中盤戦:37





 中村和樹(男子11番)は小走りで、それでもちゃんと辺りを警戒しながら住宅地の中を

進んでいた。電気が止められているせいなのか、所々に設置してある街灯には灯りが

ついていない。まばらに立ち並ぶ民家の壁に背をつけて注意深く辺りを観察し、誰もいな

いことを確認してから進んでいく。もう少しで、目的の場所に辿り着けるだろう。

 目的地――沙更島の小学校に向かいながら、和樹は怒りに顔を歪めた。

 

 自分たちをこんな状況に陥れた政府の連中に対して、そして死んでいったクラスメイト

たちに何もしてやれなかった自分に対して。

 何であの時、自分はあの場に残らなかったんだろうか。和樹はこのプログラムが始ま

った直後、スタート地点の中学校付近で後から出てくる生徒を待っていなかったことを非

常に後悔していた。今でこそやる気の人間が出てしまっているが、スタート直後のあの段

階ではそうとも言い切れないだろう。自分も含め、みんなプログラムに選ばれたことによ

る不安と恐怖でどうすればいいのか分からず、とにかく今はここから離れなければ。そう

思っていた生徒がほとんどのはずだ。

 

 プログラムの本質が浸透しきっていないあの時なら、みんなを説得することも簡単にで

きたはずだ。少なくとも、死と恐怖と血の臭いが充満している現在よりは。

 自分は殺し合いを止めさせようとしているが、そのためにはやる気になっている生徒の

説得が必要不可欠になってくる。すでに何人か殺している人間を相手に、自分は上手く

言葉を伝えられるだろうか? 

 

 仲の良い伊藤忠則(男子2番)斉藤修太郎(男子8番)、女子であれば生徒会長の

雪姫つぐみ(女子17番)や同じ運動部系の木村綾香(女子5番)なんかは信用できる。

 だが他の皆はどうだろうか。何を考えているのか分からない山田太郎(男子18番)や、

不良と呼ばれ、様々な噂が流れている浅川悠介(男子1番)を信用できるか?

 

 ――無理だ。比較的交友の深い奴ならともかく、あまり接したことのない奴を説得する

自信があるかと言われたらNOである。

 人間はひとりひとり考え方が違う。俺が思っていることを他の人が思っているとは限ら

ないし、俺の気持ちが他の人に絶対伝わるとも限らない。そうでなければプログラムなん

てとっくになくなっている。

 

 俺は、他のみんなが何を考えているのかまったく知らないんだ。

 それなのに誰かを仲間にして、殺し合いを止めさせることなんてできるのか?

 

 目の前に他の民家とは違う大きな建物が見えてきて、それを認識した和樹は慌てて頭

を振った。

 ダメだ。今からこんな弱気なことを考えていては、成功するものも成功しないじゃないか。

みんなを説得することはとても難しいことかもしれないけど、それでも俺はこの殺し合いを

止めさせたい。やる前からあきらめていてどうするんだ!

 

 弱気になった己を叱咤し、和樹は小学校の校門前で足を止める。ついさっき出会った

梨亜紀子(女子10番)は、小学校の辺りで田中夏海(女子11番)を見かけたと言ってい

た。亜紀子が夏海を見かけてから若干のタイムロスはあるから、夏海がまだこの場所に

いるとは限らない。それでも和樹は希望を捨てず、小学校周辺の道路や物陰をくまなく探

し回った。

 

 フェンス越しにグラウンドが望める道路を歩いていると、グラウンドの中心で何かが動い

たような気がして和樹は足を止めた。目を凝らしてよく見てみると、その『何か』は人間で、

それもスカートをはいていることが分かった。

 デイパックをグラウンドに放り込み、自身もフェンスを上って敷地内に入る。ああ、ようや

く仲間が見つかったんだ。逸る気持ちを抑えきれずに、和樹はその人影へ駆け寄っていっ

た。

 

 近づくにつれ、その人影が田中夏海であることが断定できた。どこかへ向かおうとしてい

るのか、彼女はグラウンドをゆっくりと歩いている。

「田中さん!」

 その呼びかけで、夏海の動きがぴたっと止まった。

「田中さんだろ? 俺だよ、中村和樹だ」

 和樹がそう言った後、夏海はやけに緩慢な動作で振り返る。

「――――っ」

 振り返った夏海の顔を見て和樹はぎょっとした。擦り剥いたのか頭を打ったのかは知ら

ないが、彼女の額は血で真っ赤に染まっていた。滴り落ちた血液が、ブレザーの襟を赤く

染め上げている。

 

 あれだけの血を流しているというのに、夏海は気にする様子も見せずヘラヘラと笑って

いる。傷口は大きそうなのに痛くないのだろうか? 和樹はそんな疑問を抱いたが、とりあ

えず自分が無害であることを彼女に主張することにした。

「さっき向こうで高梨さんに会って、田中さんがここにいるって聞いたんだ。俺、この殺し合

いを何とかして止めさせることができないかなって思っている。だからそのための仲間を

探しているんだ。田中さん、もしよかったら俺と一緒に――」

「ダメだよぉ、そんなこと言っちゃ」

 和樹の言葉を遮って、夏海が唐突に口を開いた。

 

