中盤戦:18





 夕暮れの住宅地を歩きながら、大野高嶺(女子4番)はきょろきょろと辺りを見回していた。

 周りには大小様々な家屋が連立している。近代的な造りの住宅もあれば昔ながらの構造を

した住宅もあり、病院や公民館といった公共施設も遠くに見てとれる。近代化が進行している

島の典型的な図だった。

 遥か彼方から降り注ぐ夕日を背に、高嶺は今日何度目か分からない溜息をついた。

 なんで。どうして。本当なら今頃は東京に着いていて、予定されたコースを回り終え夕食を

とるためにホテルへ向かっているはずだった。豪華なバイキング料理を食べた後は夜の予定

を済ませ、部屋に戻って長月美智子(女子12番)村上沙耶華(女子16番)といった仲の良

い友達とお菓子を食べながら、将来の事とか好きな人の事とかについて語り合う。

 楽しい修学旅行になるはずだったのに。ずっと楽しみにしていたのに。

 なのに、何でこんな事になったんだろう。

 

 高嶺は指先で目の端を拭った。いくら考えようと答えの出ない問題だ。返ってくるのは答え

ではなく感傷。無駄な事だと分かっているのだが、本能が無意識のうちにその思考を巡らせ

てしまう。

 高嶺は陸上部に所属しているごく普通の女子中学生だった。800Mでは県内でトップクラス

の実力を持っており、いろいろな高校から推薦の話が出ている。明るく人当たりのいい性格と

中性的な顔立ち、さらにはすらっとした長身ということもあり、男子女子問わずに人気があった。

 中学3年生が対象となるプログラム。全国の学生は、『もし自分が選ばれたらどうするのか』

というようなことを一度は考えた事があるだろう。そしてそれは、彼女も例外ではなかった。

 3年生になったばかりの時、同じ運動部系で仲の良い木村綾香(女子5番)雪姫つぐみ(女

子17番)と話をした事がある。

 

「ねえ、もしうちらのクラスがプログラムに選ばれたらどうする?」

「おや。3年になって早々に縁起の悪い話を持ち出しますか」

「つぐみの言う通りよ綾香。縁起でもない」

「そう気を悪くしないでよ。もしもって話だからさ」

「もしも、ねえ……その時になってみないと分からないけど、私は殺し合いなんてしないと思う。

っていうか、したくない。綾香は?」

「私はどうかなー。人殺しなんてしたくないけど、襲われたりしたら身を身を守るためにやっちゃ

うかも」

「まあ、誰だって死にたくないしね」

「――で、肝心の会長サマはどうなの?」

「んー……私はたぶん、殺し合いに乗るってると思う」

「うわ、マジ?」

「だってそうじゃない。生きるか死ぬかの瀬戸際で自分が死ぬくらいだったら、他の誰かを殺して

生き残ろうとするんじゃないかな」

「…………」

「ヤダなー。たぶんよ、たぶん。高嶺の言うとおり実際にやってみないと分かんないじゃない、

そんなの」

 

 あの時は本当にプログラムに選ばれるとは思わず、ただの他愛のない笑い話として済ませて

いた。しかし今は、そのプログラムの中にいる。既に殺し合いは始まっている。皮肉な事に、綾

香の言っていた『もしも』は現実になってしまったのだ。

 あの時、つぐみは言った。

『私はたぶん、殺し合いに乗っていると思う』

 軽い気持ちで、本当に何気なく言った一言。それは高嶺の猜疑心を増幅させ、彼女を疑心暗

鬼に陥らせていた。

 もしかしたら、つぐみはゲームに乗っているのではないか。仲間になるフリをして私たちに近づ

いて、そして――。

 

 当初はそんな考えを巡らせていた高嶺だが、しばらく時間が経つうちにそんな事は有り得ない

のではないか、と思うようになってきた。

 自分が知る限り、つぐみはちゃんと相手の事も考えて行動できる人物である。誰かを傷つけ

たり騙したりするなど考えられない。一種のカリスマ性のようなものを持つ彼女だからこそ、多く

の生徒に支持されて名生徒会長と謳われているのである。つぐみとは中学に入ってからの付き

合いであるが、彼女が積極的に殺し合いに参加するような人間でないことは高嶺も充分理解し

ていた。

 

 それからの高嶺は、つぐみを見つけるために危険に満ちた島の中をひとりで歩きまわってい

た。彼女の支給武器はパン切り包丁という役に立つんだか立たないんだかよく分からないもの

で、誰かに襲われたら自分が不利なのは目に見えていた。

 それでも高嶺がつぐみを見つけようとしているのは、つぐみなら何とかしてくれる。つぐみがい

ればこの状況も怖くないという信頼感からだった。

 そんな高嶺の淡い希望は、数時間前に脆くも崩れ去った。

 見てしまったのだ。彼女――雪姫つぐみが、二つの死体の横で呆然と佇んでいるのを。日頃

から「その色綺麗よね。羨ましい」とつぐみに言っていたモカベージュの髪には返り血が付着し、

凄惨なまだら模様を作り上げている。ブレザーやスカートにも大量の血が飛び散っており、遠目

に見たら赤い斑点がついた服を着ているように思える。

 その手には、血に濡れたアーミーナイフが握られていた。

 

