中盤戦:32





「――っ!」

 右頬にわずかな痛みと灼熱感が走った。手の平で血を拭い取る。血は出ているがそれほど

大した傷ではない。

 重要なのは傷の具合などではなく、目の前に現れたこの女――長月美智子をどうするかだ

った。

 

「この……っ、いきなり何しやがる!」

「うるさい、この人殺し野郎!」

 村上沙耶華や大野高嶺と喋っている姿からは考えられないような、怒りに満ちた獰猛な声

だった。

「お前が二人を殺した! だから私が、二人の仇を取るんだ!」

 美智子は地面を蹴ると同時に脇差を振るう。感情に駆られたデタラメな攻撃だったため、運

動能力に自信のない悠介でも楽に避けることができた。

 

 ――村上と大野のことか。

 

 悠介は全てを理解した。村上沙耶華と大野高嶺。彼女らと長月美智子は同じ運動部系の部

活に所属している友人同士だ。学校の中ではほとんど一緒に行動していて、ケンカなどしたこ

ともなさそうなくらい仲が良かった。

 美智子は何らかの方法を使い、二人を殺した犯人が悠介だということを突き止めたのだ。

でなければ「見つけた」という台詞の説明がつかない。犯人が悠介だと断定してを捜し歩いて

いなければ、見つけたという台詞が出るわけがなかった。

 

 悠介と美智子。彼我の距離は約四メートル。悠介の手にはベレッタが、美智子の手には脇

差がそれぞれ握られている。

 この距離ならば拳銃を持つ悠介の方に分がありそうだが、対する美智子は剣道部でも屈指

の実力者である。その気になれば一気に距離を詰め、接近戦に持ち込むことも可能だろう。

 近づく前に、撃ち殺してやる。

 いくら剣道の実力者といっても、銃を相手にして勝つことは難しい。冷静な奴、または賢い奴

なら一時撤退という選択肢を選ぶのが妥当だ。

 だが、悠介はそう思っていなかった。

 美智子は退かない。復讐という概念に取り憑かれている彼女は、退くことなく自分に向かって

くるだろうと確信していたからだ、

 

 ――落ち着け。相手の武器が刀で真正面から向かってくるのなら簡単に倒せる。狙いをつ

けて撃つ。大丈夫、俺の方が絶対に有利だ。

 

 悠介はまだ、気づいていない。

 それは根拠のない確信からくる、慢心という名の落とし穴だということを。

 ベレッタを握る悠介の手が動いた瞬間――美智子の体が静から動へと変わった。

 

 悠介はベレッタを二発立て続けに撃った。腹部と左肩に命中し、その衝撃から美智子の体

がぐらりと傾いた。

 尋常ではない痛みが走っているのにも関わらず、美智子は右足を踏み出してその場に踏み

止まる。

「うおおおおおおおっ!」

 理性や知性というものを全て吹き飛ばした獣のような咆哮。空気がわずかに打ち震え、その

気迫に押された悠介は後ろに半歩下がった。

 脇差の間合いに入った瞬間、美智子は踏み込みの勢いを利用して脇差を振り抜く。先程と

同じ空気を切り裂く音がして、悠介はそれを間一髪のところで避けた。

 

「ふざけやがって……!」

 自分の体を省みずに立ち向かってくる相手の意地と決意を前に、悠介は忌々しくも驚嘆した。

 バックステップで間合いを開き、さらに二発。

 ベレッタの銃口から吐き出された銃弾は、ためらうことなく美智子の体に沈んでいく。

 

