序盤戦1  2005年5月11日





     霧生玲子(新潟県舞原中学校3年3組女子6番)は早朝の新潟市内を歩いていた。

     まばゆい朝日と朝の静謐な空気が、玲子の気分を高揚させる。この時期になると話題

    になる5月病というものがある。玲子はそんなものに無縁の人間だったが、今なら5月

    病になった人の気持ちが分かるような気がした。

     こんなにいい天気じゃあ、怠けたくなるのも無理はないかもしれない。

     天気予報では、これから向かう場所も連日晴れマークが続いている。日本海側よりも

    太平洋側のほうが天気が穏やかと聞いていたのでそれほど気にはしていなかったが、

    どうやら雨が降る心配はないらしい。

 

     玲子が通っている舞原(まいはら)中学校は、県内でもトップクラスの名門校として有名

    だ。豊かな知性と人間性を育むという校風のもと、数多くの優秀な人材を世に輩出してきた。

     名門校というと厳しく、堅苦しいイメージが付きまといがちだが、舞原中学校はそれほど

    校則や規則にうるさくはない。入学もそれほど難しくなく、入ろうと思えば誰でも入れるのだ。

    ただし授業内容などが難しいため、入学してからが大変なのだが。

 

     玲子は今、新潟駅に向かって歩いている。いつもならばもう少し遅くに家を出て学校へ向か

    うのだが、玲子たち舞原中学校3年生にとって今日は特別な日だった。

     中学校生活最大のイベント、修学旅行である。

     小学校の時は1泊2日だったが、中学校の修学旅行は2泊3日の日程である。住み慣れ

    た新潟を離れ、見知らぬ場所で数日を過ごすのだ。嫌がおうにも期待が高まってくる。現に

     ここ1週間は、クラスの皆も修学旅行の話ばかりしていた。

     とりあえず、集合時間の7時に間に合うように新潟駅に向かえばいい。そこで点呼の後、

    先生方のお話を聞き新幹線に乗って目的地に出発、という流れだ。

 

     新潟駅に入ってすぐ、「よう」という聞きなれた声が後ろから聞こえてきた。

     振り返った先にいたのは、まだ眠たそうな目をしている吉川秋紀(男子19番)だった。

    「お前、電車の中で食うもん買ってきたか?」

    「もちろん」

     玲子は得意げに笑った。

    「ポッキーの新商品が出ていたからね。即買いしちゃった」

    「え、マジ!?」

    「うん。知らなかったの?」

     玲子は荷物をごそごそといじり、『ポッキーバナナ味』と書かれている箱を取り出して見せた。

    「それ、どこに売ってた?」

    「セブンイレブン。私が買ったのが最後だから、もう売り切れてるでしょうね」

     そう告げた途端、秋紀が傍目にもはっきりと分かるくらい落胆する。

    「マジかよ……なんだよそれよー。ローソンにゃあ置いてなかったぞ」

    「まだ店頭に出していなかったんじゃないの?」

    「そっかー。ああちくしょう、相変わらず俺はタイミングが悪いなあ。駅の売店にゃあたぶん無え

    だろうし、今から行ってたら間に合わねえだろうし」

     玲子はちらりと腕時計に目を落とす。時刻は6時50分。今から買いに行っては予定の時間に

    間に合わないだろう。

    「仕方ねえ、あきらめるか」

     向こうに着いたら買えばいいだけの話なのだが、秋紀はよほどそれを食べたかったのかかな

    りガッカリとした顔をしている。

    「……そんなに食べたかったんだ」

    「そりゃあな。俺ってば新商品とか限定品とかに弱いからさ」

    「じゃ、じゃあ私のあげよっか?」

    「いいよ。お前の分がなくなるじゃん」

     嬉しそうな顔で「もらう」と言うと思っていたため、これには少しばかり驚いてしまった。

    「え、でも……」

    「いいっていいって。そりゃあお前が買ったもんなんだから、お前が食えって」

     秋紀はそう言っているが、あそこまで落ち込んだ顔を見せられると何だか引き下がれなかった。

    「じゃあ、半分こしよ。それならいいでしょ」

    「――ほんとにいいのか?」

    「うん」

     秋紀は少し黙った後、自分の隣にいる小柄な女の子の髪を少し強めに撫でた。

    「ありがと。この礼はいつか絶対にするぜ」

    「な、何よ。子供扱いしないでくれる? 私はもう15なんだから」

    「ひゃっひゃっひゃっ。大人を気取るんだったらもっとスタイルよくなってからにしろよなー」

    「な、何ですってぇ!?」

     怒りのあまり素っ頓狂な声を上げる玲子。思わず食ってかかるが、秋紀に頭を押さえられて

    身動きがとれなくなってしまった。

    「じゃあ、俺は一足先に行ってるから。刹那とか浩介を心配させちゃーいけねえからな」

     言うが早いか、秋紀は荷物を担ぎ直して駆け出していった。

    「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! まだ私の話は終わっていないんだからね!」

     玲子を嘲笑うかのように、秋紀は凄まじい速さで駅内を走っていく。まったく、大した逃げ足だ。

     その背中を眺めながら、玲子は自分の頭――先程秋紀が撫でた部分に手を置いた。

    「…………フン」

     言葉とは裏腹に、玲子は嬉しそうに小さな笑みを浮かべる。その頬は、少しだけ赤く染まって

    いた。

 

    【残り38人】

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