中盤戦:36





 霧生玲子(女子6番)は走っていた。C−4エリアの茂みの中を、わき目も振らず全力で。

 どこかへ向かおうとしているわけではなく、誰かに追われているわけでもない。それなのに恐怖

を顔にはり付け、今よりも一歩でも遠い所へ行こうと必死に走り続ける。

 

 ついさっき玲子が見た『あるもの』。それが全ての原因だった。

 

 今から四十分前。玲子はそれまで隠れていた小さな神社から出ることを決心した。

誰かに襲われることが怖くて神社に潜んでいた玲子だが、このまま隠れ続けていけも事態は好

転しないと思い、意を決して外に出てみることにしたのだ。

 午後十時過ぎで周囲が森ということもあり、辺りは一面暗闇に覆われていた。月明かりに照ら

されているためまったく視界が利かないというわけではないが、夜の森は思った以上に暗かっ

た。視界は悪く、気をつけて進まないと木の根などに足をとられて転んでしまいそうである。

 玲子は足元に気をつけながら、慎重に森の中を進んでいった。懐中電灯をつけたらどんな

に楽かと思ったが、そんなことをすれば自分の居場所を敵に教えてしまうことになるので懐中電

灯の使用は控えていた。

 

 歩き始めて十分ほど経ったとき、玲子の耳に一発の銃声が届いた。それはプログラム開始か

ら何度も聞こえてくる銃声と同じもののように感じられた。

 それからすぐ後、先程と同じ銃声が続けざまに聞こえてきた。行ってみるべきかどうか悩んで

いるところで銃声は止み、それきり静かになった。

 やる気になっている人物がそこにいるかもしれないと考えたが、そこで何があったのかも気に

なった。もしかしたら怪我をした人がいるかもしれないし、やる気の人に会ったらすぐ逃げれば

いい。

 

 支給武器のウォレットチェーンを右手に握り、慎重に木々の間を縫っていった。ウォレットチェ

ーンなんかで敵を倒せるとは思っていなかったが、こんな物でも威嚇にはなるだろうし何よりも

素手よりはマシだと思った。

 森を抜けた玲子の目に最初に映ったのは、小さな丘だった。森と平地との間、ちょうど境界線

のように存在している丘。

 そこで、井上凛と長月美智子が死んでいた。

 

 凛の死体は額に銃創があり、弔うような形で斜面に横たえられていた。美智子の死体はそこ

から少し離れたところにあり、こちらは凛とは対照的で体中あちこちに銃弾を浴びていた。

 玲子はしばらくその場に立ち尽くし――口元を押さえながらその丘から走り去った。思考回路

はぐちゃぐちゃになり、喉の奥から吐き気がこみ上げてきた。二人の額に穿かれた赤黒い銃創

が、やけにはっきりと目に焼きついていた。

 

 死体を見るのは初めてではなかったが、一度見たので平気というわけではなかった。プログ

ラムに選ばれてすでに十時間が経過しているし、銃声だって何度も耳にしている。

 だが玲子は、どこにでもいるような普通の中学三年生なのだ。学校に遅刻しそうになって慌て

て家を出たり、ちょっと気に入らない教師の悪口を言ったり、友達とファッション雑誌を見て楽し

くお喋りしたり、高校受験に向けて必死に勉強したり。血と硝煙の臭いとは無縁の世界で生き

てきたどこにでもいる女子中学生。

 

 そんな自分が、昨日まで仲良くしてきたクラスメイトの死体を見て平気でいられるはずがなか

った。思い出したくない。早く忘れてしまいのに、玲子の脳には先程の映像が鮮明に刻み込ま

れてしまっている。

 たぶん自分は、もうあの光景を忘れることはできないだろう。もしこのプログラムから生きて

帰れたとしても、ベッドに入って目をつむるたびに死んでいったクラスメイトの死体が浮かび上

がってくるに違いない。

 そんな光景を想像してしまったせいか、胃の中から吐き気がぶり返してきた。地面に膝を付い

て何度も何度も咳をした。いっそのこと吐いてしまおうかと思うほどの激しい嘔吐感だったが、

玲子はそれを必死に堪えて瞳にたまった涙を拭いとった。

 

 荒くなった息遣いのまま立ち上がり、辺りの様子を把握する。パニックのあまりどこをどう走っ

てきたかは覚えていないが、どうやらまた森の中に戻ってきてしまったようだ。

 

 いや……もういやっ! こんなのもうたくさんよ! 何で私たちがこんな目に遭わなきゃいけな

いの!? 誰か――誰か助けてよ!

