中盤戦:28





 実を言うと、あの時の事はあまり覚えていない。

 殺されそうになっているなんて初めてだったし、どうすればいいのかよく分からなかった

から。

 ただ、あの時何を考えていたのかは今もはっきりと覚えている。

 彼をあのままにしていてはいけない。ここで殺しておかないと、もっと多くの人が死んで

しまう。

 気が付いた時には、目の前が真っ赤な血で染まっていた。草も、地面も、私の身体も、

私を殺そうとした前田くんも。

 望月くんの遺体を正し。前田くんの荷物の中から予備の弾丸を取り出した私は、二人

に短い黙祷を捧げてからその場を後にした。

 その時に一度だけ振り返った私の目に、首を大きく切り裂かれた前田くんの遺体が目

に入ってきた。

 

 それでようやく、実感した。

 ――私は、人を殺してしまったんだと。

 

 夜の沙更島を雪姫つぐみ(女子17番)はひとり重い足取りで歩いていた。

 島のものが月明かりを浴びてぼんやりと照らし出されている中、彼女の存在はあまり

にも異質だった。

 前田晶を殺した時に浴びた返り血はつぐみの身体全身に付着しており、綺麗なモカベ

ージュ色だった彼女の髪を、白く瑞々しい肌を、他校生の間でも可愛いと人気の制服を、

そのことごとくを赤く染め上げていた。

 ――ああ、シャワー浴びたいな。

 つぐみは自分でも気に入っている髪に触れる。付着した血が固まって、ごわごわになっ

ていた。

 

 どこかの家に忍び込んでシャワーを浴びることも考えたが、担当官の村崎がルール説

明の際に「電気・ガス・水道は止まっているからね」と言っていたのを思い出し、住宅地に

向かうのを思いとどめた。

 どうにかして血まみれの身体を洗いたかったのだが、水道が止められていることから

民家や公園の水道から水を得るのはとても難しいだろう。クラスメイト全員に支給された

地図にはこの島に池があることを示していたが、汚れた水で髪や身体を洗うのには少し

ばかり抵抗があった。こんな時に何を贅沢な、と思われるかもしれないが、どんな状況下

であろうと嫌なものは嫌なのだ。

 

「う〜っ、なんかガサガサするー」

 ふてくされた声を上げるつぐみ。デイパックの中に入っている水を浴びたい衝動に駈ら

れるが、そんな事をしたら貴重な飲み水が台無しになってしまうので我慢している。

 せめて雨が降ってくれればまだマシなのだが、最近の新潟県は全般的に晴れ間が広

がっている。入梅も来月だし、突然雨が降るというのは期待できなかった。

 

 ――悠介くんは、今どうしているかな。

 つぐみは不快感を紛らわせるため、クラスで一番仲のよい少年に思いを馳せた。

 浮かんでくるのは悠介のぶすっとした顔。クラスのみんなは怖いと言っているが、つぐ

みはその顔がふてくされた子供のようで可愛いと思っている。

 

 二年生の春に悠介と出会ってから、つぐみは多くの時間を彼と共に過ごした。体育祭の

練習をサボっていた悠介を半ば強引に引っ張り出したり、テストが近くなると彼が苦手な

教科を自分が教えてあげたり、調理実習の時間に包丁で切った傷を治療してあげたり。

 悠介はそのたびに「頼んでもないのに余計なことするな」と言ってきたが、つぐみが

「別にいいじゃない。友達なんだからこれぐらいするのは当然よ」と言ってやるとそれ以上

何も言ってこなかった。

 

 学校生活だけでなく、休日に一緒に遊んだこともある。映画を見に行ったり(これもつぐ

みが半ば強引に連れて行ったのだが)、買い物がてら新潟市を歩き回ったり。

 苦笑してしまった。恐怖や不快感をを紛らわせるためにできるだけ楽しいことを思い出

そうとしたのに、浮かんでくるのは悠介との思い出ばかりではないか。

 

 ……何となく自覚はしていたけどね。

 自分の中で生まれた気持ち。それがなんなのか、つぐみはおぼろげながら理解してい

た。

 言ってしまいたかった。自分の気持ちを、全てあの人に打ち明けてしまいたかった。

 あの人とそういう関係になれたらどんなに幸せなことだろう。布団の中でその様子を想

像し、恥ずかしながらドキドキしてしまったこともある。

 つぐみは、その想いを伝えられずに今日まで生きてきた。自分の想いを告げてしまった

ら、今までの関係が崩れてしまいそうだったから。

 

 機械的な動きで歩いてきたつぐみは、いくつかの人工的な物体が視界の隅に入ってい

ることに気が付いた。目を凝らして良く見てみると、それはどうやら公園らしかった。

 その公園を訪れたつぐみは、デイパックと私物が入った荷物を地面に置いてベンチに

腰掛けた。何気なく夜空を見上げ、暗黒のカーテンに浮かび上がる月や星たちを見つ

める。

 つぐみの悩みを嘲笑っているかのように、空はどこまでも広く美しかった。

 

「……会いたいな」

 ぽつりと、虚空に向けて呟く。

 プログラムをやっている以上はいつか死ぬことになる。それがいつかは分からないけ

れど、最後の一人になるまで戦わないというルールの特性上、それはほぼ間違いのな

いことだった。

 命懸けで自分を逃がしてくれた村上沙耶華も、その沙耶華を撃ってきた後藤拓磨も、

自分の眼前で命を散らしていった望月晴信も、自分と同じ運動部グループだった大野高

嶺も、自分の意思とは関係なく命を落としていった。

 誰も、死にたくて死んでいったわけではない。運命の波に呑み込まれてしまった結果だ。

抗う術の無い、自分たちの力ではどうすることもできない波に。

 そして自分も、その波の渦中にいる。いつ死んでしまうか分からない世界で、自分はま

だ生きている。

 

 静かだった。どこかで友人が死んでいるかもしれないとは思えないほど、静かで平穏な

空間。

 悠介も、この島のどこかで同じ時を過ごしているだろうか。

 彼のことだから、きっとこのゲームに乗っているのだろう。確証はなかったけれど、つぐ

みは何となくそう思った。どこかに隠れているよりも、その手を血で汚しているほうが彼ら

しいと思ったからかもしれない。

 答えを聞くのが怖かった。今が壊れてしまうのが嫌だった。

 でもそれは、未来から逃げていただけなもかもしれない。先の見えない道を進むのが

不安で、足を踏み出すのをためらっていた。

 

 それではダメなんだと気づいた。いつ死んでしまうか分からない今だからこそ、後悔の

ないように生きていかなくてはいかないんだ。

 想いが伝わらなかったとしても、何も言わずに死んでしまうよりはずっといい。

 私は――悠介くんに会いたい。

 そのためだったら、どんなつらいことでも乗り越えてみせる。

 そう決心して、前を向いた時だった。

 ばちっ、という音と共に、痺れるような痛みがつぐみの身体を駆け巡った。

「……っ!」

 声にならない悲鳴を上げ、つぐみはそのまま地面に崩れ落ちた。

 

【残り29人】

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