序盤戦12





 点々と道路に付着している血痕は、中学校近くの茂みの中へ伸びていた。

 血の量自体は少なくなって判別しにくくなっているが、血痕は確かにこの茂みの中へと

続いている。

 この先に誰かが居るという事は、どうやら間違いなさそうだ。その証拠に、血痕の量が

少なくなっているのに鼻に流れ込んでくる血の臭いは徐々に増してきているからだ。

 一歩一歩が重く感じられるが、血の正体を確かめない限りは引き下がるわけにもいか

ない。できれば考えたくなかったが、この血を流しているのはもしかしたらあいつかもしれ

ないのだから。

 茂みを進む悠介の視界に、見慣れたブレザーの制服とチェックのスカートが見えた。

この距離では誰かまでは分からないが、女子である事に間違いはなさそうだ。

 はやる気持ちを抑えきれずに、悠介は急いでその生徒に近寄った。女子生徒は木の

幹に寄りかかるような格好のまま、ピクリとも動かなかった。

 ボーイッシュな顔立ちに、動きやすいように短く切った髪。それは舞原中学校女子バス

ケ部の部長、村上沙耶華(女子16番)だった。

 

 

 悠介はデイパックを地面に置き、首筋に触れて息があるかどうかを確認する。弱々しい

ものの、命の存在を実感させる鼓動が悠介の手に伝わってきた。

 沙耶華はまだ生きている。もはや虫の息で助かる見込みもないが、まだ生きている。

 今にも息絶えようとしているクラスメイトを目の当たりにしても、悠介は別段動揺すること

はなかった。むしろ思い描いていた最悪のケースが外れてくれて安堵したほどだ。

 悠介は沙耶華の傍らに置いてあるデイパックに手を伸ばした。ジッパーを開けて中身を

見てみる。水や地図といった共通支給品の他に、どこにでも売っていそうな銀色の携帯

電話が入っていた。

 取り出して調べてみるが、どこからどう見てもただの携帯電話だった。試しに電源を入れ

て自宅に掛けてみたが、呼び出し音が延々と繰り返されるだけで一向に繋がる様子がな

かった。

「う……」

 沙耶華の顔が苦しそうに歪められ、その口から苦悶の声が漏れた。意識が戻ってきた

のか、それともただ単に呻き声を上げただけなのか。

 その答えは、前者だった。

「あさかわくん……?」

「気がついたか」

 目を覚ましたばかりの沙耶華に対し、悠介は素っ気ない口調で続ける。

「喋るのがつらいんだったら頷いて答えろ。その傷は後藤に撃たれたものか?」

 沙耶華はきごちないながらも、こくりと頷いて見せた。

「俺の他に誰かと会ったか? やる気になっている奴を知っていたら教えてくれ」

 沙耶華はぎこちなく口を動かし、掠れるような声を絞り出す。残されたわずかな力を使い

ながら、懸命に質問に答えようとしていた。

「私が会ったのは……後藤だけよ。つぐみにも会ったけど、今どこにいるのかまでは……」

 沙耶華の出席番号はつぐみの一つ前の16番だ。間にいる森一郎(男子17番)をやり過

ごせば合流する事はたやすい。沙耶華はそれを実行して、つぐみと出会った矢先に拓磨

の襲撃を受けたのだろう。そしてつぐみが先に逃げ、自分も何とか拓磨の手から逃れた。

 これがあの時、校門の前で繰り広げられた事件と見て間違いないだろう。

 

 