「……っ!!」

 右脇腹と腹部が貫かれ、闇が広がる空間に赤い血潮が舞う。痛みと衝撃に耐え切れなくなっ

たのか、そのまま前のめりに倒れた。

「悪いな。殺す気でかかってくるのなら容赦はできない」

 全身から血を流し立ち上がろうとする美智子を前にしても、悠介は銃口を逸らそうとしない。

「知らないわよ、そんなの……」

 悠介の目の前で、ゆっくりと美智子が起き上がる。左腕はだらりと垂れ下がり、その指先から

ぽたぽたと血が滴り落ちていた。計三発の銃弾が胴体部分は血まみれで、ブラウスやスカート

が赤黒い色に染まっていく。美智子の息遣いも、ぜいぜいと荒いものになっていた。

 

「お前は、沙耶華と高嶺を殺した! 私の大切な友達を殺したんだ! それに――」

 美智子はそこで、少し離れた所に横たわっている井上凛(女子3番)の遺体を一瞥した。

「あんなに優しくていい人だった井上さんも殺した! 私は、お前を絶対に許さない! ぶっ殺

してやる!」

 

 パァン。

 

「っ――あああああっ!!」

 美智子の右太腿が弾け、鮮血が飛沫いた。

「悪いけど、もう決めたんだ」

 悠介が構えているベレッタからは、かすかに硝煙が立ち昇っている。

「俺はあいつを守るためだったらどんな事でもしてやるって。例えそれが人殺しであっても、俺は

喜んで血に染まってやる」

 美智子は何か言いたげに顔を歪めたが、その口から出てくるのは声ではなく大量の飛沫だっ

た。悠介はそれを見て、「やれやれ」といった感じで頭を振る。

 負傷した右足に力を込め必死に立ち上がろうとする美智子。彼女の眉間に、無慈悲な銃口

が突きつけられた。

「――俺は、俺の決めたことをやるだけだ」

 

 悠介の瞳の奥で燃え盛る黒い炎。

 それを見ながら、美智子は思っていた。

 なぜ自分は、この場所にいるのか。

 

 敵討ちを決意したとき、自分の決断が正しいのかどうかなんて深く考えなかった。

 二人を殺した奴が許せなかったから、そいつを見つけて殺そうと思った。それだけだった。

 だが今になって、美智子は己の決断に疑問を感じ始めていた。

 人を人と思わないような、容赦のない悠介の姿。

 全身を撃たれ、なす術なく殺されようとしている自分。

 今も美智子の中では、悠介に対する憎悪が満ち溢れている。

 決意を下したあの時と違うのは、その『相手』が目の前にいるかいないか。

 あの時は復讐が最善の策で、自分の行動に疑いなんて抱いていなかった。

 その最善の策は、今美智子を死に至らしめようとしている。

 自分は、間違っていたのだろうか。

 復讐なんてロクなもんじゃない。よく耳にする言葉だけど。

 もしかしたら、本当に――。

 

「死ね」

 簡潔で、これ以上ないほど分かりやすい死刑執行の言葉。

 引き金にかけられた悠介の指が、今ゆっくりと絞られ――。

 

 美智子の頭に、様々な記憶が駆け巡った。

 保育園に入ったばかりの頃、描いた絵が親に褒められたとき。

 小学生の頃、家族と遠足に行った場所で転んでしまい、泣き喚いている自分。

 中学生になったばかりの頃、部活紹介で出会った沙耶華と木村綾香(女子5番)と話している

自分。

 

 沙耶華、高嶺、つぐみ、綾香、そして私。

 いつもの教室で、いつものメンバーで楽しそうに笑っている光景。

 十五年分の思い出が、走馬灯として美智子の脳裏を駆け巡った。

 この出来事が、彼女を突き動かすきっかけとなった。

 

 ――今さら悔やんで、どうなるというのだろう。

 一度決めた考えを否定して、都合の良い解釈をして、友達の仇も取れなくて。

 そんなの、絶対に嫌だ。

 私はこいつを、浅川悠介を殺す。

 そう、決めたんだ。

 それをするために私はここに来て――それをするために、私はここにいるんだ!

