中盤戦:26





 山田太郎は退屈というものが嫌いだった。

 待つということや我慢という行為自体が好きでないのもあるが、退屈で何もする事がない

とどうしても昔の事を思い出してしまうからだ。

 

 太郎は八歳の時、実の両親を亡くしている。

 飲酒運転が原因の事故死という、特に珍しくない死亡原因だった。

 その後、引き取り手のいなかった太郎は地元の孤児院に送られた。ひとりっ子の上両親

を失い、孤独な身となった太郎だが、彼はそのことを悲しんだりしなかった。

 太郎の父親は短気で酒癖が悪く、何かあるとすぐに母親か太郎を殴りつけていた。ひど

いときは灰皿でなぐられたり、うるさいからという理由でベランダに放り出されそこで一晩を

過ごした事もあった。

 

 何度も何度も助けを求めたが、太郎の母親はそれに応えようとしなかった。ただ部屋の隅

で体を丸め、人形のような生気のない瞳でじっと自分のことを見つめていた。父親に殴られ

ている自分を観察するように、ただ黙って見ているだけだった。

 そんな両親が死んで太郎はせいせいしたぐらいだ。少なくともこれで暴力に怯える必要は

ない。痛みに耐える日々を送らなくてもいいのだと心から安堵した。

 

 施設に入ってすぐ、太郎は養子を探しに来ていた大企業の社長の目に留まり、彼の正式

な養子として迎え入れられた。

 そこでの生活は、今まで太郎が過ごしてきた環境とは百八十度違うものだった。

 自分だけの広い部屋。たくさんの玩具。綺麗な服。おいしい食べ物。そして何よりも嬉しか

ったのは、自分に優しくしてくれる養父と養母の存在だった。

 

 世界はつまらないと思っていた。自分は永遠に幸せになれず、幸せという概念からもっと

も遠い場所に位置する人間だと思っていた。

 過酷な生活を送っていく中、いつしか太郎にはそんな考えが刻み込まれていた。

 

 それを一変させたのが山田家での生活だった。

 「あれが欲しい」と言えば欲しい物がすぐに手に入る。今まで行った事のなかった遊園地

や水族館にも行ける。父さんも母さんも、自分に優しくしてくれる。

 ああ、そうか。そうだったんだ。

 この世界はつまらなくなんかない。俺が今まで、『楽しい』ことを知らなかっただけなんだ。

 この世界は楽しいことで溢れている。何でもっと早く、それに気づかなかったんだろうか。

 

 厳しい幼少時代を送ってきた反動からか、それからの太郎は自分の思うがままに生きて

きた。欲しい物は親に言えば簡単に手に入る。つまらないことを避け、自分が興味のある

事、楽しそうな事を率先的にやってきた。

 

 俺はもう、あんな苦しみを味わいたくない。

 今までが辛かった分、これからの人生は楽しく、幸せに生きてやる。

 

 そして現在。

 甘やかされて育ってきた太郎は、我慢するという事を知らない自分勝手な性格になってい

た。辛い仕事を他人に押し付け自分は楽をするという太郎のスタンスが、クラスメイトから

良い目で見られるわけがない。

 だが、太郎はそのことを気にしていなかった。

 他人が自分をどう評価しようが関係ない。自分が幸せで楽しい思いができればそれでい

い。人間なんていうものは結局、自分本位な生き物じゃないか。

 最終的に幸せになるのは、自分だけで良いのだから。

 

「…………くっ」

 太郎のこめかみに、ズキンと痛みが走る。幼い頃、父親に灰皿で殴打された場所。傷は

完治したはずなのに、昔の記憶を思い出すと痛み出す時がたまにあるのだ。

 ー―ちくしょう。何だってんだ。

 それまで余裕を保っていた太郎だが、ここに来て始めて動揺の色を浮かべていた。

 ――なんで、あいつと同じ眼をしているんだよ!

 

 太郎の脳裏に、父親から暴行を受けている自分を黙って見ている母親の顔が過ぎった。

 殴られ、泣き叫んでいる自分の息子を前にしても、彼女は助けるどころか口も開こうとせ

ず、その様子をじっと見ているだけだった。人間が害虫を駆除している時に見せるような、

思い出すだけでも気分が悪くなるあの瞳。

 それと同じ種類の眼を、黒崎刹那という少女は持っていた。

 およそ中学生離れしている美貌を持っているのにも関わらず、刹那の瞳は光をいっさい

反射させない闇に満ちていた。サブマシンガンを持った自分を前にしても、その表情には

まったく変化が無い。

 

 忌まわしい記憶を無理矢理頭の中から追い出し、太郎は先程手に入れたばかりのH&K

USPの銃口を刹那の眉間に向けた。

「これまた意外な奴が出てきたもんだ。――で、俺になんか用かい? まあ用があってもな

くてもお前の人生ここで終了速攻でエンディングに突入だけどな」

 表面的には余裕があるように見える太郎だが、その内面では平静を保とうと必死だった。

自分の心を見透かしているかのような刹那の眼を見ているだけで、気が気でないからだ。

「そうだね……用といえば用、かな」

 ここに来て刹那が初めて口を開いた。静かで、それでいてよく通る声だった。

「ほー。冗談で言ったつもりだったけど本当に用があったとはな。ちょっとばかり興味が湧い

てきたぜ。よし、その用件とやらを言ってみな」

 

 そう言った太郎だったが、刹那の用件を聞き入れるつもりは最初からなかった。どんな用

があるのか知らないが、こんな得体の知れない奴の申し出を聞いたところで何の得にもな

らない。

 聞くだけ聞いたら、さっさと殺してしまおう。太郎はその時の光景を思い浮かべ、わずかに

口元を緩めた。

 だがその笑いも、すぐに消えることになる。

 刹那が発した言葉は、太郎にとってそれほど意外なものだったからだ。

「私と組まないかい?」

 