「ねえ、浅川くん」

「何だ」

「何で私を、すぐに撃たなかったの?」

 悠介はしばし沙耶華の目を見つめ、困ったように軽く舌打ちをした。

「撃ってほしかったのかよ」

「ううん。そうじゃないの。浅川くんって怖いイメージがあるから、クラスの皆を簡単に殺して

いくんじゃないかって思ってたから」

 ある程度自覚はしていたが、自分はこのプログラムに乗っていると思われているらしい。

日頃から教師に歯向かったりクラスメイトに冷たく当たるなどといった行動を繰り返してき

たから当然の結果とも言えるが、ここまで露骨に警戒されていると逆に笑えてくる。

「お前の考えで正解だよ。俺はこのクラスに親しい奴なんてほとんどいない。殺す相手に情

なんて抱かないし、命を懸けて護るような奴も――」

 悠介の言葉はそこで中断した。最後の一言を口にするのをためらったように思えるが、

彼の意図するところは彼にしか分からない。

 

 

 悠介は成されなかった言葉の代わりに、右手に持ったベレッタを沙耶華の頭に向けた。

その銃口は深淵へと続く穴のように、どこまでも暗く深く。

「じっとしていろ。今、楽にしてやるから」

 相手の意見を聞かない一方的な行動だったが、沙耶華は抵抗するような素振りを見せな

い。己の死を受け入れているのか、実に穏やかな笑みを浮かべていた。

「ねえ、浅川くん。最後に二つ……お願いがあるんだけど」

 悠介は特に反応もせず、その後に続く沙耶華の言葉を待った。

「つぐみに会ったら、伝えてほしいの。先に逝ってゴメンね、って……」

「分かった。伝えておく」

 安心したような微笑を浮かべ、沙耶華は次の願いを告げる。

「手を……握ってくれない? 今になって情けないけど、やっぱり怖いから……」

 予期せぬ申し出に戸惑いながらも、悠介は沙耶華の手を空いた左手で軽く握り締めた。

 その手はとても冷たくて、沙耶華の身体から命が失われていく事実を思い知らされる。

 

 

 ――ああ、そうか。

 これが。

 これが、死ぬってことか。

 

 

 引き金にかけられた指が震えていた。今さら何を迷う必要がある。プログラムに――殺し

合いに乗るって決めたじゃないか。殺される覚悟も、殺す決意もした。

 なのに、なのに何で――。

「くっ……」

 震えは指から手、手から全身へと伝染していった。それを無理矢理抑え、引き金にかけ

られた人差し指に精一杯の力を込める。

 鋼鉄の引き金が動いた瞬間。

「浅川くん」

 今にも消えてしまいそうな沙耶華の声が、悠介の鼓膜を揺らす。

「……ありがとう」

 パァンという破裂音が響き、その安らかな笑顔ごと彼女の存在を永遠に消し去った。

 

 

 悠介は木の幹に身体を預けながら、自分の身を襲う激しい吐き気に耐えていた。動揺に

より荒くなった動悸と息遣いを落ち着かせながら、木漏れ日の下で何度も何度も深呼吸を

する。

 冗談じゃ、ない。

 あんなものだとは思わなかった。人を殺すのがあんなに辛いものだったなんて。傷ついた

クラスメイトを見ても銃を向けても何も思わなかったし心を乱すことも無かったのに、いざ殺

そうとすると体が震えて思うように動かなかった。

 偉そうに決意したくせになんてザマだ。自分の情けなさに嫌気がさしてきた。これではとて

もじゃないが、あいつを敵から護るなどできそうにない。

 

 

 ――いや、違う。

 できなくてもやるんだ。やらなきゃ、いけないんだ。

 木の幹に両手をつけ、ふぅーっと大きく深呼吸をする。目をつむって呼吸と心拍数を整え、

人を殺した現実を必死に受け入れようとする。

 ――慣れるんだ。この環境に。殺人を行う現実に。歪んだ世界に慣れるんだ。ここは日常

ではない。どんな残酷な事態も起こりうるプログラム。プログラムを受け入れ、殺人に対する

怯えをなくせ。

 

 

 村上沙耶華の死体がある方向を振り返り、悠介はしっかりとした足取りで歩き出した。澄ん

だ瞳の奥で黒い炎が爛々と輝いていた。

 

村上沙耶華(女子16番)死亡

【残り35人】

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