 

 濃霧が一瞬で晴れていくように、美智子の意識は一瞬でクリアになった。

「うあああああああ――――っ!」

 美智子が自分のデイパックを放り投げたのは、ベレッタの引き金が完全に引かれる寸前の

ことだった。

「っ!!」

 投げつけられたデイパックは悠介の視界を完全に奪っていた。そう大きなデイパックではなく、

目くらましの効果も一時的なものでしかない。

 判断は一瞬。

 悠介はデイパックを避けようとせず、それを払い落として前方に銃口を合わせた。美智子が

予期していなかったであろう、意表をついた行動。

 そう思っていた悠介の表情が、次の瞬間一変する。

 目の前に迫る銀色の刃。全てを焼き尽くしてしまいそうな、憎悪に彩られた瞳。

 長月美智子が、数十センチの距離まで肉薄していた。

 悠介は悟った。彼女もまた、自分と同じことを考えていたのだと――。

 体当たりと同じ要領で、美智子は悠介の体に脇差を突き刺した。切っ先は易々とブレザーを

貫いて体内へもぐりこみ、左肩の後ろから突き抜けた。

 

 悠介は叫んだ。

 叫んでしまわないと、痛みでどうにかなりそうだった。

 体当たりの勢いをそのままに、美智子は悠介を押し倒した。両肩を膝で押さえつけ、マウント

ポジションの体勢をとる。

「くっ……!」

 起き上がろうと必死に抵抗してみるが、上から押さえつけられていては力がうまく入らず体勢

を崩すことができなかった。ただでさえ腕力が無い悠介にとって、今の状況はあまりにも不利で

ある。

「ふふふっ。あは、ははははははっ」

 悠介を見下ろしながら、美智子は乾いた笑いを漏らす。

「どう? これで私の勝ちよ! お前は死ぬ。私に殺されるんだ!」

 

 死ぬ。

 その言葉を聞いた途端、背筋がぞっとした。

 手が、足が、全身が震える。歯がカチカチと鳴り、まともな思考ができなくなる。

 殺す側としてプログラムの中を生きてきた悠介にとって、それは初めて感じる『殺される側』の

気持ちだった。

 

 怖い。

 怖い、怖い、怖い、怖い!

 

 手首を器用に動かしてベレッタを撃とうとしても、体が言うことを聞いてくれなかった。恐怖で

身が竦んでしまったのだ。

「死ね、浅川悠介ぇえええええっ!!」

 怨みだけで形成された言葉を吐きながら、美智子は脇差を悠介の胸に向けて振り下ろした。

 悠介の中に浮かんできたのは、死にたくないという想いでも美智子に対する恨みでもない。

 彼の目には、この場にいないつぐみの姿が映っていた。

 

「くっ……あああああああああっ!!」

 左腕を動かして脇差が握られた美智子の右腕を掴み、自分の体を押さえつけている彼女を

無理矢理横に引っ張り倒した。刺された左肩から血が噴き出したが、そんなことに構っていられ

なかった。

 先程と体勢が逆転し、今度は美智子が悠介に押さえつけられる形となった。

「くそっ、放せ! 放しなさいよ!」

 悠介の体の下で、美智子は必死に抵抗する。

「私は、私はお前を――」

 再びベレッタの銃声が響き、美智子の頭ががくん、と軽く跳ね上がった。糸の切れたマリオネ

ットのように首が傾き、それきり動かなくなった。

 復讐という名の炎が消えた美智子の瞳は、空しく夜空を見上げていた。

 

「復讐か……」

 額を穿たれた美智子の死体を見つめながら、悠介は静かに呟く。

 この道を進むと決めた以上、誰かに怨まれることは覚悟していた。

 それでも。

 このやるせない気持ちは、どうしようもなく心に残ってしまう。

 頭上に浮かぶ月を眺め、それから何かを決心したかのように大きく深呼吸をする。

 そして悠介は、デイパックの中から掴み上げた。

 村上沙耶華に支給された、あの携帯電話を。

 

長月美智子(女子12番)死亡

【残り27人】

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