中盤戦:19





 時刻は午後六時になろうとしていた。プログラム開始からおよそ六時間が経過し、沙更島に

も夜が訪れようとしている。

 その沙更島の北部に広がる森林地帯。島の面積の約三分の一を占め、夜になれば不気味

な静けさと暗闇が支配する場所へ変貌する。

 閑静な住宅街とはまるで正反対の場所だが、この森の中にも人の手によって作られた施設

が存在していた。

 

 木製の小さな神社の中、霧生玲子(女子6番)は小柄な体を丸め顔を両膝の中へ埋めてい

た。泣き腫らした目は赤くなっており、感情を素直に表現する顔にも強い恐怖の色が見える。

「嫌……死にたくない、死にたくない……」

 玲子の目から涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。泣き尽くしてとうに枯れ果てたと思っていた涙は

頬を伝い、スカートに小さな染みを作った。

 プログラム開始から今まで、玲子はずっとこの神社の中に身を潜めていた。鍵はちゃんと閉

めていたのでいきなり襲われるという事はなかったが、入り口が正面の扉一つしかないため誰

かに気づかれたら逃げ道がない。それでもこの四時間で誰も来なかったのだから、自分は運

の良い方なのだろう。

 自分のすぐ後に出発する黒崎刹那(女子7番)を待ち合流する事もできたが、その時の玲子

にそんな余裕があるはずもなかった。あの時はただ、早く安全な場所に隠れたいという一心で、

仲の良い誰かと合流するなんて考えは二の次だった。

 

 ああ……私って馬鹿だ。もう、どうしようもない馬鹿だ。

 

 玲子は思っていた。何であの時、黒崎刹那を待っていてあげられなかったのだろうか。少しの

間我慢すれば、今頃刹那と一緒にいれたかもしれないのに。

 玲子と刹那は出席番号で一つしかずれていない。後藤拓磨(男子7番)をやり過ごせば刹那

との合流は容易かったのに、玲子は待っていることができなかった。

 教室の中で二ノ宮譲二(男子12番)が殺害される場面を見たことも尾を引いていたし、日頃

から本ばかり読んでいる自分が格好の得物だという事を自覚していた。やる気になった人がま

ず狙うとすれば、それは自分のような抵抗されても楽に勝てそうな相手である。殺し合いという

ルール上、自分より弱い相手を狙っていくのは当然のことだった。

 だから玲子は逃げた。誰かに襲われる前に、誰かに見つかる前に安全な場所に身を隠して

しまおうと思った。

 

 今思えば、あの時の自分は刹那でさえ疑っていたかもしれない。絶大な信頼を誇る雪姫つぐ

み(女子17番)が「玲子、もう大丈夫よ。みんなやる気なんてないわ。だからこっちに来て」なん

て言ってきても、聞く耳を貸さずに逃げ出していただろう。

 

 自分の行動を悔やむ中、玲子は考えていた。

 あの時は合流できなかったけど、なんとかして刹那に会えないだろうか。凄く頭の良い彼女の

事だから、今頃ここから脱出する方法を考えているかもしれない。

 それに、このクラスには他に頼りになる人や信頼できる人がたくさんいる。

 

 例えば高橋浩介(男子10番)。家が近く、玲子とは昔からの付き合いだ。明るく親しみやすい

性格で、自然と周りの雰囲気を和らげるような人物である。彼の事をよく知っている玲子は、浩

介が殺し合いに乗るような奴でないと確信していた。

 会長はクラスの人ほとんどと仲が良いし、どんな絶望的な状況でも彼女ならばなんとかしてく

れるような気がする。

 中村和樹(男子11番)は他人を気遣える兄貴肌の人物だ。よくクラスメイトの相談に乗ってい

た。正義感が強く、一緒にいたらとても頼もしい存在になるだろう。

 

 よく考えてみれば、このクラスで積極的に人を殺そうと思っている生徒なんてほとんどいない

んじゃないだろうか。向こう側から襲ってきて、それでやむなく殺害してしまったという例を除け

ばやる気になっている生徒なんて二人か三人、多く見積もっても五人程度だろう。今まで平和に

過ごしてきた普通の中学生がそう簡単に人を殺せるわけがないし、やる気になっている人たち

だって好き好んで殺人に及んでいるわけではないのだ。プログラムという逃げ場のない状況に

放り込まれ、死にたくないという想いから他人を犠牲にする方法を選んだに過ぎないのだろう。

 ということは――やる気になってしまった生徒も、こちらの接し方次第で仲間になってくれるとい

うことか。

 

