序盤戦14





 どこまでもどこまでも広がる、美しい青空。そこに浮かぶ太陽から射し込む陽光が、平等に

沙更島を照らしていた。

 五月の午後に相応しい、眠気を誘う心地の良い天気だった。窓の外に広がるグラウンドを

横目に、昼下がり特有の眠気に耐えながら授業を訊く。君島彰浩(男子6番)前田晶(男子

14番)あたりが居眠りをしていて、斉藤修太郎(男子8番)が落書きに没頭している。

 何の違和感もない、ありふれた日常の光景。

 

 

 そんないつもの光景が、まるで夢のように感じられた。

 

 

 雪姫つぐみ(女子17番)は、島の北東部に広がる森林地帯をやや重い足取りで進んでい

た。地図上の言葉で表せば、ここはB−3エリアにあたる場所だ。もう少し北に進めば断崖

が、東に進めば小さな神社が見えてくる。

 いつも明るく飄々としており、どこか掴み所のない印象の顔にも陰りが見える。率先してクラ

スメイトを引っ張ってきた生徒会長の面影は薄れ、そこにあるのは恐怖に怯える少女の姿だ

った。

 頭に焼き付いて離れないのだ。後藤拓磨の襲撃に遭い、自らの命を投げ打って自分を逃

がしてくれた村上沙耶華の姿が。

 

 

 一年生から同じクラスで、選んだ部活も同じだった沙耶華。バスケの試合で3Pシュートを

うっている時の姿は、同姓の自分でも思わず魅入ってしまうくらい格好が良かった。

 簡単に死んだりしたらしょうちしないという自分の言葉に対し、彼女は「頑張ってみる」と返

してくれた。それはつぐみを心配させないために沙耶華が言った、精一杯の言葉だったのだ

ろう。

 あの時戻っていれば、沙耶華を救うことができたのではないか。今さらこんなことを言った

って後の祭りだし、結果論に過ぎないということはわかっている。

 だがやはり、その思いを拭い去ることができなかった。

 つぐみのデイパックに入っていた武器は、刃渡り十七センチ程のアーミーナイフだった。

あの時デイパックを開けていれば、これを使って沙耶華を助ける事ができたのかもしれない

のに。

 つぐみは自嘲的なため息をこぼした。『あの時こうしていたら』とか、『もしああだったら』とか

言っている自分がどうしようもなく情けなく、愚かに思える。後になって後悔するんだったら、

最初からそれを選んでいればいいのに。それができない自分に対し、つぐみは強い嫌悪感

を抱いていた。

 

 

 磯の香りが強くなり、眼前に海が広がった。泳いで逃げようとする生徒を射殺するための

巡視船が沖合いに見える。瀬戸内海などに比べて見れる漁船の数が少ない日本海だが、

近くに島があるのだから漁船の一隻ぐらい浮かんでいてもおかしくはない。それが見えないと

なると、政府が航行制限でもしているのだろうか。

 この分だと、港に停泊させてある船を奪って脱出という方法もあきらめたほうがよさそうだ。

政府の連中が脱走に使える船を残しておくなんてヘマをするはずがないし、そんな事をしても

この首輪がある限り奴らの手の内からは逃れられない。

 打ち寄せては返す波の音がつぐみの鼓膜を揺るがせ、緩やかな潮風によりモカベージュ色

の髪がふわっと翻る。

 これから先、自分はどうすればいいのだろうか。

 死にたくないという気持ちの方が圧倒的に強いが、二年もしくは三年間机を並べてきたクラ

スメイトを殺してまで生き残る価値が自分にあるのだろうか? 他人の犠牲の上に成り立つ

ほど、自分は偉くもないし世界にとって必要な人間でもない。

 それに――つぐみにはどうしてもやっておきたい事があった。本当はもう少ししてから実行

に移すつもりだったが、プログラムに選ばれた以上自分はいつか死ぬかもしれない。だから

死ぬ前に、以前から決意していたアレだけはやっておきたかった。

 生き抜くためには、他者を殺さなければいけない。あまり認めなくはないが、確かにその通

りだった。現に誰かを殺さなければここから生きて帰れないし、武器を手にしないものは拓磨

のようなやる気になった生徒に殺されるのがオチだ。

 

 