「お姉ちゃんいつも言ってるでしょ? あまり我がまま言わないでねって」

「……田中さん?」

 和樹は怪訝に眉を寄せる。

「そんな顔してもダメよ。今お菓子を食べると、夕飯食べられなくなっちゃうでしょ? さっき

もお菓子食べたんだから、明日まで我慢しなさい」

「田中さん、いったい何を――」

「あのね、いつも言っているでしょ? お姉ちゃんをあまり困らせないでって」

 和樹の言葉を聞き入れようとせず、夏海は焦点の定まらない目で一方的に喋り続ける。

「何で毎日言っているのに分からないの? お姉ちゃんの言うことを無視してあとで困るの

は美希たちでしょ? なのになんでそういうことばっかり言うのよ。お願いだから私の言うこ

とを聞いて。だって仕方ないじゃない。お母さんはまだ帰ってこないんだし、私がみんなの

面倒をみなくっちゃ。……だからもう我がまま言うのやめてってば。そろそろやめないと、

お姉ちゃん本気で怒るわよ」

 

 ――――まさか。

 

「狂っている……のか?」

 和樹は無意識のうちにあとずさりを始めていた。発狂した人間が持つ得体の知れない空

気もそうだが、弟や妹のことを大事に想っていて、幼い顔立ちの割りに自分なんかよりも

よっぽど芯のしっかりしていたあの夏海が狂っているというのが信じられなかった。

 右手に拳銃を握り締めながら、夏海は引きずるような足取りで和樹に近づいてくる。

「ちょっとあんたたち。 今お姉ちゃんに悪口言ったでしょ。私、本気で怒ったからね。もう

今更謝ったって許さないんだから」

 うふふふふふ、という歪んだ笑い声が高らかに響く。静まり返った夜の学校で、その声は

天から響き渡る呪いの文のようだった。

 

 怖い。何だよこいつ。何なんだよ!

 全身が『逃げろ』と訴えかけ、脳が最大級の警戒信号を出している。それでも和樹は逃

げなかった。『彼女を説得する』という彼の強い想いだけが、和樹をこの場に引き止めて

いた。

 

「しっかりしてくれ、田中さん! 正気に戻るんだ! 君の弟たちは悪口なんて言っていな

い。ちゃんと君の言うことを聞いているじゃないか!」

 次の瞬間、乾いた銃声と共に和樹の隣を何かが高速で通り抜けていった。

「田中さん……」

 和樹は悟った。彼女はもう、自分の言葉も理解できなくなってるのだと。言葉が通じない

相手に説得を試みたところで、成功するはずがない。

 再び銃声が響き、和樹の頬――その数センチ脇を銃弾が通り過ぎる。

 和樹は反射的に手にしていたウィンチェスターM1897を構えた。後ずさって距離を開け

ながら、引き金に指をかけようとする。

 

 どうする? 撃つのか? 撃てば俺は助かる。けど田中さんは――。

 

 グロックから放たれた三発目の銃弾がデイパックを掠める。和樹は険しい表情で奥歯を

噛み締め、ウィンチェスターの銃口を下ろすと同時に地面を蹴った。

 説得が不可能であると分かった以上、和樹には逃げることしか選択肢がなかった。殺し

合いをやめさせようとしている自分が命を奪う。それだけは絶対に避けたかった。

 彼女を放っておけば多くの犠牲が出るかもしれない。そうなったら、彼女を止められなか

った自分の責任だ。

 

 やはり、ここで殺しておくべきなのだろうか。和樹はそう思ったが、すぐにその考えを打ち

消した。

 自分たちは政府に戦わされているだけなんだ。ここで殺し合えば奴らの思う壺だし、そも

そも誰かの命を奪う権利が自分にあるとは思えない。

 そして何よりも、人を殺すという行為がとても恐ろしかった。この引き金を引いた瞬間、

目の前にいるクラスメイトが血を撒き散らして死んでいく。――考えただけでもぞっとした。

 背後から何度も銃声が響き、近くの地面から土煙が上がる。左肩にかすかな熱さと痛み

が走ったが、そんなことに構っている暇はなかった。

 

 和樹は振り返ることなく、全速力でグラウンドから走り去っていった。暗闇の中を突き進

みながら、何もできなかった自分への怒りと不甲斐なさで和樹は涙を流した。

 

 彼は自覚してなかった。この時点で自分が、致命的なミスを犯していたことを。

 クラスメイトを信じたいと思っていても、少しでいいから疑念を抱くべきだったのだ。

 

 和樹は、高梨亜紀子を『疑う』ということをしなかった。

 

【残り27人】

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