 思いもかけなかった言葉に、太郎の思考が一瞬停止する。

「組むって……そりゃあ、つまり――」

「二人一緒に行動するということだよ」

 太郎にしてははっきりしていない、歯切れの悪い言い方だった。

 その動揺につけこむように、刹那が言葉を紡ぎだす。

「冷静になって考えてごらん。このゲームは単独で行動するよりも複数で行動した方が有利

だ。敵に襲われた時も的確に対処できるし、疲労が蓄積してきたら体を休めることもできる。

精神的にも肉体的にも余裕ができる。他の皆よりも有利にプログラムを進められると思うけ

どね」

 

 それは確かに刹那の言うとおりだった。ひとりで行動しているよりも誰かが隣にいてくれた

ほうが遙かに有利だし、頭の良い刹那が仲間になってくれれば何かと便利だ。

 豊富な武器を持ってこそいるものの、太郎も他のクラスメイトに違わず普通の中学三年生

である。一日中殺し合いをしていればさすがに疲れも溜まってくる。眠気も増してくる。そんな

時に仲間がいてくれたら、その人物に見張りを任せて自分は休息をとることができる。ひとり

で好き放題にやっていくのもいいが、プログラムが進むにつれて次第に過酷になっていくだ

ろう。

 

 そう考えると刹那の申し出は願ってもいないことだが、簡単に信用してもいいのだろうか。

 仲間が増えるという事は、裏切られる可能性がそれだけ増えていくということでもある。も

し刹那が裏切って、自分を襲ってきたとしたら?

「いきなり出てきたお前を信用しろってのかよ。そりゃーちと無理があるんじゃねえの?」

「無理にとは言わないわ。これは強制じゃないから。そこを良く考えて結論を出してほしい」

「…………」

 何とか刹那の意図が読めないものかと太郎は考えていたが、機械のように抑揚が無い声

と人形のように変化が無い顔を持つ刹那の前では無意味な試みだった。

 

「解せねえな。俺はともかく、お前が仲間を必要とする理由は何だ? 俺なんかよりも会長と

かの方が適任じゃねえか」

「いや、君でなければダメなんだ。私が必要としているのはこのゲームに乗っていて、なおか

つ強力な武器を持っている人物なんだよ。現時点では、君がその条件に最も適している」

 太郎の顔が少し曇る。これは、刹那の本心なのだろうか?

「私は出来るだけ早くプログラムを終わらせたいと考えている。そして君はプログラムに乗っ

ている。お互いの目的は同じようなものだ。協力してくれないかい?」

 プログラムを早く終了させたいと思っているのに自分の手でそれをやらないということは、

彼女に支給された武器は恐らく戦いに適していないもの――つまりはハズレの部類に入る

武器だろう。それならば、刹那に武器を与えない限り寝首をかかれる事はないというわけだ。

 少しの沈黙を経て、太郎が口を開いた。

 

「――いいぜ。やってやるよ。お前と手を組んでやる」

「そう。ありがとう」

 刹那はぺこりと頭を下げる。

「一応言っておくが、裏切ろうなんて考えねえことだな。少しでもそういう素振りを見せたら速

攻棺桶行きだ。覚えておけ」

「……肝に銘じておくよ」

 

 

 

 何で、刹那が?

 草むらに隠れ墓地から去っていく二人の背中を見ながら、吉川秋紀(男子19番)は小さく

呟いた。

 山田太郎の後を追けてきた秋紀は、この墓地で起きた出来事を全て見ていた。

 太郎が大声でジェノレンジャーのオープニングテーマを歌い、それにつられるようにして吉

田葵、今井俊介、鈴木透の三人がやってきた。何か話をしていたようだったが、彼らは太郎

の毒ガス弾の前に呆気なく命を落とした。

 太郎がガスマスクを付けた時はさすがに焦った。毒ガスという武器の性質上、こちらにも

被害が及ぶかもしれないからだ。そうなったらガスマスクを付けていない自分はあっという間

にお陀仏である。

 

 目の前でクラスメイトが死んでいく光景も衝撃的だったが、この程度でへこたれていてはプ

ログラムはつとまらない。恐らくこの先、もっと多くの死体を目にしていくことになるだろう。

 それに、だ。

 自分の手で殺すよりも、殺される現場を見るだけのほうが何倍もマシだった。

 

 刹那の奴……山田と組んだのか?

 

 ある程度の距離を保っていた秋紀は、先程の会話全てを聞き取れたわけではない。ただ、

刹那が太郎に対して同行を持ちかけ、太郎がそれを受け入れたという事だけは分かった。

 日常を刹那と同じグループで過ごしていた秋紀も、刹那の思考パターンを完全には把握し

きっていない。なまじ頭が良い分、自分などには及びも付かない行動をとることもある。

 まさに今回がそれだ。あの刹那が、まさか山田太郎と手を組むとは思わなかった。

 それに太郎と手を組んだという事は、彼女もまたやる気であるということの証明にもなる。

 ――何だか変な展開になっちまったが、まあいいや。俺は最後の二人になるまで尾行を続

けてりゃいいんだからな。

 いつ毒ガス弾が発射されても良いように尾行の間隔を長くとって、秋紀は尾行を再開した。

 

 山田太郎と黒崎刹那。

 二人のこのやり取りが多くの生徒にとってプログラムのターニングポイントとなるのだが、そ

れを知る者は誰もいない。

 運命の歯車はゆっくりと、しかし確実に動き始めていた。

 

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