「会長?」

 誰かに声をかけられ、つぐみの心臓がドクンと高鳴った。反射的にナイフを上げたが、視線

の先にいる生徒の姿を見てほっと息をついた。

「望月くんじゃない」

 目の前に広がる断崖絶壁。そのふちに佇んでいるのは望月晴信(男子16番)だった。生ま

つき病弱でほっそりとした身体に、弱々しそうな雰囲気。その両目は教室で泣きはらしたため

か、赤く充血していた。

「そんなボケーっと立っていたら危ないわよ。崖から落っこちちゃったら死んじゃうかも」

「…………」

 返事はなかった。それどころか、つぐみと目を合わせようともしない。元々良くなかった顔色

は蒼白になっており、虚ろな瞳はじっと崖の方を見つめている。小柄な体は一回りも二回りも

小さく見えた。

「望月くん」

 もう一度呼びかけ、敵意がないことを示すためにナイフを鞘に収める。歩み寄ろうと一歩を

踏み出した瞬間、晴信が無気力な声を発した。

「近寄らないで」

 つぐみの足がぴたりと止まる。

「僕が何をしようと会長には関係ないじゃないか。だから、僕には関わらないで」

 晴信の顔には生気というものが感じられなかった。幽鬼のようなその形相は、見るものに

怖気すら感じさせる。

 つぐみは晴信に悟られないよう、彼の顔を窺う。大切なものを失った瞳からは輝きが消え、

虚ろな眼差しは行き場所を探し虚空を彷徨う。魂が抜けて抜け殻のようになった晴信の意図

するところを、つぐみは明確に察知した。

「自殺……するつもりなのね」

 

 

「…………」

 晴信は語らなかったが、その態度が全てを表していた。心に刻まれた深い傷跡は、表面的

な部分にまで影響を及ぼしていた。

「黙っていたら何も――」

「そうだよ、会長の言う通りさ。僕はここで死ぬ。生きていたって仕方がないんだ」

 つぐみの言葉を遮り、自嘲的な表情で吐き捨てる。

「僕はあの時、譲二を助けられなかった。何もしてあげられなかった! 小さい頃からずっと

一緒にいたのに……何度も何度も助けてもらったのに、それなのに!」

 自暴自棄になった晴信は歪んだ笑いをこぼす。それはぞっとする光景だったが、つぐみは

できるかぎり平静に声をかけた。

「望月くんのせいじゃない。君に非なんて欠片もないわ。もっと憎むべき相手がいるはずじゃ

ない」

「分かってる……そんなこと、僕にだって分かっているんだよ……。でも、でもどうしようもない

じゃないか! 僕は、ずっと僕を助けてきてくれた譲二を救うことができなかった! 目の前

で苦しんでいるのに、ただ見ているだけしかできなかった! ――最低だよ、僕は。恩を仇で

返した、最低の人間だ。だから、もう生きていても仕方がないんだよ……」

 晴信の心は絶望に満ちていた。底の見えない穴から湧き出るヘドロのように、近づくことを

ためらわせる暗く淀んだ心。自分を傷づけることなんて歯牙にもかけていない。

 

 

「なんで、そんな……」

 頭の奥が鈍く痛んだ。涙腺が緩むのを感じる。湿気の多い日にも似た不快な空気が身体

にまとわりつき、この場から逃げ出したい衝動に駆られる。

 望月晴信は死ぬ気だ。親友を助けられなかった自分への不甲斐なさと罪悪感。さらにプロ

グラムという状況が影響し、説得を受け付けないほど暗い心に変化している。

 自殺を引き止めたつぐみも、次第に現実を受け入れ始めた。仮に晴信の自殺を止められ

たとしても、その先どうすればいいのだろうか。優勝者が一人というルール上、必ず彼を殺さ

なくてはならない時がやってくる。それに、晴信の心を治癒してやれるような力はつぐみには

ない。

 

 

 もし自分が晴信の立場だったら、彼と同じように自殺を考えるかもしれない。つぐみもまた、

死んでほしくない大切な人がいる。だからこそ、この状況での晴信の気持ちはある程度理解

できた。

 死ぬというのは、全ての束縛から解き放たれるある意味究極の解決策。それを選択できる

のは一度きりで、やり直しはきかない。晴信はその選択を選んだのだ。

 自殺という選択を選ぶまで、晴信はよほどの葛藤を繰り広げてきたことだろう。そのことを

思うと、胸が痛くなった。

 

 

