に掛けられた人差し指に力を込める。

 逃げなければと思ったが、足が動かなかった。恐怖ですくんでしまったのか、無意識のうちに

覚悟を決めてしまったのか。

 

 『死』という逃れようのない存在が真琴のすぐ側まで近づいている。もしそれに姿があるのなら

ば、息がかかりそうなくらい近い場所に。

 不気味なくらい、周りが静まり返っている。自分と忠則を除いて世界が停止してしまったかの

ような、そんな錯覚にとらわれた。

 それを打ち破るかのように、一発の銃声が鳴り響く――。

 

 

 

「ぐあっ!」

 真琴の目の前で、忠則の体が崩れ落ちた。

 右肩の――ちょうど肩甲骨の辺りを強く抑えながら、地面にうずくまって低い呻き声をもらして

いる。よく見ると、押さえた手の間から血が流れ出していた。

「危なかったわね、真琴」

 自体を呑み込めず呆然としている真琴の耳に、一番聞き慣れた声が届いた。

「綾香……? あなた、何でここに」

 うずくまっている忠則の背後から、真琴の親友である木村綾香(女子5番)が姿を現した。

「偶然よ。たまたま近くを歩いていたら銃声がしたんで来てみたら、あんたが殺されそうになって

いたってわけ。――おっと、変な動きしないほうが身の為よ。私、真琴ほど優しくはないから」

 言い終わると同時に、綾香は目の前にいる忠則の後頭部に銃口を押し付ける。ワルサーP99

という名のオートマチック拳銃だ。

 

「くっ……」

 渋い顔をしながら、忠則は握っていたコルトパイソンから手を放した。綾香はそれを拾い上げ、

予備の弾丸も全て渡すように忠則に命令する。忠則は殺意のこもった目で綾香を睨み付けて

いたが、銃を突きつけられているため彼女の命令に逆らうことができなかった。

 忠則から弾丸を受け取ると、綾香は自分の持っていたワルサーを真琴に向けて放り投げる。

「あんたの分。そっちのほうが反動弱いから、頑張ればあんたにも使えるでしょ」

 予備の弾はあとであげるから、と付け加えてきた。真琴は始めて手にする銃をまじまじと見つ

めた。思っていたよりずっと重いんだ、というのが感想だった。

 

 綾香は忠則の正面に回り、「もうあんたに用はないわ。さっさとどっかに行って」と言った。忠

則は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていたが、言われるがまま森の奥へと消えていった。

 忠則がいなくなった後、真琴はほっと息をついた。怒涛のような展開に疲弊していた頭がうまく

ついていかないが、とりあえず命の危険がなくなったことだけははっきりと理解できた。

 そしてその危機から自分を救ってくれたのが、目の前にいる木村綾香だということも。

 

「綾香さん……あの、先程は本当にありが――」

「しっかしほんとに危ないところだったわねぇ。もーちょいで死ぬところだったじゃん。あんた、私

に感謝しなさいよ。つーか銃向けられたら逃げなきゃダメだって。何もしないでぼーっと突っ立っ

ていたら、殺してくれって言っているようなもんじゃないの」

「な……」

 綾香の口から出たのは、真琴の対応に対する痛烈な指摘だった。言われてみればその通りな

のだが、なぜか真琴は素直に受け取ることができなかった。日頃から些細なことで喧嘩をしてい

る相手の意見を素直に受け入れるのに抵抗があるのかもしれない。

 

「あ、あなただって助けにきてくれるのだったらもっと早く来てくれればいいじゃないですか! そ

もそも私が感謝の意を表そうとしているのに、それを遮って何かを言うなんて言語道断です!

人が喋っているときは最後まで聞いてから話してください!」

「な、何ですってぇ!? せっかく人が助けてやったのにその言葉は何よ! だいたいあんた、

何でスタート地点で待っていないわけ!? 普通は待っているでしょ普通は!」

「あそこで待っていて誰かに襲われでもしたらあなたは責任をとってくれるんですか!? それに

あの時はそんなことを考える余裕なんてあるわけないじゃないですか!」

「あんたと私の名簿番号なんてそんなに開きがないでしょ! 十分や二十分ぐらい待っていなさ

いよこのスカポンタン!」

 

 思い思いの言葉をぶつける二人。彼女らをよく知る人物にしてみれば、もはや日常となった光

景である。

 緊迫したプログラムにそぐわない口喧嘩は、この後もしばらく続くことになった。

 

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