 ただそれが分かっていても、いざ実行に移すとなると難しいものがある。自分を殺すかもしれ

ない相手の前に自ら出て行くのだから、説得に失敗した場合は当然自分が死ぬ事になる。

 そこまでのリスクを冒して仲間を作る価値があるのかと聞かれたら、多分自分は言葉に詰まっ

てうまく答えられないだろう。でも誰かを疑ったまま死ぬよりは信じたまま死んでいくほうがいい

と思う。誰かを信じられなくなったら、それこそ政府の思う壺なのだから。

 

 玲子は修学旅行用に持ってきた自分の鞄を開き、中から古びた一冊の本を取り出した。小学

六年生の時の誕生日、彼が自分にプレゼントしてくれたものだ。

 その本を胸の前で、繊細なガラス細工を扱うかのように優しく抱き締める。夜だというのにわざ

わざ家まで訪ねて渡してくれたのもそうだけど、彼が自分の誕生日を祝福してくれたという事が

なによりも嬉しかった。この先に待つ人生でも、これ以上の宝物に出会うことはまず無いのでは

ないだろうか。

 この本は特別高価なものではないし、世界に数冊しかない貴重品という訳でもない。だけどそ

んな事は気にならなかった。彼が自分に送ってくれたという事が大切なのだから。

 

 彼の事を『好きだ』と自覚したのはいつのことだろうか。つい最近のようにも、とても昔のように

も思える。「どこを好きになったの?」と聞かれると、これもまたうまく答えられないかもしれない。

 それでも玲子は、吉川秋紀(男子19番)が好きだった。

 彼は今頃どうしているだろう。自分のようにどこかに隠れているのだろうか。もしかして、プログ

ラムに乗ってしまったのだろうか。それとも、既に誰かに――。

 

 ――何馬鹿なこと考えているのよ。あいつに限って、そんなこと――。

 

 首を強く振ってその可能性を頭から打ち払う。秋紀は自分と違って引き際というものを心得て

いるし、色んな分野の本を読んでいるからそう簡単に死ぬわけがない。

 そんなことを考えているうちに、どこからか歌謡曲のような音楽が流れてきた。何事だろうと思

い外の様子を確認しようとしたが、思い当たる節があって携帯電話を取り出した。

 携帯の電子文字は、午後六時ちょうどを表示していた。

 

『あーあー、聞こえているかい? 担当官の村崎だ。最初に説明したとおり、午後六時になった

から定時放送を行うよ。禁止エリアとか記入漏れがないように、よーく聞いておくんだね』

 声の質から推測するに、スピーカーか何かの機械を通して放送しているようだ。建造物の中に

いてもはっきりと聞こえるところから、島中いたる所に放送器具が設置されているのだろう。

 玲子は急いでデイパックから地図とクラス名簿を取り出し、聞こえてくる放送に耳を傾ける。

『まずは死亡者から。順番は死んだ順だよ。男子12番、二ノ宮譲二。男子7番、後藤拓磨。

女子16番、村上沙耶華。男子16番、望月晴信。男子14番、前田晶。女子4番、大野高嶺。

以上六名、自殺は無し』

 

 玲子は名前を呼ばれたクラスメイトの数を聞き愕然となった。プログラム開始から六時間程度

なのに、もう六人も死者が出ているということになる。自殺がいないということは、生き残っている

誰かが殺したということだ。

 にわかには信じられなかったが、これは紛れも無い現実だ。その証拠に今まで何回も銃声が

聞こえている。殺し合いは既に始まっている。

『次に禁止エリアの発表だよ。午後七時からB−3、九時からH−4、十一時からE−1。』

 発表された禁止エリアは、当座玲子がいる場所とは関係なかった。

『まあまあのペースじゃないかね。これから夜になるけどこの調子で頑張っとくれ。次の放送は

午前零時だ。聞き逃さないようにするんだよ』

 ブツッ、という音がして、村崎の放送はそこで終わった。

 

 ――良かった。浩介も刹那も秋紀も、誰も死んでいなかった。

 安堵の溜息を漏らし、しばらくしてから玲子は気づく。

 今、何て考えていたの? 友達が死んだっていうのに、ほっとしてしまうなんて――。

 自分の考えとは思えない恐ろしい思考に、玲子は身を震わせる。秋紀たちには死んでほしくな

いけど、だからといって他の人が死んでいいのとは違う。

「最低だ、私……」

 それなのに自分は、秋紀たちの名前が呼ばれなかったことに安心してしまった。無意識のうち

にしてまった事とはいえ、自分がどうしようもなく汚い存在に思えてきた。

 

【残り32人】

戻る  トップ  進む

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送