「望月くん」

 つぐみはいつもと同じように、人懐っこい微笑を浮かべる。

「君の言っていることは間違いじゃないと思う。けど、正しいというわけでもないと思うの」

「…………」

「私、落ち込んだらよくこう思うんだ。『あの時こうしていれば』とか考えても何もならないって。

過去は過去。いくら悔やんでも変わる事のないもの。私たちが生きているのは『今』なのよ」

 それはお世辞や飾り言葉ではない、つぐみの心からの想い。

「望月くんがあの時二ノ宮くんを止めていれば、もしかしたら助かったのかもしれない。でも、

そうしたら望月くんは二ノ宮くんと殺し合いをしなければいけなくなっていたのよ。どっちも辛い

けど、私は後者の方が辛いと思う。あの時どちらを選んでも、似たような道を辿っていたんじゃ

ないかな」

「……そんなの、結果論じゃないか」

「君のだって仮定論じゃない」

 つぐみの言葉はゆっくりと、しかし確実に晴信の心に染み込んでいった。

「だから、自分のせいだって思わないほうがいい。君に全ての責任があるわけじゃないし、世

の中には自分ひとりじゃどうしようもならない事なんてたくさんあるんだから」

「でも……」

「死ぬのは簡単よ。君が死にたいって言うんなら、私は無理に引き止めたりはしない。でも、私

だったら、死を選ぶのは一番最後にする。足掻いて足掻いて足掻きまくって、これでもかって

くらい抵抗して、それでもどうしようもないときに死を選ぶ。……死んじゃったら全部終わりなん

だから、どうせなら最後に選んだ方がいいと思うけどな」

「……会長」

 つぐみは晴信の顔を見据え、大きくニコッと笑ってみせる。

「元気だしなよ。まだ人生終わるって決まったわけじゃないんだし。ひょっとしたらこれから、今

までの悪い事が全部吹っ飛んじゃうくらいラッキーな事があるかもしれないじゃん。だから、簡

単に死ぬとか言ったりしちゃダメ。生きているって事はそれだけで幸せな事なんだから」

 晴信は何も言わなかったが、その身にまとわりついていた死の空気はなくなっていた。つぐ

みの言葉が彼の心を癒したのかどうかは分からないが、晴信の瞳には小さいながらもはっき

りとした光が宿っていた。

 

 

「何で……」

「ん?」

「何で会長は、僕なんかを助けたのさ。プログラムはたった一人しか生き残れないんだよ。な

のにどうして、僕を助けようと思ったの? 放っておけばよかったじゃないか」

 その問いに対し、つぐみはわずかな間を空けて答える。

「私にもわかんない。気がついたら、助けてた」

「わかんないって……」

「しょうがないわよ。私って昔っからこんなんだし。口より先に手が出るってやつ? 考えるより

も先に動いている事が多いのよ。悪い癖だと思ってるけど、なかなか治らなくて困っちゃう」

 次々と紡ぎ出される言葉に、晴信は目を丸くしていた。それほどつぐみの答えが、彼にとって

予想外なものだったのだろう。

 つぐみは晴信の心を完全に理解することはできない。けれど、できるだけ理解しようと努力

し、助けになることはできる。彼の苦悩を知らなくとも、黙って見過ごしておくよりはずっとマシ

だから。後から『助けておけばよかった』と思うよりは、ずっと。

 

 

 しばらくして晴信が崖のふちから離れ、ぎこちない足取りでつぐみの元へ近づいてきた。

「ねえ」

「ん?」

「会長って、お人好しだよね」

「そうかな」

「そうだよ。それに単純」

「……そうかな」

「うん。本当に……馬鹿だよ、会長は……」

 そう言う晴信の頬は、ピクッピクッと小刻みに引きつっている。やがて耐え切れなくなったの

か、

「うっ、ううう……っ」

 顔を俯かせ、低い呻き声を漏らした。そうしていなければ、号泣してしまいそうだった。

 死ぬ必要はない。それこそが、晴信の本当に欲しかった言葉。死を望んでいても、心の奥

では自分という存在を肯定してくれる言葉を欲していた。譲二が死んだのを、いつの間にか

自分のせいだと思い込んでいた。

 つぐみの細い腕が晴信の頭を抱え込んだ。晴信は一瞬驚いたようだが、彼女の肩に顔を

埋めて嗚咽を漏らした。

 

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