 

 プログラムという極限状態の中で、玲子の精神はもう限界にまで来ていた。一人でいることの

孤独感と、誰かに殺されるかもしれないという不安と恐怖。それが凛と美智子の死体を見たこ

とにより、一気に爆発寸前まで来てしまったのだ。

 

 樹にもたれかかって泣き崩れる玲子。涙を流すうちに三度嘔吐感に襲われ、今度は堪えきれ

なくなり胃の内容物を吐き出してしまった。今日はあまり食べ物を口にしていないのに、思った

より多くの吐瀉物が草の上に撒き散らされていく。周りに誰もいないとはいえ、外でこんなことを

している自分が恥ずかしかった。

 

 怖くて、辛くて、苦しくて、もう何が何だか分からない。

 私はここで何をしているの? 私は何のために、ここにいるの?

 

 胃の中のもの全てを吐き出した後、その場に玲子の嗚咽が響き始めた。汚れた口元を拭こう

ともせず、子供のようにただただ泣き続ける。

 顔の横に差し出されたハンカチに気づいたのは、嗚咽がだいぶ収まった頃だった。

「あ……」

 ハンカチの元を辿る玲子の目に映ったものは、気の毒なほど心配そうな顔を浮かべている

少年の姿。

 一見すれば女の子にも見える中性的な顔。耳が被るくらいまで伸びた髪。華奢で小柄な体躯。

それは見まがうことのない、自分の幼馴染である高橋浩介(男子10番)だった。

 

「こう、すけ……?」

「とりあえず、口を拭きなよ。ひどい顔になってるよ」

 見慣れた顔、見慣れた声。一時は崩壊寸前まで追い込まれた玲子の心が次第に復元されて

いく。

「浩介……」

「あと、口を拭いたあとは水で口の中を洗ったほうがいいね。水は僕のぶんもあるし、遠慮なく

使って――」

「浩介ぇっ!」

「うわわわっ!?」

 膝立ちでいた浩介に、玲子は押し倒すような勢いでしがみついた。

「バカバカバカっ! 浩介の大バカぁっ! 今までいったいどこにいってたのよ!」

「ご、ごめん。僕も玲子を探していたんだけど、なかなか見つけられなくて、その……」

 身近に感じる玲子の体温に、浩介の顔はしっかり赤くなっていた。女性に抱きつかれる経験

なんて皆無に等しいのだろう。幼馴染のピンチに颯爽と現れても、この辺りはウブな男子中学

生である。

 

「あんた、私がどんな思いしたのか分かってんの?」

「いや、その……ごめん」

 自分が悪いことをしたわけではないのに、つい謝ってしまう。押しが弱く後ろに控えるタイプの

浩介は、昔から玲子にいいように扱われてきた。それは中学生になった今も同じで、浩介は彼

女に逆らえない状態にいる。

「……本当に、本当に怖かったんだから」

 顔を俯けてそう言う玲子の声は震えていた。浩介の知っている玲子は生意気で意地っ張りで、

普段から他人に弱みを見せるようなことはしないはずだ。その玲子がこんなことを言うなんてよ

ほどのことがあったのだろう。

「大丈夫だよ。玲子はもうひとりじゃない。僕が一緒にいてあげる。だから泣いたりしないで」

 玲子の頭を優しく撫でる浩介。玲子はしばし彼の顔を見つめ、再び彼の胸に顔をうずめた。

「……バカ。浩介のくせに、カッコつけてんじゃないわよ」

 喜びも露に微笑む玲子の頬を、一筋の涙が伝っていった。

 悲しみの涙ではない、喜びの涙が。

 

【残り27人】

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