 それは高嶺が信じてきた全てを崩壊させる光景だった。返り血を浴びたつぐみ。手に握られた

ナイフ。側で横たわる死体。日常の中で言った、プログラムに乗るかもしれないという発言。

 全てのピースが、最悪の形で一つにまとまった。

 浮き上がったものはつぐみがゲームに乗っているという、果てしない絶望。自分の中で、大事

な何かが砂塵に帰していく気がした。

 

 それからの事はあまりよく覚えていない。どこをどう移動したか分からないが、気がついた時

にはこの住宅地にいた。気を抜けば全身に広まりそうな震えを必死に抑え、どこかに身を隠そ

うと手頃な民家を選んでいるところだった。

 早く、どこかで休みたい。安心できる所で身を落ち着けたい。

 プログラムに選ばれた事はもちろん、絶対的な信頼を寄せていたつぐみの殺害現場を見たこ

とにより高嶺の精神は極度に憔悴していた。もうすぐ最初の放送が始まる。それまでにどこか、

人の訪れそうにない場所に身を隠したいのだが、家がたくさんありすぎてどこに忍び込めばいい

のか目移りしてしまう。

 

 最終的にはどこの家も同じと考え、近くにあった民家のガラスを割って中に入った。この島の

集落は結構大きく、民家の数も相当なものである。たまたま入った家で誰かに出会う可能性な

ど少ないだろう。

 もし誰かがいたとしても、こちらから仕掛けない限り話し合いで解決できるだろうと考えていた。

望んで殺し合いに参加しているわけではないし、怖い気持ちは向こうも同じはずである。このク

ラスにはそんなに悪い人がいないから、積極的にやる気になっている生徒は少ないはずだ。

 ただ――絶対に会いたくないという生徒がひとりだけいた。

 それは浅川悠介(男子1番)である。

 

 頭脳、運動共に優秀な成績を収める生徒がほとんどの舞原中学校において、浅川悠介は不

良という非常に稀有な存在だった。実際、舞原中学校で過ごした3年間の中で不良というカテゴ

リーに当てはまる生徒は悠介ひとりしか見たことがなかった。

 高嶺自身は確認した事が無いので分からないが、噂によるとケンカからカツアゲまで何でもや

っているらしい。整った顔立ちをしているのに、人は見かけによらないものだ。

 窓ガラスを割って忍び込んだ高嶺がまず見たものは、荘厳な雰囲気を放つ仏壇だった。部屋

の中には年代物とおぼしきタンスに、積み重ねられた座布団が置かれている。どうやらここは

和室らしい。

 

 ここでじっとしていても始まらない。とりあえず、家の中を見て歩いて部屋の構造などを確認し

なければ。そして鍵のかかる部屋を見つけたら、そこでゆっくりと休もう。今日はいろいろな事が

起こりすぎた。

 早く休みたいという気持ちを抑えながら、高嶺は引き戸を引いて廊下に出た。左手側には階段

と廊下が、右手側には玄関、正面にはどこかの部屋に通じているであろう扉がある。

 玄関がちゃんと施錠されているか確認し、高嶺は正面の扉に手をかけた。開けてまず目につ

いたのは、紺色のL字型ソファだった。他にも大型テレビやビデオデッキ、衣服が入ったままの

洗濯カゴが置いてある。ここはどうやら居間になっているらしい。

 部屋の中をぐるりと見渡して誰もいないことを確認すると、高嶺はほっと胸を撫で下ろして部屋

の中に足を踏み入れた。

 

 このとき、高嶺はまだ気づいていなかった。

 この部屋に自分以外の『誰か』がいることを。

 その『誰か』が、明確な殺意を持っていることを。

 その正体が、彼女が最も会いたくない人物だということを。

 それに気づいたとき――全ては手遅れだった。

 

 ボーリングの玉を思い切りぶつけられたような、そんな凄まじい衝撃が高嶺の左肩に伝わった。

それと同時に『パン』というテレビや映画で何度も聞いた音がしたが、その音の正体が何なのか

すぐには理解できなかった。

「あっ……!」

 低い呻き声を漏らし、高嶺は尻もちをつくような感じで床の上に倒れた。

 撃たれた! 何で? 部屋には誰もいなかったはずなのに!

