試合開始前3





  「そろそろ帰ろっかな」

   夕焼け空を見るという目的を果たした以上、つぐみがここに長居する理由はない。

   彼女は携帯電話で時間を確かめ、満足そうな顔で扉へと向かう。

   悠介は気づかれないよう、安堵の息を吐いた。今までペースを乱されまくりだった

  が、これでようやくいつもの自分に戻れるような気がする。

  「悠介くんはまだいるの?」

  「ああ。もうちょいここにいる」

   自分が帰った後で煙草を吸ったりしないだろうかとつぐみは不安になったが、これ

  ばかりは悠介を信じるしかないので何も言わなかった。
  
  「ねえ、悠介くん」

  「ん?」

  「もう少し強くなった方がいいよ。男の子が女の子に泣かされるなんて恥ずかしいからね」

  「あ、あのなぁ! 俺がいつお前に泣かされたんだよ!」

   悠介は不満げに眉をひそめ、校舎へと続く階段を振り向いた。

  「さっき」

  「だから泣いてないだろ」

  「でも泣きそうだったくせに」

  「う……」

   さっきまでの勢いはどこへやら、悠介は言葉に詰まってしまう。泣きそうだったのは事

  実だったため、はっきりと否定できないのが悲しい。

  「男の子なら、誰か一人くらい守れなきゃダメよ?」

  「……余計なお世話だ」

   屋上にごろりと寝転びながら、『何でこんな事になってしまったんだろうか』と考える。

   いつも通りに屋上で時間を潰そうとしただけなのに変な女に絡まれたりして、今日は

  本当に災難だ。そういえば朝の占い、順位が低かった気がする。

   そんな悠介を笑っているかのように、夕焼けに染まる空はどこまでも広く、そして綺麗

  だった。


  「それじゃあ、またね」

   それだけ言い残し、つぐみは屋上から去っていった。何か歌のメロディーを口ずさみな

  がら、階段を降りていく。

   最後に目に入った彼女の顔は、両親から玩具を買ってもらった子供のように楽しそう

  だった。本当に、心から楽しそうにしている顔。

   悠介は起き上がって顔だけ振り返り、遠ざかっていくつぐみの背中を見つめている。

   やがてその姿が完全に見えなくなり、悠介は深くため息をついた。

  「雪姫つぐみ、か……」

   ああして会話をするのは初めてだったが、どうもああいうタイプは苦手だ。よく喋って

  強引で、こっちのペースをかき乱すような奴。接していると精神が疲れる。

   悠介は気持ちを落ち着けようと、ポケットから煙草を取り出す。

  「…………」

   なぜか脳裏につぐみの顔が浮かんだ。あの、どこまでも真っ直ぐで透き通った眼差し

  が頭に浮かんでくる。それほど印象が強かったという事だろうか。

  「――ちっ」

   悠介は短く舌打ちをして、煙草の箱を握り潰した。それをポケットに突っ込み、彼もまた

  屋上から去っていく。

   階段を下りる直前、一度だけ屋上を振り返った。夕陽の空の下、つぐみがまだそこに

  いるような気がした。

 

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