 今まで味わったことのない激痛が左肩に走る。流れ出た血が制服に広がり、腕を伝ってフロー

リングの床にぽたぽたと落ちていった。

 傷口を押さえながら前を見て、高嶺は「ひっ」と短い悲鳴を上げた。

 このプログラムでの要注意人物、浅川悠介が黒い自動拳銃を構えて立っていた。

 ああ、やっぱりこの人やる気なんだ。

 こんな状況だというのに、高嶺はそんなことを思っていた。それにしてもたまたま入った家でこい

つに出会うなんて――どうやら自分は運命の神様とやらに見放されているらしい。

 

「俺の質問に答えろ」

 銃口と視線を真っ直ぐ高嶺に合わせたまま、悠介は静かな声で喋りだす。

「ここに来るまで誰かに会ったか? 誰かから聞いたって話でもいいし、誰がどんな武器を持って

いるかでもいい。俺が嘘だと判断したら殺す。逃げようとしても殺す。正直に喋れば、俺はすぐに

ここから出て行ってやる」

 高嶺を見下ろす悠介の目はどこまでも冷たく、嘘の色は見られない。彼は本気で自分を殺そう

としている。狂っているわけでも自暴自棄になっているわけでもない。彼は正気だ。

 質問の内容から察するに、彼はプログラムを優位に進めるため情報を集めているらしい。素直

に話したら見逃してやるという彼の言葉が本当かどうか分からなかったが、高嶺はゲーム開始後

から自分が見たもの、聞いたものを包み隠さず話した。

 

「つぐみが……?」

 話を聞き終えた悠介は、疑念とも驚愕ともつかない複雑な表情を浮かべる。誰もがやる気にな

っていないだろうと思っていた彼女がクラスメイトを殺したのだ。当然の反応かもしれない。

 そういえば、悠介とつぐみは普段からよく話をしていた気がする。友達どころか話し相手すらい

なかった悠介も、彼女の前では気を許していたようだ。その時は「アンバランスな組み合わせだ」

としか思っていなかったが、もしかしたら二人は交友関係にあったのだろうか。

「その話、本当なんだろうな」

「ほ、本当よ。嘘だと思ったら行って見てくればいいじゃない。私もすぐには信じられなかったけど、

つぐみは確かに人を殺していたわ」

 その言葉に、悠介の口がきゅっと引き締まる。その後しばらく部屋の中に静寂が続いたが、悠

介はすぅっと目を細めて高嶺に問いかける。

 

「何で、つぐみを信じなかった?」

「……え?」

「何でつぐみを信じてやれなかったんだよ。声をかけるなりなんなりしてやればよかっただろ」

「なんでって、それは――」

 高嶺の声を遮るように、悠介は声の調子を強くして言葉を浴びせかける。

「友達なんだろ? 俺は友達がいないから友情とかそういうのよく分からないし、こんな事言う権

利は無いかもしれない。だけど、あえて言わせてもらう」

 ナイフのような鋭い目と言葉で、悠介は話を続けた。

「困っている時に助けてやるのが友達ってもんなんじゃないのか? 普段は笑いあって仲良しぶ

っているくせに土壇場で何もしないなんて、そういうの友達って呼べるのかよ。あいつと友達だっ

ていうのなら、何でその時話しかけてやれなかったんだ」

「そ、それは……」

 

 ――何でつぐみを信じなかった?

 ――友達なんだろ?

 ――土壇場で何もしなくて、友達って呼べるのかよ。

 

 悠介の発した声がこだまのように、高嶺の中で響き渡る。心の奥底に巣食っていた罪悪感と絶

望が芽を出し、高嶺の心にその根を広げていった。

「……っ」

 高嶺は反論できないまま唇を噛んで俯いてしまう。

 悠介の言葉が絶対的に正しいというわけではない。だが高嶺は、彼に対して何も言い返すこと

ができなかった。恐怖に打ち負け、つぐみを見捨てて逃げ出した自分が何を言っても薄っぺらい

ものにしかならない。それを心のどこかで自覚していたからだ。

「俺は信じてやれる。お前たちとは――違う」

 一発、二発、三発と、悠介の持つ拳銃が火を噴いた。近距離で放たれた銃弾は的確に高嶺の

胸へと沈んでいく。

 

 私は、つぐみと友達じゃなかったの?

 ずっと仲良くやってきて、お互いに何でも話し合えて――。

 それが嘘だった? 本当の友達じゃなかったっていうの?

 私は友達だと思っていたのに。それなのに違うっていうの?

 分からない。何も分からないよ。

 

 急速に薄れていく意識の中で、高嶺は最後に思った。

 つぐみ――私とあなた、友達よね?

 その答えを知ることができないまま、彼女はこの世に別れを告げた。

 

大野高嶺(女子4番)死亡

【残り32人】

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